バーチャル・アイドル 2

 翌朝。

 少し早起きした私は仮想チャットにログインした。


 ここは朝の運動ワールド。

 名前の通り朝の運動をするための仮想世界である。


 形は正方形。壁も天井も無い。

 床は黄土色。見上げれば晴れ渡る空。前方には宙に浮かぶ謎のボード。ボードの数はふたつ。それぞれ現在時刻と参加人数が記されている。


 参加者数、三十七人。

 私の目に映るアバターの九割は美少女。


 でも、なぜだろう?

 先程から聞こえる挨拶は男性の声ばかりである。


 ……いいえ、考えたら負けです。そういうものなのです。


 私は心を無にして、静かにボードを見つめる。

 やがてデジタル表示の時計が六時を示した時、ボードの真下に巨大なスクリーンが現れた。


「バーチャル体操ぉ! 第一ぃ!」


 仮想世界に大地が震えるようなバリトンボイスが響き渡る。

 そしてスクリーンに修道服姿の女の子が映り、小さな手足を目一杯に動かして体操を始めた。


「……なにこれ」


 とりあえず見本に従って体操しながら本音を呟いた。

 昨夜、私は「朝の体操イベントがあるよ」という面白そうな情報を得た。


 だから早起きして参加することにした。

 せっかくなので、仮想世界を楽しもうと思ったからだ。


 しかし、これは少し想像と違った。

 仮想空間には約四十人の美少女が集まっている。彼女達は談笑することなく、同じスクリーンを見て黙々と踊っている。


「……シュールだ」


 心を無にして踊る。

 体操が終わると「おつかれっしたー!」という野太い声が聞こえ、美少女達が列を作った。


 ……今の声、どこから?


 軽い現実逃避をしながら、とりあえず列の最後尾に並ぶ。


 ……まるで同人誌即売会の待機列。


 訓練された美少女達による無駄に統率された無駄のない無駄に綺麗な列。私の順番が来たのは、だいたい五分くらい経ってからだった。


「あら、初めて見る方ですね」


 列の先に立っていたのは、スクリーンに映っていたシスターさんだった。


 小さくて可愛い。

 身長設定は百二十センチくらいかな?


 私は軽く目線を下に向けて挨拶する。


「シュガーです」

「マリアです。よろしくお願いしますね」


 その笑顔を見て思わず胸がキュンとなった。

 最新の3Dモデルしゅごい。


 シスターっぽい所作と落ち着いた喋り方。完成度が高い。アニメの住人が目の前に現れたような気分になる。


 しかし彼女は男性である。

 最初に聞こえたバリトンボイスの出所は、間違いなくここだ。


「スタンプカードはお持ちですか?」

「持ってないです」

「それは残念です。明日も参加されるのであれば、是非ダウンロードしてお越しください」


 彼女は手に持っていた巨大な棒を私に向けた。


 よく見ると、スタンプである。

 先端に「えらい!」と記されている。


「スタンプが集まると、何かあるんですか?」

「達成感があります」

「なるほど、大事ですね」

「しかしそれだけでは寂しいので、私に懺悔する権利が与えられます」

「懺悔」


 日常生活でなかなか出てこないワードを思わず復唱してしまった。マリアさんはふふふと静かに笑った後、私に提案する。


「ご新規さんは二ヵ月振りです。特別に、体験懺悔しますか?」

「やります」


 私が返事をすると、彼女はスタンプを地面に置き、胸の前で両手を握って目を閉じた。


「聞きましょう」


 雰囲気メッチャそれっぽい。

 私は少しワクワクしながら、彼女と同じポーズで懺悔する。


「……昨日、冷蔵庫にあっためぐみんのプリンを食べてしまいました」

「それは大変です。国際指名手配されても文句を言えないような大罪です」


 穏やかなバリトンボイスが聞こえる。

 私は色々なことに目を瞑り、彼女に問う。


「私は、どうすれば良いのでしょうか」

「黙っておきましょう」


 それはもう悪魔のような提案だった。


「ギリギリまで目を背け、あわよくば相手が忘れてくれることを祈るのです。システム改修のように」


 極一部の層にしか伝わらない比喩表現。

 彼女はシステム屋さんなのだろうか?


