子供の夢 終


 朝が来て、夜になった。

 今日あいつは来なかった。だから何も起こらなかった。


「四日後、だったっけ」


 いつものようにベッドに座って、いつもと違うスマホを手に取る。あいつが言っていたパスコードを入力すると、本当にロックが解除された。


「……バカなの?」


 その気になればいくらでも悪用できる。

 あいつとの関係値は一緒にアニメを観ただけ。私なら絶対に信用できない。


「……アルバム見てやる」


 ちょっとした意趣返しのつもりでアルバムを見て、直ぐに後悔した。もしかしたら何かメッセージがあるのかなと思ったけれど、普通に個人のアルバムだった。


「……コスプレの自撮りヘタクソ」


 スマホを手放して脱力する。


 次に会ったら事細かに感想を言ってやろうか。

 そんなことを考えながら横になって、目を閉じた。


 あいつはアニメを観るように言っていた。

 目的は何だろう。私は何を求められているのだろう。


 分からない。どうでもいい。

 あのアニメだけは、観たくない。


 また朝が来て、また夜になった。

 また、無意味で無価値な一日が終わった。



 *  *  *



 あいつが次に来ると宣言した四日後の朝になった。

 スマホで時刻を確認すると午前五時。私は健康的な朝だなと自虐しながら身体を起こす。それからシャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かし、外出できる程度の服に着替えた。


 あいつに気を遣っているわけではない。幼い頃、他人と顔を合わせる際の身嗜みを厳しく躾けられた。その習慣が抜けない。ただそれだけ。


「……アニメ、結局まだ観てないな」


 これも習慣のひとつ。約束事は必ず守るよう躾けられた。私は教えを律儀に守るような優等生ではない。あの一方的な要求を約束と呼ぶのは違う気がする。それでも、身体がそわそわする。習慣とは恐ろしいものだなと思った。


「……まあ、いっか。どうせフィクションだし」


 どれくらい時間が経ったかは分からない。突然、なんだかどうでも良くなって、そう呟いた。

 時間が解決する。こんな言葉、私は信じていない。だけど作り話に対する嫌悪感程度ならば、時間が解決するらしい。


 あいつのスマホを探して、手に取る。

 アプリを起動して、あのアニメの二話目を再生した。

 

 少し間があって、アニメと無関係な広告が始まる。

 私はスキップするのも億劫に感じて、ぼーっと画面を眺めていた。


 やがてアニメが始まる。

 最初は前回のあらすじ。


 主人公は大学一年生。プロからのスカウトを受けるようなバスケ選手だったが、憧れの選手を追いかけて進学を選ぶ。


 その選手と一緒にプレイできるのは僅か一年間。しかし、それは彼にとってプロになるよりも重要なことだった。


 その時間は入学直後に失われた。上級生達が女子高生に手を出して、活動休止になったからである。そして問題を起こした上級生の一人が、憧れの選手だった。主人公は絶望してバスケを見るのも嫌になった。


