リアル×バーチャル 7


 ブイチャとは、VRチャットの略称である。交流を目的とした仮想世界のことで、いくつかの専用機器とネット環境があれば、どこからでもアクセスできる。


 ユーザーは自分の分身となるアバターを装備して、仮想世界を自由に移動できる。そして、他のユーザーとの交流を楽しむことができる。


 仮想世界には多種多様なアバターが存在するけれど、大半は美少女の姿をしている。平日の朝には美少女達がラジオ体操を楽しみ、日曜日の朝には美少女達による朝アニメの実況大会が開催される。


 まさに夢の楽園。

 だが、ひとつだけ注意しなければならない。


 美少女達から発せられる声は、高い確率で野太い。耐性が無い者が無防備に「被害」を受けた場合、トラウマになる可能性がある。


 ──故に、ブイチャとは魔境である。

 今宵、その魔境に足を踏み入れた少女・・が二人。


「めぐみん、よく道具持ってたね」


 南国の海を思わせるような蒼い髪と瞳。純白の肌は新雪の如く、触れることをためらわせる程に美しい。


「バックアップ、だよ」


 返事をした少女は、蒼い瞳の少女と瓜二つの姿をしていた。相違点は、紅く透明な宝石を想起させるような髪と瞳の色くらいである。


 人類の夢と理想を体現した双子の美少女。中身は、佐藤愛と山田恵である。


「このアバターは、めぐみんが作ったの?」

「買った」


 山田はアバターを披露するようにして、クルリと一回転した。ふわりと宙を舞うスカート。佐藤が条件反射で目を向けるけれど、残念ながら内側は実装されていない。

 

「……ミニスカメイドも良いなぁ。今度つーくろ」

「ん? なに?」

「なんでもない。それより今の回転どうやったの?」

「こう、コントローラを、ピッ!」


 ふへへ、全然わかんなーい。

 だらしない笑顔。しかし幸いなことに、今この場に現実の佐藤を見る者は存在しない。


 時は少しだけ遡る。

 鈴木から説明を受けた佐藤は、直前の話を思い出しながら、今後のタスクを整理していた。


 具体的なタスクはふたつ。

 プログラムの整理と、バーチャルアイドルの勧誘。


 例えば新しいサービスを考えたとする。

 実現には、開発と宣伝が不可欠である。


 現状、第三者の視点では、開発手段が存在しない。宣伝をするにも、新しいサービスを求める顧客が集まる場所など分からない。だから、作る。


 有名な前例は林檎社だろうか。

 林檎社は、スマホの他に、アプリの開発手段と、それを公開する林檎ストアを生み出した。結果、林檎社のスマホを用いた新サービスを始めるには、林檎社の提供する手段を使うことが最も合理的になった。


 これに対抗したのがグーグ◯。

 彼らは林檎社と同じことをしてシェアを奪った。


 さて、合同会社KTRは映像に触れる技術を得た。

 この技術を使って最も人々を笑顔にするサービスは何か。鈴木の出した答えは、全部やること。


 仮に自社だけで独占的にサービスを提供した場合、やがて同じ技術を開発した他社にシェアを奪われるだろう。


 ならばと開発手段を提供しても、無名の零細企業が選ばれ続ける理由が無い。より良い開発手段が誕生した直後、一気にシェアを奪われるだろう。


 そもそも知名度が不足している。どのような素晴らしいサービスでも顧客に届かなければ意味が無い。

 

 そこで、バーチャルアイドル。

 自社の知名度向上を狙うと同時に、合同会社KTRが提供する手段を選ぶ理由を生み出す。


 さて、プログラムの整理については問題ない。佐藤の得意分野であり、山田の協力もある。一ヵ月もあれば、小学生でも新サービスを開発できるような状態にすることが可能だろう。


