大人の夢 3
上野駅。
日本が有するダンジョンのひとつ。
東京は恐ろしい場所で、いくつかの駅は、私のような田舎者からダンジョンと評されている。様々な路線が繋がったり千切れたりして今日に至る駅構内は、まるで短い納期で改修が繰り返されたソースコードのように複雑なのだ。
きっと迷う。
だから少し早めに家を出ることにした。
神崎さんについては昨夜のうちにググった。予想通りウィキがあって、なんかもう凄かった。そんな人を相手に遅刻したら大変だ。
私は家を出る直前にスマホで地図を開いて、ふと気がついた。これ、ダンジョン回避できるのでは?
銅像と最も近い出口は、地図を見る限りでは駅を通らずに到達できるっぽい。
果たして、あっさり到着。
私は想定より早く目的地に着いた。
……正午って十二時ちょうどだよね?
まだ三十分以上も余裕がある。
せっかくなので、銅像の写真を撮ってケンちゃんに送る。そのあと肉眼でじっくり眺めた。
犬を連れたダンディなおじさま。
感想終わり。あんまり興味ない。
銅像の周囲をクルクル歩くと、説明文みたいなものがあった。
読みにくい。もっと近付きたいけれど、柵があって無理。仕方ないので腰を曲げて顔を近付けた。
「はえー」
言葉遣いに時代を感じる文章だった。
そして、最後の部分ですごいなと思った。
西郷隆盛は、犯罪者扱いされていた。だが、死後に天皇が「実は良い人だったぜ」と彼を認めた。これに感動した友人が「銅像作ろうぜプロジェクト」を始めた。このプロジェクトに、なんと二万五千人の有志がお金を出したらしい。
現代におけるクラウドファンディングみたいなものだろうか。
ちょっと気になったからスマホでググる。
一番上に出てきたサイトを開く。アニメ・漫画のカテゴリを支援者数順でソートする。一位は私も知っている大人気漫画で、支援者は約五千人だった。
現代で、大人気漫画で、五千人。
ネットが無い時代に二万五千人の支援者が集まった彼は、どれだけ尊敬されていたのだろう。
あらためて銅像を見上げる。
最初よりも神々しく見えた。
「ははー」
とりあえず手を合わせて拝む。
この間、五分。まだまだ時間がある。
周囲を見る。観光地だからか人が多いけれど、神崎さんっぽい姿は見当たらない。
暇なので、あちこちに目を向けながら歩く。
ひとまず目についたデカい岩に向かう。どうやら、お墓らしい。ここにも説明文みたいなものがないかと探したけれど、暗号みたいな文章が記された石碑しかなかった。
また周囲に目を向けると、お寺があった。その手前には少し広い道があって、犬を連れた人がちらほら。お散歩コースなのだろうか。
わんこ可愛いな。
ちょっと幸せな気持ちで広い道を歩く。
上野公園。
都会なのに木がいっぱいある綺麗な場所。
今は十二月で、ちょうど紅葉の季節らしい。
カラフルで、とても綺麗。見上げていると、ここが東京であることを忘れそうになる。
ふと我に返って前を見る。
歩きスマホならぬ歩き紅葉。ぶつかったら大変だ。
そして──目を奪われた。
視線の先。
一人の男性が、立ち止まって木を見上げている。
周囲には他にも沢山の人がいる。彼の服装や外見に目立つ要素なんか無い。だけど、その存在感は圧倒的だった。
「……神崎さん?」
ぽつりと呟いた。
彼は儚げな表情で私に目を向けた。
「おおっ、佐藤さん!」
パッと目を開いて、キラキラした表情で駆け寄ってくる。
「また会えて光栄です。しかも予定より三十分も早い。今日は素晴らしい日になりそうだ」
尻尾を揺らす犬のように上機嫌だった。私は直前に感じた雰囲気とのギャップに少し戸惑いながら、挨拶をする。
「こちらこそ、今日はありがとうございます。少し早く着いちゃったので、お散歩してました」
「なら俺と同じだ。気が合いますね。佐藤さんと思考回路が近いなんて嬉しいな」
うん、すごく思い出した。
なんかメッチャ褒めてくるチャラい人。
しかし、その正体は謎多きエリート!