 こうしてバスケから離れた主人公だが、ある日親友に頼まれて一日だけ女子高生のコーチを引き受けることになった。


 もちろん主人公は乗り気ではない。一日だけ引き受けて、気持ちが変わらなければ終わり。そういう約束だった。


 約束の日、主人公は最初から最後まで塩対応だった。だが最後に美しいシュートを見て──以上、一話、終わり。 


「二話で心変わりしてたら観るのやめてやる」


 呟いたところであらすじ終わり。続きが始まった。

 美しいシュートを見た主人公は「綺麗なフォームだな」と一言だけ呟いて、体育館を後にした。それから親友にレインで連絡して、約束通りコーチを終了した。


「……え、終わりじゃん」


 少しだけ驚いた。これまで、あいつが紹介したアニメは、どれも物語の都合に合わせて登場人物が動いていた。


「……どうせ引き受けるんでしょ。話が進まないし」


 呟きながら視聴を続ける。メタ的な視点で結果は分かっているけれど、その過程が少しだけ気になった。


 場面は変わって深夜のコンビニ。主人公のバイトシーン。やる気の無い態度でレジに立つ彼の前に、綺麗なフォームの少女が現れた。


 普通に接客する主人公に対して、少女は「どうしてもダメですか?」とあざとい上目遣いでアピールする。


 君、経験者でしょ。彼はアピールを無視して質問した。

 少女が頷くと、彼は言った。良いフォームだった。やる気があるなら良いコーチを紹介しよう。


 少女は首を横に振った。

 私、あの四人以外とバスケするつもり無いです。


 ここで会話終了。

 翌日、大学にて、昼食の時間。最後に見た少女の表情が頭から離れない主人公は、学食で親友に質問した。


 あの高校生達はどうして部活を始めたのか。

 親友は軽い口調で知っていることを話した。


 始まりは学校の球技大会。あの高校生達は仲の良い友達グループで、ちょうど五人だからバスケに出ることになった。


 例の子が大活躍した。どうやら中学まではユースに所属していたらしい。しかしチーム内で嫌なことがあり、高校進学と同時にバスケをやめたそうだ。


 しんみりした空気の中、誰かが言った。よし、バスケ部を作ろう。他の三人が賛成して、直ぐ申請することになった。


 しかし体育館は既に他の部活が使っている。お遊びなら他でやってくれという当然の意見に対して、メンバーの一人が猛反発。果たして体育館は交代で使えることになった。


 ただし、次の地区大会で優勝できなければ廃部という条件が付いた。果たして事情を知った主人公は──


『そうか、大変なんだな』


 以上、一言だけ感想を述べて会話を打ち切ろうとした。

 そんな主人公に対して親友が問う。


『お前の目から見て、優勝できる可能性はあるか?』

『無理』

『お前が教えても無理か?』

『……ありえない仮定で話をしても、仕方ないだろ』


 主人公は俯きながら言った。数秒後、彼が暗い表情で食事を再開すると、何者かが彼の肩に手を乗せた。


『ウチが彼女になるって言っても無理ッスか?』


 いつの間にか彼の隣に座っていたのは、親友の妹だった。


『お前!? なんで大学に!? 高校は!?』

『今日ソウリツキネンビナンダヨネー』


 明らかに嘘。しかし兄は信じた。

 彼女は説得を始めた。地区大会優勝が部活を続ける条件。メンバーは一人を除いて初心者。普通に考えて無理。だけど彼がコーチになれば可能性があると、そう感じたらしい。


『どうしてもバスケ続けさせてやりたいんスよ!』

『うるせぇよ。テメェの事情なんて、俺には関係ねぇだろ』


 彼が低い声で言って睨み付けると、彼女は一瞬だけ怯えたような反応を見せた。しかし引かない。目を逸らさない。


 だから彼は、強い口調で言った。


『話は終わりか?』


 少女は唇を噛む。

 そして、俯きがちに言った。


『……ウチは、ピアノが大好きでした』


 少女は自分のことを話した。事故で指が不自由になって、ピアノをやめた。そういう話だった。


『あの子、滅多に笑わないんスよ。でもバスケしてる時だけは、見たことないくらい楽しそうで……本当に大好きだったんだなって……ウチはもう無理っスけど、あの子は違うじゃないっスか。だからッ!』


 少し長い台詞の後、顔を上げた少女は絶句した。


『だから、どうした?』


 彼の表情は見えない。

 画面には少女の反応だけが映し出されている。しかしその反応を見るだけで、彼が酷い表情をしていることが分かる。


『話は終わりだ。二度と顔を見せるな』


 冷たい言葉。

 少女は何も言えず、主人公は席を立った。


 その後、彼のモノローグが始まる。

 高校生達の事情など知ったことではない。もうバスケはやめた。簡単に決めたわけじゃない。ほんの少し会話しただけの他人に同情して心変わりするくらいなら、やめてない。


 なら、この感情はなんだ? 

 どうしてこんなにもイラついている? 


