大人の夢 終
仮想現実の登場により、触覚フィードバックの研究は加速した。
最初は魔法の道具を生み出す研究だった。
あらゆる形状、質感を一瞬でヒトに伝える道具だ。
どうやって生み出すのか。
研究者達は、モーターや空気圧で皮膚に刺激を与える方法を考えた。しかし、ヒトの神経伝達速度は時速百キロを超える。このような速度を制御して、しかも形状や質感まで再現することは極めて困難である。
ところで触覚とは何だろうか。ヒトがモノに触れたとき、硬いとか柔らかいとか感じるアレの正体は、何なのだろうか。答えは脳が処理した電気信号である。
だから研究者は二手に分かれた。
一方は脳を騙す研究をした。
もう一方は、電気信号を脳に伝える研究をした。
山田の研究は後者である。
彼女はリング型の機械を開発した。これには、電気信号を生み出す機械とシングルボードコンピューターが搭載されており、リングならびに棒形の触媒を通じて電気信号の送受信を実現している。
──という具合に、私は一晩中話を聞いていた。
やがて太陽とおはよう世界グッドモーニングワールドしたところで、ちょっと休憩。散歩しながら情報を整理しようかと家の外に出て、そこで車を待たせていたことに気がついた。
ダッシュして頭を下げて平謝り。
運転手さんは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「こんなこともあろうかと、七日は過ごせる準備がございます。お気になさらず」
運転手って、過酷なお仕事なんですね……。
感動を胸に、何日か山田さんの家に泊まることを伝えると、彼は連絡先が記された名刺を渡して車に乗った。
ビシッと敬礼して見送り。車が最初の角を曲がったところで、ポケットからスマホを取り出して会社に連絡をする。
『お泊まりするから有給使うね♡』
送信後、空を見上げ、眩しい太陽に目を細める。
「ふっ、連絡を怠らない社会人の鑑だぜ」
ニヒルに笑って部屋へ戻ろうと踵を返す。
そこで、玄関の前に立つ山田さんと目が合った。
「愛? 急に力士みたいな声で、どうしたの?」
「うす、朝食はちゃんこ鍋がいいです」
「ちゃんこ? ……ごめんね。栄養食しか、ないよ」
……あー、冗談とか通じないタイプかな?
私は少しだけ泣きそうな気持ちで空を仰ぐ。
「ところで山田さん」
「恵だよ」
「じゃあ、めぐみん」
「めぐ……うん、なにかな?」
──瞬間、私の全身がスパークした。
彼女は表情が乏しい。いつも無表情だから、顔を見て感情を読み取るのは難しい。でも笑顔だけは違う。
めぐみんと呼ばれた直後、彼女は驚いた様子で目を丸くした。それから感情を抑えるためか口を一の字にしたけれど、ふにゃんとした笑みは隠せていない。
……ダメよ、ここで興奮してはダメ。
心の中で深呼吸ひとつ。会話を続行する。
「あらためて、めぐみん? どうして外に?」
「それは、えっと……笑わない?」
ごくりと息を呑む。
これは吐血するほどかわいい返事が来るパターンだと愛ちゃんセンサーが警鐘を鳴らしている。
「うん、笑わないよ」
心の準備をして、気持ち的にイケボで返事をした。彼女は斜め下に目を逸らすと、胸の前で人差し指をつんつんしながら、恥ずかしそうに言った。
「ほんとに朝まで話しちゃったから、ほんとは聞くの嫌で、怒って帰っちゃったのかなって……」
ガハッ──アアアアアアアア!?
おきゃっ、きゃわっ、おきゃわわわわわわわ!?
