子供の夢 3

「ありがとうございました」


 本日最後の受講生を見送った私は、心地良い疲労感を覚えながら事務所に戻った。


 そして部屋の隅、社長の席に堂々と座る小さな背中に歩み寄り、隣に立ってコホンと存在をアピールする。


「いやー、今日も働いたなー、疲れたなー」


 カタカタと指先を踊らせていた天使は、ターンッと少し強い音を響かせた後、私に身体を向けた。


「ん、おつかれ」


 相変わらずの無表情。ここ数日はグッスリ眠れていると思うけれど、まだ目元にある不健康な隈は消えていない。


 彼女の手元にはノートパソコンがある。画面にはエディタが表示されている。記述されているのはプログラム。直前の様子から察するに、とても集中して何か開発していたのだろう。


「ごめん、邪魔しちゃったかな?」

「ん? 平気だよ?」


 彼女は少し首を傾げると、微かに口元を綻ばせて言った。


「めぐみんの笑顔、やっぱりかわいいね」

「……っ」


 思ったことを素直に言うと、彼女は素早く両手で顔を隠した。何事かと驚きながら様子を見る。再び顔を見せた彼女は、口元を一の字にして、機械のような目で私を見ていた。


「忘れて」

「えー? いいじゃん、かわいいよ?」

 

 彼女はサッと顔を逸らした。

 その表情は直前よりもさらに硬い。


「……恥ずかしい」


 疑問に思っていると、彼女から答えを口にした。

 私は思わずはわわ。あまりにも可愛らしい理由を耳にして理性の残機がゼロになった。


 でも耐えるっ、根性っ、今日はもう好感度を減らせないのです……っ! でも、でも……っ!


「愛、その顔、やめて」

「……ごめん、ちょっと、待ってね」


 彼女は基本的に無表情だ。

 でも笑顔はバッチリ。口元を緩ませることも多い。

 

 だから私は不思議に思っていた。

 なぜ彼女は表情が乏しいのだろうか?


 理由はシンプル。恥ずかしいから。

 彼女は意識的に無表情を作っていたのだ。


 それがもう、それがもう、もう! もー!!!!


 パチンッ、私は消し飛びそうな理性を捕まえるために自分の頬を叩いた。習慣とは不思議なもので、直前まで荒れ狂っていた感情がいくらか落ち着いた。


「それ、何のプログラム書いてたの?」

「だから、その顔、やめて」


 どうやら顔は元通りになっていないようだ。

 しかし私は気にせず話を続ける。


「パッと見た感じGUIだよね? 関数名が連番になってるのは仮かな? 雰囲気からフフッ、失礼、雰囲気から察するに──」


 ペチッ、腹部に軽い衝撃を受けて口を閉じる。

 めぐみんの拳が私の腹部をプニっと攻撃していた。


 その拳が震えている。それはきっと怒りというよりも羞恥の感情だ。真っ赤になった顔を見れば分かる。


「雰囲気から察するに、ボタン操作する部分だよね。綺麗なコードだけど、こういう処理は外から読み込む形にした方がいいよ」


 私は大人の対応をする。めぐみんの弱点は今後じっくり楽しむとして、今は真面目な場面だと思った。


「……外からって、どういうこと?」


 少し拗ねた態度だけど、彼女も気持ちを切り替える判断をしてくれたらしい。私は安堵して、説明を始めた。


「めぐみんのコード、構造はバッチリ。メインループにある変数の記述を変えるだけで全体の改修が可能になってる。でも、そもそもプログラムの変更は最小限にしたいから──」


 そこからはとっても専門的な話。

 私は直前まで社会人を指導していた。だからこそ、あらためて彼女が優秀であることを感じ取った。


 技術の世界はあまりにも広い。しかも毎日のように進化する。だからエンジニアの優劣は、未知に対する理解力なんかで決まるのだと思う。


 彼女の場合、新しいことを覚えるのが異常に早い。

 まるでメモリに情報を保存するかのように、教えた知識が一瞬で吸収される。


「ん、分かった。やっぱり、愛はすごいね」

「おほほ、もっと褒めてくれてもいいのですわよ」


 渾身のドヤ顔を披露する。

 しかし彼女は何も言わずじーっと私を見ていた。


 ドヤ顔中止。

 私は改めて真面目に質問する。


「それで、何を作っていたのかな?」

「開発用の、グイ」


 グイ。GUIのこと。

 

