side - みっつの幸運

 

 これは、恵が独りになるまでの話。

 当時は中学生で、毎日を呑気に生きていた。どんな今日も楽しくて、まだ見ぬ明日にワクワクしていた。


 でも、じーじからもらったスマホで全てを知った。

 どういう歴史があって、今はどういう時代で、未来では何が起きるのか。そして自分は、どのような人生を歩むのか。あらゆる情報が手に入った。


 子供には無限の可能性があるなんて噓だ。

 未来なんて、生まれる前から決まっている。


 人生は科学だ。結果には必ず原因がある。

 でもそれは、あまりにも不平等だ。だって、多くの原因を作るのは、自分ではなく親なのだから。


 もちろん突然変異みたいな未来もあるだろう。でもそれは、宝くじで億万長者になるようなものだ。


 だから億万長者になることにした。


「じーじ、恵は覚醒するよ」

「加勢する? 何に?」

「かーくーせーい」

「学生か。ほぉ、大学行きてぇのか」

「ちーがーう」

「すまねぇな恵、うちにゃ金がねぇ」


 じーじは耳が遠い。

 訂正するのは面倒なので話を合わせる。


「畑を売ろう」

「こんなクソ田舎の土地なんざ金にならねぇべ」

「……はぁ」


 溜息ひとつ。でも落胆はしていない。

 じーじのことは好きだけれど、社会的には弱っちい。だから、最初から何も期待していない。


「よー分からんが、恵は賢けぇからでぇじょうぶだ」


 ケラケラ笑うじーじを見ながら、考える。

 ネットに書いてあった。大人はみーんな過去が大好き。昔に戻りたいって誰もが口を揃える。


 昔って、いつのこと?

 恵にとっては、今のことだ。


 だから先のことを考えて、今から行動する。

 未来で流行るのは人工知能と自動化だと思う。なら今日からでも勉強して……ううん、それじゃダメだ。


 だってスタートラインが違う。

 同じことをしても、恵まれた人には追いつけない。


 もっと賢いことをしよう。

 例えば……そう、会社に突撃。有名なビリオネアの過去を調べると頻繁に出てくるアレを真似しよう。


 大丈夫、きっと通用する。

 ネットに書いてあったけれど、大学生が持つ専門知識なんて、だいたい本一冊分しかない。その程度、一日あれば学べる。


 じゃあ一週間本気になったら?

 それはもう、即戦力。内定ゲット楽勝。


 完璧。天才的な計画だ。

 今は九割の人が高校へ進学するらしい。でも恵は、同じ三年間で会社のエースになっていることだろう。


 エースなら、お金もザックザク。東京に豪邸を建てて、じーじと上級ライフすることも夢じゃない。


「長生きしてね」

「カッカ、オラァ不死身だべ」


 これが、じーじの最後の噓だった。

 一週間後、じーじは、いなくなった。


 独りになった。突然だった。

 現実を受け入れるのは難しかった。


 涙は出なかった。だって、三回目だから。

 最初はパパとママ。次はばーば。そして、じーじ。


 恵は、空っぽになった。

 億万長者? なにそれ、バカみたい。不可能だよ。


 こんな田舎にぽつんとひとり。

 頼れる大人もコネも無い。ただの小さな女の子。


 お葬式なんかは学校の先生が手を貸してくれた。後見人とか生活保護が云々という話が淡々と進んだ。


 恵は、国に養われながら大人になれるらしい。

 毎月お金がもらえる。それはきっと、恵の同級生が大人になってから普通に働いて得られる額より多い。


 なーんだ。

 じゃあ、何もしなくていいじゃん。

 

