バーチャル・アイドル 1

 きゅるるん!

 皆のアイドル、ラブ・シュガーだよ!


 今、私の前には沢山の美少女が集まっています! 右を見ても左を見ても本当に可愛い!


 もしも現実なら絶対に良い匂いがします! それを心の中で大きく吸い込み、私は叫びます!


「皆ぁ! 今日は集まってくれてありがとぉ!」


 わぁぁ、大きな歓声が聞こえました!

 とっても野太い! 男性比率が九割くらいの重低音です!


 おかしいなあ⁉

 美少女しか見えないのになあ⁉



 ──仮想チャット。



 メタバースという言葉が流行る以前に生まれ、誰よりも早くバーチャル世界に可能性を感じちゃった人々がススメ→トゥモロウして様々な文化を生み出した場所。


 ユーザーは各々が用意したアバターに受肉して様々なイベントを楽しんでいる。


 朝の体操。お茶会。撮影会。アニメ鑑賞などなど、イベントは毎日のように開催されている。


 参加者の大半は美少女!

 でも近寄って声をかけると高確率で野太い返事!


 さてここで問題です。この偽の美少女おっさんだらけの世界に真の美少女おねえさんが降臨したら何が起こるでしょうか?


 そらもうモテモテってことよ! がはは!


「愛、仕事して」

「待ってめぐみん。もうちょっと。もうちょっとだけチヤホヤされたい!」


 もちろん目的は遊ぶことではない。

 私はめぐみんと共に、とある人物を探して仮想チャットに参加した。



 時は、数時間だけ遡る。



 場所は自室。

 仕事を終え帰宅した私は、ミニテーブルを挟み同居人と向き合っていた。


「これを使う」


 めぐみんの第一声である。

 ミニテーブルには、ゴーグルと手袋が置かれている。


 多分、バーチャル的なあれこれをするための道具。

 手袋の色は黒。スマホサイズの機械が傍にあり、指先から伸びるフラットケーブルで繋がっている。


「ハプティクトグローブ」

「ハプティ……ああ、触覚的な?」

「正解」


 私は「へー」と声を出しながら、それを手に取った。


「機械っぽいね」


 それは恵アームと比較した感想。

 私は初めて恵アームを見た時、普通のアームカバーだと思った。


 でもこれは違う。

 一目で何か特別な機械だと分かる。


「恵アームの勝ちだね」

「ん。でも、今日はまだ、我慢だよ」


 せっかくだから自分達の技術を使いたいけれど、公開前の技術を使うのは無理。恵アームは、まだこの世界には存在しないことになっているのだ。……かっこいい響きですね。


「仮想チャット、やるよ」


 めぐみんの声。機械から目を移すと、いつの間にかミニテーブルにノートパソコンが置かれていた。


「ターゲットは、小鞠こまりまつり」

「ええっと、バーチャルアイドル?」

「そう。知らない?」

「ごめん、知らない。画像とかある?」


 めぐみんは素早くキーボードを叩き、パソコン画面を私に向けた。


「こんな感じ、だよ」


 その声は心なしか普段よりも弾んでいるように聞こえた。


 私は少し微笑ましい気持ちで画面を見る。

 画面の左半分にマイク、右半分に顔がアップで映し出された美少女。背景にはギターなどの楽器が見える。


「音、出すよ」


 宣言通り、音が出る。途中からなので話の内容は分からないけれど、歌う直前だったらしい。


 彼女は軽く息を吸った後、アカペラで歌い始めた。選曲は少し昔のアニメソング。私も知っている曲だった。


「メッチャ上手いね」


 素直な感想を言うと、めぐみんは得意気な表情を浮かべた。

 本当に驚いた。もう少し素人っぽい印象を持っていたけれど、歌声だけならば、私が知っている中で一番かもしれない。表情も良い。3Dモデル特有のデフォルメされたシンプルな笑顔なのに、不思議と見ているだけで元気が貰える。


