大人の夢 1
結論から述べれば、三日間のイベントは大成功で幕を閉じた。
参加者の総数は約五千人。その大半は、インフルエンサー
誰が見ても明らかな大盛況。
だが、イベントの盛り上がりはビジネス的な成功とは無関係である。
新社長の妨害により全ての予約がキャンセルされたことで、鈴木は少しでも参加者を増やすため参加費を値下げした。この結果、仮に全日程で満員となった場合でも赤字は避けられない状況だった。
もちろん鈴木は諦めなかった。
もとよりイベントの参加費で儲ける計画ではない。本命は、スマメガである。
鈴木、翼、遼。三人は、ほぼ全ての参加者に声をかけて回った。佐藤が大勢のエンジニアに囲まれてキャッキャ話をしている裏で、男達は鋭い目をしてビジネストークを繰り広げていたのである。
参加者の大半は一般人であったが、その一部には、中小企業の社長、大企業で決裁権を持つ者、そして神崎を目当てにビジネス目的で参加した者など、大きな商談が可能な相手も存在していた。
果たしてイベント最終日。スマメガに興味を持った相手が現れ、ひとつの商談が成立した。
かくして合同会社KTRは、少なくとも一億円以上の利益を得ることになったのだった。
「「「「かんぱい!」」」」
水、メロンソーダ、パフェ、お茶。バラエティ豊かなグラスが音を鳴らす。それが打ち上げ開始の合図だった。
「あらためて、お疲れ様。この成功は、ボクだけの力では絶対に不可能だった。本当に、ありがとう」
鈴木は涙を浮かべながら感謝を述べて、一気に水を飲み干した。それを見届けて、佐藤と遼もグラスを傾ける。そして翼も、パフェにスプーンを突き刺した。
……これツッコミ禁止かな?
佐藤はメロンソーダの甘味で幸せを感じながら、翼に意識を向けていた。パフェで乾杯というのは、なんというか新世界であった。
「佐藤さん、今回は本当にありがとう」
鈴木に声をかけられ顔を向ける。佐藤は彼の目に浮かぶ涙を見て、なんだか微笑ましい気持ちになった。
「泣き虫さんめ。それもう十回は聞いたよ」
「何度でも言わせてよ。あと、涙は体質みたいなものだから、気にしないで」
鈴木は明るい声音で言って、目元を袖で拭う。それから無邪気な笑顔を浮かべた。その笑顔が佐藤の目にはとても魅力的に映った。だから彼女は恥ずかしくなって、少し早口で別の話題を口にする。
「ところでここはどういうお店なのかな?」
個室。狭くも広くもない空間の中央にポツンと丸いテーブルがあって、四人はそれを囲むようにして座っている。
耳を澄ませば心安らぐ音楽。微かに漂う爽やかな香り。お尻にあるクッションは驚くほど柔らかい。ふと窓の外に視線を向ければ、芸術品のような夜景が目に映る。
肌で感じる高級感。根っからの庶民である佐藤は、なんだか場違い感を覚えて落ち着かない。
「寿司屋だ」
答えたのは金髪碧眼の男性。名前は遼。
「祝い事は寿司。それが日本の伝統と聞いた」
「うんうん、古事記にもそう記されているよね。でも、お高いんでしょう?」
「大したこたぁねぇよ。せいぜい一人三万程度だ」
「大したことあるよぉ!?」
佐藤の大袈裟なリアクションを見て、鈴木が肩を揺らす。そして、彼は何かを思い出したような様子で言った。
「お金といえば、皆にボーナス出さないとね」
ボーナス!
佐藤の目が鈴木に釘付けになる。
「軍資金も残したいから、一千万でいいかな?」
いっちゃまうにゃう!?
