Side 小鞠まつりは待っている
初めてスカウトを受けたのは、小鞠まつりとして活動を始めてから四年が経った頃だった。
嬉しかった。ファンの数が目に見えて増え始めた頃でもあり、認められたような気分になった。だけど、いざ相手と話をする段階になって気付かされた。
資格が無い。
どれだけファンが増えても、幼い頃に夢見たステージには決して立てない。
だからスカウトを受けることは無かった。
それでも話だけは必ず聞くことにしていた。
矛盾している自覚はあった。
資格が無いと諦めているのだから、話を聞くべきではない。
多分、きっかけを求めていた。
話を聞くことで、何か変わるかもしれないと思っていた。
結果は、まぁ、残念だった。
スカウトに来る人達の話は二通り。
ひたすら待遇の話をするか、歌声を褒めてから待遇の話をするか、そのどちらか。
最初の頃はドキドキしていた。
だけど何回も話を聞くことで、良くも悪くも慣れてしまった。
歌が上手い? うん、良く言われるよ。ありがとう。
売上を折半? それ、こっちにメリットあるのかな?
毎月〇〇万円の固定給か。すごいね。儲かってるんだね。でもごめんね。お金には困ってない。
そんな話を繰り返すうちに、だんだんスカウトを受けるのが億劫になった。
だからSNSなどの連絡先を全て消した。
それでも時々ライブ会場にまで来る人が現れる。
決まって熱意のある人だった。
だけど心は動かなかった。結局、他人の夢を聞かされるだけだった。
そのうち気が付いた。
あの人達は、小鞠まつりを求めているわけではない。自分の夢を叶えるために、たくさんのファンを持ったバーチャルアイドルが欲しいだけなのだ。
彼女が現れたのは、ちょうど、そんな風に思い始めた頃だった。
──小鞠まつりの歌声は最高だよ! たくさんの人を笑顔にできる!
──勝手に限界を決めるな! 何が資格だ知るかそんなの!
──不安なら私を頼れ! 絶対どうにかする!
──まつりんの輝ける場所、私が作るから!
ビックリした。
朝になった今でも、目を閉じると声が聞こえる。それくらい衝撃的だった。
女性の声だったけど、漢らしいって、ああいうことを言うのかな?
初恋みたいにドキドキしてしまった。その勢いでスカウトを受けてしまった。
一夜明けた今、あれこれと不安が生まれる。
革命的な道具とやらの詳細を知らないままだし、待遇に関する話は一切無かった。
その辺りは会社に行かないと話せないってことなのかな?
それは無理だ。初めてスカウトで心が動いたけれど、リアルで会うことだけはできない。
初めて?
……ああ、そうだ。うん、覚えてる。忘れられるわけがない。
あれは初めて仮想世界でライブをした日のこと。
小鞠まつりは、神様になると宣言する女の子に出会った。
* * *
「んはぁ~、緊張するぅ~!」
日曜日。午後八時。
ファンが五千人を突破した記念としてライブを開催することにした。
ライブ会場は仮想世界。
この場所で歌うことを選んだのは、ずっと憧れていたから。
「変なところ無いよね?」
グルグル回りながらライブ会場をチェックする。
英語のマニュアルを読みながら必死に作ったそれは、とても簡易的な空間。
四方には黒い壁。前方には長方形の白いブロックが置いてある。これがステージのつもり。客観的に見ると、ちょっと小高い場所って感じ。客席はステージ以外の場所全て。ただの平面。黒い床だけ。
「ま、まぁ、初回だし、こんなもんっしょ」
あえて声に出して自分自身に言い訳をした。
「わ、わ、そろそろ時間だ。えっと、とりあえず深呼吸して……」
すぅ、はぁ、と身体を動かして息を吸う。
その動作は現実世界に居る自分の動きを反映したもの。
いわゆるモーションキャプチャ。
ライブ会場がチープな代わりに、こちらはバッチリ準備した。
正直かなりお金を使った。でも良い。
これで夢に一歩近付けると思ったら、むしろ安いくらいだ。
「よ、よし。押すぞ? 押しちゃうぞ?」
目の前のボタンを押すことで、このライブ会場が全世界に公開される。
ユーザーは検索画面に現れる「まつりのライブ会場」をクリックすることでライブに参加できる。
「もっかい、もっかいだけ深呼吸しよう」
とにかく落ち着かない。
心臓が胸を突き破るんじゃないかと不安になるくらいドキドキしている。
何度も大袈裟な深呼吸を繰り返す。
そして一分くらい経った後、意を決してボタンを押した。
「……あれ? 押せてるよね?」
数秒待ったけれど何も起こらない。
不安になって検索画面を確認しようとした時、客席が光った。
「来た!」
最初に現れたのは、二本足で立つ黒猫だった。
「いらっしゃい!」
嬉しくなって直ぐに挨拶をする。
黒猫さんは初心者みたいな慌ただしい動きをした後、ぺこりと会釈した。
「あはは、無言勢さんかな?」
無言勢。マイクオフでプレイするユーザーのこと。ボディランゲージが可愛くて癒される。
「お名前は、め、ぐ……メグミさんかな? おめでとう! 君が最初の参加者だ!」
小鞠まつりは左手を腰に当て、右手を銃に見立ててメグミさんを打ち抜いた。
とてもアイドルっぽい動き。演技と本音の両方で笑みを浮かべていると、メグミさんは再び慌てた様子で会釈をした。
その直後、再び客席が光る。
「いらっしゃい!」
次に現れたのは修道服を着たお姉さん。
こちらから元気に挨拶すると、彼女は胸の前で手を握り、その場に跪いた。
「……感激です」
