メタバース 終

 会議の後、男性陣は営業へ赴き、めぐみんも準備があるとかで帰宅した。

 残された私は塾講師として働き、やがてぽつんと寂しいお昼休憩が始まった。


「解せぬ」


 私は一人、呟いた。

 何かこう疎外感がある。


「あいつめ……」


 ケンちゃんの話は難しかった。

 もちろん自分にビジネス的な知識が欠けている自覚はある。

 だけど、そもそも私に理解させるつもりが無かったように思える。


「翼とイチャイチャしやがって……」


 私は唇を尖らせる。

 もしも話し手が翼や神崎さんならば、仕方がないと思えたかもしれない。でも相手はケンちゃんだ。何やら雰囲気が変わっていたけれど、私の中にある印象は、そう簡単には変わらない。


 あの泣き虫な幼馴染が「まあどうせ佐藤さんには理解できないからな」とでも言わんばかりの態度でマシンガントークをしやがった。


 許されない。

 この命に代えても抗議しなければならない。


 私が拳を握り締めた直後、事務所のドアが開いた。


 目を向ける。

 現れたのは、生意気な幼馴染だった。


「何しに来たんだよ」


 そっぽを向いて問いかける。


「山田さん、外出中?」

「帰ったよ。準備があるんだってさ」

「そっか」


 彼は興味なさそうに言って、私の隣に座った。


「なんだよ」


 べつに身体が触れるような距離ではない。

 だけど私は端まで移動して、唇を尖らせながら言った。


「……翼と、仲良くなったみたいだね」


 彼はソファに浅く座り、目線を床に向けて言った。

 その遠慮がちな声を聞いて、何だか気持ちが楽になる。


 うむうむ。この弱そうな雰囲気こそケンちゃんだ。

 さて、どう料理してくれようか。


「プロポーズ、受けるの?」

「なにゃ⁉」


 思わず大きな声が出た。完全に不意打ちだった。

 私は息を止めて唇を嚙む。そのまま少し間を置いて、軽く息を吸った後で、努めて冷静に声を出す。


「……どうしたら、良いと思う?」


 間違えた。予定と違う。

 予定ってなんだ。知らない。やばい混乱してる。


「ごめん。今の無し。忘れて」


 両手で顔を隠す。

 焦りやら何やらで頭が真っ白だった。


「仕事の話、してよ」


 話題を変えるため、少し強引に言う。


「何やってるか全然分からん。教えろ」


 彼とは反対側にある壁に向かってカタコトで言った。

 やけに騒がしい心臓の鼓動を感じながら、私は返事をしない幼馴染に続けて問いかける。


「メタバースとVRって何が違うの?」

「……表面的には何も違わない」


 少し間があって、彼は返事をした。

 今の間で何を考えていたのか気になるけれど、自滅フラグしか見えないので放置する。


「佐藤さん、VRにはどういうイメージがある?」

「アイン〇ラッドの最上階を目指してデスゲームするイメージ」


 ふざけてないよ。真面目だよ。


「良いイメージだね」


 褒められた⁉


「メタバースは、現実の延長線上にある」

「全然分からん」

「具体例を出そうか。仮想世界で、その世界でしか使えない服を買うことについて、どう思う?」

「普通じゃない? ネトゲでも衣装の課金とかあるし」

「もしも値段が百万円以上だったら?」

「……メッチャ性能良い装備とかなら、ワンチャンあるかも?」

「装備じゃない。ただ外見が変わるだけ」

「……それ、売れるの?」

「売れる。実際、売れてる」


 私は恐怖を覚えた。

 だって、ただのデータだよ?


 ……いや、ソシャゲの廃課金と同じ、なのか?


「今のメタバースは、NFTとハプティクスが熱い」


 私が困惑していると、ケンちゃんが説明を続けた。


 後者のハプティクスは分かる。

 めぐみんと一緒に研究した触覚技術のことだ。


「えぬ、えふ、てぃ?」

「簡単に言えば、唯一無二のデジタル資産を作る技術だね」

「全然分からん」

「データは簡単に複製できる。だから複製品じゃないと証明する技術が生まれた」


 その補足を聞いて、少しだけ理解が深まった。

 仮想世界のアイテムなんて無限に複製できる。自分の手にしたデータがオリジナルか複製品かなんて見分けが付かない。だから複製品ではないと証明されたのなら……買う、のかな?


「納得してない表情だね」

「……いやほら、だって、データだよ?」

「だけど唯一無二を証明できる」

「でもコピーできることは変わらないでしょう?」

「それは現実も同じだよ。むしろオリジナルを証明できるデータの方が安心だと考える人もいる」

「……新しい価値観だね」


 私はメタバースお嬢様をイメージする。


 おーほっほっほ。

 ご覧ください。こちらエノメスの数量限定バッグですわよ。


 お値段ですか?

 ざぁっと五百万円かしら! おーっほっほっほ!


