通学路
キナツ カズキ
第1話
いつの間にか時刻が21時をまわっていることに気づくと、牧野、五十嵐、僕の3人はファミレスを出ることにした。中間試験に向け、一緒に勉強しようということでファミレスに集まったものの、結局ほとんど勉強はしなかった。僕たちはファミレスの席に通されると、担任の悪口、バスケ部顧問の悪口、高2のクラスメイトの恋愛事情、学校内におけるゴシップネタなど様々な話題で盛り上がり、ついつい話し込んでしまった。僕たちはドリンクバーだけ注文し、かれこれ5時間ぐらいべらべらと下らないことを喋り続けていたのだった。
ファミレスを出て、駅に向かって歩いていると牧野が、
「お前がファミレスで喋り始めたから、全然勉強進まなかったじゃねえかよ!」
と笑いながら五十嵐の肩にパンチした。五十嵐は、
「俺のせいにすんなよ。」
とニヤニヤしながら言った。
程なくして駅に着くと3人とも別の電車だったので、そこで僕たちは別れた。僕は1人になったことで急激な静けさを感じながら、今日もろくに勉強しなかったな、と心の中で思い電車に乗った。
自宅の最寄駅に到着し、ホームに出るとひんやりとした冷たい空気が肌をついた。家は駅から歩いて10分ほどのところにある。駅を離れ、僕はいつもの帰り道を1人で歩いていた。ここまでは何一つ、いつもと変わらない平穏な日常だった。
いつもの日常に変化が訪れたのは、駅から伸びる商店街を右折し、細く薄暗い小道をダラダラと歩いているときだった。いきなり僕の背後から
「そこの高校生!」
というしゃがれた大きな声が聞こえた。突然大声で呼びかけられたことに驚き、恐る恐る振り返るとそこには腰の曲がった老婆が立っていた。右手には黒い杖を持っており、僕を睨みつけるその鋭い目線に僕は圧倒された。長い白髪は後ろで結ばれており、顔に刻まれた無数のシワが長い年月を生き抜いてきた力強さを感じさせた。
「何でしょうか?」
「ダメじゃない、早く家に帰らないと。」
「すみません、今から帰るところです。」
「遅いよ。こんな時間まで遊んでるなんて。」
まともに相手をしていると面倒なことになりそうだったので、僕は
「すみません。」
と言ってその場を立ち去ろうとした。すると
「今日は塾もサボったみたいじゃない?ちゃんと勉強しなきゃダメだよ。」
と老婆は抑揚がなく、冷たい声で僕に言い放った。確かに今日、僕は塾の授業をサボり、牧野や五十嵐達とファミレスでべらべらと話し込んでいた。こんな僕しか知り得ないような情報を、この老婆が知っていることにとても驚いた。あまりの衝撃で僕がその場に立ち尽くしていると、老婆はそれを嘲笑うかのように一瞬ニヤッと僕に微笑みかけ、僕に背を向けて駅に向かって歩き始めた。老婆の一連の振る舞いを見て、僕は非常に気味が悪くなり、全身に変な寒気が走った。状況の収集がつかないまま僕は再び歩き始める。きっとボケたお婆さんの戯言だろう、と心の中で言い聞かせて、なんとか動揺を抑えようと僕は必死だった。
中間試験1週間前にもかかわらず、このように勉強に向き合う姿勢は皆無だったため、テストは散々の結果だった。当然の結果といえばそうなのだが、僕はさらに勉強する気が失せた。また、かろうじて五十嵐よりはいい成績だったことも、どこか僕の中で安心感を生んだ。一方で牧野は、どの科目も平均点以上でなかなかいい成績を取っているようだった。全ての試験結果が返却された後の教室で、僕は
「牧野、なんで俺達と遊んでいたのに、そんなに成績いいんだよ。なんか引くわー。」
と牧野をからかうと、牧野は
「今回はたまたまだよ。」
と言った。僕は
「いつも結構いい成績じゃないかよ!」
と言って牧野の肩を強めに叩いた。すると牧野は調子に乗って、
「まぁそうだな。」
と言って自慢げな顔で僕を見た。その顔はなんとも憎らしかった。
「じゃあそろそろ部活いくか?」
と牧野が僕に言った。
「今日なんか体調悪いから、部活休むわ。」
「またサボんのかよ。バスケやろうぜ。」
「サボりじゃないよ、本当に風邪気味なんだよ。」
「まぁ本当に体調悪いなら仕方ないけど。」
そう言うと僕たちは一緒に教室から一階のロッカーまで一緒に行った。ロッカーで牧野は練習着に着替え始め、僕はそのまま下校したのだった。
