それぞれのハローワールド 3


 みじんこです。

 私は、みじんこです。


 プログラマ塾では、我ながら大活躍。

 あまりにもコスプレをボロクソ言われるので、もうずっとスーツコスですけど、とにかく接客は神レベルだったと自負しております。


 思い上がっておりました。

 私は、どうやらコミュ障だったようです。


 私が知るコミュニケーションなど、営業の世界では通用しない石ころみたいなものだったのです。


 思い返せば大学を卒業してから……いえ、それ以前からずっとインドアな毎日。ヒトと話す機会は稀でした。これで上手に会話できる方が不思議です。


 反省します。

 私は、みじんこです。


「そのツラで客の前に出るつもりか? 笑いやがれ」

「え、えへへ。えがおー」


 リョウ様にはもう頭が上がりません。次に壁ドンされた時は、空気を読んで膝を折るまであります。


 ケンちゃんは彼を天才と言っていました。

 事実でした。リョウ様は天才です。事前に相手を調査して、とても自然に相手が好む話題に誘導して、ガツンと心を掴む。まるで魔法でした。


 私はそれを見ているだけです。


 一応、三件目くらいまでは喋ってましたよ?

 しかし、やらかし率100%。仏の顔も三度まで。四件目以降、私は発言権を失いました。


 でもめげない!!!!


 私はみじんこから人間に返り咲くため、リョウ様の営業トークを分析しました。


 まずお値段の交渉。

 実際には一人あたり5万円ですが、リョウ様は、大きい会社を相手にする場合は「200万が参加費」と提案します。


 大抵の相手は渋ります。

 どうやら百万円を超えると予算会議が必要となり、なんか色々と面倒が増えるようです。


 そこでリョウ様は切り込みます。

 かなり苦しいですが、もしも100万円ならば……と本当に苦しそうな表情で言うのです。


 ここで相手から「YES」を引き出します。


 わたくし、佐藤・みじんこ・愛は学びました。

 営業では相手に「YES」と言わせることが重要っぽいです。一度でも「YES」と口にした相手は、なんだかチョロくなります。


 そして、一度でも「YES」を引き出したリョウ様は無敵です。


 100万円ならば参加すると答えた相手に対して、キャンセル料が無料という強気な条件で参加の申し込みを迫るのです。


 営業トークはこちら。


 正直、赤字ギリギリです。しかし初めてのイベントですから、名前を売りたい側面もあります。ここはひとつ、この私に投資すると思って、ご参加頂けませんか?


 これがもうビックリするくらい決まる!

 驚きですよ。ほんの数分で相手の心を掴んで「いいから俺に投資しろ(意訳)」という要求を通す。まさに天才です。


 そして相手には「赤字ギリギリ」と説明してますが実際には正規料金。大勝利です。


 一方で相手が小さな企業の場合には、1人10万円という切り口で交渉を始めます。これを徐々に値下げして……なんと、1日では決めない。


 半額の5万円ならどうか。

 この提案で「YES」を引き出した後「持ち帰って相談させてください」とあえて引き下がるのです。


 ある会社を出た後、リョウ様は呟きました。


「あそこ8万くらいでいけそうだな」


 搾り取る気満々です……っ!

 ヒリヒリする営業の世界。私はもう初めて社会見学をした中学生みたいな気分でした。


「ここが最後だ」

「……あれ? 最初に来たとこ?」


 見覚えのあるタワマンです。

 リョウ様は「おう」と頷いて、


「クソデケェ会社は、ひとつひとつの組織が会社みてぇなもんだ。チャンスは複数回ある。覚えとけ」

「はいっ、覚えます!」


 新人らしく若々しさを発揮します。

 リョウ様は再び「おう」とクールに返事。軽くネクタイを整えると、フッと息を吐きながら鋭い瞳でタワマンを睨み付けました。


「行くぞ」


 かっこよ!

 兄貴! どこまでもお供しやすぜ!