心の中で鳴き声をあげる佐藤。
「オレはケンタさんに従います」
「健太、節税」
「ああ、そうだね。佐藤さん、何かやってる?」
「はぇ!? ええっと、特に、してない、かも?」
思わぬ大金を前にあたふたする佐藤は、普段と変わらぬ様子の三人を見て、もしかしてこいつら上級国民なのでは、と分厚い壁を感じていた。気分はみじんこである。
さて佐藤には伝わらなかったが、翼の言葉は彼女の税金に関するものだった。
現在、彼女は前職と同程度の給与しか受け取っていない。何も対策しないまま急に一千万のボーナスを受け取った場合、4割程度が税金として消えることになる。
もったいない。だから節税しよう。翼は短い言葉で提案していた。そして鈴木は、その意図を理解した。
要するに二人だけの世界である。
佐藤は通じ合っている様子を見て「ぁゎゎ」と胸をときめかせながら、二人の会話に耳を傾けた。
「うーん、でも今からできることってあるかな?」
「コスプレ、特定支出控除」
「前代未聞だろうね」
「任せて」
佐藤は話が理解できず現実逃避を始めた。
どこか達観した様子で窓の外に目を向けて、まるで高級なワインでも飲むみたいにグラスを傾ける。安価なメロンソーダがシュワっとした。
(節税。うん、聞いたことあるよ。なんか、税金が、減るやつでしょ。知ってる知ってる。愛ちゃん賢い)
この通り佐藤は「お金」について全く知らない。
それを痛感して、彼女は遠慮がちに質問をした。
「……やっぱり、そういう勉強って大事?」
「税金のこと?」
鈴木が返事をして、佐藤は頷いた。
彼女は、夢について考えている。
具体的なビジョンは、まだ無い。しかし、選択肢のひとつとして起業が考えられる。身近に起業家がいるのだから尚更だ。
きっと以前の彼女ならば、メロンソーダの甘味に溺れていた。しかし今は違う。いずれ必要になるかもしれない話題を前にして、他人事ではいられない。
「節税すると、どれくらい変わるの?」
「そうだね……」
鈴木は顎に手を当てて考える。会話の流れ的には、佐藤個人の話をするのが自然だ。しかし彼は、彼女の目的が別にあることを知っている。
私にも、できるかな?
鈴木はイベント初日に見た佐藤を思い出して、不意に顔が熱くなった。それをごまかすように、あーと声を出して、説明口調で言う。
「問題です。会社は利益から税金を支払います。税金を減らす方法のひとつに経費があります。例えば今日の食事代を十万円とします。これを経費にすれば、その分だけ利益が減ります。さて税率を三十パーセントとした場合、どれだけ税金が減るでしょうか」
「ずるぅううううううい!!!」
一瞬で計算を終えてぺチッと机を叩いた佐藤。
「常に外食が三割引! インチキ! 謝って! 一割引のクーポンで『よ~し、今日はワンランク上の注文しちゃうぞ!』ってウキウキしちゃう私に謝って!」
「……あはは、なんでも経費になるわけじゃないけどね」
「でっちあげるよ」
「翼、黙って」
苦笑する鈴木と得意げな翼。
ぷんすかする佐藤は仲の良い二人を見て「ぁゎゎ」と機嫌を直す。そして、ふと翼のことが気になった。
鈴木が起業した理由は知っている。遼が鈴木を尊敬していることも知っている。しかし翼については、鈴木と大学の同期であることしか知らない。
「音坂、さん?」
「翼でいいよ」
「……えと、翼は、どうしてこの会社に入ったの?」
「うーん、楽だから?」
えー? という目をする鈴木。
翼は彼の反応を楽しむような様子で笑って、少しだけ真面目な口調で言った。
「健太は、賢い。だから、楽」
「ボクそれ初めて知ったよ……まあ、なんというか、翼は昔から言葉が足りないよね」
笑い合う二人。
佐藤はひとまず鈴木の人望ということで納得した。
「じゃあじゃあ、リョウと翼は何か夢とかあるの?」
「あぁ? なんだ急に」
「それボクも気になるな。二人の夢、聞いてみたい」
鈴木からの後押し。
彼を尊敬する遼に話す以外の選択肢は無い。しかし上手な言葉が浮かばず、遼は困った様子で頭を掻く。
「オレは……ケンタさんに拾われた時点で叶ったというか……あえて言うなら、ケンタさんの夢が、オレの夢です」
「愛が重い!」
「あぁ? 誰もテメェの体重になんか興味ねぇぞ?」
あぁ? 誰も体重の自己申告なんかしてねぇぞ?