 恵は怠惰な日々を過ごすことにした。

 でも二日で辛くなった。家を出て、まだ卒業する前だった学校に顔を出すと、すごーく可哀想な人として扱われた。


 独りにして。

 一言で、願いが叶う。


 少しだけ静かになった後、すぐにいつもの騒音。

 騒がしい教室で、スマホをもらった日と同じことを考えた。


 人生は科学だ。結果には必ず原因がある。

 でもそれは、あまりにも不平等だ。だって、多くの原因を作るのは、自分ではなく親なのだから。


 恵は可哀想な子供になった。

 きっとこれは、生まれる前から決まっていた。


 どうしようもない。

 仕方がない。どうにもならない。


 世界がふわふわしていた。

 夢の中を生きているような気分だった。


 誰もいない家に帰ると、何も聞こえなくなる。

 ぼんやりとした気分で、じーじから最後にもらったスマホを手に持って、あれこれ見ていた。


 そして、仮想現実と出会った。

 現実とは異なる世界。人の手でゼロから作る世界。その夢のような世界が当たり前になった未来に想いを馳せた瞬間、涙が流れた。手足が震えて、嗚咽が止まらなかった。


 意識していたわけではない。

 何か明確な願い事があったわけでもない。


 ただ、瞬時に理解した。

 その世界はきっと、恵が一番欲しいものだ。


 すぐに走り始めた。

 じーじから正月にもらった一万円札だけポッケに入れて、仮想現実に力を入れている会社に向かった。


 そしてこれは、恵が独りになってからの話。

 