 *



 兄貴は流石の手腕でした。

 相手は気難しそうな男性でしたが、華麗なトークでスマメガのデモに持ち込みました。


「ほー、これはすごいですな」


 反応も良好です。

 これはもうラストに相応しい完璧な結果が見えたようなものです。私は、成功を確信していました。


 スマメガを外したあと、男性は言いました。


「素人質問で恐縮なのですが……」


 ビビッと私の全身に電流が流れます。


「これ、大人数で使う時はどうするの?」

「大人数、ですか?」

「うん、そう」


 それは今日はじめての指摘でした。


「見えてる人が全部ババって表示されちゃったら、どこ見ればいいか分からないよね」

「はい、そこでAIが――」

「うんまあ、絞り込むのは当然だよね」


 言葉を遮って、男性は質問を続けます。


「でもさ、そもそもどうやって相手を特定するの?」

「……特定、ですか」

「うん。なんか電波とか飛ばすのかな? 少人数ならそれでもいいけど、百人も二百人も居たら、無理じゃない?」


 鋭い指摘です。

 それを受けて、リョウ様の表情が硬くなります。


「ちゃんと試験した?」

「……」


 一瞬の沈黙。

 実際に流れた時間は数秒かもしれません。しかし、体感では一分にも二分にも引き伸ばされた嫌な時間でした。


 短い会話で分かります。相手は熟練の技術者です。生半可な説明では納得してくれないでしょう。


「……それは、ですね」

「ああ、分からないなら分からないでいいよ?」


 言い淀むリョウ様。

 男性は話を遮って言います。


「いや最近多いんだよね。とりあえずAIみたいなの。悪いとは言わないけどさ、もっと深く考えた方がいいよ?」

「……はい、恐れ入ります」


 それは事実上の敗北宣言でした。

 グッと拳を握り締められた拳。無理矢理作った笑顔には悔しさが滲み出ています。一方で男性は、もう興味を失ったような表情をしていました。


 私は口を開こうとして、息を止めて唇を噛みます。

 今日この瞬間までに三度チャンスがあって、その全てで失敗したばかりです。その度に、フォローされていました。迷惑をかけてばかりでした。


 今度は私がフォローする。

 かっこいい。でも実際にやるのは難しいです。傷口に塩を塗ることになるかもしれません。


 それは、とても怖い。

 失敗は怖い。きっと誰でも同じです。


 パンっ、と自分の頬を叩く。

 これは気持ちを切り替えるためのルーティン。


 戦いに挑む前の、ちょっとした儀式。


「シミュレータがあります」


 初めての発言。

 二人から視線が向けられる。


 ごくりと息を飲む。

 もう後戻りはできない。


 これは私の知らない世界。

 間違えて当たり前のプログラミングと違って、発言のひとつひとつが一回勝負で、取り消すことを選べば信用を失う世界。


 勝算は無い。

 でも……ここで黙っていられるほど賢くもない。


「起動します。危ないので目を閉じていてください」


 ぽかんとした様子の男性。


「あの、本当に危ないので目を閉じてください」

「……ああ、はい。閉じればいいのね」


 目を閉じた男性。

 それを確認して、私はスマホの専用アプリで相手のスマメガを遠隔操作する。


「完了です。目を開けてください」

「……これは」


 不思議そうな顔をする男性。

 隣には不安そうな目で私を見る蒼い瞳。


 私は心臓がバクバク騒ぐのを感じながら、説明を始める。


「えと説明なんですけど。ビュンビュン飛んでる緑色の線がセンサから飛ばした電波です。赤くなったのは他と衝突してエラー起きた奴です。見て分かる通り、あちこち真っ赤です」

「はいはい、なるほど。関係ない質問かもしれないですけど、これはどういうソフトウェアを使っているのですか?」


 どういうソフト……えっと、えっと、


「すみません、名前とか決めてないですね。シミュレーションしてるからシミュ君とかですかね?」

「シミュ君……えっ、これ貴社の内製ですか?」

「はい。多人数でスマメガ使う場合をシミュレートしたかったので、えいやって作りました」

「あなたが?」

「はい」


 ぽかんとした表情。

 ……何か失敗した? ……あっ、そうか。無名のソフトウェアだと信頼性とか説明しなきゃダメだよね。どうしよ資料なんて用意してない。えっと……


「……これだけの数のオブジェクトを処理してメガネが熱くならないのか」

「あっ、演算はサーバでやってます。本体は画像を受け取って描画してるだけです」

「なるほど。いやそれでも静かですね」


 ……セーフ、なのかな?


「さてシミュレーションしてセンサはダメだと分かりました。それから?」

「はい。代替案としてスマホを参考にしました」

「スマホですか」


 私はとっても早口で説明を続ける。


「スマホが移動しながらでも電話できる仕組みがあるじゃないですか。あちこちに基地局があって、最寄りの基地局に繋ぐアレです」

「あーなるほど。管理用の基地局みたいなの用意したわけですね」

「多分ちょっと違います。それだと個々の位置が特定できません」

「ほう?」


 息を吸って、


「全てのスマメガを基地局に見立てて、周辺機器との相対的な位置関係を取得しました。次に全情報を一台のサーバに集約して、個々の位置を特定してます」

「なるほど。絶対座標ではなく相対座標で特定するわけですな。でも肝心の位置関係情報はどうやって取得するのですか」


 ここからはもう専門用語の連続。

 私は何度か噛みながら、無我夢中で説明を続けた。


 相手からは何度も鋭い質問があった。

 途中から口頭で説明するのが難しくなって、紙に数式を書いたりした。どんどん白熱して、予定の時間を過ぎても質問が続いた。


 余計なことを考える余裕はない。

 私は、無我夢中で説明を続けた。


 そして――


「…………」


 男性は少し疲れた様子。

 ソファに深く座って、視線を上に向けている。


 私は、まな板の上の鯉みたいな心境で、次の言葉を待った。


「お名前は、なんでしたか」

「佐藤です。佐藤愛」


 男性は姿勢を正すと、朗らかな表情を浮かべる。


「このイベントでは貴女からも話が聞けるのですか」

「ええっと……はい。私も参加すると思います」

「なるほど」


 僅かな沈黙。

 心臓の音が煩い。


「参加費は二百万でしたか?」

「はい……えっと、いくらか値下げもできますよ」

「いや、結構」


 男性は値下げの提案を拒絶して、私に向かって大きな手を伸ばす。


「格安だ。ぜひ参加させてください」


 

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