小鞠まつりの秘密 3
* 恵 *
物事の向き不向きは経験によって生まれる。
成功した経験が得意を作り、失敗した経験が苦手を作る。
そして未経験の場合、多分それは不安を作るのだと思う。
恵には他人と会話した経験がほとんど無い。
だから、まつりちゃんの説得を愛に任せた。そっちの方が確率が高いと思った。
実際、良い結果になった。
あとは、まつりちゃんを会社に呼ぶことができれば大成功。
このまま愛に任せれば解決すると信じている。
だけど、なんだか苦戦している様子。
冷静な恵は、愛でも無理なら仕方が無いと諦めている。
しかし冷静ではない恵は、どうせなら一言くらい自分で話がしたいと考えている。
そもそも、まつりちゃんのスカウトを提案したのは恵。自分自身で解決するべき。
でも会話することを考える程に不安が増大する。
愛は相手を信頼すれば良いと言った。確かにその通り。まつりちゃんは恵の言葉を聞いて怒ったりするような人ではない。
じゃあ、もう、やるしかない。
恵の不安なんて関係無い。実行する以外の選択肢は存在していない。
だけど、具体的に何を話せば良い?
ああでもないこうでもない。
思考が同じところでグルグル回る。ついでに身体も転がっていた。
結局、答えを出せないまま時間だけが過ぎ去った。
木曜日。ライブまで残り十分くらい。
恵はノートパソコンと睨めっこしていた。
鈴木さんから言われた期限は今日まで。
つまり今日中に説得できないとアウト。
愛はベッドに座って恵を見守っている。
正直、ちょっと不気味。なんで何も言わないの?
言葉を求めてチラチラと目を向ける。
何回か繰り返したところで、ようやく視線が重なった。
「やっぱ有線にしよう」
愛はよく分からないことを言った。
「通信速度、大事だと思うんだよね」
何の脈絡も無い発言だけど、難しいことは言っていないはず。
だけど極度の緊張のせいか何を言っているのか理解できない。
混乱する恵の前で、愛はヨイショと立ち上がり部屋の隅まで歩いた。
「ああ、通信速度」
愛がLANケーブルを手に持ったところで、やっと言葉の意味が分かった。
現在インターネットには無線で接続している。
回線速度は有線の方が圧倒的に速い。これからやることを考えれば速い方が有利。
「……言ったっけ?」
「んー? 何のこと?」
「恵の目的」
「それはほら、見れば分かるよ」
言われてみれば確かにそう。
今の恵がパソコンと睨めっこする理由なんて、ひとつしかない。
恵は今週も争奪戦に参加する。
もしもライブに参加できたら恵が話をする。
ダメだった時は、やっぱり愛に任せる。
「愛は、どうするの?」
「応援してるぜ!」
愛はキラリと笑顔を輝かせて言った。
「どういうこと?」
今、ふざける場面じゃないよ? というニュアンスで質問した。
愛は真面目な時とふざけている時の違いが分かりにくい。
「……私じゃ、ダメみたいだからさ」
愛は声のトーンを落として言った。今回は真面目みたいだ。
「ダメって、説得が?」
「うん。手応えゼロ。やれやれだね」
口の中が乾くのを感じた。
心のどこかで愛が全部どうにかしてくれると思っていた。
彼女の口から弱音が出るなんて全く予想していなかった。
「だからめぐみん、助けて」
思わず俯いて目を逸らす。
その言葉は、今の恵には重過ぎる。
「……無理、だと、思うよ」
「大丈夫。絶対できる」
「……なんで、そんなこと、言えるの?」
「めぐみんが一番のファンだから」
過大評価。恵は最初のライブに参加しただけ。
あえて一番のファンという言葉を使うなら、あのシスターさんの方が相応しい。
「それに、約束したんでしょ?」
「……約束?」
「神様になって迎えに行く。だよね?」
恵は思わず顔を上げた。
どうして愛が今の話を知っているのだろう?
