バーチャル・アイドル 6
ホーム。
それは仮想チャットにおける自分専用の部屋。
私は小鞠まつりと桃色のソファに並んで座り、会話していた。
『えー、そのエピソードまで知ってるの? 六年前くらいだよ? 嬉しいな』
「さっき同僚が教えてくれました。今も隣で聞いてますよ」
『シャイな同僚さん、いつも応援ありがとね』
直前に釘を刺された通り、めぐみんの名前は出していない。
しかし存在は明かしているから、時折めぐみんに向けた言葉が発せられる。それはイヤホンを通じて本人に届いているわけで、それはもう、愉快なリアクションをしてくれる。
「とても喜んでいます」
『やった。大成功』
彼女は無邪気に笑う。
もちろんこれは機械的に作られた笑顔だ。
分かってる。だけど……おかしい。
なんだろう、この気持ち。これが……ガチ恋?
『えへへ、女の子のファン少ないから、嬉しいな』
胸のときめきが止まらない。とにかくキャラデザが良い。
キラキラした目が私を見ている。純粋な笑顔が私だけに向けられている。アニメの中にだけ存在するアイドルが、目の前で話をしているような感覚になる。
『お友達にも紹介してね。サービスするよ』
「いっぱい布教します!」
もしもこれが仕事じゃなかったら、私は骨抜きになっていたかもしれない。
「私達の会社に来てくれたら、もっと布教できると思います」
『……いきなりだね』
ちょっと引かれちゃったかな?
だけどリョウと営業した時もこんな感じだった。間違ってはいないはず。
「革命的な道具を作りました。だから、バーチャルアイドルを探しています」
なるべく端的に伝える。
こちらから一方的に喋るよりも、相手に疑問を抱かせて喋らせる方が良いと教わった。
『革命的な道具?』
想定通り質問があった。私はパンッと頬を叩いて集中する。
現実世界にログは無い。セーブも無い。ここから先は戻れない。
「極秘情報です。会社に来てくれたら、見せられます」
『どこの会社?』
「合同会社KTR」
『けー、てぃー、あーる?』
「ホームページもあります。後で検索してみてください」
私が作ったホームページだぜと心の中で呟いて、
「それで、どうですか? 一度、見るだけでも」
『……ごめんなさい』
否定の言葉。血の気が引くような感覚が生まれる。
『リアルでは、会えません』
初めて彼女が敬語を使った。
「私達の作った道具は、会社の外ではお見せできません」
もちろん一度の拒絶で引き下がったりしない。
今日の目的は会社に来て貰うこと。それさえ成功すれば、リョウがどうにかしてくれるはず。
「あなたをスカウトすることにしたのは、同僚の推薦だからです」
私は必死に頭を働かせながら、ひとつひとつ言葉を伝える。
「今日のライブを見て確信しました。私も、あなたと一緒に働きたい……ううん、ちょっと違うかな」
そのうちスゥっとした感覚が頭に生まれた。
邪念が消えて、不思議なくらい思考がクリアになる。
「あなたと一緒に、世界を変えたい」
自分でもビックリするような言葉が出た。
彼女は笑顔で私を見ている。
だから緊張する。アバターの向こう側にある本当の表情が分からない。
不安になる。私の言葉が何ひとつ胸に響いていないかもしれない。何か反応があるまで喋り続けたい気持ちになる。それをグッと堪えて、私は彼女の返事を待った。
『……ラブちゃんってさ、子供の頃、何かになりたいと思ったことある?』
ユーザー名がシュガー・ラブだから、ラブちゃん。
呼び方はさておき、彼女はどういう意図で今の質問をしたのだろう?
