夢物語のその先へ 2
――わるものなんて、いないのにな。
二十年前。
彼女は戦隊ヒーローを見て呟いた。
「っしゃー! いけ! トドメだー!」
現在。
彼女は全力で魔法少女を応援している。
ネットカフェ。二人用の個室。
普通ならば少しはドキドキする状況なのだろうが、ボクの頭には「うるさいな」という感想しかない。
「ひゃー、おもしろかったー」
ご満悦。笑顔でモニタに向かって拍手するその姿は、とても自分と同じ年齢には見えない。子供みたいにキラキラ輝く瞳と、見ていて心が落ち着くような笑顔。それっぽいメイクをすれば、高校生と言い張ることも出来るのではないだろうか。
「んー? なに見てるの?」
目が合う。アニメが終わっていたことに気がつく。咄嗟に弁明しようと考えて、なにを、という自問に答えられない。
「あっ……どうだい? 緊張は解れたかね?」
謎の上から目線。大方、すっかり本来の目的を忘れていたけれど、緊張を解すためにアニメを見ていたと言い張るつもりなのだろう。
「本当に、まったく君は……」
「なんだよぅ」
「いや、なんでもないよ」
「なんだよ言えよ。気になるじゃんか」
えい、えい、と肘でつつかれる。すると、なんだか無性に懐かしい気分になって、笑みが溢れた。
「なに笑ってんだよ」
「佐藤さんにはよく泣かされたなって」
「えー? むしろ慰める側じゃなかった?」
「それはない」
きっぱり否定する。
佐藤さんはムッとして、八つ当たりみたいにモニタの電源を切った。
「ケンちゃんナマイキになった」
「佐藤さんは、昔から変わらないね」
「そーゆーとこ。何が佐藤さんだ愛ちゃんと呼べ」
「やだよ。なんか子供っぽい」
「ははーん? ケンちゃん照れてるな?」
新しい玩具を見つけた子供みたいな佐藤さん。ボクの肩に肘を乗せて、うざったく絡んでくる。
「個室で密着。心の中では、ぐへへ、なんだこいつ、良い匂いがするぞ、とか思ってるんでしょ」
「思ってないよ」
本当に心の底から全く思ってない。と口にしたら不機嫌になりそうなので、曖昧に笑ってごまかす。
「ほんとは照れてるんでしょ」
「照れてない」
「またまたー」
流石にちょっと鬱陶しい。
ふと思い付いて、佐藤さんに目を向ける。
きっと普通ならドキドキするような距離。ボクはしっかりと彼女の目を見て、仕返しをする。
「愛ちゃんは、綺麗になったね」
驚いた表情。それを見て笑う。
「おまえ、こら。思ってないだろ」
「いや、思ってるよ」
「せめて笑わずに言え!」
目を逸らす。背中をぽかぽか叩かれる。
「ケンちゃんもそこそこかっこよくなったね!」
「ありがと、そこそこね」
「で、そこそこかっこいいケンちゃんはどうしてスタートアップなんか立ち上げたの?」
「急に来たね」
攻撃をやめた佐藤さん。
「ほらほら、ちゃちゃっと話しちゃって」
「はいはい、ちゃちゃっとね」
ボクはこほんと軽く喉の調子を整える。
「きっかけは、尊敬していた人が亡くなったことかな」
「ごめん重い。もうちょっと段階踏んで」
「ちょっと注文多くない?」
「多くない」
いや多いでしょ。言葉を飲み込んで、少し考える。
「ごめん、思い付かない」
「……どういう人だったの?」
「とても優秀なエンジニアだった。本当に、とても優秀だった」
二番にしかなれないボクと違って、彼は一番になれる存在だった。
誰よりも優れた才能があって、誰よりも努力していて、誰よりも結果を残していた。彼は、歴史に名が残ってもおかしくないような天才だった。
しかし彼は、急死した。
いわゆる過労死だった。
信じられなかった。
何か、取り返しのつかない物を失ったような喪失感があった。
葬式は閑散としていた。
ボクと、家族と、おそらく数名の会社関係者。
「不思議だよ。ヒトは頑張るほど孤独になる」
独り言のように、呟いた。
「さっき見たアニメの主人公なんかは、頑張るほど応援される。でも現実は違う。頑張るほど普通の人とは違う存在になって、どんどん孤独になる」
おかしいとボクは思った。
おかしいだろと、心の中で叫んでいた。
彼には夢があった。
貧しい家庭に生まれた彼は、誰も貧富の格差なんか気にしなくても良くなるような、これから生まれてくる子供たちに平等な選択肢を与えられるような、そんな世界を作ろうとしていた。
途方もない夢だと思う。
しかし彼ならば、きっと実現できると思った。そう思わせてくれるような人だった。
彼は、ひっそりと息を引き取るような人じゃない。
もっともっと、それこそ世界中に惜しまれるような、そういう人間だった。
ぽっかりと胸に穴が開いたような気分で、ボクは一年の時を過ごした。その時間で、ボクの目に映る世界は、すっかり変わってしまった。
気が付いた。
彼は、特別なんかじゃない。
「凄い人が、あちこちに居る。独りで、頑張ってる」
怖くなった。
優れた才能を目にする度に、また失われてしまうのではないかと恐怖した。
「間違ってる」
心が震える程に、強く思った。
「だからボクは……ボクが、世界を変える」
二度と過ちを繰り返さないと決意した。
「まあ、失敗ばかりだけどね」
佐藤さんに目を向けて、ごまかすように笑った。
さっきまで騒がしかった彼女は、しかし笑ってくれない。
ボクは少し俯いて、これまでの失敗を思い出す。