とても渋い男性の声。どうやら彼女は、彼だったようだ。
「お名前は、マリアさんかな? おめでとう! 君が二番目の参加者だ!」
「……感激です」
「こちらこそ! それで、えっと、他の人も来るかもだから、あと五分くらい待つね!」
マリアさんは深く頷いて、メグミさんは先程と同様に会釈をした。
それから適度に雑談をしながら待つこと五分。三人目の参加者は、現れなかった。
「はい、終了! というわけで、記念すべき初ライブの参加者は二人でした! ぱちぱち~!」
小鞠まつりは最大級の喜びを表現する。
「メグミさん、マリアさん、本当に、本ッ当にありがとね!」
夢に近付いた実感がある。最高に嬉しい気分だった。
だって本当なら、もしもこれが現実なら、わざわざライブに足を運ぶ人なんて絶対に現れない。
「逆に、他の子ウサギちゃん達はアレだね。次の配信で説教しないとね」
ふっふっふ、とマリアさんが渋い声で笑った。
ちょっぴりシュールな感じだけど、多分、楽しんでくれている。
「それじゃ、歌うぞ!」
そして文字通り夢のような時間が始まった。
客席に立っているのは二本足の黒猫と修道女だけ。
拍手などの反応はあるけれど、何だかチープな印象を受ける。
それでも、今日この瞬間のために生まれたと思えるくらいに幸せだった。
「どんどん行くよ! 次は今期一押しのアニソンだぞ!」
その日、小鞠まつりは一時間ほど歌い続けた。
ライブの間、身体は羽のように軽かった。
何でもできる気がした。不可能なんて無いと思えた。
もしも自分の人生がアニメならば、ここでハッピーエンド。
物語は終わり。視聴者も大満足。
だけど現実は終わらない。
物語は否応なしに第二章の幕を開いた。
時が経つ程に身体が重くなった。
今では両足を地面に縛り付けられているかのような感覚がある。
あれだけ楽しかったライブの感動も、長い時間の中で薄れてしまった。
それでも、ひとつだけ、当時と同じ熱を持って胸に残っているモノがある。
「あ、あのっ!」
それはライブが終わった後の出来事。
無言勢だと思っていたメグミさんが声を出した。
「メグミさん! えっと、何かな?」
黒猫さんに身体を向けて問いかけた。
動きは無いけれど、深呼吸しているのかマイクに当たる息の音が聞こえる。
あはは、緊張してるのかな?
微笑ましい気持ちで次の言葉を待っていると、メグミさんが次の言葉を口に出した。
「あな、たに、救われ、ました」
その声は震えていた。とても緊張しているようだ。
小さな女の子だろうか? 可愛らしい声で、より微笑ましい気持ちになる。
「恵は、神様になります!」
「神様?」
「あの、えっと、リアルは、嫌なことが多くて、でも、だから、えっと、あれ?」
落ち着いて、という声をかけるのは逆効果かな?
そう判断して、何も言わず言葉の意図を考えることにした。
「もしかして配信を観てくれたのかな?」
「そ、そう! 観ました!」
神様という単語で、ひとつだけ思い当たる配信があった。自信は無かったけれど、正解みたいだ。
「あの時は急に泣いちゃってごめんね」
「……ん? えっと、全然、泣いてる、こと、分からなかった、です」
「あれれ、余計なこと言っちゃったかな?」
ごまかすようにして目を逸らす。その先に、ちょうどマリアさんが立っていた。
「あれは二ヵ月ほど前の配信。六件あったスパチャの二件目を読んでいる時ですね。言われてみれば、微かに声が震えていました。しかし、あれで泣いていると分かる人は存在しないでしょう」
「……あはは、解説ありがとね」
マリアさんガチ勢だなと思った。
流石、まだあまり普及していない仮想世界にまでライブを聞きに来てくれるだけのことはある。
「はい、今の無し! 小鞠まつりはいつも笑顔だよ! いぇい!」
自分には、ほんの少し思い浮かべるだけで涙の出る事柄がある。
配信では言葉を濁したはずだけれど、リアルに何か不満があることは伝わってしまったのだろう。
自分には、ネガティブな感情がたくさんある。
だけどそれを小鞠まつりに言わせることは避けている。
だって彼女は、狂おしい程に憧れた理想のアイドルなのだから。
「とにかく、あの言葉で元気になってくれたんだよね。なら嬉しい。教えてくれてありがとね」
「……えっと、えっと、こちら、こそ!」
相変わらずの緊張した声。
見えなくても顔を真っ赤にして慌てているのが分かるような雰囲気で、彼女は言う。
「ごめ、なさい。普段、こんなに話せないこと、ない、のに……」
「推しを前にした限界オタク。よくあることです」
マリアさんが「分かる」という雰囲気で呟いた。
しかしその声はメグミさんに届いていないようで、彼女は直ぐに次の言葉を口にした。
「あのっ!」
「うん、何かな?」
にこにこ笑顔で返事をする。
彼女は何度か「すぅ、はぁ」という音をマイクに乗せた後、ゆっくりと言う。
「恵は、全部、どうでもいいって、思ってました。けど、まつりちゃんの言葉で、決めました」
とても後ろ向きな言葉。
だけど不思議な力強さを感じた。
「神様になります」
すごく飛躍した言葉。その発想に至るまでの思考が何ひとつ説明されていない。
だけど疑問は少しも浮かばなかった。
「いつか、あなたを迎えに行きます!」
マイクの音が割れる程に大きな声。
それを口にした直後、彼女はライブ会場から姿を消した。
翌日以降、彼女は一度も現れなかった。
神様になります。
いつか、あなたを迎えに行きます!