『あちきはアイドルになりたかった』
疑問に思っていると、彼女が話を続けた。
『今のあちき、アイドル。ファンは二十万人。ライブは毎週満員。どうだ、すごいだろ』
得意気な声。
だけど嫌味な感じは全くしない。
彼女は本当にすごい。
実際、私はたった一回のライブでファンになった。
『でも、多分あちきはここまで。ここから先には行けない』
だからその言葉は意外だった。
とても気になった。夢を叶えてキラキラしている彼女が、どうしてこんなことを言うのだろう。
「ここから先って、どういうことですか?」
自然と質問していた。
イヤホンを通じて苦笑するような息遣いが聞こえる。
長い沈黙が生まれた。
多分、伝えるかどうか悩む時間。
やがて息を吸うような音が聞こえて、彼女は言った。
『あちきの憧れたアイドルは、ふりふり衣装を着て、キラキラ輝くステージで、すっごく楽しそうに歌って踊るアイドル』
私は目を閉じて、その声を聞いた。
小鞠まつりのアバターから感情を読み取ることは難しい。
だけど声は違う。
顔が見えなくても、いくらか感情が伝わってくる。
『あと一歩なんだよ。ここから、あと一歩。でも今日までちょっと頑張り過ぎちゃった。最近ちょっと力が入らないんだよね……あ、まぁもちろん、永遠の十七歳だから若いままだけどね!』
取り繕うような言葉。
それから彼女は溜息を吐いて、呟くような声で言った。
『あちきは凄い。頑張った。でも、ここが限界。今より先には行けない』
私は反射的に否定しかけた。
しかし唇を嚙み、ギリギリで踏みとどまって考える。
有紗ちゃんと話をした時に痛感した。
自分の意見を伝えるのは簡単だ。しかし相手にも事情がある。
一方通行では、決して分かり合えない。
「どうして?」
『あちきには、資格が無いから』
とても悲しい声だった。
見えなくても俯いているのが分かる。
「資格……才能、ですか?」
『その言葉嫌い』
鋭い否定。明らかに不機嫌な声だった。
『その言葉は、すごく軽い。一緒にしたくない』
私は返す言葉が浮かばなくて口を閉じた。
それから頭の中で考える。
資格とは、何を示す言葉なのだろう。
パッと思い浮かぶのは容姿だけど、リアルで会わない理由にはならない気がする。結局、お客さんの前に出る時はバーチャルなのだから関係無い。
じゃあ、何か外に出られない事情があるとか?
アニメでよくある話だと、実は病院のベッドでしか生きられない人で……いや、まだそこまで現実の技術は進んでいない。そんなに重症なら、そもそも歌ったり踊ったりできないはずだ。
他には……家庭の事情とか?
これも違う。それなら今の活動自体できないはずだ。
分からない。
考える程に分からなくなる。
だから、別の話をすることにした。
「アニメ好きですか?」
『……アニメ?』
「私は超好きです。学生時代は毎クール全部チェックしてました」
『それは、すごいね』
困惑した様子。
急に何の話だろうという心の声が聞こえてくる。
「でも、就職してからは全然なんですよね。今期なんて十本くらいしか見てないです」
『あはは、十分多いと思うよ?』
しかし彼女は合わせてくれた。
だから私も話を続けることにする。
「不思議ですよね。学生時代は人生そのものって感じだったのに、今では普通の趣味って感じです」
『……うん、なんとなくだけど、分かるよ。不思議だよね』
彼女はアイドルに憧れて、その夢をバーチャルの世界で叶えてしまった。
その話を聞いて眩しいと思った。しかし彼女は現状に満足していない。これから話を続けたとしても、きっと彼女の気持ちは分からない。
共通の話題を探すことにした。
最初に思い浮かんだのはアニメだった。
べつに複雑な狙いがあるわけではない。
スカウトを成功させるために彼女のことを知りたい。
ただそれだけ。
彼女のことを知るために、ちょっと仲良くなりたいだけ。
「まつりんは、どんなアニメが好き?」
『まつりん』
「ダメだった?」
『ううん、いいよ。何か新鮮な感じ』
友達と接するように、私は続ける。
「それで、どんなアニメが好き?」
『んー、急に言われると悩むね』
「今期は何か見てるアニメある?」
『何個か見てるよ。でも、んー、あんまり夢中になれてない感じかな』
「まぁ、そういう季節もあるよね」
『えっと……アニメ全般の話、かな』
「全般?」
私が質問したところで沈黙が生まれた。
多分、何か考えているのだろう。
何も言わず待っていると、やがて彼女はスッと息を吸って、別の質問に答えた。
『あちきは、夢を追いかける話が好きかも』
「私も好き。ダメダメな主人公が努力して、ちょっとずつ認められて、最後は夢を叶える物語とか最高だよね」