 問題は勧誘である。

 現在、界隈に詳しい社員は存在しない。


 どうしようかなと悩む佐藤は、受講生から情報を得ることに成功した。それがVRチャット──ブイチャである。


 知らないことは詳しい人に聞けば良い。要するに、ブイチャで突撃インタビューすることになった。


 ここで発生した問題はアクセス方法。

 早速、必要な物を購入しようと鈴木が提案した直後、山田がブイチャ経験者であり、道具も所有していることを打ち明けた。


 果たして業務終了後。

 二人は、佐藤の寝室からブイチャにアクセスしたのだった。



「有名な個人勢? すみません、メジャーどころしか見てないですね……」

「歌がメインの個人勢? やー、俺箱推しなんで」



 突撃インタビューの空振りが続くこと約一時間。

 佐藤は少しだけ詳しくなった。これまで有名な動画や配信を何度か見た程度の佐藤だったが、どうやらバーチャルアイドル──略してブイドルには、大きく分けて三種類の勢力が存在するらしい。


 何らかの組織に所属する企業勢。アバター製作などは外部に依頼して、活動のみ個人で行う個人勢。そして、全て独力で行う完全個人勢。


 さらに、ブイドルの活動方針も様々である。歌、動画、ゲーム実況、料理、楽器演奏、雑談などなど、数多くのブイドルが個性を武器に試行錯誤を繰り広げている。


 世はまさにブイドル戦国時代。企業勢の中には、数億円の予算を動かせるような大物も存在する。


 ここに新しく参戦することは難しいから、既に実績のあるブイドルを勧誘する方が合理的だ。


 もちろん企業勢を引き抜くことは難しいから、狙いは個人勢もしくは完全個人勢となるのだが、優れた人材を求めているのは佐藤達だけではない。


「めぐみん、どう?」

「……ダメ」


 はぁ、と溜息を吐く二人。

 ニッチな例を出すならば、地方のエンジニア募集だろうか。知識不足によって市場価値の高い人材を相場よりも遥かに安い報酬で募集してしまうアレだ。


 しばしば報酬が一桁足りないと話題になるアレだが、根本的な問題は、そもそも条件を満たすような人材が余っていない、ということである。


 多くのファンと多くの知識を持つ個人勢。

 そのような都合の良い人材を探すことは難しい。


「めぐみん、動画見てたりしないの?」

「んー? あんまり?」


 山田は研究目的で常に最新の動向を調査していた。だからブイチャの経験がある。しかしながら深い知識までは持っていない。


「まとめサイトとか無いのかな?」

「それも、聞く?」

「そうだね……よし再開! 私は東から!」

「ん、西から」


 蒼と紅の少女が行動を開始した。

 慣れない世界でぎこちなく移動する佐藤の目に映るのは、車通りが全くない都会の街並み。ちょうど人が集まる時間帯なのかどうかは不明だが、あちこちで美少女達が談笑を繰り広げている。