言葉を選ばなければ意味不明な発言。
それなのに、いつまでも頭から離れない。
彼女の声には力があった。
仮想世界を隔てても伝わるような強い感情があった。
それはきっと自分が抱いている感情と似ている。
だから共感してしまったのだと思う。
言語化することは難しい。ただ、心が熱くなった。
その熱は、その熱だけは、まだ冷めていない。
* * *
「メグミさん、今何やってるのかな」
呟いて、なんとなく顔を上に向けた。
頭上には空がある。現実世界は朝だけど、ここから見えるのは夜空。宇宙空間みたいな紫色の空で、あちこちに星あかりがある。
ぶっちゃけ感動するような景色ではない。
だけど朝目を覚ます度に思う。
もしもこっちが現実だったら、どれほど素敵だろうか。
この世界の中でだけ、幼い頃に夢見た理想のアイドルになれる。
この世界で生きたい。その思いが強過ぎて、最近は仮想世界で過ごす時間の方が長いくらいだ。
生きるために必要なこと以外は全部こっち。
眠る時でさえ、わざわざデバイスを装着している。
「……ん、まだ仕事まで余裕あるかな」
小鞠まつりは身体を起こし、低いテーブルの前で正座した。
それからテーブルに頬杖を付き、紙を置いてペンを持つ。
「今日なんかイケそうな気がするんだよね」
音楽性の話をしよう。
良い曲の定義をする時、どんな要素を最も大切にするか、という話。
自分は迷わず歌詞と答える。
音楽は最も短い物語の形。
ほんの数分間で、たくさんの物語を表現することができる。
要するに、自分の歌を作ろうとしている。
これまでの人生と感情の全てを詰め込んだような物語を作っている。
「変わることは捨てること。我ながら良い言葉だよね。サビで使いたいかも」
隅っこにある白紙の部分に歌詞を記す。
それから書きかけの歌詞と見比べて、うーんと首を捻った。
「おかしいな? 手が進まないぞ?」
自分の歌を作ると決めたのは、まつりの木曜ライブ100が終わった後。
それから二年以上経っているのに、まだ歌詞が完成する気配は感じられない。
「んー、今日はイケると思ったのに」
仮想のペンをポイっと上に投げる。
それは少し派手なエフェクトを残して世界から消えた。
「……会社、行きたくないなぁ」
正直、小鞠まつりの収入だけで生活には困らない。
だけど今の会社は辞められない。それは気持ちの問題。べつに何か制約があるわけじゃない。
幼い頃の自分は普通の生活に憧れていた。
血の滲むような努力をして、何度も泣き喚いて、やっとの思いで大きな会社の内定を手に入れた。それなりの収入とホワイトな労働時間は、幼い頃に夢見た普通の生活をもたらした。
それを捨てるのは難しい。
だけど願うことをやめられない。
何度も「資格が無い」と自分に言い聞かせた夢に、あと一歩、近付ける瞬間を待ち続けている。
「……いつ、迎えに来てくれるのかな」
それは最初のファンに向けた言葉。
昨夜のスカウトも良かった。久々に心と身体が軽くなるような感覚があった。
あの人と一緒に夢を追いかけられたら、きっと楽しい。素直にそう思った。
だけど、どうしても、あの日の感覚が消えてくれない。
神様になるという意味不明な言葉。言語化できない不思議な感覚。
感動するような要素は無かった。それなのに、どうしてか記憶に残り続けている。
だって、いつか神様になった彼女が新しい世界を創って、小鞠まつりを迎えに来てくれるかもしれない。
「……なんだそれ」
思わず自嘲するように笑った。
まるで白馬の王子様を待つ少女のような幻想だと思った。
あれから六年くらい経った。
相手はとっくに忘れているかもしれない。
それでも心のどこかで期待している。
だけど。
その瞬間が訪れたとしても心変わりすることは無い。
これから先どれだけ熱意のあるスカウトを受けてたとしても、リアルで会うことだけはありえない。
だって、小鞠まつりはバーチャルアイドルなのだから。
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