『分かる。気が合うね』
まるで友達と会話するような口調。
しかし彼女の声音には、まだ少し緊張感が残っている。
『でも最近、物足りない。夢を叶えてハッピーエンドの物語に共感できなくなっちゃった』
ぽつりぽつりと呟くような声で、彼女は言う。
『夢はゴールじゃない。スタートだよ。大変なことばっかり。そのうち現状維持だけで手一杯になる。先へ進みたいなら、変わらなきゃいけない』
それはきっと彼女自身の話。
『怖いよ。すごく怖い』
微かに声を震わせて、彼女は言う。
『変わることは、捨てることだから』
その言葉がズシンと胸に響いた。
静かな声なのに、痛いくらいに感情が伝わった。
何よりも、これまで自分の中にあったモヤモヤした感情が言語化されたような気がした。
何か欲しいモノがあって、今の自分じゃ手に入らないと分かった時、変わらなきゃいけない。
答えは単純明快なのに、行動に移すのはとても難しい。
だって、これまでの自分を否定することになる。覚悟を決めて今を捨てても、欲しいモノが手に入る確証は無い。今より悪くなるかもしれない。今を失うだけの結果に終わるかもしれない。
だから怖い。怖くて、動けない。
現状維持を選んでしまう。楽な方へ逃げてしまう。
何も持たない私でさえも怖いのだから、それなりに夢を叶えた彼女はもっと怖くて当然だ。
「ひとつだけ、教えてください」
私は、おかしいと思った。
だから彼女に問いかけることにした。
「今を変えたいですか?」
『んー、どうだろ? 今に対する不満は、特に無いかな』
「憧れたアイドルに、もう一歩だけ近付きたいですか?」
『それは……うん。近付けるなら、近付きたいよ』
その返事を聞いて安堵する。
同時に、とてつもない衝動が胸に生まれた。
「私のところに来てください」
『ラブちゃんの?』
「最高の道具を作りました。今それを最初に使ってくれるバーチャルアイドルを探しています」
私は今にも声を張り上げたい気持ちをグッと我慢して伝える。
「小鞠まつりの歌声に一目惚れしました。あの道具を最初に使うのは、まつりん以外に考えられない」
『ありがと。素直に嬉しい。だけどやっぱり』
「資格が無いなんて言わないで!」
私は我慢できずに声を張り上げた。
「小鞠まつりの歌声は最高だよ! たくさんの人を笑顔にできる!」
目の前にとんでもない能力を持った人が居る。
だけどその人は自分を卑下して俯いている。
「勝手に限界を決めるな! 何が資格だ知るかそんなの!」
無視できない。
見過ごせるわけがない。
「不安なら私を頼れ! 絶対どうにかする!」
心が熱い。自然と言葉が飛び出る。
その衝動に身を任せて、思い切り叫んだ。
「まつりんの輝ける場所、私が作るから!」
多分、マイクの音は割れていた。
ひょっとしたら私の言葉が聞き取れなかったかもしれない。
私は肩を上下に動かして、呼吸を整える。
自分の中で反響していた声が徐々に小さくなり、やがて静寂が生まれた。
それは熱くなった心を冷やす。
そして熱が引くにつれて不安が生まれた。
私は唇を嚙み、あれこれ喋りたい気持ちをグッと堪えて返事を待つ。
やがて彼女は、とても小さな声で言った。
『バーチャルからなら、いいよ』
瞬間、不安が喜びに変わる。
私は気分が舞い上がって、反射的に口を開いた。
「そこを何とか対面で!」
『それは無理。リアルでは会えない』
「焼肉奢るから!」
私は必死に勧誘を続けたけれど、彼女は頑なに会うことを拒み続けた。
「分かった。今日は諦める」
『明日も明後日も変わらないよ』
「どうかな? 私、しつこいよ」
『……うん、すっごく分かる』
軽口を言い合った後、互いに笑った。
「これから、よろしくね」
『……うん、よろしくね』
その後、お互いの連絡先を交換してからログアウトした。
私はパソコンを閉じて、脱力しながら机に突っ伏す。
疲れた。本当に疲れた。
気力を出し尽くした感じがする。
「愛に任せて良かった」
不意に聞こえたのは嬉しそうな声。
私は照れてしまって何も言えなかった。
返事をする代わりに親指を立てると、彼女はコツンと拳を当てて応じた。
ワクワクが止まらない。
めぐみんが命懸けで作った道具と、まつりんの歌声。ふたつが合わされば、きっと凄いことが起こる。
違う。他力本願じゃない。
私がやる。私が、輝かせてみせる。
……どうやろうかな?
それを考えるだけで頬が緩む。
ついに、本気でやりたいことを見つけられたような気がした。
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