学校を出ると、僕は真っ直ぐに家に帰らず、少し寄り道をすることにした。電車を途中下車して、いつも行っている大きい本屋に行った。そこでコミック誌を立ち読みした後、何店か洋服を見て周ると、ダラダラと時間が過ぎていくのだった。
そうこうしているうちに、あっという間に時刻は18時になる。それに気づくと、僕はブランドショップを後にし、また電車に乗った。15分ほどすると自宅の最寄駅に到着し、駅から商店街の道を歩く。夕飯の準備のために食材を買い求める主婦や、部活帰りと思われる学生、仕事終わりのサラリーマンで街は活気づいていた。
商店街から細い路地に入り、僕はスマートフォンを見ながらゆっくりと歩いていると、僕の背後からコツ、コツと杖をつく音とともに、聞き覚えのあるしゃがれ声が耳元で聞こえた。
「また部活をサボったのかい?」
僕はびっくりして後ろを振り返ると、そこには以前通学路で遭遇した老婆の姿があった。あの鋭い眼光で僕のことを睨みつけている。僕はその迫力に圧倒されながらも、こう言った。
「何なんですか?あなたには関係ないでしょ?放っておいてください。」
「関係ないことあるかね?私はあなたがそんなダラダラした日々を過ごしていることを、このままでいいのかと心配して言ってるのにね。」
「しつこいな、人のことをとやかくいうのやめてもらえますか?あなたには関係のないことです。」
こういうと、僕は商店街のなかを全力で走り、自宅まで一気に駆け抜けたのであった。
どうせ結果も出ないのに努力するなんて馬鹿げている。そんな思いが僕の心を完全に支配し、僕はどんどん塾や部活をサボる頻度が増していった。
その日もいつも通り塾をサボって街をぶらつき、何食わぬ顔で家に帰ると、母はいつもどおり夕飯の支度をしていた。ただいまと言って、リビングのソファーに座った。
「今日も塾から電話がかかってきたよ。」
「…。」
「なんで行かないの?」
「行っても意味ねぇよ、あんなところ。」
「あんなところって何よ。行きなさいよ、成績も悪いんだから。どんだけお金がかかると思ってんのよ。」
「うるさいな、勝手にお母さんが塾に申し込みしたんだろ。僕の意思を無視したのが悪いよ。」
「じゃあ今の成績でどうしようって言うの?どこの学校も受からないじゃない。」
「うるさいな!俺だってどうすればいいか、わからないんだよ!」
僕は機嫌が悪くなり、自分の部屋に引き篭もった。イライラした気持ちを抑えきれず、僕はベッドの上に横になる。両親はいちいち自分の行動に干渉し、子供扱いされている感じが僕はたまらなく嫌だった。僕はその日は食欲も湧かず、そのまま眠りについたのだった。
次の日、無気力のまま学校に行く。何もかもがくだらないと感じた。二限目の英語の授業で先生の繰り出す冗談も、クラスのお調子者のふざけた発言も、高校最後の大きな行事である体育祭を前に盛り上がるクラスメイトも、全てくだらないと感じ、僕は白けた目で彼らの言動を見ていた。今まではなんだかんだ言っても楽しかった学校は、僕にとって無駄なものに思えてきた。その日、僕は体調不良と嘘の理由で学校を早退した。
いつもとは違って人通りの少ない通学路を歩くのは新鮮だった。多くの生徒が授業を受けているなか、自分だけ抜け出し、こうして歩いている。僕は自由を感じた。これからは何のしがらみにも囚われず、自分のやりたいことをやっていきたい。僕は学校から最寄駅に向かう道中でこんなことを考えていた。
そして僕は電車を途中下車し、また町に繰り出して無目的にブラブラと歩き回るのだった。いつも塾をサボるときのように、僕は本屋で立ち読みをしたり、アパレルショップに行って買いもしないのに服を眺めたりした。そして歩き疲れた僕は、ファストフードのハンバーガー屋で飲み物だけ頼んで、机に突っ伏して仮眠をとった。後から来た他校の学生の騒ぐ声で起き上がると、もう入店してから数時間が経っていることに気づき、家に帰ろうと店を出た。
自分が学校をサボっても、世間には何の影響もなく時はすぎて行く。自分が見ている学校という世界は、本当に狭い世界で、僕は学校とは別の世界の存在を強くと感じた。
電車に乗り自宅の最寄駅に到着し、駅の改札を出て商店街の道を歩いていたときだった。
「今度は学校までサボり始めたか。」
僕の背後で聞き覚えのある声がした。僕は振り返ると、例の如く老婆が立っていた。
「またかよ。だからあなたには関係ないから、ほっといてくれよ。」