「小鞠まつりの連絡先、無い。でも、目撃情報、沢山ある」


 めぐみんの声を聞いて、私は意識を画面から彼女に戻す。


「なるほど。仮想チャットの中で見つけて、スカウトするんだね」


 彼女は首を縦に振った。

 というわけで仮想チャットに参加するための準備開始。


 私はめぐみんの指示通りに色々なソフトをダウンロードする。それが一通り完了した後で質問した。


「このあと、どうすれば良いの?」

「設定、変える。貸して」


 私はパソコンの操作をめぐみんに譲った。

 彼女は慣れた手付きでファイルを開き、中身を書き換える。他にもUSBメモリから何かコピーして謎のフォルダに配置したり……何かこう、プロフェッショナルな感じだ。


 多分、手伝えることは無い。

 私は少し考えた後、ある程度の予習をすることにした。


 ……まぁ、スマホでググるだけなんですけどね。


 仮想チャット。仮想世界を自由に動きながら、他のプレイヤーとの交流を楽しむサービス。


 ……あれ? パソコンだけでも遊べるんだ。


「めぐみん、今は何の設定してるの?」

「ハプティクトグローブ。普通に接続したら、動けない」


 めぐみんは操作を続けながら返事をした。

 言われてみれば、両手に手袋を装着した場合、移動とか難しそう。


「もうちょっと、待ってね」


 正直、人を探す目的なら専用機器は不要だと思う。でもめぐみんが楽しそうなので、水を差すような発言は控えることにした。少し言い訳をするならば、これは潜入調査である。メタバースのサービスを作るのだから、今後のアップデートとか、その世界を知っている方が良いはずだ。


 ……この設定、めぐみん居なかったら無理だよね。

 もしも私が個人的に遊ぶなら、設定だけで何日もかかると思う。


 ……そっか、簡単に使うって、こういうことか。

 今めぐみんがやっているような設定が、何かアプリをダウンロードするだけで完了するなら、それは革命的なことである。そして私達が開発したプラットフォームならば、できる。


 ……でも、色々と調整が必要かな。

 現状ではユーザーの目線が足りていない。


 開発者の目線では便利だと自信を持って言えるけれど、裏を返せばそれだけである。


 だから調整が必要。考えてみれば当たり前のことだけど、今この瞬間まで全く想定していなかった。


 ……ふっ、これが潜入調査か。

 ちゃらららんっ♪ 愛ちゃんはレベルアップした!


「お待たせ。まずは、練習するよ」


 どうやら設定が終わったようだ。

 私は専用機器を装備して、再び仮想世界にログインした。


「リンク・スタート!」

「……ん?」


 ネタが伝わらなかったことはさておき、私は仮想世界に入門を果たした。色々な人に話を聞き、声を褒められ、気が付いたらミニライブを開催していた。


 めぐみんには怒られた。

 結局、小鞠まつりには会えなかったけれど、人が集まったおかげで有益な情報が手に入った。


 毎週木曜日、午後八時。

 その時間に、小鞠まつりがイベントを開催しているようだ。


 入室は大激戦。彼女がワールドと呼ばれる部屋を公開してから先着で五十人しか入れないらしい。


「ツール、作ろう」


 ログアウト直後、めぐみんがキラキラした声色で言った。


「……ちょっと、待ってね」


 私は視覚用デバイスを外した後、手を口に当てて俯いた。


「……これ、かなり酔うね」


 VR酔い。言葉だけは聞いたことがあるけれど……まぁ、とにかく吐きそう。


「そのうち、慣れるよ」


 一方で、めぐみんはケロッとしている。これまでも研究で寒さ耐性を見せられたり絶対無敵の髪質を見せられたりしているけれど、やはり彼女は新人類なのだろうか。


「……ごめん、ちょっと、席外すね」


 楽しい思い出と、その後の苦しみで、差し引き若干のプラス。

 それが初めて仮想世界を体験した印象だった。

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