……あぶ、危なかった。どうにかMP(まだ引き返せるパワー)を消費して耐えられたけれど、あと少しで理性を失うところだった。
パンッと頬を叩く。
私はここに遊びに来ているわけではない。だから、気持ちを切り替えて、真面目な質問をしよう。
「エクスプロージョンって言ってみて」
「……なぜ?」
「ごめん間違えた。ちょっと待ってね」
彼女に背を向けて、深呼吸をひとつ。
もう一度、パンッと頬を叩いて、集中する。
振り返る。心なしか不審者を見るような目をされている気がするけれど、ひとまず忘れる。
私の目的は、夢を見つけること。
そのために色々な人から話を聞いている。
職権を有効活用して塾の受講生から話を聞いた。
神崎さんから話を聞けることになって、起業を夢見る人達のプレゼンを目にした。
共通点があった。
どちらも、お金の話ばかりしていた。
お金は大切だ。気持ちは分かる。
私も五千兆円欲しいと思うことがある。
お金があれば、好きなことだけして生きられる。
でも、私の好きなことって、なんだろう。
お金が無限にあっても、何をすればいいのだろう。
思い出すのは、会社を解雇され無職だった時間。
社会人六年目で一人暮らし。家と会社を往復するだけの生活で、特別な出費はオタク趣味だけ。私には、そこそこ貯金があった。
だからソシャゲに課金したり、マンガやラノベを読んだり、アニメを見たり、少し高度なコスプレ衣装を作ったり……とにかく自由な時間を過ごした。
満たされなかった。
大好きな趣味なのに、没頭している時間は不気味なくらい頬が緩むのに、どんどん虚無感が強くなった。
よくサブカルを「現実逃避」と批判する声がある。でも私は身を持って知った。現実逃避は、現実と向き合っている人の特権なのだ。
私は、どこにでもいる平凡な女の子だ。
とても流されやすい。いつもいつも周りに流されて生きている。ゼロをイチにした経験は一度も無い。
だから、だからきっと、輝いて見えた。
ゼロをイチにする人達が、とても輝いて見えた。
知りたいと思った。
どうしたら、あんな風になれるのだろう。
ケンちゃんは、尊敬していたエンジニアがきっかけで世界を変えたいと言っていた。神崎さんは、名前を歴史に残したいと言っていた。その理由は聞けなかったけれど、子供が語る夢とは違う何かを感じた。
きっと、大人の夢には理由がある。
大人が語る夢物語は、確かな現実の先にある。
私は知りたい。
その心に、何があるのか知りたい。
「めぐみんは、どうして今の研究を始めたの?」
色々な気持ちを整理して、短い言葉で質問した。
「……」
彼女は小さく口を開いて、閉じた。おそらく即座に言葉を返そうとして、直前で考え直したのだろう。
きっと、私が何を求めているのか考えている。
もちろん答えは無い。私自身にも説明できない。
どれくらい沈黙が続いただろう。
季節は冬。肌寒い朝の時間。だけど身体は汗が出るほどの熱を発している。やがて、じわりとした感覚が背中に生まれた頃、彼女は再び口を開いた。
「リセットしたい」
そして、静かに話を始めた。
「世界は、とても平等。原因があって、結果がある。でも、この人生の原因は、この人生じゃなかった」
その小さくて淡々とした声には、しかし呼吸を忘れるほどの迫力があった。
「スタートラインは、原始時代。この人生は、何千年も……違う、もっと、もっと前から始まってる」
どうすればいい?
彼女は誰かに問いかけた。
「どうにもならない。だから、リセットする」
「……それで、仮想現実?」
「うん。あの世界なら、生まれも、育ちも、性別も、外見も、全部、関係ない。みんな同じ」
「……どうして、リセットしたいと思ったの?」
この人生の原因は、この人生じゃなかった。
スタートラインは原始時代。だからリセットする。
言葉の意味は理解できる。
きっとシンプルに、人生が不平等という話だ。
誰もが一度は不平等を感じたことがあるだろう。私にもある。でも私は、世界をリセットしたいと考えたことは無い。
「……内緒」
長い沈黙の後、彼女は呟くような声で言った。
残念だけど、まだ好感度が足りないらしい。
「そこをなんとかっ!」
でも諦めない! 一回は食い下がるよ!
「……内緒」
くっ、ダメか。
私はガックリ肩を落として、別の話題を始める。
「めぐみんの研究、ちょっと邪魔してもいいかな?」
「やだ」
即答!?
まさかの返事が胸に刺さる。
「手伝うなら、いいよ」
思わず息を呑む。
それは見事なフェイントだった。
「ありがと。じゃあ、まずはシャワーでも浴びたいかな。お風呂、借りてもいい?」
「ないよ」
「え?」
「銭湯まで、徒歩で、ニ時間くらい」
……うそ、でしょ?
「テレビは?」
「ないよ」
「ラジオは?」
「ないよ」
「自動車もそれほど走って?」
「……ないよ?」
いやぁ! 私ァ、こんな村いやだァ!
「……今の、なに?」
「シリアス強かったから、中和しよっかなって」
「……愛は、たまに変だね」
「あはは、よく言われるかも」
苦笑すると、彼女はクスッと笑った。
その笑顔がとてもかわいらしくて、私は、二時間の徒歩なら、まあ余裕かなと思える程度のエネルギーを手に入れたのだった。
* * *
お風呂でリフレッシュ!