 はじめて見た都会は、おっきかった。

 右を見ても左を見てもビルばかり。正面にあるビルを見上げていると、真後ろにあるビルが目に映る。


 スマホの地図と睨めっこしながら、仮想現実に力を入れているらしいカーグリーバー株式会社の本社を探して歩いた。


「……位置情報、全然違う」


 ぴょんぴょんワープする現在地。

 すっごく苦戦して、東京に着いたのは昼間なのに、ビルに到着したのは夕方だった。


「こんにちは、カーグリーバーの人?」


 ビルを出入りしている人達に声をかけた。

 本社ビルなのだから、出入りする人は関係者だけだと思っていたけれど、意外と無関係な人も多かった。


「雇って」


 ようやく見つけた人に直球でお願いした。


「……ええっと、お母さんとお父さんは?」

「お空の上」

「……ああ、うん、ごめんね。おじさん忙しいから」


 恵を無視して帰ろうとする。

 もちろん逃がさない。回り込んで通せん坊した。


「プログラミング、できるよ」

「……」


 露骨に困った顔をされたけれど、構わない。


「雇って」

「……君ね、もう暗いから早く帰りなさい」

「帰らない」


 多分、四十歳くらいのおじさん。

 恵より頭ひとつもふたつも大きくて、不機嫌そうな顔をされると、正直怖い。でも恵は目を逸らさない。


 ──ひとつ目の幸運。

 おじさんの後ろから別のおじさんが現れた。


 最初のおじさんが事情を説明すると、次のおじさんは膝を折って、恵と同じ目線で、言った。


「どうしてうちで働きたいのかな?」

「仮想現実」

「ほー、よく知ってるね。君、小学生だよね?」

「違う。中三。もうすぐ卒業」

「あっ、中学生なのか。ごめんね。間違えちゃった」


 おじさんはにっこり笑って、質問をした。


「どうして仮想現実に興味を持ったのかな」


 恵は理由を考えた。

 言語化するのは難しかった。


「リセットしたい」


 頭が痛いほど考えて絞り出したのは短い言葉。


「スタートラインを、同じにしたい」

「どうして?」


 おじさんは質問を繰り返した。


「……人生は、科学だから」

「どういうこと?」

「結果には原因がある。恵は、自分で決めたい」


 背景知識を省略した子供の言葉。大人だけの世界で同じことをすれば誰も耳を傾けてはくれないだろう。


「この人生は、恵のものなの! 全部他の人が決めるなんて! おかしいの!」


 後で思い出して恥ずかしくなるような絶叫をした。客観的に考えれば支離滅裂で、擁護できる部分は全く無い。


 おじさんは、まず目を丸くして、次に笑った。


「何ができる?」

「プログラミング」

「言語は?」

「シーだけ」

「ウチはジャヴァしか使わない」

「一日あれば覚える」

「その程度で通用すると思う?」

「思う」

「根拠は?」

「無い」

「それじゃあ雇えないなあ」

「証明する!」

「どうやって?」

「何か、作る」

「具体的には?」

「そっちが決めて」


 会話を続ける度に、おじさんはどんどんニヤけた。正直、気持ち悪かった。


 やがておじさんは立ち上がり、ポケーっと見ていたおじさんに向かって言った。


「面白い子じゃないか」

「本気ですか? 中学生ですよ?」

「いいじゃないか、スティーブみたいで。こんな子が日本にいるなんて驚いた。きっと将来は大物になる。僕は今からインタビューの答えでも考えておくよ」


 果たして恵はアルバイトとして雇われた。

 おじさんは良い人で、学校指定のジャージを着た恵に服と住む場所を用意してくれた。


「いいかい、これは親切なんかじゃない。君に対する投資だ」

「意味不明」

「がんばってくれってことだよ。期待してるからね」


 恵は頷いて、勉強を始めた。

 配属された部署には、配慮があったのか女性社員が一人だけ居た。恵はいっぱい子供扱いされながら仕事をした。


 この会社には好きな部署に異動できる制度がある。自ら希望を言って、その部署のボスに認められれば、誰でも異動できるらしい。


「どれくらいがんばれば、認められる?」


 いっぱいがんばれば、きっと認められる。

 恵は親切な人達の言葉を信じてがんばった。


 最初に与えられたのは、表計算ソフトを使った退屈な仕事だった。頼まれた分はいつも直ぐに終わらせて、空いた時間は全て勉強に使った。


 一年が経った。

 恵に与えられるのは、表計算ソフトを使った退屈な仕事だけだった。


 周りは「がんばれ」と口を揃える。

 恵は、いっぱいがんばった。待ってるだけじゃなくてアピールもした。社内でイベントがあれば積極的に参加して名前を売った。


 二年が経った。

 恵に与えられるのは、表計算ソフトを使った退屈な仕事だけだった。


 フラストレーション。

 仮想現実の新しいニュースは次々と生まれるのに、二年前は最先端だったはずのカーグリーバーは、何も無い。


「大丈夫。恵ちゃんは、まだ若いから。いつかきっとチャンスがあるよ」


 誰かが言った。恵は怒った。

 仮想現実では、年齢も性別も外見も関係ない。そういう世界を作ろうとしているのに、どうして作る側が年齢なんて言葉を使うのか理解できなかった。


 あるとき、恵に親切な女性社員が誰かと話をしているのを聞いた。


「恵ちゃん、そっちに入れられませんか?」

「めーぐーみ? あー、あのガキね。無理無理。中卒のガキが通用する場所じゃないから」

「一度で良いので、きちんと見てあげてください。私が言っても説得力は無いかも知れませんが、あの子は天才です」


 耳を塞いで立ち去った。

 恵だけじゃない。他の人もがんばってくれてる。


 一秒でも長く勉強しなきゃダメだ。

 誰よりもがんばって、認めさせてやるんだ。


 三年が経った。

 同じ部署に異動を希望できるのは、三回までというルールがある。だから、ラストチャンスだった。