『……ひっでぇ顏』


 モノローグの最後で主人公は鏡を見た。

 そこに映し出された表情は、本当に酷いものだった。


 ゆっくり画面が暗転して、場面は深夜のコンビニに移る。

 暗い表情でレジに立つ主人公、開く自動ドア、見覚えのある少女、そして──以上、第二話、終わり。


「……なに、これ」


 所詮は作り話。誰かが考えた物語。

 それが、ここまで強く感情を揺さぶるなんて想像もしていなかった。


 主人公は憧れの選手に裏切られたことでバスケをやめた。これだけならば、彼がバスケを再び始めるか否かがテーマに思える。しかし、第二話で状況が一変した。


 この物語における「バスケ」を「何か」に置き換えるだけで、とても普遍的なメッセージを読み取ることができる。


 続けたくても続けられない。

 続ける気は無いけれど、その気になれば続けられる。


 例えば前者は親友の妹であり、後者は美しいフォームでシュートを放った少女と、主人公──そして、私のことだ。


 バスケで一番になる。私の夢は決して叶わない。

 しかし、その気になればバスケ以外の何かで一番になれる。私には自他共に認める能力がある。


 そんな私に向かって、あるいは主人公に向かって、物語は問いかけているのだ。


 お前は何でもできるのに、どうして何もしないのか。

 その能力を喉から手が出る程に欲している人がいるのに、どうして何もしないのか。


「……この話を作った人、絶対友達少ない」


 私は苛立ちを覚えながら画面に目を向けた。

 メタ的な視点で考えれば、これから主人公に行動する理由が与えられるはずだ。それを見届ける。それから全力で否定してやる。そういう気持ちで続きを見た。


『高校生が連日深夜徘徊。補導されるぞ』

『大丈夫です。家、ここから近いので』


 深夜のコンビニ。

 二人の会話は雑談から始まった。


『聞いたよ。お前の話』


 しかし主人公は二言目で本題に入った。

 彼は暗い表情をしたまま、昼間の出来事を伝える。


『……口が軽いなあ、もう』


 少女が苦笑する。

 それから二人は口を閉じた。


 少女は柔らかい笑みを浮かべている。でも何も言わない。内心では緊張しているのだろう。むしろ、重々しい雰囲気の主人公を前にして緊張していない方がおかしい。


 どちらが先に言葉を発するのだろう。

 仮に主人公が先ならば──私が彼の立場ならば、何を言うだろうか。


「……多分、何も言えないだろうな」


 ある意味で、彼と少女は同じだ。

 その気になれば続けられるのに、バスケをやめた。


 どちらも理由があった。

 簡単な決断ではなかったはずだ。


 しかし今現在の彼と少女は違う。

 少女は、再びバスケを始めようとしている。


『あのっ、提案があります!』


 少女の台詞で私は思考を打ち切った。

 俯いていた主人公も顔を上げる。少女は胸に手を当てて、大きく息を吸い込むと、大きな声で言った。


『私と勝負してください!』

『嫌だ』

『せめて条件を聞いてくださいよ!?』

『聞かなくても分かる。お前が勝ったらコーチしろって話だろ』

『……エスパーですか?』


 誰でも分かるでしょ。バカなの、この女。

 

『俺は暇じゃない』

『嘘です。裏は取ってあります』

『違う。勝負にならないって話だ』


 彼は道端の小石でも見るような目で少女を見た。

 私も同意見。少女が勝てる確率はゼロだ。体格が違い過ぎる。主人公が上に手を伸ばすだけで、少女のシュートは全て防がれるだろう。


『私、負けるつもり無いですよ』


 二人の視線が重なる。どちらも目を逸らさない。

 やがて主人公の方が折れて、鬱陶しそうに溜息を吐いた。


『分かった。一度だけ付き合ってやる。俺が提示する条件はひとつ。二度と俺に関わらないと誓え』


 二人は日時と場所を決めた。

 それから時間が経過する描写があって、場面は夜の体育館に切り替わる。


 バスケットゴールの下。

 私服の主人公とジャージを着た少女が向かい合っている。


『よく許可が取れたな』

『……今宵の私は、悪い子です』

『無許可かよ。怒られても知らねぇぞ』

『関係ないです。ルールを確認しましょう』


 少女は手に持っていたバスケットボールをパスした。

 主人公は片手で受け止めて、そのままボールを腰に当てた状態で耳を傾ける。


『私がオフェンスです。一点でも取ったら私の勝ちです』

『なんでもいい。さっさと始めろ』


 彼はボールを投げ返した。これが開始の合図。

 少女はボールを受け取ると同時、後ろに跳躍してシュートを放った。


 それは隙を付いた完璧な奇襲に見えた。

 しかし少女がシュートしたボールは、軽く手を伸ばした主人公に呆気なく弾かれた。


『噓っ、そこから届くの!?』

『終わりだ。約束通り、二度と俺に──』

『一回勝負なんて言ってません!』


 少女は大きな声で言って、ボールを追いかける。しかし、途中で方向を変えて、体育館倉庫へ向かうと、大量のボールが入った籠を持って戻った。


『一点取ったら私の勝ち! ルールはそれだけです! お兄さんはルールも守れないんですか!?』

『……お前、そんな鬱陶しい性格だったんだな』


 今の少女に柔らかい笑みを浮かべていた頃の面影はない。

 主人公は溜息を吐いて、やる気の無さそうな目で軽く腰を落とした。


『ルール追加。次が最後だ』

『嫌です。なんでもいいって言ったのはお兄さんの方です』

『なら日が昇るか、お前が諦めるまでだ』

『わがままですね。仕方ないので、それで妥協しましょう』


 少女は少し強い口調で言って主人公にパスを出した。

 そこからは、目を逸らしたくなるような内容だった。


 あまりにも実力差が大きい。

 まるで小学生が力士に相撲を挑むような勝負だった。


『そろそろ諦めたらどうだ』

『口数が多いですね。そろそろ負けそうで、怖くなりましたか?』


 しかし少女は諦めない。

 肩を上下に揺らして、膝に手をついて、床に汗を零しながらも、涼しい顔をした主人公に挑み続ける。


『どうしてこんなことに拘る』


 少女が鋭いドリブルを仕掛ける。身長差を逆に利用した低い攻撃は、しかし、ほぼ定位置から手を伸ばしただけの主人公に止められてしまう。


『お友達とバスケがしたいなら、その辺の公園で遊べばいいだろ』


 挑み続ける少女に対して彼は冷めた言葉を投げかける。

 