五年前、シリコンバレーに彗星の如く現れる以前の経歴は一切不明。だが彼の起こした会社は瞬く間に成長して、上場を果たしたらしい。
私には上場がどれくらい凄いのか分からないけど、ウィキには「一兆円以上の資金を調達」と記されていた。なんかもう桁違いだった。
その他にも沢山の情報が記されていたけれど、私は途中で読むのをやめた。なんとなく、他人の日記を読んでいるような気分になったからだ。
「佐藤さん、お昼は食べましたか」
「いえ、まだです」
「それは良い! 実は食事を用意しました。まだ少し早いですが、時間になったらご馳走させてください」
「いえいえ、悪いですよ。お話を聞かせて頂くだけでもありがたいのに。むしろ私がご馳走します」
早口で返事をすると、彼はぽかんとした表情を浮かべた。私は何か変なことを言っただろうかと考えて、すぐに気がついた。
神崎
そんな相手に対して何をご馳走するというのか。
「いやあのっ、冗談です。お言葉に甘えてムシャムシャ食べます」
慌てて訂正すると、彼はハハハと豪快に笑った。
「本当に愉快な人だ。ええ、ムシャムシャ食べてください」
カーッと顔が熱くなる。恥ずかしくて俯きながら唇を噛むと、またハハハと笑い声が聞こえた。
くっそぉ、ケンちゃんだったら腹ペチするのに~!
「ところで佐藤さん、イベントに集まったのは何人でした?」
「えっと、五千人ちょっとです」
「五千……西郷さんの二割か」
何の話だろう?
気になって顔を上げる。
神崎さんは、どこか別の場所を見ていた。その方角には、木に隠れて見えないけれど、西郷隆盛の銅像がある。
「教科書に載るのは、まだまだ難しそうだ」
そして彼は、最初に見た時と同じ儚げな表情を浮かべて呟いた。
教科書に載る。まるで小学生が口にするような言葉だ。仮にケンちゃんが同じことを言ったなら、私は大笑いしただろう。しかし彼には、相応の実績がある。
「神崎さん、教科書に載りたいんですか?」
「ええ。神崎央橙の名を歴史に刻むこと。それが俺の夢です」
彼は微笑みを浮かべ、堂々とした声で言った。
その夢は、まさに私が探している類のものだった。
大人が夢を語る時、まるで子供のようにキラキラと瞳を輝かせて、普通ならば気遅れするような言葉を、臆面もなく口にする。だけどそこには、子供とは違う何かがある。
あの日、イベントを終えて、知りたいと思った。
私は、このキラキラした何かの正体を知りたいと思ったのだ。
……えっと、何を話そうかな。
悩んでいると、神崎さんが急にパンッと手を叩いた。
「教科書といえばオルラビシステム! あれは間違いなく歴史に残りますよ! いや何度思い出しても興奮するな。特に、未知の言語もアルゴリズムも全て解析して共通化する発想! 俺の部下が同じことを言ったら鼻で笑いますよ。それをたった一人で形にするなんてありえない! ──っと、いけない。今日は俺の話をする日でしたね」
……愉快な人だなあ。
「イベントでも言いましたけど、私が関わったのは半分くらいですよ」
「それ、謙遜になってませんよ。あれは世界中の専門家を集めて、少なくとも十年は研究が必要な代物だ。その五割を一人! しかも五年弱で! 天才なんて言葉では足りない。心から尊敬します」
「……ど、どうも。あざます」
なんか最近めっちゃ褒められる。
実は私、すごいのでは? ……なんちゃって。
「さて佐藤さん。食事まで少し時間があるので、少しだけ観光に付き合ってくれませんか? 上野公園には何度か来ているのですが、ゆっくりしたことはないもので」
「ああ、はい。いいですよ」
「ありがとうございます! じゃあ行きましょうか」
彼は上機嫌でお寺に向かって歩き始めた。その背中を追いかけて、お寺の間にある狭い道を通る。
ほんの数メートル歩くと、景色が変わった。
足元には下りの石階段。その先には少し広い道があり、数え切れない程の人が歩いている。そして、鮮やかな赤と黄色で彩られた幻想的な世界。
わぁ、と声が出そうだった。
とりあえず写真を撮ってケンちゃんに送る。
「池の方に行きましょう」
神崎さんの言葉に頷いて、下の方に目を向けた。
