子供の夢 7


「「「ブイラジ体操ー! 第一ぃ!」」」


 気持ちの良い朝。

 仮想世界ブイチャ美少女おっさん達の野太い声が響き渡る。


 右を向けば美少女おっさん。左を向いても美少女おっさん。稀にクリーチャーとヒーローが目に入る広場では今、ラジオ体操が行われている。


「「「おつかれさまっしたー」」」


 美少女おっさんの朝は早い。

 ラジオ体操が終了すると直ぐに撤収が始まる。


 私は次々とログアウトする美少女おっさん達を尻目に、このラジオ体操を取り仕切るママのところまで歩いた。


「お疲れ様でーす」

「あらラブリー、今日も可愛いわね」


 ママは毎日違う衣装を着ている。仮想世界のお着替えは現実より遥かに手間がかかるから、多分プロなのだと思う。


 今日の衣装はシスターさん。

 豊かな胸が強調されている以外は清楚な服を着て、落ち着いた口調で喋るママからは、聖女のような気品と海のように深い母性が感じられる。だが男だ。


「あのね、ママ……私、人生相談、あるの」

「あらやだ懐かしい。あのアニメ大好きだったわ」


 ママは胸の前で両手を合わせると、まるで無垢な少女が花を愛でるかのような笑みを浮かべた。その仕草と表情を見れば、きっと多くの男性が恋に落ちるのだろう。だが男だ。


 人生相談、あるの。

 とても有名な作品のセリフ。


 この作品は、兄のことが大好きだけど素直になれない妹が人生相談と称して甘えるラブコメであり、義務教育の一環として視聴が推奨されている(私調べ)。


「ママに任せなさい。どんな相談でもオッケーよ」


 当然、同志であるママにはネタが伝わった。

 ここ最近、この類のネタが通じない環境で生活していた私は、大きな満足感を覚えながら相談を始める。


 とある事情で妹属性を持つ十七歳の少女をオタクにするためアニメを観せていること。全く成果が出ないこと。そして同僚がマジ天使で変になりそうなこと。


「なるほど、理解しました」


 話を聞き終えたママは、まるで祈りを捧げるかのように両手を握り締め、目を閉じた。


「主の声が聞こえます」


 ゴクリ。小さくはない緊張感を胸に言葉を待つ。


「まず同僚について。安心してください。あなたは、既に変です。しかし、ヒトは誰しも変なのです。変の者として生きる覚悟を決めれば、案外皆が受け入れてくれるものです。迷わず突き進みなさい」

「……ありがとうございますっ!」


 そうかっ、悩む必要なんて無かったのか!

 待っててめぐみん! 私は今日から遠慮を捨てる!


「続いて妹さんですが、参考までにどのようなアニメを観せたのか教えてください」


 私は頷いて、説明を始めた。


 不良達が譲れない何かのために戦う名作に対しては「子供の喧嘩を見て何が面白いの?」と痛烈な一言。私は「男の生き様!」と粘ったけれどリベンジ失敗。


 個性的なヒーローが活躍する名作に対しては「また子供の喧嘩じゃん」と乾いた一言。どうやら戦闘描写のある作品はお気に召さないようだ。


 ならばと趣向を変えて田舎を舞台に少女達の日常を描いた名作で心に潤いを届けようとしたところ「これ何が目的なの?」と禁断の一言。


 こうなったら直球勝負。原作が少女漫画の恋愛物を観せたところ「ごめんホラージャンル無理」と予想外の感想。理由は怖くて聞けなかった。


 普通の恋愛がダメならカップリングだオラァ! 私は基本的に男しか登場しない作品で腐った見方を熱弁したけれど「バカなの?」と理解を得られず撃沈。


「なるほど、理解しました」


 ママはにっこり微笑むと、低い声で言った。


「そいつぶちころがしなさい」

「ママ落ち着いて、中身出てるよ」

「あらいけない、失礼したわね」


 コホンと咳払い。

 今度は穏やかな声音で言った。


「手の爪を全て剥がしましょう」

「恐ろしい!」


 そんなこんなで、私は「一度ストレートに好みを聞いてみたらどうかしら」というアドバイスを受けたのだった。



 *  *  *



 時刻は十二時を過ぎたところ。

 私とめぐみんと翼は事務所で昼食を食べていた。


 現在テーブルには各自の昼食が置いてある。

 私はコンビニで買ったメロンパン。めぐみんは謎の錠剤とおにぎり。具はツナマヨ。そして翼は栄養バランスの良さそうなお弁当を持参。手作りだろうか。


「有沙の趣味か……」


 私が質問すると、翼は顎に手を当てて呟いた。その何気ない仕草が私の心にビッグバンを起こす。一秒毎に新しい宇宙が生まれる。……こ、このままじゃ私、天文学になっちゃうよう!