『思い出が欲しいなら、バスケじゃなくてもいいだろ』


 しかし少女は全く揺らがない。それどころか、彼の言葉を聞く度に目付きが鋭くなっていく。


『私は、皆とバスケがしたい!』


 もう何度目になるのか分からないドリブル。叫びながら突進する少女に対して、主人公は一瞬だけ怯んだ。その隙を付いて、少女は初めて主人公を抜き去ることに成功した。


 そのまま流れるような動きでシュートを放つ──直前、彼女の後ろから伸びた主人公の手が、当たり前のようにボールを弾いた。


『……うそ、これでもダメなの?』


 少女は膝に手をついて、荒々しい呼吸を繰り返した。

 その姿を見下ろしながら、主人公は冷めた表情で言う。


『もういいだろ。怪我するぞ』

『まだ負けてない!』


 少女は叫び、主人公を睨み付ける。


『……初めて、楽しいと思ったんです』

『何の話だよ』

『球技大会。皆とバスケして、初めて、楽しいと思ったんです』


 少女は泣きそうな声で、しかし心から幸せそうな笑顔を見せた。それを見て、主人公は初めて目を逸らした。


千夏ちかの話、聞いたんですよね』


 千夏。主人公の親友の妹の名前。


優奈ゆなも、美佐みさも、本当は、やりたいことがあったんです。あやだって、普段はサボってばかりなのに、練習に付き合ってくれて……』

『だから、何の話だよ』

『負けられないんですよ!』


 それは、アニメを観ていることを忘れさせるような、思わず息が止まるような声だった。


『もう二度とバスケなんてやらないって思ってました。でも皆のおかげで楽しいと思えた。この部活は、大好きな皆が、私のために始めてくれたんです。私だけが、やりたいこと、できるんです。なら、私が一番がんばるのは、当たり前じゃないですか!』


 視界が霞む。目が熱い。喉が痛い。呼吸が震える。一瞬、スマホの電源を切ろうかと思ったけれど、できなかった。


 その先の内容は、あまり頭に入ってこなかった。

 私はスマホを手放して膝を抱えた。音声だけが聞こえる。内容を知るには、それで十分だ。


「……なに、これ」


 身体中が熱い。

 

「……やめてよ。諦めさせてよ」


 バスケがしたい。今すぐにでも始めたい。


「だって、どうしようもないじゃん」


 でも、できない。気持ちでどうにかなる問題ではない。

 

「どうにもならないからっ、私はっ、わた、しは……」


 強烈な嘔吐感を覚えた。今の無価値で無意味な時間が始まった日よりも、ずっとずっと強烈だった。しかしそれ以上に心の中がグチャグチャだった。


 少女が挑んでいるのは、絶対に越えられない壁だ。アリがゾウに勝つような話だ。それは、私がバスケを再び始められるような話だ。


 絶対に勝てない。どれだけ頑張っても無駄だ。

 頑張るだけで何か変わるなら、私は、とっくに──


 どうにもならない。どうにもならないから、だから私は、こんなにも惨めな時間を過ごしている。


「……」


 涙を拭ってスマホ画面に目を向ける。

 まだ勝負は続いていた。少女はボロボロになりながらも、絶対に諦めない。


「……勝て」


 私は小さな声で呟いた。


「……お願い。せめて、お話の中でくらい、勝ってよ」


 祈るような気持ちで、少女の姿を見続けた。

 果たして、少女は一点も取れないまま、朝日を見ることになった。


『約束だ』


 流石に少し疲れた様子で、彼は言う。


『二度と俺に関わるな』

『……嫌です』

『なあ、どうして俺に拘る?』


 勝負を始めた時とは全く違う様子で、彼は言う。


『もっと他の、やる気あるやつ探せよ』


 少女は俯いた。

 彼は吐き捨てるように大きく息を吐いて、少女から目を逸らす。そして一瞬だけ躊躇うような仕草を見せた後、出口に身体を向けた。


『待ってください!』


 彼は足を止める。


『……ありがとうございました!』


 少女は深々と頭を下げた。


『小学生の頃、お兄さんの試合を見ました。チームは負けちゃったけど、お兄さんだけは最後まで諦めなくて、一人だけ悔しそうに泣いていて……その姿に憧れて、バスケを始めました』


 その言葉は、卑怯だった。突然、取って付けたように現れた設定だ。しかし少女が主人公に拘った理由としては説得力がある。でも卑怯というのは、そういう話ではない。


『ずっと憧れでした』


 彼が、憧れという言葉を無視できるわけがない。

 それを知ってか知らずか、少女は再び憧れと口にした。


『だから、少しでも一緒に、バスケができて、嬉しかったです』


 彼が振り返る。

 しかし下を向いたままの少女は気が付かない。


『わがまま言ってごめんなさい。もう、お兄さんには関わりません。でも部活は絶対に諦めません。私、少しでも長く、皆と一緒に──』


 言葉は途中で止まった。

 俯いた少女の目線の先、床に膝をついた主人公と目が合った。


『ふざけるな』


 彼はプロからスカウトを受ける程に優秀な選手だった。

 しかし、それを蹴って進学を選んだ。その大学で、憧れの選手と共にプレイするためだ。


 憧れ。それは彼にとってバスケをする理由なのだろう。

 だから彼はバスケをやめた。彼が最も大事にしていたものに裏切られた。そんな彼が今の言葉を聞いて、しかも、あれほど胸が熱くなる姿を見せ続けられた後で、まともな判断など、できるわけがない。