 寝る間も惜しんでがんばった。

 世界中の全ての人がチャンスをあげたいって思えるようなプレゼンを用意した。脳が千切れそうなくらい考えた。


 恵の能力をアピールできる最後のプレゼン。

 順番が回ってきたとき、手足が震えた。怖かった。自信はあるけれど、もしも今回もダメだったら、恵は二度と夢に挑むチャンスを得られない。


 ──恵は賢けぇからでぇじょうぶだ。


 じーじの声が聞こえたような気がした。

 そんな幻聴に背中を押されて、勇気が出た。


 我ながら最高のプレゼンだった。

 一通りの発表が終わると懇親会が始まる。


 プレゼンターの周囲は賑やかだった。今回は外部の人も参加しているようで、とにかく人が多かった。


 恵のところにも人が来た。

 でも、みんな子供を見る目をしていた。


 面白かったよ。

 それだけ言って、すぐに他の場所へ移動した。


 ……ああ、そっか、ダメか。ダメだったのか。

 独りになったタイミングで、ガクッと俯いた。


 もしも恵が普通の人生を歩んでいたら、きっと今頃は大学受験に向けて猛勉強していたのだろう。


 それと比較したら、会社に飛び込んで、雇われて、こうしてイベントでプレゼンをする機会まで得られた自分は、特別なのだと思う。


 ……意味が、無い。結果が、無い。


 とても惨めな気持ちになった。自分を慰めるような言葉が頭に浮かんだことで、いわゆる挫折を自覚した。


 悔しくて悔しくて、でも涙は流さないように、血の味がするほど歯を食いしばって耐えていた。ここで泣いたら、もう二度と立ち上がれないような気がした。


「恵ちゃん」


 聴き慣れた声。

 ビクッと肩が跳ねて、反射的に背を向けた。


 走って、逃げた。

 エレベーターは使わず階段を駆け降りた。


 何十階もある階段。

 途中で疲れて、踏み外して、落ちた。


 血は出なかったけれど、すごく痛かった。でも気にならなかった。違うところが、もっと痛かったから。


 立ち上がって、また走って、また落ちた。

 また立ち上がって走ろうとして、力が出なかった。


 唇を噛んで、歩いた。

 頭の中がグチャグチャだった。


 三年間。こんなにがんばったこと、なかった。自分だけじゃない。他の人にも助けられながら……


「……なんで?」


 何がダメだったのだろう。

 何が、足りなかったのだろう。


 一番下の階を目指しながら、考えた。

 恵には足りないところなんてひとつもない。自信を持って言えるくらいに準備をした。少しでもダメだと思ったところは全て直した。それでも、ダメだった。


 階段が終わった。

 ドアを開けようとして、動かない。


 電子ロックを思い出した。名札に挟まれたカードでロックを解除しようとして、名札が無いことに気がついた。


 多分、転んだときに落としたのだろう。

 力が抜けて、床に膝をついて、俯いた。


 瞬間、ドアが開いた。

 顔を上げて、目があった。


「不思議だな」

「……何が?」

「今日のプレゼン、君が圧倒的な一番だった。なのに君は俯いている。何か理由があるのかな?」

「……ダメだったから」


 恵は支離滅裂な話をした。

 彼は話を聞き終えると、最初と同じことを言った。


「不思議だな。本当に」


 そしてこれが、ふたつ目の幸運。


「それほどの想いがあるならば、自分で作ればいい」


 恵は、ぽかんと口を開けた。

 当たり前の発想だった。でも恵は最初に決めた目標に囚われていて、一度も考えなかった。


「俺は神崎央橙」


 彼は床に膝をつくと、手を伸ばした。


「ファンになりました。是非、投資させてください」


 恵は、その手を摑んだ。

 そしてこれは、愛と出会うまでの話。


 恵は彼から資金を得て会社を辞めた。

 じーじと過ごした家に戻って、大掃除をして、研究を始めた。


 理論だけは頭の中にあった。

 最初のうちは次々と結果が出た。一年もあれば求めている技術が形になるのではないかと思った。


 実際、できた。

 電気信号によって触覚を生み出す技術は、一年ほどで完成した。でも、その先が難しかった。


 仮想現実に存在する物質に触れたとき、現実と全く同じ感覚を与えること。これが、本当に難しい。


 大雑把な刺激を与えるのは簡単だった。

 大体この辺という雑な精度でも、物に触れる感覚は再現できた。だけど、恵が求めていた技術とは違う。


 もっと完璧に再現したかった。

 もうひとつの現実を作りたかった。


 研究は遅々として進まなかった。

 恵が停滞している間も、他の研究者達による成果が次々と発表され続けた。


 やがてスーツ型デバイスの販売が始まった。

 恵が開発したのは腕などに装着するタイプの機械。スーツ型デバイスは、明らかに恵が開発したものより高性能だった。


 詳細は分からない。ビジネスだから公表されていない。だから信じるしかない。恵の目の前にある壁は、まだ壊されていないと信じるしかない。


 焦りが生まれた。

 身を引き裂かれるような思いだった。


 恵には、他には何もない。

 たったひとつのことに全て捧げている。


「……なんで、ダメなの」


 これが否定されたら、何も残らない。


「どうして結果が出ないの!?」


 何度目の実験だろうか。何度目の失敗だろうか。

 完璧だと思った理論が結果に否定されて、また振り出しに戻った。イライラして、真新しいメモを破り捨てた。


 ──電話が鳴った。

 懐かしい声を聞いた。


 しばらくして愛が現れた。

 これが、みっつ目の幸運だった。


 愛は天才だった。研究について基礎も知らなかったのに、スポンジみたいに知識を吸収した。


 論文とか研究メモというのは、その道を進む人だけが理解できるものだ。同じこと考えれば必ず出会う壁の壊し方が書いてある。壁を知らなければ、どれだけ読んでも本当の意味で理解することはできない。