「こんばんはー」

「ぅおっ、こんばんは。どうしました?」


 とある集団に声をかけると、予想通り野太い声が返ってきた。もちろんそれは、アニメのように綺麗な声ではなく、マイクを通した素人の声である。


 要するに聞きづらい。例えば直前の言葉。佐藤の耳には「おーこばぁ、どました?」と聞こえていた。


「急にすみません、お話いいですか?」

「あー、俺は大丈夫ですけど……大丈夫?」


 返事をした美少女アバターが周囲に声をかけると、他のアバター達は首を縦に振る動きを見せた。


 へー、そんな動きもできるんだ。

 佐藤は関心しながら個人勢について質問した。


「えー、誰か知ってる?」

「知らない」

「俺箱推しなんだよね……やっぱモコレンズっしょ」


 はこ……? もこ……? 知らない単語に首を傾けながらも、とりあえず空振りに終わったことだけ理解する。


「お姉さん初めて見るけど、箱でも作るんですか?」

「箱ってなんですか?」


 お姉さんという響きが嬉しくて、声のトーンが少し高くなる。


「グループ的な意味です。モコレンズみたいな」

「なるほど……」


 言われてみれば、有名なブイドルにはグループ名のようなものがあったような気がしてくる。


「そうですね、箱作る感じです」

「ほー、お姉さんも活動するんですか?」

「いや、私は裏方です」

「もったいない。お姉さん良い声してるのに」

「えー? そんなことないですよー?」


 秒で調子に乗る佐藤。その後しばらく姫プレイをしてから、気分良く次の突撃インタビュー。


「わっ、えっ、なに? 企画?」


 外見と声が一致するのは珍しいようで、ブイドルの動画撮影(企画)と勘違いした反応が何度かあった。やがて佐藤は「あれ? もしかして私の声ってイケてるのでは?」と思い始める。


 果たして途中から「ちやほやされたい」という邪念が生まれ、彼女はアニメのような不自然に甲高い声を出し始める。そのまま仮想空間を半周したところで、山田と再会した。


「めぇぇぐみぃぃん! ひぃしゃしぶりぃ!」

「……何、その、口内炎ができたみたいな喋り方」


 冷たい視線が佐藤に突き刺さる。もちろんアバターの表情が繊細に変化したわけではないが、山田は普段から表情が乏しい。だから佐藤は、今の言葉がどのように発せられたのか容易に想像できた。