僕は老婆に怒鳴り散らした。これまでのイライラが我慢の限界に達し、その怒りを老婆にぶつけた。
「そんなに大きな声を出さなくてもいいじゃない。少しは冷静になったらどうなの?そろそろ自分自身と向き合うべきよ。」
僕は老婆を叩きのめしたい気持ちで一杯になったが、その気持ちをなんとか抑えて言った。
「もう僕にかかわらないでください。これ以上関わると、僕も何をしでかすか、わかりません。」
「私はただ、あなたがそうやって無目的に時間をダラダラと過ごしているのを見てられないのよ。そろそろ私の声に耳を傾けるべきだと思うわ。」
「もうストーカーのようにぼくにまとわりつくのは、本当にやめてください。」
僕はこう言って、その場を立ち去ろうと早足で歩き始めた。
「そうやって逃げるのね。見ていて情けないわ。」
老婆が大きな声で叫ぶ声が聞こえる。僕はその声に耳を貸さずに、一心不乱に前を急ぎ、老婆を置き去りにした。商店街中の視線が、僕に集中しているように感じる。そして僕は商店街の道から、人気の少ない細い路地に入っていった。老婆から逃れられたと安心していると、
「話はこれからだよ。」
と言って老婆は今度は僕の目の前に現れ、シワだらけの顔で笑った。笑ったときに口元から見える歯は所々抜け落ちており、老婆の醜さを際立たせている。
「あんた一体なんなんだ!そしていったいお前は誰なんだ?」
僕は老婆にこう問いかけた。
「私が誰かって?それは一番お前がわかっているだろうよ。」
「本当にあんたは何を言ってるんだよ。あぁ、ボケたばあさんと話しているとイライラしてくるわ。」
「ボケたばあさんなんて失礼なことを言うね。いままでずっとお前は、私が再三語りかけているのをずっと聞こえないフリをしていたんだろ?私の声を聞かず、さも私をいないものとして扱ってきたんじゃないか?どうして素直に聞けないんだろうね。私はずっとあなたのそばにいたんだよ。初めてあなたが塾をサボったときだって、中間試験の世界史の試験でカンニングしていたときだって、私はあなたのそばで、それはダメだとずっと言い続けていたんだよ。」
老婆のこの発言を聞き、僕がずいぶん前から抱き続けてきた心のもやを見た気がした。そしてやっと僕は、これまでの自分の行いを直視するのだった。確かに老婆は僕にずっと語りかけていたのだ。僕が塾をサボったときも、カンニングをしたときも、確かに老婆はそこにいた。僕が現実から目を背け、楽な方に逃げようとするとき、確かに老婆は僕の耳元で囁いていた。
「本当にそれでいいの?」
「そうやってまた逃げるのね?」
このような声が僕には聞こえていた。しかし僕はそれを黙殺し、自分と向き合うことを放棄したただの臆病者だった。見えないふりをしてきた自分の弱さと対峙し、僕の目には情けなさで自然と涙が溢れ、僕はその場で立ちすくんだ。老婆は下品な笑い声をあげながら、その場を立ち去っていった。
次の土曜日、僕は久々に体育館でバスケ部の練習に参加した。体力はやはり少し落ちたように感じたが、運動によって流れる汗は心地よかった。また、僕の久しぶりの練習参加に、他の部員は暖かく迎え入れてくれた。程よい疲労感に僕は心地よさを感じた。
部活の終わり、僕は五十嵐からカラオケに誘われたが、今日は塾に行くんだと言って断った。五十嵐は
「ノリ悪いなー。塾なんてサボればいいじゃん。」
と言った。僕はまた誘惑に負けそうになったが、また都合つく日に行こうと五十嵐と約束した。五十嵐は
「本当最近ノリ悪いよな。マジで今度は行くぞ。」
と言って、僕たちは学校の最寄駅のホームで分かれた。
線路を挟んで、向かい側のホームに五十嵐が電車を待っているのが見える。五十嵐も僕の姿に気づいたようで、ニヤッと僕に笑いかけた。先に五十嵐が乗る方面の電車が到着し、五十嵐は電車に乗り込んだ。電車の扉が閉まると、五十嵐は無邪気に僕に向かって手を振ってきた。僕はその様子を見ると可笑しくなり、笑いながら五十嵐に手をふり返した。
ふと五十嵐の背後で何かが動いた気がした。電車が動き出したためよく見えなかったのだか、僕は黒い杖をついた老婆が、五十嵐を見て不敵な笑みを浮かべながら、彼の背後に立っている姿を見た気がした。
通学路 キナツ カズキ @kinatsu0429
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