子供の夢 4
ごきげんよう。佐藤家の愛ちゃんですわよ。
わたくし、昔からずっと疑問だったことがありますの。
本物のお嬢様って、ごきげんよう、とか言うのかな?
だってほら、ごきげんよう、なんて陽気な挨拶、よっぽど気分がパッパラパーじゃないと出てこないよ?
私は今パッパラパーです。それは良いのです。
庶民のことは忘れてお嬢様の話をしましょう。
──お嬢様。
お金持ちの娘。欲しいものは何でも手に入る。何ひとつ不自由の無い生活。そういうイメージがある。
大人になると分かる。
財力と心の余裕は比例する。
余裕力がカンストしたならば、パッパラパーな挨拶と共に笑顔を振りまきたい気持ちに……なるのかな?
そもそもお嬢様は本当に余裕があるのだろうか?
ちょっと想像してみる。
ファンタジーではなくリアルな話。
財力のある親は、きっと娘に教育を買い与える。
同年代がキャッキャしている間、お嬢様はピアノや外国語、そして最先端の知識と触れ合うのだろう。
嫌でも優秀になるはずだ。
しかしライバルも同じお嬢様。
試験は百点付近が当たり前。
少しでもサボればドロップアウト。
ハイレベルな競争を強いられるお嬢様。趣味に使える時間など皆無に違いない。きっと毎日が少年漫画の修行シーンみたいな状況なのだろう。
つらい。苦しい。休みたい。
内側からは弱音、外側からは親の期待などの重圧。逃げ場は無い。ならば進むしかない──拷問かな?
整いました。
リアルお嬢様の挨拶は、きっと威圧感があります。
「──ここ、自由に使って」
その声を聞いて我に返る。
「飲み物。愛はメロンソーダかな?」
「……ぁぃ」
「恵は、何を飲む?」
「コーヒー、ある?」
「あるよ。砂糖とミルクは?」
「ありったけ」
「分かった。座って待ってて」
私達に背中を向けた翼は、おそらく十メートルほど離れた位置にあるキッチンへ向かった。
私はめぐみんと一緒に椅子に座る。それからテーブルの上にノートパソコンを置いた。以上、仕事の準備終わり。
ぽけーっとした気持ちで部屋を見る。
一見、家具は少ない。テーブルやソファ、テレビ等が部屋の要所にぽつんと置かれているだけ。
しかし、もしもここが私の部屋だったら、人が移動できるスペースは残っていなかっただろう。
脅威の部屋面積。圧倒的な格差を感じてしまう。
ぐぬぬ、いつかの歓迎会で食べ放題の焼肉を希望してたから同じ庶民かなと思ってたのに……っ!
……でも彼の威圧感、そういうことだったのかな。
外見、知能、財力。
現代における三種の神器をコンプリートした彼は、まるで少女漫画のヒーローみたいな存在だ。
だから私は、似非お嬢様プレイをする途中で、ふとリアルお嬢様のことを考え始めた。私のような庶民はエリートを羨むけれど、エリートにはエリートの苦労があるのだと思う。
これまでは雲の上だった存在。
でもこれからは、一緒に仕事をする相手。
私は彼が一晩で用意した資料を思い出す。
それから現実逃避をやめて、軽く呼吸を整えながら気を引き締めた。
「お待たせ」
「……ぅぃ」
ちょっと複雑な気持ちで緑色の液体が入ったコップを受け取って、脳に糖分を送る──あへへ、幸せぇ。
「さて、まずは情報共有」
翼は私達の正面に座って、話を始めた。内容は、私が講師をしている間に行われた彼とめぐみんの会話。
彼は沢山のアイデアを用意した。さてどれを採用するべきか。それとも全て没にして新しいアイデアを考えるべきか。
「恵は一番目が良いそうだ。愛の意見は?」
「ええっと……」
一番目って、あのスマホみたいな仕組み作る奴だよね? ……
めぐみんを見る。
彼女はキラキラと目を輝かせて頷いた。
……こ、断れないっ! アレちょっと難しいから別の案にしようとか絶対に言えない!
「私も同意見、かな?」
「何か疑問があるなら共有しよう。些事でも構わない」
「あぃゃ、疑問というか、言葉遣いに、迷って?」
「健太と同じで構わないよ」
「……ま、前向きに善処します」
ああ、神よ。なぜ私に複数の試練を与えるのです?
スマホのような仕組みを作る。推しをケンちゃんと同列に扱う。……あぁ、この過酷あふれる世界に救いをっ!