「んー? マイクの調子がおかしいのかな?」

「あ、治ったよ」

「そっか、良かった」


 姫プレイなんか二度とやらないと魂に誓いながら、成果報告を始める。


「お互い良い情報は無かったか……」

「難しいね」

「いっそのこと私達がやっちゃう?」

「……それが、難しいから、探してるん、だよ?」


 山田の正論がチクリと佐藤の胸を刺す。ボケに対するマジレスの威力は、アバター越しでも健在だった。


「まあでも、地道にやるしかないよね」

「うん、がんばろうね」


 山田はアバターを操作して、軽く手を挙げた。佐藤は彼女の意図を理解して、少し苦戦しながらアバターを操作する。


 手が重なる。もちろん、触れ合った感触は無い。そのことに少しだけ寂しさを感じて、佐藤は呟いた。


「……感触、欲しいね」


 顔を上げて、ゆっくりと周囲を見る。

 ここは現実世界ではないと一目で分かる視界。


 目に映る景色が妙に丸っこくて、頭を動かすとテレビ画面を揺らしたみたいな違和感を覚える。


 ヒトの頭が動くと、目は反対方向に動く。この機能があるから、ヒトは電車の中でもスマホを見ることができる。しかし、この機能は仮想世界に存在しない。


 このような現実世界とのズレが、VR酔いと呼ばれる現象に繋がる。要するに──


「めぐみん、これどうやって外せばいいの」

「……ん?」

「ごめん、なんかちょっと、吐きそう」

「ま、待ってね」


 山田は言葉の意味を察して、まずは自分の頭部に装着した機械を外した。それから現実の佐藤の背後に立って、慣れた動きで彼女から機械を外した。


「ありがと、ちょっと水飲んでくる」

「……ん」


 ふらふらと立ち上がった佐藤は、スッキリした様子で部屋に戻り、ベッドに座る山田の隣に座った。


「めぐみん、全然平気だね」

「んー? 慣れ?」

「あー、そっか。実験で」

「うん。でも、最初の頃は、ちょっと酔ったかも」


 そっか。佐藤は微笑み、スーッと息を吸い込む。それからパンと頬を叩いて、山田に言った。


「もっかい!」

「うん、恵も」


 二人とも機械を手に持って、


「……めぐみ~ん」

「はいはい」


 まだ慣れていない佐藤は補助を依頼する。やれやれと山田が手伝った後、二人は再び仮想世界にアクセスした。


 ──現代では、あらゆる情報が椅子に座ったまま手に入る。しかし、小さな画面越しに見る情報と、実際に体験することで得られる情報は異なることが多い。


 佐藤は勧誘を続けながら、仮想世界に対するイメージと現実の違いを実感していた。


 一言で表現すれば、まだまだ技術が未成熟。視界は不自然でアバターの表情は乏しい。それでも、他のユーザーと話をすれば楽しい気持ちが伝わってくる。


 この世界が触覚を得たら、何が起こるのだろうか。

 この数時間で話をした人達は、喜んでくれるだろうか。それとも余計なことをするなと怒るだろうか。


 新しい物を提供することに対する期待と不安。

 本来の目的である勧誘の進捗が無い一方で、佐藤の中には何か自覚のようなものが芽生えていった。


 やがて日付が変わり、二人は勧誘を切り上げた。

 翌日、再挑戦。結果は同じ。三日目には、二人の姿を認知する者が現れ始めた。狭い世界だからか、あるいは毎日同じ時間帯に活動しているからか……とにかく、それなりにコミュニケーション能力が高い佐藤は数人とフレンドになった。


 そして、日曜日の朝。

 すっかり一人でブイチャにアクセスできるようになった佐藤は、この数日で作ったフレンド達に誘われ、朝アニメの実況大会に参加していた。


「「「いっけぇええええ!!!」」」


 主人公が悪者に必殺技を放つシーン。

 仮想世界に存在するスクリーンの前に大集合した美少女達は、声を揃えて絶叫した。


「「「いぇえええええいいい!!!」」」


 中の人達の平均年齢を考えてはならない。

 野太い声の美少女達は、ヤンチャな子供が集まってアニメを見ているようなテンションで、それはそれは楽しく騒いでいた。


「あ、じゃあ僕これで落ちますね」


 しかしアニメ終了後。誰かが声を発すると「俺もー」「私もー」「お疲れ様でしたー」と直前の騒ぎからは想像もできないスムーズな撤収が行われた。


 ……やっぱ中の人達は大人なんだな。

 一種のストレス発散なのかもしれない。なんとなく取り残された佐藤は、そう思った。


「……何しよっかな」


 誘ってくれたフレンドと軽い挨拶をして独りになった後、ぽつりと呟いて周囲を見る。


 映画館のような場所。というか、映画館そのもの。座席は全部で十席も無い。とても狭い場所。


 先程までは異常な熱気に包まれていた。しかし現在は佐藤の他に誰もいない。そのせいか、彼女は少し寂しい気持ちになった。


 なんとなく、スクリーンに目を向ける。

 仮想世界で動画を見ること。最初は驚いたけれど、冷静に考えれば、座席やスクリーンを表示するのも動画を表示するのも同じようなものだ。


 それでも最初は驚いた。

 佐藤は仮想世界の存在を知っていた。しかし、仮想世界でアニメ鑑賞をするなんて発想が生まれたことは一度も無い。


 だけど、実際に参加した感想はどうだろう。

 楽しかった。多分、来週も参加すると思う。


「……サービスって、難しいなあ」


 スクリーンを見ながら呟いた。

 当然、彼女は独り言のつもりだった。


「うんうん、考えると頭痛くなるよね」


 女性の声。

 もちろん佐藤の声ではない。


「あちきを探しているのは、貴女かな?」


 兎の耳と黒い蝶のリボン。透き通るような薄桃色の長髪。佐藤のアバターを見つめる瞳の色は紅く、瞳孔は漫画的な星の形をしていた。


 服装は制服。下は紺色のミニスカートで上はベージュ色のカーディガン。どちらも大人しい色合いだが、少しだけ胸部の主張が激しい。


 それは、素人が趣味で作るアバターとは違う。企業がプロに依頼して作るような高品質なものだった。


 佐藤がぼんやりしていると、彼女は可愛らしく小首を傾けながら、挨拶をした。


「ごきげんよう。小鞠こまりまつりだよ。まずは動画を見てくれたら嬉しいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る