 ……これが現実にあるってことだよね。


「さてNFTによりビジネスの基盤が生まれた。次はプラットフォームだ」


 私はお嬢様をフィールドから除外して、再び話に集中する。


「ここからが、仕事の話?」

「少し違う。ここで言うプラットフォームは仮想世界のこと。例えばA社の仮想世界で商品を購入した場合、B社の仮想世界では使えない、なんてことが実際にある」

「何それ、どうするの?」

「どうにもならない。だから弱い所はどんどん消滅して、強い所だけが生き残ってる。片手の指くらいまで減ったら、共通化が始まるんじゃないかな?」

「バチバチに覇権争いしてるイメージ?」

「その通り」


 よっしゃ。ちゃんと理解してるぞ。愛ちゃん賢い。


「覇権を争っているのは仮想世界だけじゃない。メタバースを現実の延長線上に考えるならば、視覚と聴覚の他に触覚が欠かせない。つまり、ハプティクスだね」


 彼は「ハプティクス」という言葉を少し強調して言った。


「ここがボク達のターゲットだ。既に競争が始まっているし、今後、必ず激化する」


 これから話す内容が本番。

 そういう雰囲気を感じて、私は姿勢を正す。


「大事なのはスピードだ。最も強いプラットフォームで最初に使われた技術が最も多くのシェアを獲得する。いくらか後続に奪われたとしても、このアドバンテージは大きい……普通ならね」

「……普通なら?」

「君と山田さんが完璧なハードとソフトを用意した。これ以上は無い程にリアルな触覚と、誰でも簡単に扱える統合開発環境。ハプティクスにおいて他の選択肢なんてありえない。与えない。全て潰す」


 ゾクリとした。

 全て潰すなんて言葉、以前までの彼からは絶対に出てこない。


「……ケンちゃん、やっぱり変わったね」

「そうかな?」

「変わったよ。上手く言えないけど、雰囲気とか、色々」


 怖くなった。

 ストレートに伝えるのは違う気がして、口ごもる。


「君の方こそ、随分と大人しくなったね」


 私は顔を上げて、彼を見た。


「何か悩みでもあるのかな?」


 それは相手の心を覗き見るような目。

 私は一瞬、神崎さんのことを思い出した。


「……何それ? 遅れてきた中二病か?」


 虚勢を張る。

 彼は生意気な微笑を浮かべて、どこか大袈裟な声を出しながら立ち上がった。


「さて、そろそろ行くよ。バーチャルアイドルの件、よろしくね」

「……そっちこそ。がんばってね」


 私はバイバイと雑に手を振った。


「もちろん。またね」


 彼は微笑を浮かべ、事務所を後にした。

 私は少し時間を置いてから脱力して、ソファの背もたれにグッタリと体重を預ける。


「……なんなんだよ」


 緊張した。初めてだった。

 ケンちゃんと会話して、こんなに疲れたことは一度も無い。


 メタバース。私が知らない世界の話。

 難しい内容だけど、ハプティクスに挑戦することは理解できた。


 これから先、全ての仮想世界が私達のサービスを選ぶ。本当に実現するなら凄いと思う。


 多分、具体的な戦略もあるのだろう。

 そのひとつが、バーチャルアイドル。


「違う。そうじゃない」


 仕事の話。重要だ。

 でも違う。今は、そうじゃない。


「何が、大人しくなったね、だ。バーカ」


 彼の口調を真似した後、虚空に向かって悪態を吐いた。

 不愉快だけど、ケンちゃんに言われた通りだ。私は大人しくなった。


 前の会社を解雇された直後はヤケクソだったというか、怒りをエネルギーに変えていたというか……とにかく少し特殊な事情があったけれど、それを抜きにしても、最近かなり悩むことが増えた。


 仕事のこと。自分のこと。翼のこと。

 たった三つのマルチタスクなんて、前の会社だったら休憩時間みたいなものだ。それなのに、ひとつも処理できる気がしない。


 自分のことが分からない。

 自分が何をしたいのか、何を求めているのか分からない。


 多少は吹っ切れた。

 私は凄い。あの神崎さんが褒めてくれる程度に凄い。


 周囲からも頼られている。だから胸を張ることにした。

 オルラビシステムのことも、有紗ちゃんの一件で心が晴れた。


 後は前に進むだけ。

 そのはずなのに、目的地が分からない。足踏みしている自覚がある。だって私は結局、自分自身の夢や目標を見つけられなかった。


 それでも時間は止まらない。

 次々と新しいイベントが発生する。


 私は、せめて悩み事を表に出さないようにしている。

 だって周囲の期待を裏切りたくない。だからその分だけ一人の時に悩んでしまう。それはまるで佐藤愛のコスプレをしているような気分だ。私は周囲が求める自分を演じている。


「どっちが中二病だよ」


 自虐するように呟き、笑った。

 自分を演じているなんて、思春期か就活生みたいな悩みだ。


「んがぁ!」


 叫んで、髪の毛を両手でガシガシする。

 もやもやウジウジしていても仕方が無い。できることに集中しよう。


 とりあえず塾のお仕事。帰ったらめぐみんと話をする。それから、バーチャルアイドルを探す。


 他のことは、ひとまず後回しだ。


「……よしっ」


 パンッ、と頬を叩いて気持ちを切り替える。

 こうして私は、メタバースという新しい世界の入り口に立ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る