綺麗な紅葉の向こう側、太陽の光を反射して輝く池が見える。
ここは本当に東京なのだろうか。
自然を感じる景色にうっとりした直後、少し視線を上げたところで巨大なタワマンが目に入った。
……あ、うん。東京だ。
感動を奪われた気分だ。おのれ金持ち許すまじ。なーんてことを思いながら、あのタワマンを購入できそうな金持ちの背中を追いかける。
「想像以上に人が多い。逸れてしまいそうですね」
「そうですね」
「それから次の石階段。随分と角度が急ですね。下が見えない」
「あー、たしかに」
雑に相槌を打っていると、神崎さんは足を止めて、私に手を伸ばした。
「レディ、お手は如何ですか?」
……この人なに言ってんだろう。
「いや、結構です」
「ハハハ、フラれてしまいました。では注意して歩きましょう」
ちょっと失礼な断り方だったかなと思ったけど、神崎さんは気にした様子もなく、また歩き始めた。
……ケンちゃんが同じことしたら片腹大激痛かな。
想像して、咄嗟に息を止める。本当に面白かった。
一方で神崎さんは、私の好みとは全く違うけれど、かなりのイケメンである。顔が良いと今みたいな台詞でも様になるのだなと、なんだか感心してしまった。
さて、ふたつの石階段を降りると、正面には立派なお寺。その裏には無数のタワマン。なんだか不思議な気分になる組み合わせだった。
はえー、と思いながらお寺へ向かう神崎さんの背中を追いかける。彼は途中で足を止めると、何か見つけた様子で右側に移動した。
「佐藤さん、見てください。めがね之碑ですって」
言われて目を向ける。
線で繋がったふたつの丸と、めがね之碑という主張の激しい文字。
……眼鏡がおっぱいにしか見えない。
「へぇ、徳川家康って眼鏡使ってたのか」
「べんきょうになりますねー」
ちょっと棒読みで相槌を打つ。隣に純粋な人が立っているせいで、なんだか自分が邪な人間に思えた。
「よし、次行きましょう」
神崎さんは満足した様子で砂利道を歩く。
私も後に続いて、ジャリジャリ地面を踏みながら歩いた。この感覚、なんとちょっと好き。
「これ踏むの楽しいですよね」
「そうですね」
今度は意見が一致した。ちょっと安心。
「お、ボートに乗れるみたいですね」
お寺の横を通り抜けて、今度こそ池のあるエリアに到達した。神崎さんが言ったボートは、見たところ二人か三人で乗るタイプの小さなものだ。
……動力は人力かな? 疲れそうだなあ。
「疲れそうだからスルーかな。んで、右側は獣臭いと思ったら動物園か。よし佐藤さん、左のコースを歩きましょうか」
上機嫌な神崎さんを追いかける。
なんだか子供と一緒にいるような気分だった。
「佐藤さん、カルガモですよ!」
はいはい、カルガモさんですね。
お母さんな気分で池に目を向ける。もふもふしてそうなカルガモが二羽、のんびり泳いでいた。
……あれ、水の中どうなってるのかな。
「あれ水の中どうなってるんでしょうね。足はあるだろうから、移動中は必死にバタ足……?」
「疲れそうですね」
「ハハハ、そうですね」
見える部分は優雅なのに、見えない部分は必死。その姿が、なんだかプログラマと似ているなと思ったところで、私は考えるのをやめた。
「見える部分は優雅なのに──」
「ストップ。神崎さん、そこから先は闇ですよ」
そんなこんなで、私と神崎さんは、普通の観光客みたいな会話をしながら池の外周にある道を歩いた。
「おっと、もう終わりか。意外と短いな」
池ゾーンを抜けて、タワマンに見下ろされる都会ゾーンに到着した。神崎さんが言った通り短い道だったけれど、私は普段あまり運動しないから、少しだけ足が痛いなと思った。
「まだ少し早いですが、食事、どうですか?」
「はい、お願いします」
「では行きましょう。すぐそこです」
神崎さんの視線を追いかける。そこには東なんちゃらと書かれたビルがあった。東の漢字が不思議な形だから、おそらく中華料理だろう。
……高そう。
ちょっとだけ緊張しながら歩く。
神崎さんは東なんちゃらのビルを素通りして、隣にあるタワマンに入った。
……えっ、そっち!?