『やめさせない』

『……え?』

『お前がバスケをやめることは、絶対に認めない』


 まるで別人のように力強い表情をして、彼は言う。


『勝たせてやる』


 少女は思わず両手で口を覆った。


『どこまでも勝たせてやる。やめられなくしてやる』

『…………本気、ですか?』


 彼は頷いた。


『お前、名前、何だっけ』

『……酷い。覚えてなかったんですね』

『教えてくれ』

桃花ももかです。今度は、忘れちゃダメですよ?』


 彼は少しの時間だけ目を閉じる。

 そして、ゆっくりと、誓いの言葉を口にした。


『約束する。俺が、必ず、桃花達を勝たせてやる』

『……はい、よろしくお願いします!』


 桃花は頷いた。次にふらふらと後退して尻餅を付いた。そのまま大の字になって、本当に幸せそうな顔で、笑った。


 ──以上、第三話、終わり。


 場面が暗転した後、アニメ本編とは毛色の違う映像が流れた。どこか耳に残る曲と、この先の展開を思い切りネタバレする映像。それ観ながら、私は呟いた。


「負けてんじゃん」


 物語は、ハッピーエンドのように見えた。


「なに負けてんだよ。勝てよ。バカ」


 物語としては最高の結末だと思う。

 でも私にとっては、最悪の結末だった。


「……卑怯じゃん。他人が、会ったばかりの誰かが助けてくれるなんて、そんなこと──」


 一瞬、あいつの顏が頭に浮かぶ。直ぐに首を振って排除した。あの妖怪に救われるなんてこと、あるわけない。


「……マジで、なんなんだよ、これ」


 これ以前に観たアニメは、愉快な作り話だった。

 明確な目標があって、超えるべき壁があって、打ち倒すべき悪が存在して──それをクリアしたらハッピーエンド。でもそんな状況、物語の中にしか存在しない。


 人生には、続きと、終わりしかない。

 目標の先には目標がある。壁の先には壁がある。倒されてくれる悪役なんて存在しない。そもそも自分が何をすればいいのか誰も教えてくれない。


 例えばバスケの頂点であるNBA選手は、引退後に高確率で破産するという話がある。もしも物語なら、NBA選手になれた瞬間にハッピーエンドだろう。でも現実はそこで終わらない。幸せな終着点なんて用意されていない。


 だから、どこか薄っぺらく思えた。何か明確な役割を与えられ、頑張るだけで報われる物語が、まるでお人形遊びのように思えた。


 しかし、このアニメは違った。

 少なくとも私にとっては全く別物だった。


 鼻をすすって画面に目を向ける。

 四話が始まった。再び流れた広告を即座にスキップすると三話の終わりと同じ映像が流れた。


「……オープニング、だっけ?」


 主人公と五人の少女達が何かする映像。そして、六人が真剣な顔で挑む試合シーン。私にオープニングの良し悪しなんて分からないけれど、そこそこ胸が熱くなる内容だなと思った。 


 続く物語は、その映像通りの内容だった。

 バスケの練習をしながら、それぞれの登場人物にスポットが当たる構成で、やがて地区大会が始まる。そういう内容。


 主人公の心を動かした桃花は恋愛路線。

 友人の千夏、優奈、美佐は、それぞれ過去に挫折した経験があって、ぽっかりと胸に穴が空いたような感覚をバスケで埋めていく。


 唯一の例外が、五人の中で最も才能のある綾。

 彼女は優秀であるが故に本気になれないタイプだった。それはバスケを始めても変わらなくて、他の四人と少し温度差があった。


 果たして始まる地区大会。

 少女達の地区には全国大会常連の強豪校が存在していた。


 運に恵まれ、当たるとしたら決勝戦。

 少女達は苦戦しながらも勝ち上がるけれど──準決勝で悲劇が起きた。


 これまでチームを支えてきた桃花が怪我をした。

 どうにか決勝にコマを進めたけれど、チームは五人。交代要員はいない。


 エース不在。相手は全国大会の常連校。

 勝てるわけがない。棄権も視野に入る状況だ。


 しかし五人は決勝に進むことを選ぶ。

 主人公は全力で止めたが、少女達は意見を変えなかった。


『大丈夫、ただの思い出です。痛いですけど、立ってるだけなら、平気ですから』


 桃花は言った。主人公は、もう何も言わなかった。

 この後、桃花がいないところで作戦会議が行われる。


『四人で勝つ』


 彼は諦めていなかった。

 一度挫折を経験している三人は彼の話を真剣に聞いた。


『いやいや旦那、それは無理っしょ』


 しかし、この状況でも綾だけは冷めた態度だった。

 そんな綾に対して千夏が激怒して、激しい口論になった。チームは、最悪の状況で決勝戦を迎えることになった。


 当然、勝負にならない。

 前半が終わった時点で三十点差。内容も一方的。逆転は不可能。試合前から分かっていたことだ。それでも勝利を信じた少女達は、現実を突き付けられ、完全に意気消沈していた。


 しかし、ただ一人、綾だけは違う。

 ──悪い意味で。


『やー、もう帰りたいね、これ』


 ただでさえ悪い雰囲気が、彼女の発言でさらに悪化する。


『現実を見なヨ。気持ちで変わるヌルゲーなら、こんな点差にナらないッショ』

 