「よく分からない」


 私もそう思う。天文学になるって何。どゆこと。


「聞けば?」

「……やっぱり?」


 めぐみんの言葉を聞いて苦笑する。

 本人に聞くのが一番なのは分かってる。

 多分、誰に相談しても同じ返事になるのだろう。


 ……でも、なんか、違うんだよな。

 悩みながらメロンパンをパクり。美味しい。


「大丈夫」


 私は咀嚼しながら首を傾ける。

 

「愛なら、大丈夫、だよ」


 その笑顔と信頼感で私は胸を貫かれた。でも口の中にはパンが残っている。だから無言で両手を広げ抱擁を試みると、彼女はサッと身体ひとつ分だけ距離を取った。解せぬ。


「本当に信頼されているね」


 翼が微笑ましそうに目を細めて言う。


「愛には不思議な魅力があるらしい。健太も、遼も、有沙も……何か、コツがあるのかな?」


 単なる雑談なのか、それとも深い意味があるのか。なんとなく圧を感じた私は、咀嚼を続ける振りをして曖昧な笑みを浮かべた。


「深い意味は無い。警戒しないでくれ」


 彼は苦笑すると、微かに目線を下げた。


「感謝してる。本当に。有沙と話を続けられたのは、愛が初めてだ」


 ……照れちゃいますね。

 そして彼の妹想いな感じが尊くてご飯が進む。パンだけど。


 数秒後、顔を上げた彼は私の目を見て言った。


「二人の会話、とても興味がある」


 ……めっちゃアニメ推してます。


「いや、指定したのは俺か。有沙は何を話した? 逆に愛は、何を教えてくれたのかな?」


 ゴクリ。口の中を空にした後、私は記憶を探る。

 翼が指定した? 話を? ……あれ、なんだっけ?


「愛の話、恵も聞きたい」


 待ってめぐみん、退路を断たないで。


「せっかくの機会だ。リクエスト、いいかな?」

「どうぞ」


 渡りに船。私は食い気味に乗っかった。


「自動化について聞きたい。雑談のネタになる」


 雑談ってそれ仕事の話ですよね……?

 ちょっとだけ気を引き締めて考える。すると私が難しい顔をしているように見えたのか、彼は言葉を足した。


「基本的なことで構わない。素人には、全て新鮮」


 はい、出た。絶対裏切る素人さん。本当はプロなの知ってますからもう騙されないですからね。


 さて、どうしよう。基本的なことか……


「……データの流れを可視化すること?」


 私は過去の仕事を思い出しながら話す。


「私の場合、最初にフローチャート作ります。手動で扱っているデータの流れを追いかけて、ソフトに置き換える方法を考える……みたいな感じです」

「……何か、具体例はある?」

「分かりやすい例だと、アカウント作成ですね」


 一度言葉を切って、頭の中で情報を整理する。


「システムによっては、アカウントの作成に責任者の承認が必要だったりします。申請と承認には、専用のシステムを使います」


 紙とペンが欲しいと思いながら、身振り手振りを交えて説明を続ける。


「まずユーザーが申請します。責任者は、申請内容を確認して承認します。ここで問題です。申請システムには、アカウントを作成する機能が無いです。はい、めぐみん、どうやったらアカウントが作れますか?」


 質問すると、彼女は小首を傾げながら言った。


「がんばる?」

「正解っ! 流石めぐみん賢い!」


 ちょっと嬉しそう。かわいい。褒めてよかった。


「アカウントは手動で作成します。担当者がぽちぽちカタカタがんばります。さて翼、なぜ手動でやる必要があるのでしょうか?」


 質問すると、彼は顎に手を当てて目を閉じた。あれが彼の思考スタイルらしい。……きゅん。


「情報を連携できない事情がある。例えば、システムの持ち主が違うとか?」


 え、すご、完璧なんですけど。


「翼、実は実務経験あります?」

「紙の上の知識。前職、コンサルタント」


 勉強だけでそこまで分かるんだ。すご。


「えっと、正解です。きょとんとしてるめぐみんに向けて説明すると、」

「してない」


 ……はい。


「コホン。念のため補足すると、既存システムを改修して自動化するのは不可能です。各システムの持ち主が違うからです。両方を改修する権限を持った人が存在しないのです。同じ会社なのに。困りました」


 軽く息を吸って、


「さて、責任者が承認した後、自動的にアカウントを作成するには、どうすればいいでしょうか?」


 チクタクチクタク……ドゥルルルルル……ぴこん!