まずは誰かの背中を押そうと思った。
未経験でも構わない。何か壁にぶつかって前に進めないでいる人の手助けをしようと考えた。
知人を何人か指導した。
激しい温度差を感じて、絶望した。
プログラミングを学びたいと言った知人は、ボクに言った。
いや、そこまでガチじゃないから。
営業を学びたいと言った知人は、ボクに言った。
とりあえずノルマ達成したいだけだから。なんかテク教えてよ。
そのうち気が付いた。
世の中には、頑張れる人と、頑張れない人が居る。
ボクが応援したいのは前者の人間だ。
そして頑張れる人間は、誰かに頼ることなく、自分の意思で何かを始める。
だから真のプログラマ塾では未経験NGとした。
ボクが使えるリソースは限られている。無価値な人間に使うのは無駄だと感じていた。
きっとイライラしていた。
それまでボクは自分より優れた人だけを見ていた。自分より劣った人に目を向けるのは初めてだった。その世界はあまりにも……あまりにも、絶望的だった。
「心が折れそうだったよ。最善だと思ったことが、実は全然ダメ。原因を考えて、もっと良いアイデアを生み出せたと思ったら、それもダメ。そんなことの繰り返し。悔しくて悔しくて……それでも、諦められなかった。正直、途方に暮れていたけどね」
彼女と――佐藤さんと再会したのは、そんな時だった。
「…………」
言葉を飲み込む。
君に会えて、本当に良かった。なんて本音を口にするのは、とても気恥ずかしい。
佐藤さんは、尽くボクの常識を壊してくれた。
初めての接客。
ボクは正直ダメだと思っていた。
隣に魔法少女のコスプレをした女性が居る状況で、中年の男性に技術的な指導を行う。前代未聞だ。
彼は佐藤さんを一目見た瞬間「あーこれ失敗したわ」という表情をした。ボクはあの表情を生涯忘れないだろうと思う。
それでも、どうにか無料体験を良い雰囲気で終えることが出来た。本当に幸運だったと思う。だから、佐藤さんがお客さんのプライベートにガツガツ口を出した時には心臓が止まるかと思った。せっかくの幸運が台無しになったと絶望した。
しかし、結果は良好だった。
彼が残した口コミと、その後に届いた定期受講の申し込みを見て、信じられない思いだった。
コスプレについてはボロクソ書かれていたけれど、それは父親が息子の成長を信じてダメ出しをするような、とても温かい気持ちになる酷評だった。
次に印象深かったのは、男性嫌いと言った女性のこと。
ホストみたいなコスプレをした佐藤さんが、急に「子猫ちゃん」なんて言い出すから、今度こそクレームを覚悟した。頭の中には無数の謝罪の言葉が浮かんでいた。
しかし、結果は良好だった。
彼女はスッカリ佐藤さんに気を許して、受講で訪れる度に新しい職場の楽しい話を聞かせてくれた。
やっぱりコスプレについてはボロクソ書かれていたけれど、それはなんというか、ボクが知らない世界の専門的な内容だった。
そして最も印象に残っているのは、洙田裕也さんだ。
ボクは彼を一目見てダメだと思った。彼は「頑張れない人」だと確信した。
しかし彼女は――ほんの数時間で、彼を変えてしまった。
技術者の心に寄り添う。
ボクが大切にしている言葉だ。
実際、相手の心情を考えて接客しているつもりだった。しかし彼女を見ていると、ボクは自分の中にある凝り固まった常識に囚われているのだと気付かされる。ボクは何度も失敗を繰り返したことで、きっと無意識に無難な安全策を選ぶようになっていた。
それを彼女がぶち壊してくれた。
彼女は何度も、何度もボクの常識を破壊した。
ボクが無意識に諦めていた理想の世界を、夢物語を形にした。
勇気をもらえた。
ボクの夢は妄想なんかじゃない。これまで方法が間違っていただけで、きっと叶えられると、前向きに考えられるようになった。
「……本当に、君に会えて良かった」
彼女だけじゃない。
遼と翼も信じられないくらい頑張ってくれている。
ボクは本当に恵まれていると思う。
掲げたのは分不相応な理想だった。きっと一人ならスタートラインにすら辿り着けなかった。
ありがとう。心から思う。
……いい機会だから、言葉にしてみようかな。
「佐藤……さん?」
目を向ける。
彼女はなんというか、よく分からない表情をしていた。
不思議に思っていると、彼女はハッとした様子で目を逸らした。
「……バーカ」
どうして罵られたのだろうか。
「……ほんと、ケンちゃんのくせにナマイキ」
さっぱり分からない。
本当に、昔から不思議な人だ。
あの頃ボクは「バカっていう方がバカなんだよ」とか言い返していただろうか? そのあと口喧嘩みたいになるけれど、急に佐藤さんが興味を失って、何か別のことを始める。ボクはイライラしながらそれに付き合う……ああ、本当に懐かしい。
ただ、今のボクはもう少し大人になった。理不尽な反応には慣れている。だから、堂々と言葉にしよう。
「愛ちゃん、いつもありがとね」
佐藤さんは目を逸らしたまま。
そっぽを向いて、机に突っ伏している。
一体どんな表情をしているのだろうか?
気になるけれど、見たらグーで殴られるような気がしたので、やめた。
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