「健太に共有する」
彼はスマホを手に持って片手で操作を始めた。
連絡ということはメールだろうか。片手で文書入力ということはフリックだろうか。なるほどね。私はキーボードをカタカタするタイプだけど、彼は画面をナデナデするタイプなのか。なるほどね。
「そうだ。今後関わりそうな企業、ある?」
「企業?」
「何か他社のソフトウェアを利用するとか。あるいは既存のサービスに組み込む可能性とか。なんでもいい」
「ウニティ、かな? めぐみん、何か思い浮かぶ?」
「……ブイチャ?」
「分かった。ありがとう」
彼は私達を見て微笑むと、直後に鋭い表情を浮かべてスマホに目を戻した。
「……なるほど」
数秒後、彼は意味深な様子で呟いた。
それから無言の時間が二分ほど続く。
メールひとつ書くにしては長い。
なんとなく彼の言葉を待っていた私だけど、声をかけることにした。
「あの、メール書いてる……よね?」
「今の送り先は健太じゃないよ」
え、そうなの?
私は思わずポカンと口を開ける。
彼はスマホに目を向けたまま言葉を続けた。
「ウニティ、ブイチャ、それから配信系と通信会社の知り合い」
「……どういう内容か聞いてもいい、ですか?」
「食事に誘ってる」
「食事?」
意図が分からず再びポカンと口を開ける。
彼は数秒の間を開けた後、スマホを机に置いて私を見た。
「先行投資。仲良くなっておきたい」
「顔、広いね」
ほぇ~、と口を開いている私の代わりにめぐみんが言った。彼は彼女に目を向けると、未だに私をキュンとさせる微笑みを浮かべて言った。
「恵は、どうかな?」
「愛だけ」
「そうか。愛は?」
「はぇ? ええっと……」
主語がっ、どこにもっ、無い! ……けど、話の流れから察するに、知り合いがいるかどうか聞かれてるっぽいよね?
「私も、特に思い浮かばない……かな?」
特に思い浮かばないですね。自然発生する丁寧語を封印しようとして、微妙な間が生まれる。
……どうしよう。めぐみんを見習ってラフな感じでいいのかな? でも推しが相手なんだよなぁ……っ!
「分かった。俺はメールを続けるが、作業の邪魔になるようなら席を外そうか?」
「平気」
めぐみんがあっさりと返事をして、私の腕を引く。
「何から始める?」
表情にワクワクが溢れ出ている。かわいい。
もしも指摘したら、またぷんすか怒るのだろうか。
「……うん。まずは、ざっくり仕様を固めようか」
本音を言えば、イタズラしたかった。
でも今回は開発に集中することを選んだ。
彼女の子供みたいに純粋で真っ直ぐな姿を見ていたら、私の中にあるワクワクが大きくなった。
翼のこと。開発の難易度。動揺する出来事が多かったけれど、ほんの少しだけワクワクが勝った。
その後は、ひたすら開発の時間。
せっかく翼に場所を提供してもらったけれど、今回は設計図を作る議論に終始した。
設計図。あるいは仕様書。
一人で開発するならば頭の中にイメージがあれば良い。でも複数人で開発する場合は違う。認識の齟齬は失敗に繋がる。ソースは私。
「──中断しよう。そろそろ終電だ」
「うぇっ、もうそんな時間!?」
「びっくり」
議論の途中、翼の指摘を受けて驚いた。ちょっぴり白熱したことで、私達は時間を忘れていたらしい。
「残り一時間。足りないと判断して声をかけた。俺の判断、正しかった?」
「……そう、ですね」
一時間。早目に声をかけてくれたようだ。駅までは徒歩三分くらいだったから、まだ余裕がありそうに思うけど……うん、終わらないかも。
「ありがとうございます。終電逃すところでした」
「良かった。さて、俺は健太から二人のマネジメントを依頼されている。だから提案ではなく命令。本日の議論は終わりにして、続きは明日にしろ。いいね?」
彼は少し強い口調で言った。
正直、私の中には結論が出るまで続けたい気持ちがある。もしも釘を刺されなければ、めぐみんと一緒に朝まで議論していただろう。
だから彼は中断を命令したのだと思う。
私達の議論を客観的に見て、一晩寝かせた方が良いと判断したのだろう。そこまで考えた後、私は納得して素直に頷いた。
「めぐみんも、いいよね?」
「……ん」
表情と言動が不一致だけど、めぐみんも納得したようだ。その後で翼が「ありがとう」と言って微笑みを浮かべる。
