子供の夢 8
「うわ、また来た」
ごきげんよう。佐藤愛です。
お嬢様が私を見て「うわ」と仰るようになりました。
「今日はどんなクソアニメを見せられるわけ?」
相変わらず過激な言葉遣いですが、もう慣れました。私の心は台風のように穏やかです。普通のオタクなら超新星爆発を起こすところですよ。私は器が大きいですね。
「お嬢様、本日はアニメの前にお話があります」
いつものように彼女のベッドに座って言うと、いつものように舌打ちされました。これも慣れました。マイナスに考えるから争いが起こるのです。プラスに考えましょう。
「申し訳ありません。楽しみにしていたアニメは、少しの間お預けです」
「革命的にうざい」
「おっと、流石お嬢様です。アニメの前に、イノベーション的な話がしたいと思っておりました」
本日二度目の舌打ち。今日はペースが早いですね。しかし恐れることはありません。私がコートの下に着ているのは執事コス。対お嬢様性能SSの優れもの。今の私は無敵です。
……あれ? 革命はレボリューションだっけ?
……ま、まあ似たようなものです。
「スッカリ失念していたのですが、お嬢様からビジネスについて教えて頂く約束でした」
「その喋り方いつまで続くわけ?」
ふむ、お気に召さないようですね。仕方ありません。普段の私に戻りましょう。
「教えて~?」
「……まあ、別にいいけど」
彼女は呆れた様子で言うと、蔑むような目を私に向けた。
「社会人が高校生にビジネスを教わるとか抱腹絶倒だよね」
「アハハ、それな」
「マジなんなのこいつ……それで、何が聞きたいわけ?」
彼女の態度は常に刺々しいけれど、なんだかんだで相手をしてくれる。きっとツンデレの系譜なのだろう。
……さて、何を聞こうかな?
お昼に翼と話をして、そういえば勉強が当初の目的だったことを思い出した。今回は運良く話が流れたけれど、次は無いと思う。実は勉強しないでアニメ観てました。てへぺろ。これは無い。許されない。
私は少し考えて、パッと思い浮かんだことを質問する。
「やっぱり最初は基礎かな? ビジネスの基礎って何?」
「ヒトモノカネ」
「……攻撃魔法?」
「バカなの? 人間と道具とお金のこと」
「あー、そっちだったかー」
すっごく冷たい目で見られました。ゾクゾクしますね。
私が新しい扉の前で身震いしていると、有紗ちゃんが説明を始めた。
「どれが欠けてもビジネスは成立しない。だから全部集めましょう。方法は歴史から学びましょう。これが基礎」
「……ほへー、なるほど?」
「あのさ、今の小学校で教わる範囲なんですけど? 昔のこと過ぎて忘れちゃったわけ? 歳って怖いね」
「ん、んー、私の学校では教わらなかったと思うなー?」
「へー、大昔の学校ってそうなんだね」
……有紗ちゃん? そろそろ台風じゃ済まないよ?
「何か具体例とか聞きたいかも」
「ヒトモノカネどれ?」
「……お金?」
「場面は?」
「場面……営業?」
「法人? 投資家?」
「……法人?」
「商品は?」
性格診断みたいな質問攻めやめて!
汲み取って! もっと素人に優しくして!
「ちょっと待ってね。質問変えるね」
私はグッと堪えて思考する。
大人として、ここでぷんすかすることは避けたい。
さてどうしよう。
今から座学みたいな話を聞いても頭に入らないと思う。
何か実践的な例を……法人営業ってリョウと一緒にスマメガを売ったアレのことだよね? うん、アレなら覚えてる。
「ウィンウィンって、どういうことなのかな?」
「機械の動作音でしょ。うぃーん、うぃーんって」
……こ、このっ、バカにしてぇ~!
「た、例えば営業で何か売るよね? 買う方が得するって、具体的にどういう状況なのかなって」
「コスト。あんたの言う売り物ってITサービスでしょ? なら分かりやすいのはコスト。月に一万時間の残業があるとして、一時間辺りの人件費が一万円ならコストは一億円。これがゼロになるサービスなら、月あたり一億円未満で買えば得するってわけ」
「……ほへー、なるほど」
グッと堪えて質問すると、とても分かりやすい答えが得られた。彼女は本当に高校生なのだろか。今の若い子すごい。私も若いですけど。
「……時給一万円か」
シレッと登場した言葉に身震いする。もちろん計算を簡単にするための値だと思うけれど、なんかこう、魅惑の響き。
「あんたさ、まさか人件費と給料が同じだと思ってる?」
……え、違うの?