* * *
ごきげんよう、庶民の皆様。
今わたくし、高みにおりますの。
あっ、痛いっ、やめて!
石はダメっ、投げないで!
なーんて茶番を演じてしまう程度に、私は混乱していた。
ケンちゃんの事務所よりも広いリビング。窓際には趣深い木製の机があって、私と神崎さんは向かい合う形で座っている。
右手にある窓を見れば、先ほど歩いた上野公園が一望できる。左手にはシェフ。そして正面には、美味しそうな音を鳴らすステーキ。
「──お食事が終わりましたらご連絡ください」
シェフ!
渋いおじさまは、丁寧に頭を下げてから退出した。
シェフの姿が見えなくなった後で、あらためてステーキに目を向ける。なんだか涎が出そうだった。
……グラム一万円くらいしそう。隣にあるライスもキラキラして見える。なんかもう、やばい。
「どうぞ、ムシャムシャ食べてください」
「あはは……そですね」
お無理でございます。こんなにお高そうなお肉ムシャムシャ食べられないでございます。
「……ええと、神崎さん、ここにお住みなのです?」
「いえ、今日のために借りました」
スケールがおかしい!!
こんなレンタル知らない!!
「……えと、おいくらくらいするのです?」
「遠慮はいりませんよ。俺の時給より安いので」
……神崎さんの時給、私の年収より多そう。
「……」
えっと、どうやって食べればいいのかな。
あわあわしていると、神崎さんがフォークとナイフを手に持って、手本を示すように食事を始めた。
私も真似してステーキを切る──柔らか!?
軽くナイフを引いただけで切れたステーキ。そして断面からジュワァッと美味しそうな汁が溢れ出る。
ごくりと喉を鳴らす。
もう一度ステーキを一口サイズにしてからパクり。
──ンンンン! 料理漫画なら全裸になるやつ!
私の知ってるお肉と違う!
ちょっぴり歯応えのあるプリンみたいに柔らかくて、嚙んだ瞬間に肉汁がブワッ! でも脂っこい感じは皆無で、とにかくもう服が弾け飛びそう。
……ライスをインしたらどうなっちゃうのかな?
私は再びステーキを一口サイズにカットして、ライスと一緒にスプーンに乗せた。ゆっくりと口に近づけて、パクり。
──ンンンンン!!
思わず仰反る。あ、やだこれ。涙出そう。
「ハハハ、美味しそうで何よりです」
「……あざます!」
学生みたいなノリで感謝を伝える。
最初の緊張はどこへやら。私はスッカリ食事に夢中だった。
「さて佐藤さん。夢を探しているという話でしたね」
ステーキを味わいながら頷く。
「率直に言えば、新規事業の検討ってことですよね。んで俺に聞くってことは、AI関連なのかな?」
私は水を飲み、口の中を空にしてから返事をした。
「ええっと、まだ事業とかそういうレベルのことは考えてないです。ただその……色々な人に、話を聞いています」
「はーん、なるほどね」
その笑みを見て、ピリリと背筋が痺れる。不思議な緊張感を覚えた直後、彼は低い声で言った。
「つまり俺は有象無象と同じ扱いってわけだ。それは悲しいなあ」
皮肉めいた言葉。その意味は私にも分かる。一瞬、何か弁明しようと考えたけれど、やめた。
「私、社会人になってからは会社と家を往復するだけでした。だから、色々な話が聞きたいです。神崎さんにメールしたのは、ケンちゃ──信頼する幼馴染の提案です」
正直に伝えると、神崎さんは柔らかい笑みを浮かべた。しかし目だけは笑っていない。威圧感で涙が出そうだけど、とりあえずニコニコしながら言葉を待つ。
「佐藤さん、勉強はお好きですか?」
パチパチと瞬き。予想外の問いだった。
「ええと、ジャンル次第ですかね」
「学校のテスト勉強はどうでしょう。特に暗記科目」
「それは苦手です」
「気が合いますね。だから俺は下の世代が羨ましい。なぜなら、もうすぐチップで記憶を獲得できるようになる」
頭の中に沢山の疑問符。突然ファンタジーなことを大真面目に言われて、理解が追いつかない。しかし、神崎さんは説明することなく次の話を始めた。
「ヒトが病気になる理由、知ってますか?」
「えっと……ウイルスとかですか?」
「正解」
パチッと指を鳴らした神崎さん。
「しかし本質的ではない。病気とは、変異だ。さて何が変異するのか。いくつかの病気は、遺伝子の変異が原因だと分かっている。だから未来の医療では、遺伝子を治療するようになる。この技術が成熟すれば、これまで原因不明とされていた難病も治ると俺は信じている」
またまた専門的な話。
私はちょっぴり頭痛を感じ始めた。
「さて佐藤さん。記憶と遺伝子を操作できるようになった未来では、何ができるようになると思いますか」
「…………」
どうしよう何も思い浮かばない。
沈黙すること数秒。また神崎さんが指を鳴らした。
「ずばり、人間をプログラミングできます」
「……人間を、プログラミング?」
「空想だと思いますか?」
「……ええと、はい。正直そうですね」
苦笑しながら言うと、神崎さんはハハハと笑った。
「AIに詳しくなれば、全て現実に起こり得る話だと分かりますよ」
はえー、と心の中で声を出す。
私のAIに対する理解は「なんかすごいらしい」程度だった。でも今の話を聞いて「めっちゃファンタジー」に変化した。……あまり変わってないかも?