 いや、違う。ここはバーチャルの世界。

 目の前に居るのは、ちょっと声が低いだけの美少女。


「……許されるでしょうか」

「とある邪神は言いました。バレなければ犯罪ではありません」

「その邪神、這い寄りますか?」

「うー」

「にゃー」


 私達は握手をした。

 オタクが通じ合った感動の瞬間である。


「フレンドになりましょう」

「喜んで」


 フレンド。

 相手のログイン状態と居場所が分かるようになる機能である。


「ふふふ、これでシュガーさんの居場所はいつでも筒抜けです」


 そう言ったマリアさんの目から光が消えた。


「わ、すごい。ヤンデレ目もできるんですね。どうやってるんですか?」

「禁則事項です」


 またもオタクにだけ伝わるネタである。マリアさん、私と年齢が近いかも?


「仮想チャット、楽しいですね」


 私は特に何も意図せず、純粋な気持ちで呟いた。


「それは良かったです。シュガーさんは、どうしてこの世界に来たのですか?」

「実は、人探しです」

「生き別れの妹さんですか?」

「いえ、アイドルです。小鞠まつり、知ってますか?」


 質問すると、シスターさんは真顔になった。


「ライブ目的ですか?」


 感情の薄い声。

 まさか、ライブ入場を狙うライバルだったりするのだろうか?


 私は悩む。

 素直に目的を伝えるべきか、誤魔化すべきか。


 ……触覚のことだけ隠せば大丈夫だよね?


 オタクに悪い人は居ない。

 私は先ほど感じた友情を信じて、話すことにした。


「実は、スカウトが目的です」

「スカウト? ああ、事務所の方でしたか。では、なぜ小鞠まつりなのか、と聞いても良いですか?」


 その声には棘があった。

 私は何か地雷を踏んだような気配を感じながら、恐る恐る返事をした。


「ファンだからです。私じゃなくて、相方が、ですけど」

「布教されたのですか? 何か見せられましたか?」

「……動画、なら」

「どのような?」


 すっごい言及してくる。

 間違いない。マリアさん、小鞠まつりガチ勢だ。


「少し古いアニソンを歌ってたと思います」

「アニメのタイトルなど分かりますか?」

「なんでしたっけ? 空飛んでたことは覚えてますけど……」

「なるほど。理解しました」


 ゴクリと唾を飲む。

 マリアさんは再びヤンデレ目になると、じっくりと間を置いてから言った。


「今宵の楽しみがひとつ増えました」


 とても意味深な言葉。

 彼女が、あるいは彼が何を思って今の発言をしたのか気になるけれど、3Dモデルの表情から真意を読み取るのは難しい。


「……お手柔らかに」


 ここは戦略的撤退。何が地雷になるか分からないので、安全を取って黙ることにした。


「ふふふ、ふふふふ……」


 不敵なバリトンボイスがイヤホンを通じて鼓膜を揺らす。

 やっぱり耳と目から得られる情報が一致しない。脳がバグる。


 ……小鞠まつり。どんな子なのかな?


 困惑する一方で、彼女に興味が湧いた。

 マリアさんは多分コアなオタクだ。私とも波長が合う。そんな人が推すバーチャルアイドル。気にならないわけがない。


 ……そういえば、めぐみんはどうして好きなのかな?


 彼女はべつにアニメとか好きなわけじゃない。研究テーマからして仮想世界に詳しいのは自然だけど、そこからバーチャルアイドルに繋がるのは、珍しいと思う。


 ……後で聞いてみよ。


 それから少し経ってログアウトした私は、装備を解除して机に突っ伏した。


 酔った。昨日より楽に感じるのは時間が短いからか。それとも慣れたのか。


 どちらにせよ、完全耐性を得られるのは、まだまだ先になりそうな予感がする。


 ──コン、と隣で足音が聞こえた。


 相手は一人しかいない。

 私は机に突っ伏したまま挨拶をする。


「おはよ、めぐみん。良い朝だね」

「プリン」


 私はゆっくりと顔を上げ、彼女を見る。


「プリン」


 三文字から感じる圧と様々な感情。

 私はしばらく言い訳を探した後、テヘペロと言ってごまかそうとした。


 ──その後、お昼に新しいプリンを献上するまで口をきいてくれなかった。

 

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