口には出していない。しかし驚きが顔に出ていたらしい。彼女は心底呆れた様子で溜息を吐くと、退屈そうに言った。
「ざっくり二倍。多くて三倍」
「……そ、そんな」
私は大きな衝撃を受けた。
「じゃあ、社内システムをワンオペしていた社員が退職した後で外注したら見積額が一億円だったから年収一億円で呼び戻すみたいな話はフィクションなの……?」
「ありえない。見積もり出た後に倍のコストかけて一人だけ雇用するとかあるわけないじゃん。バカなの?」
……わっ、わたし交渉されましたけど~?
心の中で抗議していると、彼女は顎に人差し指を当てて、少し上の方を見ながら言った。
「……意外と面白い問題設定かも。まず元社員を個人事業主にして保守を発注するでしょ? 無理なら素直に外注。どちらにせよ若手社員を複数人配置して再発防止はマストかな」
「有紗ちゃん本当に高校生? 中に社長さん入ってない?」
「……バカなの?」
有紗ちゃんに「バカなの?」って冷めた目で見られるの癖になりそう。
「ありがとね。なんか、賢くなった気がする」
「……あっそ」
「じゃあアニメ観よっか」
露骨に嫌な顔。上等です。
「今日のアニメは、過去にタイムリープした主人公が殺人事件の被害者になった女の子を助ける話なんだけど、女の子の口癖が『バカなの?』なんだよ。有紗ちゃんと同じだね!」
「あのさ、口癖に思うほどバカって言われてることに危機感無いわけ?」
「はい静かに。アニメの時間です」
深い溜息。とても迷惑そう。でもアニメが始まると素直に視聴してくれる。だから私も集中してアニメが観られる。
「愛ってさ、ハッピーエンド好きだよね」
「…………あ、うん、そうだね」
びっくりした。
途中で声をかけられたのは初めてかも。
「有紗ちゃんは、嫌いなの?」
「……別に。ただ薄っぺらいなって思うだけ」
「どうして?」
「……頑張るだけで報われるとか、ほんと、楽でいいよね」
それは独り言のような返事だった。
返すべき言葉が分からない。彼女も口を閉じた。
アニメの音だけが聞こえる。
私は、もどかしいと思った。
言葉だけならいくらでも頭に浮かぶ。
それはきっと、彼女を傷付ける言葉だ。
薄っぺらい。頑張るだけ。
刺々しい言葉を切り取って反論するのは簡単だ。
もしもここがインターネットの世界ならば、私はいくらでも文章を作れたと思う。しかしそれは、届かない。
どれだけ自分が正しいと思う内容で、仮に一万人を超える人から共感が得られたとしても、意味は無い。たった一人、目の前で思い悩む少女に届かなければ、意味が無い。
ふと疑問に思う。
私は、どうして言葉を探しているのだろう。
どうして彼女をオタクにすると決意したのだろう。
推しに頼まれたから。
言われっぱなしで悔しいから。
どちらも間違いではないと思う。
でも違う。一番の理由は、そんなことじゃないと思う。
彼女は言った。
頑張るだけで報われるとか、ほんと、楽でいいよね。
少しなら理解できる。
どれだけ情熱を注いでも、どうにもならないことがある。自分の頑張りとは無関係に、あっさりと何もかも失ってしまうことがある。
諦めることは、簡単に見えて難しい。
仕方が無いと切り替えて、新しい何かを探したとき、嫌でも比較してしまう。嫌でも思い出す。何か方法があるんじゃないかと考えてしまう。だって困難なら何度も乗り越えた。だから今回も──そういう気持ちが少しなら理解できる。
「よし、女子高生がバスケするアニメを観よう」
「ごめん、過去イチ理解できない。どゆこと?」
「観よう」
「……時間は大丈夫なわけ? そろそろ三十分でしょ」
「平気だよ。今はこっちの方が大事だから」
「…………勝手にすれば」
普段よりも長い間があって、彼女は私から目を逸らしながら言った。流石に呆れられてしまっただろうか? しかし私は大真面目である。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
返事をして、アニメを再生する。
瞬間、発育の良い少女達が画面を華やかにした。
有紗ちゃんから落胆したような雰囲気が伝わってくる。
私が気が付かないフリをしてアニメに目を向け続けた。
この作品は、大学生である主人公のバスケ部が活動停止になったところから始まる。