佐藤愛はトゲトゲした感情をギリギリのところで封印して、穏やかな口調で質問をした。
「前から気になってたけど、拾われたってなあに?」
「テメェにはゼッテェ教えねぇ」
「ケンちゃん、どういうこと?」
「そうだね……長い話になるよ」
「ケンタさん!?」
思わず立ち上がるほどオーバーなリアクションを見せた遼。佐藤はクスクス肩を揺らす鈴木を見ながら、少しだけ考える。
……うーん、長い話になるのか。
「じゃあいいや」
「あぁ!?」
再び驚いた声を出した遼。
佐藤は彼を無視して翼に目を向けた。
「専業主夫?」
ぁゎゎ、養いたい。
ぼんやり答えた翼に胸打たれる。
「んで、テメェはどうなんだ」
「それを今探しているのです!」
「……そうかよ」
遼はツンツンした態度で顔を逸らして、上品にお茶を飲んだ。佐藤に対しては当たりが強い彼だが、目を輝かせている相手に毒を吐くほど捻くれてはいない。
「ケンちゃん、なんかヒントとか無い?」
「そうだね……佐藤さんの好きなことを考えてみるとか?」
「私の好きなこと……」
「ほら、例えばコスプレとか」
えっ、という目で鈴木を見る佐藤。
「あれ、違った?」
はぁぁ、と大きな溜息。
やれやれと首を振りながら、彼女は言う。
「あのねケンちゃん。私のコスプレは、好きとか嫌いとか、そういう次元はもう卒業してるの。わかる?」
乾いた声と憐れむような目。
鈴木は困った様子で苦笑した。
「……趣味を列挙しやがれ」
ぼそっと退屈そうな声を出したのは遼。
佐藤は彼に目を向けて、指を折りながら言う。
「ええっと、アニメと漫画と夢小説かなあ?」
「次に不満とか疑問を探せ。それがビジネスの種だ」
おぉぉぉ、ぽっかり口を開く佐藤。ついでに鈴木も驚いた様子で遼を見ていた。彼が助言をするのは、とても意外だった。
「……なんすか?」
鈴木の目線に気が付いて問う。
「ツンデレさんめっ」
これに答えたのは佐藤。
遼は「言わなきゃよかった」と舌打ちをした。
「でもそっか。疑問かあ……」
佐藤は何も考えていなそうな顔で天井を見上げる。
そして数秒後、呟くような声で言った。
「アニメ会社って、なんでアニメしか作らないのかな?」
「どういうこと?」
佐藤は視線を正面に戻して、質問した鈴木を見る。
「アニメって毎週三千枚くらい絵を描くけど、これ漫画だったらすごくない? 毎週十五巻くらい出る計算だよ?」
「いいね、そんな感じだよ。疑問を見つけたら次は理由を考える。プロがまだ実行していないことなら必ずできない理由がある。要するにデメリットを探す。次にペルソナを用意して、事業として成功するか否か、成功するにはどれくらいお金が必要か考える」
一度、言葉を切る。
佐藤がぽかんとした顔になっていた。
鈴木は苦笑して、もう少し柔らかい表現を考える。
「要するに、いっぱい考えようって話だよ」
「……はえー」
佐藤は鈴木の知識量にビックリしていた。でもよくよく考えれば彼は実際に起業しているわけで……あらためて、すごいなと、そう思った。
「まあ、色々な人に話を聞いてみるのは正解かもね。佐藤さん、イベントで名刺いっぱい貰ったでしょ? 気軽にメールしてみるのもありだよ」
でも、と鈴木は少し大きな声で言って、
「まずはウチの仕事を優先して欲しいかな。しばらく忙しいよ」
「……うげぇ」
「あはは、頼りにしてるよ」
くすくす笑う鈴木。佐藤は露骨に嫌そうな態度を見せる。そこにちょうど料理を持った店員が現れた。
コン、コンと、高そうな寿司が机に並ぶ。それを見ながら、佐藤は直前までの話を頭で整理していた。
彼女は非常に優秀なエンジニアである。
しかし技術と無関係な領域においては、平均以下の能力しかない。
同時に処理できる事柄は、ひとつかふたつ。
それ以上は頭がパンクして思考が停止する。
だから彼女には物事をシンプルに考える癖がある。もちろん例外はあるけれど、今回は、とてもシンプルな結論を出した。
とりあえず聞く!
いろいろな人に話を聞く!
後のことは未来の私に任せる!
よっしゃ寿司食べるぞ~! 美味しそう!
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