それぞれのハローワールド 4
挨拶をして、会議室を出た。それからエレベータで一階に戻って、セキュリティカードを返却した。
その間、無言。
私は放心状態だった。
結果は理解している。
どうやら、上手く行ったらしい。
しかし自分が何を話したのか、どうして上手く行ったのか、今どういう状況なのか、ピンと来ない。
ぼんやりと、少し小柄な同僚の背中を追いかける。
ここに来る前よりも歩幅が小さく思えた。どこか寂しげな背中を見ていると、蒼い瞳をギラギラさせて、ドスの効いた声を響かせていた姿が嘘みたいに思える。
ちょっと駆け足、隣に立つ。
彼は前を向いたまま私を一瞥してボソッと呟いた。
「ケンタさんの夢、少しだけ分かったよ」
「ケンちゃんの夢?」
舌打ち。まさかの。
話しかけるなオーラ全開。
私はハァと息を吐く。いまさら嫌な気はしない。ただ、ちょっぴり残念な気分。そう思った直後だった。
「……助かった」
三歩、慣性に従って前に進む。
足を止める。彼は止まらない。
私は――走った。
「おや、おやぁ? おやおやぁ?」
放心状態終わり。
センチメンタルなんて吹き飛んだ!
「ねぇ何か言った? 言った? 言ったよね? ほらもっかい言ってごらん。ねぇもっかい言って!」
「うっぜぇなクソ女! 視界に入ンじゃねぇ!」
正面に立って後ろ歩きで反復横跳び。右に左にぴょんぴょんしながらアンコールを求める。
「もっかい! ほらもっかい!」
頬っぺたピクピクさせるリョウ様くん。
「ねぇほらもっかい言って! もっかい!」
煽り続ける私。
次の瞬間、彼は目を見開いて私の腕を掴む。
想像以上に強い力で、そのまま後ろに引っ張られる。ある程度の反撃は覚悟して煽っていたけれど、思わず真顔になるほどの勢いだった。
彼は私から手を離すと、つまらなそうに言う。
「ガキかよ、テメェ」
どこか安堵したような声だった。不思議に思った直後、彼の背後をトラックが走り抜ける。
「……ごめん、ありがと」
調子に乗り過ぎた謝罪と、助けられたお礼。
視線が重なる。
周囲に植えられた木々が揺れる。
少し長い静寂。
切り裂いた彼の一言は、汚い言葉だった。
「オレぁエンジニアっつぅ連中をクソだと思ってる」
直球だった。流石にムッとする。
でも口は挟まない。私は、続く言葉を待った。
「今になって思う。リオじゃ毎日が営業だった。歩き回って、情報とブツを集めて権力者に媚を売る。隙を見せたら奪われる。逆に見つけたら掠め取る」
彼は言葉を切って、
「それができねぇヤツは死ぬ」
ゾッとするほど冷たい言葉。
比喩でも誇張でもない。きっと彼が言葉にした通りの意味なのだろう。それは、私が全く知らない世界の当たり前だった。
「ロクに喋れねぇエンジニアっつぅ連中が、どうして生きてられんのか不思議で仕方なかったよ。……オレは、ケンタさんと出会って人間になった。本気で尊敬してる。だからあの人の夢は手伝う。だが、どうしても理解できなかった」
淡々とした声。周囲から見れば、私達は普通に会話しているようにしか見えないだろう。しかし、言葉の節々から痛いほどの感情が伝わる。
もちろん伝わるだけで理解は出来ない。
同じ言語なのに、その内側にあるものが全く違う。
「今日よく分かった。使ってる言葉がチゲェ。理解できるわけがねぇ」
彼は降参といった様子で両手を挙げた。
「…………」
そして再び私を真っ直ぐ見た。
私も視線を逸らさず、受け止める。
果たして、彼は何も言わず目を逸らした。
そのまま何歩か歩いて、歩いて、歩いて――
「ちょちょちょっ、終わり!?」
思わず突っ込む。
ソードマスターもビックリなレベルの打ち切り。私はモヤモヤしたまま。これで納得するのは無理!
「続きは!? 無いの!? ひどくない!?」
「うるせぇ黙れ。テメェはもう用済みだ。引きこもってパソコン弄ってやがれ」
「むきぃぃ――ッ! 仏の愛ちゃんも助走つけて殴るレベルだよ! ちょっとキミ口が悪過ぎ!」
プッツンする私。
鬱陶しそうな顔をされた。
あーもう何こいつ! 我慢して損した!
腹ペチしてやる! くらえ! くらえ!
「…………だ」
「なに!? 何か言った!?」
ギュッと、肩を掴まれる。
ビックリして口を閉じる。
金色の前髪、蒼い瞳、白い肌。
乱暴で横柄で小柄な青年は、私を見上げて言う。
「魂に刻んだ。だからもうテメェは必要ねぇ」
……?
「テメェはテメェの仕事をしやがれ」
ええっと、つまり……?
「勘違いすんじゃねぇぞ。オレはまだテメェを認めてねぇ。ゴミからパソコン使えるヤツ程度に格上げしただけだ」
ぽかんと、再び足を止めた私。
彼は視線を外して、帰路を進む。
考える。どういう意味だ?
とりあえずツンデレさんなのは分かった。
そのうえで愛ちゃんのオタクパワーをフル回転させて彼の言葉を強引に解釈すると……
――魂に刻んだ。
貴女の言葉を胸に刻みました。決して忘れません。
――だからもうテメェは必要ねぇ。
営業を手伝う必要はありません。私は、もう一人でも大丈夫です。
――テメェはテメェの仕事をしやがれ。
貴女は、貴女にしか出来ないことをしてください。
――勘違いすんじゃねぇぞ。
好きです。
翻訳完了!!!!
あーもう! ツンデレ! めんどくさ!
私は走る!
追いついて、彼の耳元で叫ぶ!
「めんどくさああああ!!」
「うっせぇっ!? ふざけんな頭沸いてんのか!?」
「お前が言うな!」
「あぁ!?」
ぎゃーぎゃー騒ぎながら、道を歩く。
――育ちが悪い。
――根は良い奴。
リョウは、私が知らない世界を生きている。
私もまた、リョウが知らない世界を生きている。
それぞれの世界に一歩だけ足を踏み入れた。
だから私は、ちょっと汚い挨拶をする。なぜなら、郷に入っては郷に従うのが礼儀だからだ。
「よっしゃ! 事務所まで競争ね!」
「くだらねぇ。黙って歩きやがれ」
「ぷーくす。負けるのが怖いのかな?」
「上等だコラ。格の違いを教えてやる」
「じゃあやーめた」
「あぁ!?」
今度は私がリョウの前を歩く。テクテク歩く。
やがて背中から大きな溜息。そのあと、ふっと笑う声がして、
「おもしれー女」
ぶふぅーっと私は吹き出した。
「ねぇ、それ狙ってる? 狙ってるよねさっきから」
無視される。
私はめげずに煽る。事務所に到着するまで続ける。
ハローワールド。
新しい世界の友人に、挨拶をする。
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