束の間の修羅場 2


 改めて私っ、佐藤愛28歳!

 あのねっ、今ねっ、推しに「あーん♡」されてるの!


「どうかした?」


 只今の翼はふわふわモード。

 私は微かに首を傾けたイケメンを前にはわわわ!


 テーブルの向こうから伸びる手には箸が一膳。

 その先には身体に良さそうな金平が少量。


 完璧!

 どの角度から見ても「あーん♡」であります!


 ……待って、待って。

 文脈、脈絡、脈拍、全部おかしいよぅ⁉


「食べないのか?」

「……ぁぇっ、ぁぉ、ぁ、っぃぇ」


 私の言葉は鳴き声となり、彼は首を傾げたりけり。まっこと雅なお顔なり。


 ……落ち着くのです。韻を踏んでも問題は解決しませんわよ。


 私は心の中にお嬢様を召喚し、自分に言い聞かせる。

 翼フェイスには慣れたと思っていた。でもオフモードは別腹だったらしい。


 だって、え、無理。無理です。

 昨日までずっとお仕事モードだったから、こんな笑顔を急に見せられたら……心臓の鼓動で、地球が揺れちゃうよう!


「……愛、また変になってる」


 隣に座っているめぐみんが呟いた。

 そうね、ほんと、変になっちゃうよこんなの。


 でも大丈夫。もう落ち着いた。

 まずは状況の整理から。私は彼に問いかける。


「あの、どうして急に、ご飯を?」


 ちょっと言葉が足りないけど多分意味は通じる。

 彼は一度箸を引き、弁当箱に置いてから言った。


「有紗が元気になった」

「それは良かったです」

「うん。だから、お礼」


 なるほど完全に理解した(してない)。

 私が混乱する頭で状況の理解に努めていると、彼が次の言葉を口にする。


「この一ヵ月、愛を見ていた」


 クリティカル!

 愛ちゃんの心拍数が上昇した!


「食事が、とても雑」


 痛恨の一撃!

 愛ちゃんのメンタルが擦り減った!


「だから、俺が用意することにした」


 彼は再び箸を持ち、私に「あーん♡」する。


「……えっと、あの、その、自分で食べます」

「これくらい、させてくれ」

「……め、めぐみんも見てるので」

「それはおかしい」


 と、声を出したのはめぐみん。


「愛は恵に同じことしたよ」


 何のことだろう。いや、どれのことだろう。

 心当たりが多過ぎて逆に困惑していると、彼女はいつもの無表情で私を見て言う。


「あの時は、もっと、人、多かった」


 その言葉でピンと来た。

 多分、二人で温泉へ行った時の話だ。


「今度は、恵が、見てるからね」


 あわわわわわわ……話題を、話題を変えなきゃ!


「そ、そろそろ受講生が来ちゃうかも!」

「お昼、始まったばかり、だよ」


 ぐぬぬ、めぐみん帰ったら覚えてろよ。


「つ、次の人は準備が大変で……」

「なら、早く食べて準備するべきだ」


 翼しゃまっ、タイム、タイムください。


「……」


 私は唇を噛み、迫り来る箸を見ながら逃げ道を探す。


 隣からは天使の圧。

 正面からはイケメンの圧。

 頼みの受講生が来るのは数十分後。


 万策尽きたぁ!


 ──と、天を仰いだ直後の出来事だった。


「こんにちは」


 ドアが開く音と同時に聞こえた声。

 それは私を窮地から救う希望の音。


「こんにちは! 今日は早かったですね!」


 私は挨拶しながら顔を向ける。

 現れた受講生は本間さん家の百合ちゃんだった。


 彼女は無言のまま私達を順番に見ると、何か察した様子でパンと手を叩き、口を開いた。


「お姉さま餌付けごっこですね! 私も混ぜてください!」


 彼女の声が狭い室内で反響する。

 私は味方だと思った受講生が実は敵なのだと理解した。

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