バーチャル・アイドル 4

 そこは小さな劇場のような空間だった。

 前方にステージがひとつ。向かい合う客席は雛段のようになっている。専用デバイスを使えば臨場感があるのだろうけれど、パソコン画面を通して見る景色からは少しチープな印象を受ける。


 めぐみんはパソコンの正面に座り、食い入るようにして画面を見ている。私はその姿を微笑ましく思いながら、右隣に座った。


 それから無線イヤホンを装備する。

 左側は私の耳に、右側はめぐみんの耳に。


「聞こえる?」

「ん、ありがと」


 その返事を確認してから音量を上げる。

 すると、直ぐに可愛らしい声が聞こえた。


『おっけー、ピッタリ百人だね。今週の皆もルール守ってて偉いぞ』


 あれ、五十人じゃないの?


「一人だけ、招待できる」

「なるほど」


 私が疑問に思った直後、めぐみんが解説してくれた。

 まさに私がマリアさんに招待されたように、フレンドを一人までなら呼べるルールなのだろう。


『それじゃ、早速だけど一曲歌うぞ。皆の足元にペンライト召喚したから、拾える人は使ってね』


 瞬間、画面が暗くなった。

 やがて聞き覚えのあるアニメソングのイントロが流れ、ステージに立った彼女が一本のライトで照らされる。そして客席の方にもチラホラと青色の光が現れた。


 ……すっごいライブっぽい。


 あらためて専用デバイスで見たかったなと思う。

 しかし、そんな雑念は彼女が歌い始めた直後に吹き飛んだ。


 最初のフレーズで上手だと感じた。

 次のフレーズが始まる頃には両手で耳を塞いでいた。


 余計な音が遮断されたことで歌声が鮮明になる。

 少し低くて色気のある歌声は曲のイメージにピッタリで、生歌とは思えないくらいにバックの音楽と調和していた。


 何より、聞き取りやすい。

 歌詞のひとつひとつを大事にしていることが伝わってくる。

 

 ……これ、オリジナルよりずっと好きかも。


 サビが始まるよりも早く、そう思った。

 そしてサビに入り、力強く伸びやかな歌声を聞いた瞬間、心を奪われた。


 今回はアップテンポな曲だけど、バラードだったら泣いていたかもしれない。本気でそう思える程にクオリティが高くて、なんかもうすごかった。


『んはー、気持ち良かった。今の曲メッチャ好きなんだよね。皆はどう?』


 私が心の中で拍手していると、彼女が本当に楽しそうな声で言う。すると観客席から「うぉぉぉぉぉ」という野太い歓声が上がった。


『あははは、鳴らし過ぎでしょ。あっ、念のため説明するぞ。PCで入ってる方はシフトとユーを同時に押してみて。デバイス使ってる人は、ペンライトを三回連続で叩いてみてね』