いや、そんなの考えれば分かる。誰かに聞くしかない。
「……まつりちゃんは、忘れてるかも」
この話を知っているのは恵の他に二人だけ。
だから、どちらから話を聞いたのか探るために今の言葉を選んだ。
「じゃあ、もっかい伝えよう」
やっぱりシスターさんの方みたいだ。
恵は少しガッカリした気持ちで次の言葉を口にする。
「……迷惑に、思われるかも」
「当たり前だよ。そんなの」
恵は何か言い返そうとしたけど、パクパクと口が動くだけで声は出なかった。
当たり前なんて言葉、全く頭になかった。
「こっちの都合で相手の時間を奪うんだから迷惑に決まってるじゃん」
「……じゃあ、どうして、話せるの?」
「信じてるから」
数日前にも聞いた言葉。
何を信じればいいのだろう?
恵とまつりちゃんは友達でもなんでもない。
信じられる根拠なんて、ひとつも無い。
だけどそれは愛も同じはず。
彼女は、何を信じているのだろう?
「……愛は、どうして、信じられるの?」
「私が信じてるのは、めぐみんだよ」
愛は堂々とした声で言った。
その姿が眩しく見える。恵は、こんな風に自信を持てない。
「めぐみんなら大丈夫。絶対、大丈夫だよ」
とてつもない重圧を感じる。
緊張のせいで指先ひとつ動かせないのに、激しい運動をしたかのように嫌な汗が滲む。
「……恵は、スカウト、したことない」
呼吸が浅い。
恵は息苦しさを感じながら、愛に問いかける。
「どうして、信じられるの?」
「めぐみんの目がキラキラしてるから」
それは微かに寂しそうな声色だった。
そして疑問の答えにはなっていない。
だけど恵は、寂しそうに聞こえた理由の方が気になってしまった。
「どうしても不安なら、私を信じてよ!」
しかし次の声と表情は、とても明るいモノだった。
……勘違いだったのかな?
別の疑問を胸に、指摘する。
「答えに、なってないよ」
愛の言葉は、彼女が恵を信じられる理由になっていない。
「めぐみんは私を頼ってるでしょ?」
「……そう、だね」
「その私がめぐみんを頼ってるんだよ?」
「だから、それは、どうして?」
「あー、あー、聞こえない。会話拒否」
愛、もしかして何も考えていないのかな?
恵が目を細めると、彼女は早口で言った。
「とにかく私はめぐみんを信じた。絶対に大丈夫。だから任せたぜ!」
「……メチャクチャ、だね」
愛はごまかすように笑った。
そこで会話が途切れ、恵はパソコン画面に目を戻す。
開始予定時刻まで、まだ十分くらいある。
今週も八時ぴったりなのかな? それとも少しズレるのかな?
そんなことを思いながら検索画面を定期的に更新していると、ふと気が付いた。
不安が消えている。
どうして? 緊張感の無い会話のせい?
……違う。それだけじゃない。
上手く言語化できないけど、身体が軽い。
緊張が解けたというよりも、何かこう、別の感覚があるような気がする。
……そういえば、誰かに頼られたのって、最後はいつだったっけ。
自問して、単純なことに気が付いた。
もしかしたら、この感覚の正体は、恥ずかしいくらいに単純なのかもしれない。
友達に頼られて、ちょっとテンション上がってる。ただそれだけ。
……バカみたい。
恵は思わずフフッと鼻を鳴らした。
否定できない。別解が頭に浮かばない。
なら、もう受け入れてしまえ。
根拠なんて無い。ただの感覚的な話。
でも、なんかイケそうな気がする。
その感覚を受け入れた時、雑念が消えた。
危険な兆候だ。根拠の無い自信に支配されようとしている。だけど、どうせ考えても答えなんて出ない。
会話。膨大な選択肢のある複雑な課題。
これを攻略するのは、きっと百年先の人工知能にだって不可能だ。
だったらもう感覚に頼るしかない。恵が思ったことをそのまま伝えるしかない。
大丈夫。だって、あの愛が信じてくれている。恵ならできる。やれる。そんな気がする。
……まずは、争奪戦、だけどね。
カチ、カチ、と定期的にマウスを鳴らす。
そして午後八時ジャスト。
検索画面に「まつりの木曜ライブ219」が現れた。それを目視した瞬間、恵の手首から先は、まるで別の生き物のように素早く動いた。
画面が停止した。
恵の体感時間が引き延ばされ、一瞬が永遠のように感じられる。
一瞬が終わらない。身体中が熱を帯びて、心臓が不気味な音を鳴らす。
そして次の瞬間、画面は切り替わった。
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