「神崎さんは、AIでどんなことしてるんですか?」
「信号機を作ろうとしてます」
「……道路の?」
「正解」
……な、なんか急にスケールダウン?
「例えば仮想空間に道路を作る。ランダムに車が通る道路だ。ここにAIを配置して渡らせる。最初は何度も轢かれるが、やがて学習して渡れるようになる」
がんばって説明に耳を傾ける。
この話はちょっとだけ理解できそうな気がした。
「しかし今のAIは、効率良く渡るために信号機を作ることはできない。要するに、ゼロをイチにする能力が無い」
ふむふむ。まだ大丈夫。なんとなく理解できる。
「
「……シンギュ、ラリティ」
知らない!
でもかっこいいので復唱してみた!
「俺は、AIがゼロをイチにした瞬間がシンギュラリティだと思っています」
くそぅ、説明してくれなかった。
しかも今さら聞けない雰囲気……後でググろう。
「さて佐藤さん。どうだろう。AIに興味を持って頂けましたか?」
「そうですね。面白そうだなと思いました」
「それは良かった。俺は是非とも、佐藤さんにAIの研究をして頂きたい」
……研究かあ。
あんまりいい思い出が無い言葉だ。
「その気があるなら招待しますよ」
「……招待、ですか?」
ほんの数秒だけ間があって、
「俺と一緒に働きませんか?」
……わーお。
え、え、スカウトされちゃった?
「俺なら、あらゆる環境と報酬を用意できる」
「すみませんちょっと今は転職とか考えてないです」
かつてない緊張感に耐え切れなくて、思わず早口でお断りすると、神崎さんは目を丸くした。
「ハハハ、またフラれてしまった。過去最短だ。佐藤さんは本当に手強いな」
「……すみません」
「いえ、気にしてませんよ。ただ、せめてAIに興味を持って頂きたい。そこでどうだろう。これから始まるKVG──神崎・ベンチャー・グランプリを見学しませんか?」
* * *
神崎・ベンチャー・グランプリ。
起業を志す挑戦者が、神崎さんにプレゼンするイベント。賞金は五百万円。条件は神崎さんが「いいね」と思うこと。
食事が終わった後、神崎さんはカーテンを閉めた。そして、部屋の隅に置かれていた鞄からノートパソコンとプロジェクターを取り出した。
それらが設置された後、壁に映像が投影された。
映像の中にはスクリーンがひとつあるだけ。
神崎さんはプロジェクターの後ろに椅子を置き、脚を組んで座った。私は少し離れた位置に座って見学。
「マイケル、こっちの声は聞こえるか?」
『オーケー、エイト。そっちはどう?』
「問題ない。始めてくれ」
神崎さんが音声だけでマイケルさんとやりとりをすると、壁に映された白い部屋に、若い男性が現れた。
服装はスーツ。荷物は右手に持ったレーザーポインターだけ。もともとあったスクリーンには、パワポの表紙が現れた。
タイトルは、AIによる旅行者と撮影者のマッチングサービス。
なんだか学会発表みたいだなと思いながら、私は背筋を伸ばした。
こっそり神崎さんに目を向けて──怖っ、めっちゃニコニコしてる!