 その一言で再び千夏が激怒した。

 口論は加速度的にヒートアップして、後半開始直前まで止まらなかった。


 その様子を静観していた主人公は、静かな口調で言った。


『綾の言葉は、正しいと思う』


 それは衝撃的な発言だった。


『これから何をしても結果は変わらない。お前たちは、勝てない。悔しいけど、勝てない勝負はある……だけど俺は、どうせ負けるなら、全身全霊で負けるべきだと思っている』


 彼は力強い言葉で言う。


『作戦を告げる』


 そして、少女達の目を順番に見た。

 ただそれだけで、直前まで絶望的だった表情が力強いものに変わる。


 それだけ彼は信頼されている。

 これまで彼は、緻密な作戦によって少女達を勝利に導いてきた。


 だから、きっと何か、可能性をくれる。

 そういう期待感が痛い程に伝わってくるシーンだった。


『最後の一秒まで、全力で挑め』


 しかし彼が口にしたのは、ただの根性論だった。


『吐くほど悔しいぞ。でもそれは、全力で負けた奴の特権だ』


 お前たちは勝てない。

 その言葉を否定することなく、彼は笑った。

 

 そして後半戦が始まる。

 先制点を取ったのは──綾だった。


 彼女は驚異的な集中力を見せて、どんどん点差を詰める。

 初めて必死な表情を見せる綾を見て、他のメンバーのパフォーマンスも飛躍的に向上した。


 そして第三クォーターの終わり際。十点差。あとワンゴールで点差が一桁になる。

 残り五秒。パスが弾かれ、ボールが外に向かっていく。それを見た綾がノータイムで跳躍した。


 これまでの綾ならば絶対に追わなかった。意味が無いと言って諦めていた。

 しかし彼女は必死な形相でボールに手を伸ばし、ノールックで千夏にパスを出した。


 千夏はニヤリと笑って、シュートを放った。

 ボールがリングに吸い込まれ、第三クォーター終了の笛が鳴る。その笛の音を掻き消すような声で、綾が両手を握り締め絶叫した。

 

 まさに漫画的な展開だった。

 とても痛快で、非現実で、だけど見ていて胸が熱くなる最高の試合だった。


 そして最終クォーター。

 前半戦が嘘のような接戦になり、ぼんやり見ていた観客も盛り上がる。


 試合は進み、ラストワンプレイ。一点リード。

 これを守り切れば勝ち。点を入れられれば負け。


 全身全霊の守備。

 しかし相手が上回り、あっけなく得点を許した。


 残り二秒。

 綾がノールックで全力投球したラストパスが、ハーフライン付近に立っていた桃花に渡る。


 彼女がシュートを打ち、その瞬間、試合終了の笛が鳴り響いた。

 全員の目線がボールに向かう。ボールはリングに吸い込まれた。


 観客が絶叫した。

 しかし選手達は、どちらも鬼気迫る様子で主審に目を向けた。


 今のシュートが有効か、無効か、時間的に際どい。

 そういう解説があった後、主審は──ノーゴールを告げた。


 ──夜の体育館。

 バスケットコートの真ん中で、五人が寝転がって、天井を見上げている。


 始まったのは、これまでの思い出話。

 やがて桃花が言った。ありがとう。本当に楽しかった。その声は震えていた。綾が茶化すようなことを言う。その声も震えていた。千夏が涙を指摘する。その声もまた震えていた。


 それがラストシーン。

 五人がこれからどうなるのか、エピローグのようなものは一切描かれなかった。


「…………」


 私は、しばらく放心状態だった。

 スマホ画面には何かが映し出されているけれど、それが見えないくらいに視界が歪んでいた。

 

「…………たい」


 やがて抑えきれない感情が溢れ出た。


「……バスケ、やりたい」


 ハッキリと言葉にして、私は立ち上がる。


「……っ!」


 乱暴に目元を拭って、鼻をすする。

 部屋の隅、収納を開けて、ボールとバッシュを手に取った。


 それからドアに向かって、一歩、地面を蹴る。


「……なんで」


 二歩目は、無かった。

 私は焼けるような痛みを感じながら床を転がった。


「なんで!?」


 返事は無い。

 答えは分かっている。怪我をしたから。ただそれだけ。


「…………なんで、なんでなの?」


 とても良い物語だった。胸に残る言葉がいくつもあった。この先、最も好きな映像作品は何か問われたら、私は迷わずあのアニメのタイトルを口にすると思う。だけど──観なければ良かった。あんなもの観なければ良かった。観るべきではなかった。