 その説明の後「うぉぉぉぉぉ」という声の大合唱が始まる。

 それを聞いてステージ上の小鞠まつりがケラケラと楽しそうに笑った。


『ありがと! でも、あちきが喋るから皆のマイクオフにするぞ』


 その声が聞こえた後、本当にシーンとなった。


 ……一人称、あちきなんだ。

 ちょっとイメージと合わない言葉に戸惑いながら、私はボソっと別の感想を呟く。


「仮想チャット、色々できるんだね」


 ペンライトを召喚したり、謎の音声を出したり、マイクをオフにしたり。とても自由度が高い。


「無理。まつりちゃん、多分本業の人」


 めぐみんが返事をくれた。

 彼女から見ても高度な技術が使われているようだ。


『次は恒例のリクエスト曲なんだけど、その前にちょっと雑談するね』


 MCが始まった。

 それを聞きながら、あらためて彼女の姿を見る。


 キャラクターデザインは、一言で表現すれば正統派アイドル。

 真っ直ぐでキラキラした目。腰まで届く少し明るい色の長髪。前髪の左側には兎のワッペンと桃色のリボンがある。服装も、アニメで見るアイドルそのものって感じがする。


 そんな彼女が、本当に楽しそうに話をしている。


 正直そこまで面白い話じゃない。

 でも彼女の声と笑顔に釣られて思わず頬が緩む。


『それじゃ、今日のリクエスト曲発表するぞ。スクリーンに注目!』


 めぐみんが素早くパソコンを操作してスクリーンに焦点を合わせる。ちょうどステージが暗転して、バッという音と共に何かが表示された。


 cppという三文字。ただそれだけ。


『恒例の暗号系だね』

「恒例なんだ」


 私は思わずツッコミを入れた。

 長く続けば独自の文化が生まれるのは自然だけど、リクエストに暗号というのは珍しい。


『皆、これ何の曲だと思う?』


 問われて考える。

 真っ先に思い浮かぶのはプログラミング言語。でも、そんな曲あったかな?


『あちきも色々考えたけど、多分これ心ぴょんぴょんの頭文字だよね?』


 私は咄嗟に息を止める。

 顎に手を当てて、真剣な声色で心ぴょんぴょんと発言する姿が少しだけツボに入った。


『というわけで、今回は懐かしい曲を歌うぞ。声作るからちょっと待ってね』


 彼女は喉を鳴らして声の調子を整える。


 ……どんな声を作るのかな?


 心ぴょんぴょんというフレーズでピンと来ないオタクはいない。

 可愛らしい女の子達が歌う少し古い曲で、最初の大人っぽい曲とは真逆のイメージである。


 だから気になった。

 さっきの大人っぽいお姉さんボイスが、どんなロリボイスに変わるのだろう。


『こんな感じかな?』

「うそでしょ?」


 私は耳を疑って、瞬きを繰り返す。

 ちょっと声が高くなったとかそういう次元じゃなかった。


『それじゃ、歌うぞ!』


 衝撃が和らぐ間もなく音楽が流れ、彼女は直前に出した声のまま歌い始めた。


 ……普通に上手くて脳がバグる。


 基本的には原曲に忠実な歌い方。

 幼い子供が身体を弾ませながら歌うような軽快なリズム。


 しかし彼女の場合、とにかく聞き取りやすい。

 これはテクニックなのか、それとも声質の問題なのだろうか?


 私に説明できる知識は無いけれど、まるでプロの朗読のように歌詞が聞き取りやすい。その上で、音楽と完璧に調和している。


 ……ほんと、上手過ぎる。


 音楽はカラオケ音源を流しているだけ。

 歌声は過剰にロリロリした甲高い声。しかも生歌。

 それなのに、自分でも不思議なくらい引き込まれる。


 私は彼女の歌声を聞きながら理由を考える。


 例えば、技術がある。

 それは他の歌手も同じだ。


 例えば、笑顔が良い。

 いや、あれはただの3Dモデルだ。


 じゃあやっぱり、声が良い?

 ……違う気がする。そこまで個性的な歌声ではない。


 私は雑食なオタクだ。

 学生時代はマイクール放送される数十本のアニメを全て視聴していたし、有名なゲームも尽くプレイした。その中でたくさんの音楽を耳にした。


 その知識と照らし合わせた時、彼女の歌声から特別な個性を感じることは無い。


 もしも私が彼女のファンなら、何らかの補正で良く聞こえる可能性はある。しかし、まともに歌声を聞いたのは今日が初めて。それなのに心がぴょんぴょんする。楽しい気持ちになる。


 どうしてなのだろう?

 ……考え続けて、ふと気が付いた。


 彼女の歌い方はファンの歌い方だ。

 仕事としてゼロからイチを作るプロとは根本的に違う。

 

 良い意味で緊張感が無い。

 カラオケで友達と歌うような楽しい感情だけが伝わってくる。


 ……良い。すごく良い。


 頬が緩む。

 心地良くて、ずっと聞いていたい気持ちになる。


『心ぴょんぴょんしたか~⁉』


 歌い終わった彼女が叫ぶと「うぉぉぉぉぉ」という歓声が鳴り響いた。直ぐに満足そうな笑い声が重なる。その笑顔を見て、私まで嬉しい気持ちになる。


『ありがと。それじゃ、次のリクエスト歌うぞ』


 それからライブが終わるまでに、彼女は新たに三つの曲を歌った。全て聞き終える頃には、私はスッカリ小鞠まつりのファンになっていた。

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