「資料、これ」


 めぐみんがPCを操作して資料を表示した。


「……スマホアプリみたいなイメージかな?」


 しばらく資料を眺めた後、私は頭に浮かんだ言葉を口にした。


 スマホアプリには、誰でも簡単に開発できるような統合開発環境がある。これを使えば、アプリの開発が可能なのは当然として、エミュレータやスマホ本体を使った動作確認もできる。


 さらに、アプリのリリースやダウンロードについても、ボタン操作で簡単に実行できるような仕組みがある。スマホアプリは、本来なら開発者が頭を悩ませるようなタスクの大部分が自動化されているのだ。


 要するに、めぐみんの発明品を使って同じことしようぜ! というアイデアが資料に記されている。


 ……これメッチャ難しいのでは?

 目を閉じてイメージする。翼が「作れる?」と質問した。私は「……技術的には可能です」と震える声で返事をした。


 資料は素晴らしい。デザインサンプルがあり、どのようなモノを作りたいのか伝わってくる。だけど実際に開発して、さらに運用することを考えると……


「めぐみん、これ、できそう?」


 言葉を選んで質問する。

 彼女はパチパチと瞬きをして、弾む声で言った。


「がんばろうね」

「……ウン、ガンバロウネ」


 ふと脳裏に過去の出来事が浮かび上がる。

 週七、カロメ、エナドリ、トライチェアベッド──


 トゥルル♪

 来客を知らせる音で思考中断。


「はーい」


 ちょっと小走りで出入り口へ向かう。

 ドアを開けると、そこにはスーツ姿の男性が立っていた。


 年齢は四十歳前後だろうか。歴戦の猛者を思わせる強面で威圧感がある。一瞬、受講生が忘れ物を取りに来たのかと思ったけれど、この顔に見覚えは無い。


「ええっと、こちらは合同会社KTRですが、どのような御用件でしょうか?」

「わたくし、厚生労働省過重労働撲滅特別対策班の香取と申します」


 強そうな肩書きと共に現れた男性。曰く、この事務所で違法な残業が行われているそうだ。


 ……おかしい。早過ぎる。まだ健全なのに。


「深夜に明かりが見えたので、監視しました。結果、明かりが消えることは無かった。三日連続です」

「……電気の消し忘れかも?」

「私がその程度を見抜けないとでも?」


 それから少し会話を続けて、どうやら社長様が原因らしいことが分かった。あいつ、私が留守にしている間ずっと引きこもって仕事してたらしい。


 結論だけ述べると、今回は警告で終わった。

 しかし彼が去り際に言った「次は無い」という言葉のインパクトは大きい。


 ……ケンちゃんに報告して、今日は帰宅かな。


 ぶっちゃけ私は労働時間に関する法律を知らない。そんなものは存在しないと思っている。本当は詳しく知っているような気もするけれど、該当する記憶は全て黒く塗り潰されている。


 さて、どうしたものか。

 翼の資料には複数のアイデアが記されている。まだ何を開発するのか確定していない。しかし重たい開発になることは確実だ。


 めぐみん一人に任せるのは気が引ける。でも私には塾がある。だから開発時間は限られている。業務後や休日を使わなければ、ほとんど進捗が出ないだろう。


 ……事務所は監視されてるっぽいから、家で開発するしかないかな? でも例のアレをデバッグするとき動き回るから、私の部屋だと狭い。どうしようかな?


 とりあえず今夜は撤収。

 翌朝、私は翼に相談してみた。


「どれくらいの広さがあればいい?」

「この事務所くらいあれば……」

「分かった。提供する」


 ──きっかけは、何気ない一言。

 こうして私は、彼の部屋に招かれたのだった。





ーーー あとがき ーーー


えがおー(๑˃̵ᴗ˂̵)!

コミカライズの伊於先生が応援イラスト描いてくれました!!!


https://twitter.com/io_xxxx/status/1438182498035400707?s=21

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