『それではプレゼンを始めます。僕のプランは、AIによる旅行者と撮影者のマッチングサービスです』
そこから先は、専門用語の嵐だった。
発表自体は五分程度の短いものだったのに、タムとかサムとかペルソナとか、とにかくカタカナが多くて頭が痛かった。
多分だけど、サービスの内容は「写真を撮られたい人」と「写真を撮りたい人」をマッチングすること。
彼は「旅行先で写真を撮りたい。でも知らない人に声をかけるのは怖い。そんな時、気軽に使えるアプリがあったらどうでしょう」と言っていた。
なるほど需要はありそうだと思った。
でも、お金を払ってまでやることなのかな?
色々な感想を胸に、神崎さんに目を向ける。
プレゼンの評価は即座に伝えるらしいけど……なんか、困ってる?
神崎さんは左手で顔を覆って、右手で肘掛けをトントンしている。お悩みの様子だ。
やがて「はぁ」と溜息を吐くと、私をチラッと一瞥してから、男性に向かって言った。
「ゼロ点。論外だ」
『なっ、なぜでしょう!?』
私も一緒に驚いた。めっちゃ厳しい。
「頼む。今日はあまり厳しいことは言いたくない。黙って帰ってくれないか」
『いいえ納得できません! このプランは、まだ誰も実現していないブルーオーシャンだ! 必ず成功する自信があります!』
神崎さんは、にっこりした。そして申し訳なさそうな様子で私を見た後、溜息交じりに言った。
「そのプラン、過去に試した奴がいる。しかも儲からなくて撤退してる。知らなかったのか?」
男性は絶望的な表情を浮かべた。
私は神崎さんがチラチラ見ていた理由を理解した。おそらく、普段このような発表を見た時は、かなり厳しいことを言っているのだろう。
「全てのビジネスを知る必要は無い。だが類似のビジネスに関する情報すら知らねぇのは論外だ。そもそもそれ、セミナーなんかで頻繁に聞く失敗例だぞ。全く勉強してねぇだろおまえ。よくそれで顔出せたな」
……怖い。まるで別人だ。口調まで違う。
しかもこれ、私に遠慮してるんだよね? ……普段どれだけ辛口なんだろう。
『……出直します』
「待て」
男性はビクリとした。私もビクリとした。まさか、さらに追い討ちをかけるつもりなのだろうか。
「悔しいか」
『……はい』
「ならいい。次は脳が千切れるほど考えろ。以上だ」
……おお。
『はい!』
男性はキラキラした目で顔を上げて、映像外に移動した。私も緊張感から解放されてホッと一息。
「すみません最悪のトップバッターでした」
「いえいえ……なんかその、新鮮でした」
──その後も次々とプレゼンが行われた。
百兆円以上の市場がある航空機産業。
毎年約一億トンの服が破棄されるアパレル業界。
ほとんどのプレゼンは、なんかもう数字の桁が意味不明な世界に対して、AIの力でアプローチしようというものだった。
挑戦者達は誰もが自信に満ちた表情をしていた。
キラキラと目を輝かせて──だけど、何かが違う。
何が違うのだろうと考え続けて、答えが出ないまま最後のプレゼンが終わった。
神崎さんはプロジェクターの電源を切った後、とても疲れた様子で背もたれに頭を乗せ、天井を見上げた。
「……どうでしたか」
掠れた声で私に向けられた質問。
「そうですね……えっと、ビジネスって感じでした」
直前の疑問について考えながら返事をして、ビジネスという言葉が引っかかった。
「お金って、そんなに大事ですかね」
「ほう」
少し鮮明な声。
神崎さんは興味津々といった様子で私を見ていた。
「えっとその、お金はあれば嬉しいですし、ビジネスだから利益が出なきゃダメなんでしょうけど……目的がお金っていうのは、なんかちょっと、違うなって」
パチッと指を鳴らした神崎さん。
急に上機嫌で怖い。この人なんか情緒不安定かも。
「佐藤さん、この後まだ時間ありますか」
「はい、今日は一日大丈夫です」
「面白い子を紹介したい。どうでしょう?」
「そうですね。是非お願いします」
断る理由も無いので頷いた。
神崎さんはスマホで誰かに電話をかけた。
そしてまたビックリするようなスピード感で、次の予定が決まった。
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