その時間で、めぐみんは詳細な説明をしてくれた。
徒歩で往復四時間。たっぷり話が聞けた。
どれも専門的な内容だったけれど、一晩かけて背景知識を聞いたおかげで、ふんわりと理解できた。
現在、彼女は最後の課題に挑んでいる。
それはリアルとバーチャルの融合である。
触覚フィードバックは、自動的に行われるわけではない。仮想世界に合わせて、電気信号を制御する必要がある。
どうやって?
もちろん、プログラムで。
プログラムは魔法とは違う。
とても厳密にルールを定義する必要がある。
例えばスマホ。
アイコンをタップしてアプリを起動する機能。
まずタップとは何か定義する必要がある。アプリの起動についても同様だ。もちろん、タップされた場合に、その座標にあるアプリを起動する動作についても定義しなければならない。
めんどくさい。
とても簡単な動作でさえ、とっても大変なのだ。
さて、仮想世界に存在する物体に合わせて、触覚をフィードバックするには、どのようなルールを定義する必要があるのだろうか。
「人間には、無理」
だから彼女はAIの力を使った。
「
「最初は、そう。でも今は違う」
単語だけ知っていた言葉で質問すると、彼女は「深層学習、説明できない問題」について教えてくれた。
深層学習はデータを使って予測を行う。
重要なのは、絶対ではないこと。あくまで予測だから必ず間違いが起こる。しかし理由が説明できない。なぜ間違えたのか理解できなければ、対策できない。
「今は、LGB使ってるよ」
「える、じー、びー?」
決定木という有名なアルゴリズムがある。
例えば、お店の売り上げを予測したい。そのために条件をふたつ用意する。晴れか雨か、平日か休日か。すると四通りのルールができる。
例えば、休日で晴れなら五万円。
例えば、平日で雨なら一万円。
全てのルールを図で表現すると、まるで木の枝が分かれているように見えるから決定木と呼ばれている。
LGBは決定木を応用している。
このため予測結果の導出過程は条件分岐という単純なルールで表現できる。ただしルールの数は人間に処理できる数とは限らない。
「残ったのは、三千通りくらい」
聞いただけで脳が震える数字だった。
以上、難しい話。
要するに最後の課題とは、約三千通りのルールを理解して、リアルとバーチャルを融合すること。
「任せて」
私は胸を張った。
まさに、運命だと思った。
「得意だよ! そういうの!」
オルラビシステム。
正確な数は覚えていないけれど、あのときも、膨大な数のルールを処理していた。
「……うん、頼るね」
こうして、とても長い一週間が始まった。
* * *
一日中パソコンと睨めっこ。
いつの間にか外が暗かったり、明るかったり、時間の感覚が曖昧な一週間だった。
疲れて、ちょっと休憩するつもりで目を閉じたら、何時間も経過していたことがあった。
食事は冷蔵庫にストックされた栄養食。
お風呂は、一週間の間に二回だけ銭湯へ行った。
私は、めぐみんと意見を出し合って、何度もトライアンドエラーを繰り返した。
行き詰まったとき、彼女は床で大の字になって研究メモを見た。私も隣に寝転がると、ほっぺを引っ張られた。
「なんだよぅ」
「……ダメ?」
断れるわけがない。
私も反撃すると、パクッと指を嚙まれた。
ケラケラ笑い合って、また研究。膨大なルールと睨めっこして、考えて、閃いて、何度も失敗した。
「ピーワンツーとピーツースリーは共通じゃない?」
「違う。似てるけど、たまにピーツースリーの値がピーフォーツーと連動する。でも、そのときピーフォーツーとピーワンツーは連動してない」
「何か特別なルールがあるのかな?」
「あれ読んで」
私は初日から何度も質問した。もちろん、私がパッと浮かぶような疑問ならば、めぐみんも同じだ。怖いくらいに過去のメモが残っていた。
「やっぱりこのアルファ波の定義は強引だよ! これが前提になってるところ全部怪しい!」
「違う! データが残ってる! 見とけ!」
荒っぽい口調で議論をしたこともあった。その甲斐あってか、私の理解は急速に深まっていった。
最初は言葉だけで会話していたけれど、そのうちプログラムを見ながら会話するようになった。
「これ、どうかな?」
「六行目、アルファとベータが逆」
「あっ、やらかし」
「他は、良さそう。愛、被験者やって」