 少女達はバスケを通じて理不尽な現実に立ち向かっていた。

 主人公は、どうせ負けるなら全身全霊で負けた方が良いと言っていた。


 その姿は美しかった。心が震えた。

 でも私にはそれができない。どれだけ強い気持ちが有っても、この脚は動かない。


「……ずるい。ずるいよ。ずるいよぉ」


 少女達の願いは叶わなかった。

 しかしラストシーンでは、本当に幸せそうな笑顔で泣いていた。


 妬ましい。気が狂いそうになるほどに妬ましい。

 皆、一度は諦めた子だ。五人のうち三人にはバスケ以外の大切なものがあった。それを失って、今の私と同じように、ぽっかりと胸に穴が空いたような日々を生きていた。


 でも、笑っていた。

 本当に幸せそうに笑っていた。


 ──お前には才能がある。

 何度も聞かされた言葉が蘇る。


 ──お前は何でもできるのに、どうして何もしないのか。

 諦めろ。他の道を探せ。そうするべきだ。自分の声なのか他人の声なのか分からない幻聴に耳を塞ぐ。


「……誰か、助けてよ」


 呟いて、顔を上げた。

 タイミング良くドアが開いた。


 そして、まるで物語のワンシーンのように、あいつが現れた。

 

「わっ、えっ、大丈夫?」


 緊張感の無い声。

 私は唇を嚙み、叫んだ。


「バカ!!」


 それは惨めな八つ当たり。


「あんなアニメ、見せるんじゃねぇよ!!」


 しかし私の言葉を聞いた彼女は、納得した様子で呟いた。


「……あ、あー、なるほどね」


 見るからに焦っている。

 しかし彼女は「コホン」と冷静に言って、私に近寄った。


「今日は、有紗ちゃんにプレゼントがあります」

「うるさい、消えろ」

「目を閉じてください」

「消えろって言ってんだよ!!」


 感情が抑えられない。私は獣のように叫んだ。

 しかし彼女は一歩も引かない。いつものように遠慮なく私に近付いて、私の頭に何かを被せた。


「……は?」


 次の瞬間、目の前に、バスケットゴールがあった。


「動かないでね?」


 背後からあいつの声が聞こえた。

 呆然としている間、両手を触られる感覚があった。


「よし終わり! 有紗ちゃん、こっち見て、パース!」


 声がした方に目を向ける。

 ふわりと向かってくる飛翔物を受け止める。


「……ボール?」


 それはバスケットボールだった。

 久々に受け取ったパスの感触は少しだけ違和感があった。


「シュートして!」


 その声を聞いて、ゴールを見る。

 何度かボールをついてからシュートを打った。


 久々のシュートだったけれど、ボールは問題なくリングに吸い込まれる。私は何が何だか分からなくて、ぼんやりと、地面に落ちたボールを眺めていた。


「動かないでね」


 近くで声が聞こえて、頭に被せられた何かが外された。

 瞬間、目の前にあったバスケットゴールも、ボールも、消えてなくなった。


「どうかな? どうだった?」

「……説明して」


 あれほど激しく乱れていた感情が、不思議と落ち着いている。その代わりに、何か、そわそわした何かが、私の中で走り回っていた。


「ふふふ、その様子だとピンと来てないようですね」


 焦らすような言い方。

 私は彼女の両肩を掴んで言った。


「説明しろ!」

「……ぶ、ぶいあーるです。仮想現実。今朝完成したばかりの新サービスだよ」

「ボールはどうやったの?」

「手を見て」


 言われた通り手を見る。

 何か、見知らぬ機械があった。


「仮想の触覚を生み出す機械だよ」

「……仮想の、触覚?」


 全身に痺れるような感覚があった。

 今、何か、彼女から聞いた言葉以上の何かを理解したような気がした。


「あ、そうか。有紗ちゃん、アニメ観たのかな? どうだった?」

「……最悪だった」

「バスケしたくなったでしょ」

「最悪だった!!」


 私は自分の思考を妨害するようにして叫んだ。まだ「何か」で止まっている。今思考を止めれば、ありもしない可能性に絶望することはない。荒唐無稽な妄想に縋って生きるなんて、絶対に嫌だ。だから私は頭を空っぽにして、ただひたすらに感情をぶつけた。


「あんた全部知ってるんでしょ!? バスケのことも、怪我のこともっ、知ってて、あんな……っ、何が目的なんだよ!?」


 自分が意味不明な行動をしていることは分かっている。この部屋に来たばかりの彼女に私の感情を理解できるわけがない。頭では理解しているのに、抑えられない。


「バカ! 妖怪! 自撮りヘタクソ!」


 私は子供みたいに叫びながら彼女の胸を叩いて、そのまま床に膝をついた。


「ひどい……ひどいよ……こんな……私の脚は、もう、もう……」


 もう二度とバスケをすることはできない。


「お願いだから、終わらせてよ。何もかも無駄って、諦めさせてよ……」


 一秒でも早く諦めたい。もう嫌だ。苦しい。終わりにしたい。そう思っているのに……、


「あんなの観たら、諦められないじゃん!」


 バスケがしたい。大好きなバスケで一番になりたい。あの日、夢を見た瞬間よりも強く思う。でも私の願いは決して叶わない。こんなにも残酷なことは無い。


 だから諦めたい。今すぐ諦めて他の道を探したい。あの物語の登場人物達みたいに何か別のことで夢中になりたい。私には何でもできる能力がある。諦めて、別の道を探すだけでいい。それだけでいい。それだけのことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。