理由は上級生達が女子高生に手を出したから。
主人公にとっては、その大学のバスケ部を目当てに進学した直後の出来事だった。
彼は高校時代に全国大会で二連覇を成し遂げた。プロからのスカウトも受けていた。それを蹴って進学を選択したのは、その大学に憧れの選手が在籍していたからだ。
不祥事を起こした上級生の一人が、その選手だった。
絶望した主人公はバスケに対する情熱を失った。
しかし、これまでバスケに全力だった主人公は新しい何かを見つけられず、無意味で無価値な日々を過ごしていた。
ある日、親友から依頼を受ける。
それは彼の妹──女子高生のバスケ部のコーチをしてほしいという内容だった。
「……何こいつ、ふざけてんの?」
私は驚いて目を向ける。
有紗ちゃんがツッコミを入れたのは初めてだった。
「……当たり前じゃん。話終わりでしょこれ」
当然、主人公はコーチを断る。私に詳しいことは分からないけれど、この流れが有紗ちゃんの何かに刺さったらしい。
しかし親友は諦めない。
一日だけで良いから妹達を見てくれ。やがて親友の圧に負けた主人公は、一日だけコーチを引き受けた。
女子高生達はたわわな果実を揺らしてアピールする。
しかし主人公の心は全く揺れない。
発育アピールはダメ。ならば同情を誘うしかない。
女子高生達は次の地区大会で優勝できなければ廃部になることを説明する。主人公と同じように、理不尽な理由で大好きなバスケを奪われそうになっていたのだ。
うるせぇ、しらねぇよ。
それでも主人公の心は動かない。
彼は約束通り一日だけコーチをした後に別れを告げた。
帰り際、ふと振り返る。視線の先、一人の少女が落ちていたボールを拾って、沈んだ表情でシュートを放った。
主人公は、その美しいフォームに目を奪われた。
──以上、第一話、終わり。
「どうだった?」
いつものように感想を聞く。
「……くだらない」
「そうかな~? 夢中だったみたいだけど~?」
煽るような口調で言うと、彼女は一瞬だけ私を睨んだ。
「なに、フォームって。その程度でいいなら、もっと前から何かあるでしょ」
「……ぁゎゎ」
私は歓喜に震えた。
あの有紗ちゃんがっ、熱い戦闘シーンを見ても「子供の喧嘩」、胸キュンな恋愛アニメを見ても「ホラージャンル」と冷めた感想しか言わなかった有紗ちゃんがっ、語ってる!
「ん~、三日三晩語り合いたいところだけど、そろそろ戻らないとダメだよな~、困ったな~」
だからこそ、私は撤退を選ぶ!
「そうだ、スマホ貸すね。パスコードは全部9だよ」
「……バカなの? てかいらないですけど」
「アニメはこれ、ヌライム! 使い方はフィーリングで!」
「話聞けバカ。いらないって言ってる」
「アルバムは恥ずかしいから見ないでね」
本日三度目の舌打ち。
私は無視して立ち上がる。
「それじゃ、全話観た後で語り合おうね」
「語らない。あんたマジで──」
「次は五日……いや、四日後! またね!」
私は一方的に喋って部屋を出た。
ドアの前で少し待つ。追ってくる様子は無い。
軽く呼吸を整える。
心臓が短距離走の後みたいに騒がしい。
広々としたリビングへ足を向ける。
ほんの数メートルの距離を歩きながら考える。
私は彼女のことを何も知らない。
自分の行動が正しいかどうかなんて分からない。
多分、彼女には夢がある。夢があった。
バスケアニメに反応していたから、何かスポーツをやっていたのだろうか? でもその夢は何らかの理由で奪われた。
原因は怪我?
それともアニメと同じ上級生の不祥事で活動停止?
きっと考えても答えは出ない。
本人に聞いても教えてくれないだろう。
関係ない。
私がやることは変わらない。
たった一言、伝えたい。
ただの言葉じゃなくて、証明したい。
「めぐみん、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
専用機器を身に付けて、何も無い場所に触れていた相棒に声をかける。彼女は頭部にある機械を取り外すと、不思議そうな目で私を見た。
「……いいよ」
そして、何も聞かずに頷いた。
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