 愛が寝落ちしている間、彼女がパソコンを操作したログを見た。目が飛び出るかと思うほど驚いた。


 それは、恵が三年かけて歩んだ道。

 愛はジェットエンジンでも装備しているかのような速度で走って、あっという間に恵の隣に立った。


 そして──


「……これ、行けたのでは?」


 その瞬間は、あっさりと訪れた。

 恵は愛に抱きついて、大声で泣いた。


 三年前に堪えた涙が、六年分の感情と一緒に溢れ出た。三年前とは反対の意味で頭の中がグチャグチャになって、何も考えられなかった。


「めぐみんは、どうして世界をリセットしたいの?」


 愛の質問。ほとんど無意識で返事をした。

 支離滅裂な言葉で、これまでの人生を全て話したような気がするけれど、ハッキリとは覚えていない。


 そもそも自分でもよくわからない。

 恵はどうしてリセットなんて言葉を使ったのだろう。


 イラッとしたことは覚えている。自分とは無関係に決まる人生が嫌だと思ったことは覚えている。だから全部リセットして、誰もが同じになれば良いと思ったことも覚えている。


 でも、まだ何か、違う理由があるように思えた。

 あの日、初めて仮想現実を目にして、その未来に想いを馳せたとき、もっと何か、違う感動があったような気がした。何かが手に入るような気がした。


「めぐみんは、寂しかったんだね」


 その言葉は驚くほど的確だった。

 グチャグチャだった感情の奥底にあるものが、鮮明になったような気がした。


 そうだ、恵は寂しかった。

 リセットなんてかっこいい言葉を口にしたけれど、そうじゃない。もっとシンプルだった。


 独りになって、可哀想な子になって、自分が周りとは違う存在に思えて、どんどん寂しくなった。


「……うん、寂しかった」


 皆が同じになればいいと思った。

 そのために新しい世界を作りたいと思った。


「……独りは、やだ。いやだよ」


 六年前、じーじがいなくなった。

 でも涙は出なかった。きっと当時、あまりにも悲しくて、一番大きな感情が、消えてしまっていた。


 ようやく、思い出した。


「……なんで、みんな、いなくなるの?」


 これ以上は無いくらいに単純な感情。あまりにも簡単で、逆に思い浮かばなかった言葉。尤もらしい理屈の下に隠れていた純粋な想い。


「……めぐみを、ひとりに、しないで」


 全部、この感情から始まった。


「……めぐみを、みてよ」


 愛が優しく背中を撫でてくれる。

 やめてほしかった。もう成人した大人なのだ。これ以上、子供みたいに泣き喚くのは、恥ずかしい。


 でも止まらない。

 息ができないほどに溢れ出た。


「……こんなに、がんばったの」


 子供らしい願いを叶えるために、がんばった。色々と小難しい理屈で防御力を上げて、がんばった。


「……こんなにも、がんばったから。だから!」


 愛は恵をギュッとした。

 言葉は無い。ただ静かに、優しく撫でてくれた。


 もう大丈夫、全部わかったよ。

 とっても、がんばったね。えらいね。


 愛の手が触れる度に、言葉が聞こえたような気がした。一秒毎に心が落ち着いていった。


 ……ああ、これ、再現できるのかな。


 そして、今終わったばかりの研究に、新しい課題を見つけた。でも恵は、この研究をすることはないだろう。


 だって、譲りたくない。

 この幸せな感情は、独り占めしたい。


「めぐみんは、これからどうするの」

「……どうしよっか」

「あれ、考えてなかった?」

「……うん、ノープラン」


 愛は肩を揺らして言った。


「半分、もらってもいい?」

「……何を?」

「一緒に考えよう」

「……うん、いいよ」


 恵は愛をギュッとして言う。


「友達になろう」

「もうなってるよ」

「……そっか。そうなんだ」


 泣き止んで、笑って、急に疲れを自覚した。

 強烈な眠気。恵は抵抗をやめて、脱力した。


「寝る」

「私も」


 一瞬の間。

 ほぼ同時に吹き出して、床に倒れた。


「……起きたら、お掃除しないと」

「いいんじゃない? このままでも」

「……そうかな?」

「そうだよ」

「……そっか」


 目を閉じる。

 ちょっとだけ眠るのが怖かった。次に目を開いたら全部が夢で、消えてなくなるような気がした。


 愛の手を握る。

 すぐに握り返された。

 たったそれだけで恐怖が消えた。


「めぐみん、私も、夢ができたよ」

「どんな夢?」

「……内緒」

「内緒禁止」


 ムッとして手を強く握る。

 返事の代わりに聞こえたのは寝息。


 はぁ、と溜息。

 おかしな友達だなと思いながら恵も目を閉じた。


 とても心地の良い眠りが、直ぐに始まった。

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