「私の脚は、まともに動かない。可能性なんて無い。だからもう、諦めさせてよ!」


 叫び過ぎて喉が痛い。目が焼けるように熱い。頬を伝う涙の感覚が気持ち悪い。呼吸が苦しい。頭の中がグチャグチャで、吐き気が止まらない。


「じゃあ、作ろう」 


 声が聞こえた。

 私は顔を上げた。


「……何を?」

「怪我をしててもバスケができる何か」


 彼女は、柔らかい笑みを浮かべて、そう言った。


「……できるわけない」


 鳥肌が立った。そのアイデアは、今右手にある機械を見た瞬間に思い浮かべて、即座に否定したものだった。


「やめて。変に期待させないで」


 仮想世界を作る。技術の力で、バスケをする。無理だ。妄想だ。不可能だ。でも──私の右手に、昨日までの私なら絶対に信じなかった機械が存在している。


「……だって、そんなこと、できるわけ、ない」


 人類は何度も不可能を可能にした。

 海を渡り、空を飛んだ。宇宙に出た。


 その技術が生まれる以前の人々ならば、誰もが妄想だと答えるだろう。

 ならば、私でもバスケができるような未来を作ることだって──


「有紗ちゃん」

「うるさいっ、喋るな!」

「悔しいけど、勝てない勝負はある」


 アニメで聞いたセリフ。


「でも、どうせ負けるなら全身全霊で負けるべきって、私も思うよ」 

「……それは、勝負できる人が言えることだ」

「できるよ」


 私は息を止めた。

 目を見れば分かる。彼女は全く疑っていない。本気で信じている。


「アニメを観ると、勇気が貰えるよね。でも、同じくらい寂しくなる。だって、私の人生はアニメとは違う。どうにもならないこと、結構ある。だから妥協する。大人になるって、そういうことだと思ってた」

「……違うの?」

「ふーん? 有紗ちゃん、知らないんだ?」


 私は舌打ちをして、縋るような思いで彼女の目を見た。


「夢見る大人は、かっこいいんだよ」


 彼女は少し照れたような笑顔で、そう言った。

 その瞬間には、私はもう、後戻りできないくらいに決めていた。


「……なにそれ。意味不明なんですけど」

「大人になれば分かるさ」

「うるさい。妖怪自撮りヘタクソおばさん」

「有紗ちゃん? 仏の顔もなんとやらだよ?」


 私は汚れた顔を袖で拭って立ち上がる。彼女に背を向けて、彼女のスマホを手に取って、少しだけ乱暴に返却した。それから右手の機械に目を向けて、問いかける。


「これ、どうやって作ったの?」

「ええっと、人工知能って言えばいいのかな?」

「人工知能で今一番すごい人、誰?」


 私は諦めない。

 妄想だと笑われても構わない。


「ええっと……神崎さん?」

「神崎央橙?」

「そうそう。その人」

「兄さま」


 彼女の背後、ドアの近くに立っていた兄に声をかける。


「紹介して」

「……分かった。直ぐに連絡する」


 兄は少しだけ驚いたような顔をした後、スマホを手にリビングへ移動した。


「私はバスケで一番になる」


 兄の背中を見ながら言って、あいつに目を向ける。

 あいつはぽかんとした表情をしていた。とても間抜けな表情。ムカつく。


 こんな奴に救われたのかと思うと、本当にムカつく。


「今日のこと、忘れないから」


 涙は、もう出なかった。


「……兄さま?」

「今そこどうでも良くない?」


 台無し。ほんと、なんなんだ、こいつ。


「一応、急に怒鳴ったことは謝っとくから」

「それなら平気だよ。オタクが初手からクソデカ感情をぶつけるのは珍しくないからね。慣れてる慣れてる」

「私べつにオタクじゃないですけど」


 それから、どうでもいい話をした。

 アニメの感想とか、次に何を観るかとか、どうでもいい。


 私は──私は、これから全身全霊で敗北する。

 技術の力で、もう一度バスケができるようにする。こんなものただの妄想だ。実現できるとは思っていない。それでも、可能性はゼロじゃない。だから、挑戦する。


「とりあえず、愛には負けないから」

「ん? 何の話?」

「わざわざ小さいスタートアップ選ぶってことは、なんか、あるんでしょ」

「あー、うん、そっか、そうだよね」


 歯切れの悪い返事。私は彼女を睨む。


「何も考えてないわけ?」

「……内緒」


 彼女は長いこと考えた後で、照れたような表情で言った。

 それを見て、私は何かあるのだと確信した。それだけで十分だった。


「負けないから」

「うん、がんばれ」



【あとがき】

 以上、第二章前半でした。

 この話は書籍2巻に収録されております。

 

 大筋だけは同じですが4回ほどゼロから書き直しております。紙の本で読みやすいように細部まで拘ってます。よろしくお願いします。


【作品応援のお願い】

フォロー、星評価お願いします!


【書籍リンク】

小説

https://pashbooks.jp/series/oneope/oneope2/


コミカライズ

https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/9784391159509/

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