「それにしても激しい議論だったね。驚いた」
「……お、お恥ずかしいところをお見せしました」
「構わない。俺と健太も同じだ。互いを信頼している証。限度はあるけどね」
はい尊い。サラッと差し込まれましたよ。お気付きになられましたか? 彼、急に信頼関係をアピールしました。困ったものですね。鼻血が出そうです。
「ところで、愛の見込みだと開発期間はどれくらいになる?」
「話し合いの結果次第ですけど……」
めぐみんとの議論を思い出す。
開発だけならば一ヵ月あれば十分だと思う。ただ、開発後に見える課題の解決やら何やら考慮すると──
「三ヵ月くらいかな?」
「……恵は?」
「愛と一緒」
「……そうか」
彼は額に手を当てて、少し俯いた。
何か含みのある反応。そこで彼が口を閉じて、背中が痒くなる静寂が生まれた。数秒後、最初に声を出したのはめぐみんだった。
「遅い?」
「逆だ。早過ぎる」
呆れたような笑い声。
続けて、彼は俯いたまま小さな声で呟いた。
「……プランを練り直すか」
「プラン?」
めぐみんがその言葉を拾った。強い。彼女の辞書に遠慮とか様子見とかいう類の言葉は無いらしい。
「すまない、独り言……いや、二人が優秀だったから驚いている」
「最強」
ドヤ顔が目に浮かぶような声だった。かわいい。
「技術者の見積もりは難しいね」
彼は世間話でも始めるような様子で言う。
「百人がかりで数年かかるような開発でも、担当者によっては……例えば神崎央橙が関われば、数日で終わる」
いや終わらない思う。神崎さん化け物なの?
「愛のオルラビシステム。開発期間、五年だっけ?」
「はい。でもあれは、私が一人で作ったわけではないので」
「チーム、何人?」
「だいたい十人くらいです」
「……感覚が狂いそうだ。何が違う?」
「ええっと……なんでしょうね?」
さっぱり分からない。一応、私は六年くらいの実務経験があるけれど、ひとつの組織に所属していただけだ。だから私の中には、私が思う普通しかない。
めぐみんに目を向ける。
彼女は私をじーっと見て言った。
「オルラビ?」
「後で説明するね」
マイペースかわいい。
「俺も色々と聞きたい。本当に優秀なエンジニアと仕事できる機会は滅多に無い。部屋代、ということで、どうだろうか?」
「そう言われると断れないですね。私の方も聞きたいです。ビジネスとか、全然分からないので」
「分かった。俺に答えられる範囲で教える」
彼は頷いて、手元にあるコップを持ち上げた。その様子を見て私も喉の渇きを自覚する。最初に彼が用意してくれたコップを手に取って……あれ、色が違う。水かな?
「二人が夢中になっている間に入れ替えた。炭酸では潤わないと思った。余計だった?」
……何この神対応。ファンサってレベルじゃない。
「ありがとうございます」
お礼を言って水を口に含む。推しの気遣いが渇いた喉に染み渡る。愛ちゃんは元気度が全回復した。
「なんかこう、すごいですよね」
私はもう一度だけ水を口に含んで、続ける。
「私の場合、目先のことばかりなので」
例えば食事の話。
まだ開発が始まってもいないのに、彼は今後関わる可能性がありそうな人達に連絡を始めた。
例えばメロンソーダ。
単純に彼の趣味という可能性もあるけれど、きっと今日みたいな日を想定して準備していたのだろう。
資料も同じだ。
彼は一晩で用意したと言ったけれど、それは文字通りの意味ではないのだろう。その一晩が始まる前にも時間がある。その時間で彼は何らかの準備をしていたのだろう。
それは私には無い能力だ。
私は未来のことなんて全く予想できない。
だから、すごいなと、そう思った。
「色々なことに気が回って、視野が広いなぁ、と」
「ジャンルが違う」
私が微妙なイメージをどうにか言語化すると、彼は即座に返事をした。その後、彼はスマホを操作して、ひとつのアプリを起動した。それは私が過去に作った地図アプリだった。
「俺にこれは作れない。それだけの話」
……やばい、かっこいい、溶けそう。
「終わり。続きは明日。駅まで送るよ」
そう言って彼は立ち上がった。
直後、ある一点を見て動きを止める。気になって目を向けると、そこには一人の女性が立っていた。
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