「えー、たまにはめぐみんやってよ」
「やだ、ビリビリする」
続く、続く、研究は続く。
めぐみんの研究は、あと一歩という段階だった。
しかし目の前には、とても大きな壁があった。
私達は、何度も何度も挑戦した。完璧だと思った理論が結果に否定されて頭が真っ白になっても、すぐに立ち上がって再挑戦した。
「めぐみんって、どれくらい研究してるの?」
「六年くらい」
「わーお、今いくつだっけ?」
「にじゅう……いち?」
二人とも疲れて横になっているときに、話をした。
「中学を卒業したあたりから始めたってこと?」
「うん、そうだよ」
「高校は?」
「行ってない」
「わーお。もしかして、ずっとここで?」
「ううん。最初は、会社にいたよ」
「……そっか」
少しだけど、彼女は自分のことを話してくれた。
「かっこいいな」
「……なにが?」
「だって、かっこいいよ。中学出て、すぐ研究を始めて、自分の年齢が曖昧になるくらい没頭して……私には、無理だろうなあ」
私は彼女を心から尊敬した。
「……愛も、すごい」
「ううん、私は全然だよ」
「じゃあ、すごくない」
「ひどぉ!?」
「……どっち?」
「褒めて!」
「……じゃあ、すごい」
「うへへへ、めぐみんは良い子だなあ」
とても仲良くなれた気がした。
「よし、再開しよっか!」
「うん、そうだね」
そして──
その瞬間は、あっさりと訪れた。
「……これ、行けたのでは?」
「ほんと? また寝ぼけてない?」
「多分、大丈夫。めぐみん、試してみて」
「……うん、やってみる」
めぐみんに機械を装着してプログラムを起動する。
私から見れば、彼女は謎の機械を装着して、何も無い場所で手を動かしている変な人。しかし彼女には別の世界が見えていて、そこにある物に触れている。
「……ほんとだ」
「ね? 行けてるよね!?」
めぐみんは頷いて、慣れた様子で頭部の仮想現実デバイスを外した。それを確認してから、私は体当たりみたいな勢いで抱き着いた。
「やっっっった! やっと、やっと、やー!」
語彙力が弾け飛ぶ。私は小さな身体をギュッとして、少し掠れた声で叫んだ。
「……これ、夢?」
「違うよ! 夢じゃないよ!」
めぐみんの肩を掴んで、顔を見て言った。
「愛、目の下、真っ黒」
「めぐみんこそ」
相変わらずの無表情。
喜びというより、驚きがあるのかもしれない。
私も、オルラビシステムが正常に動作したのを確認した直後は、しばらく言葉が出なかった。
「おつかれ」
労いの言葉をかける。
めぐみんは呆然とした様子だった。
「ほんとに、夢じゃない?」
「ほっぺ摑もうか?」
「……うん」
むにーってする。
「……いたい」
めぐみんは掠れた声で言う。
「……夢、じゃない」
ドンッ!
音がするほど強く床を蹴って、私に抱き着いた。
どうしたの?
質問するよりも早く、彼女は号泣した。これまでのイメージからは想像もできないような声で、わんわん泣いた。
私は、呆気に取られて動けなかった。
どうして泣いてるの?
想像することはできる。それだけ強い思いがあったのだろう。私からすれば、ほんの一週間の出来事だけれど、彼女は違う。
六年。それは大人の六年ではない。
とある少女が中学を卒業してから、あるいは卒業する前から始まった、長い長い六年間だ。
どれほど強い感情があるのだろう。
きっと言葉にはできない。私には、理解できない。
それでも、聞かせてくれたら嬉しいな。
それから今後についての話もしたいな。
彼女より少しだけ大人な私は、小さな背中をさすりながら、冷静に物事を考えていた。
……私も、夢を見つけて、それを形にできたら、こんな風に、泣けるのかな。
「これで、世界をリセットできそう?」
「……まだ、無理ぃ」
「あらら?」
「……でも、ちか、づいた、はず」
意外と頭は冷静なのかもしれない。
少し無粋なことを考えながら、私は再び質問する。
「めぐみんは、どうして世界をリセットしたいの?」
彼女は鼻をすすりながら、真っ赤に腫れた目で私を見た。そして、話を始めた。
一週間前には内緒と言って教えてくれなかった話。それを聞き終えた私は、探していたものを見つけられたような気がした。
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