「はい、時間切れです。順を追って説明します。手動でアカウントを作成できるということは、同じ操作をプログラムから実行できるということです。つまり、申請情報の読み込みとアカウントの作成、両方の機能を持ったシステムを開発すれば自動化完了なのです」

 

 ちょっぴりドヤ顔で答えを言う。

 数秒後、翼が全て理解した様子で顔を上げた。


「それは愛のアイデア?」

「イエス!」

「工数は?」

「ええっと、二時間くらいだったかな?」

「……流石だね」


 ……えへへ、褒められちゃった。

 推しに褒められると若返った気分になる。嬉しい。


「きょとんとしてるめぐみんに向けて」

「してない」


 今度は食い気味。かわいい。


「ええっと、こんな説明で大丈夫ですか?」

「とても参考になった。ありがとう」

「恐縮です」


 私はお茶を飲み、過剰なファンサで熱くなった身体を冷やす。推しと同じ空気を吸っているだけでも大変なのに、このままでは身が持たない。


「愛、質問、いい?」

「いいよ。どうしたの?」

「さっきの、なんで、最初から、やらないの?」


 鋭い指摘だ。

 人間の操作をプログラムに置き換えるのは、難しいことではない。アカウント作成のように、決められた情報を入力するだけの単純作業なら尚更だ。


 しかし、誰も自動化しなかった。

 なぜ? 不思議に思うのは自然だと思う。


「先入観かな?」

「んー?」

「元々アナログなら別だけど、既にシステムが存在したら、それを使うことが前提になりそうじゃない?」

「……そっか」


 めぐみんは少し考えてから納得した様子で呟いた。


 先程の例では、既にシステムが存在した。

 でも最初は何も無いところから始まったはずだ。


 何も無いからシステムを作った。それによって仕事が実現したならば、そのシステムを使うことが大前提になるはずだ。


 だから、自動化するにはシステムを改修する必要があると考えた。しかしそれは不可能なので諦めた。


 先入観。

 あるいは思い込み。


 ぼんやりしている時、ヒトは手に持っている物を探してしまうことがある。先入観は、幼い子供でも気付けるようなことを透明にする。


 ……有沙ちゃんのことも、そうなのかな。


 学校にも行かず部屋にこもっている女の子。とても悲しい目をした彼女を見て、私は色々なことを想像している。


 多分、他の人も同じだったと思う。彼女の兄である翼でさえも何か先入観があるのだと思う。


 私は彼女に何も言っていない。特に深い考えがあるわけではない。多分、私が想像するようなことなんて他の人が口にした後だから、何度も同じことを言われたら鬱陶しいだろうなと思って、何も言っていない。


 翼は驚いていた。

 他の人は有沙ちゃんと話が続かなかったらしい。


 彼女の姿を見れば、誰もがマイナスの感情を抱くだろう。でも、もしかしたら、違うのかもしれない。


 何か理由があって、あの状態が一番だと彼女自身が判断しているのかもしれない。


 だから彼女は、自分の考えを否定するような先入観を受けて、会話を拒絶したのかもしれない。


 全部想像だ。

 本人に聞くのが一番だ。


 でも、なんとなく、本当になんとなく、私から聞くのは違うような気がしている。理由は分からない。


 ……どうしたものかな。

 悩みながら、両手でおにぎりを食べるめぐみんの頭を撫でてみる。


「なに?」

「ううん、なんでもない」


 めぐみんは独りで戦っていた。

 どうしても叶えたい夢のために戦っていた。


 有沙ちゃんは、どうなのだろうか。

 ただただ後ろ向きな理由で部屋にいるのだろうか。


 それとも──彼女もまた、戦っているのだろうか。


「人生って難しいね」

「……ん?」


 私は小さな天使に癒されながら、次に観せるアニメを考えることにしたのだった。



 *  *  *



 愛が悩んでいる間、翼もまた頭を働かせていた。


 内容は仕事について。

 現在出張中の二人は、いわゆる根回しをしている。


 現代社会は成熟している。新規参入者が一気に頂点まで駆け上がれるような緩い環境ではない。


 成功するためにはコネが要る。それは、神崎央橙のように規格外の能力を有する存在でも例外ではない。


 現在、開発は順調に進んでいる。

 翼の仕事は、それをマネジメントしながら、未来の関係者と仲良くなることである。


 誰と仲良くなればいいのか。

 どんな話をすればいいのか。


 考えることは無数にある。

 しかし──妹の存在が、ノイズになっている。


 これまで彼を含めた六人が説得を試みて、しかし失敗に終わった。


 実績のあるカウンセラーと、有沙の友人。

 彼女の事情を知る者も知らない者も、等しく彼女を立ち直らせることはできなかった。


 ……俺は、愛を信じるだけでいいのか?

 心の中で問いかける。もちろん返事は無い。

 

 ……もっと力があれば。

 机の下で拳を握り締めて、直ぐに開いた。


 良くも悪くも彼は大人だった。

 感情を抑える術は身に付いている。


 それでも、どうしても消し去ることのできないノイズが、彼の思考を妨げ続けていた。

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