第72話 最強の王②


     /黎


 彼に声が届いたかどうかなど知らない。

 それを確認していることはできなかった。

 まばゆい二つの光がぶつかり合う。


 生命力を燃やす、千年ドラゴンの必殺とも言うべき光陰千年の息吹ラウザンド・ゼロはまさに圧倒的だ。

 しかしわたしは知っている。

 この千年ドラゴン最大の力には、何よりも必要なものがあるということ。


 それは、感情。

 喜怒哀楽――それは何でもいい。

 怒りでも、不安でも、殺意でも、悪意でも、混乱でも、愉悦でも――何だって構いはしない。


 けれど今の彼女には、それらが決定的に欠けている。

 後押しさえなければ、いかに魔王殺しの必殺の一撃とはいえ、恐れるには足りない――!!


「ユラァアアアアアア!!」


 あらん限り、叫んだ。

 黄金の光が、白光を包み込む。


「――――」


 ユラが目を見開く。

 この咒法は、クリーンセスがユラと闘うためだけに生み出したもの。

 彼はユラを救おうとしていた。

 だから。


「ぃぁああああああああああ――――」


 直撃だった。

 全ての白光を払いのけ、導火線がユラに届き、炸裂する。

 その威力に、周囲全てが震撼した。


     /真斗


 光が炸裂する。

 その光は、黎と由羅のもの。


「――――?」


 さすがにここにきて、アルティージェも気づいた。

 視線を巡らす。


「どぉこ見てんだよ!」


 何もさせない。

 一撃が、アルティージェをこちらに振り返させる。

 今、離れさせるわけにはいかない――!!


     /黎


 ユラが光の中に消える。

 世界中、この咒法はあの子にしか通じない。

 まるで、レネスティア様の氷涙の剣アルレシアルと同じ。


 けれど決定的に違うのは、この咒法は決して殺すためのものではないということだ。

 活かすため。

 目覚めさせるためのもの。

 わたしはその光の中に飛び込んだ。


「ユラ――ユラスティーグ!!」


 叫ぶ。


「…………?」


 ぼんやりと、目を開く。

 そこには、いつもの表情。


 その手を掴む。

 ぼろぼろになった手には、くっきりと刻印が浮かび上がっている。

 そして同時に、わたしがかけた呪いは綺麗に消え去っていた。


 なぜならば、これは破壊による浄化。

 ユラの狂化をゼロに戻すための、浄化咒法。

 わたしごときの呪いなど、消え失せて当然だ。


 これで傷害は無い。

 ユラの手には、真斗が刻み込んだものとは形状を異なる、真の刻印がある。

 しかし偽物だ。


「真斗――――!!」


 再び、叫ぶ。

 その手を持ち、掲げて。


     /真斗


 黎が呼ぶ。

 あれだけの光と破壊の中にあって、それでも由羅は無事で。

 その左手には、青に輝く刻印。


 これが……!

 確かにその形状は違う。

 これが真の刻印。

 目に焼き付ける。そして、脳裏へと。


 本来ならばここで取って返し、その刻印を黎へと刻み込む。

 これで由羅は完全に取り戻せる。

 けれどそれはできない。

 俺は黎を、犠牲にするつもりなどない。

 あいつに、こんな程度で満足してもらうわけにはいかない――!


「いいもん見せてもらったぜ――」


 剣を投げ捨てる。

 そしてそのまま、アルティージェの懐へと跳び込み、そして。


「――――!?」


 目を見張る。

 俺の意図に気づいたのか。

 だが遅い……!


 その一瞬の交錯。

 俺の左手が踊る。

 狙うのは槍剣を持つ、アルティージェの右手!


「!? この……っ!?」


 驚き、アルティージェは何よりも離脱を優先させた。

 あまりに近すぎて槍剣は役に立たず、その重量さえ邪魔だと投げ捨てて、逃げようとする。


「逃がすか――――!」


 あと一閃――

 だが、僅かなところで離脱を許してしまう。


「ちぃ……!」


 完全成功には至らなかった。

 深追いはせず、今度は俺が大きく下がった。

 黎と、由羅のところまで。


「真斗、何を――――!?」


 驚く黎の声へと、俺は息を整えながら視線を送る。


「……悪いな。ちょっとしくじった」

「え……?」

「最後の一つ、刻み損ねちまった」

「あなた――まさか」


 目を丸くして、黎は俺とアルティージェを交互に見返した。

 ずっと向こうでは、アルティージェが右手を左手で押さえながら、物凄い形相でこちらを睨んでいる。


 くそ……失敗だった。

 しかし由羅の左手を一瞥すれば、その刻印はかなり薄らいでしまっている。消えてはいないが、今までの輝きは失せている。

 それなりの成果ではあったが、完全な成功ではない。


「八十点、ってとこか……」


 満点を取れないあたりが、いかにも俺らしい。

 そしてその二十点分のツケは、とてつもなく大きいものになるだろう。


「真斗――あなた、アルティージェに刻印を……!?」


 黎の言う通りだった。

 俺が刻印移動の相手に選んだのは、誰でもない、アルティージェだったのだ。


「どうして――なんで」

「お前があれを背負うことで、それで満足されたら困ると思ってな」


 それは、俺の正直な気持ちだ。


「憎むにしたってこんな剣は使わず、贖罪するからってあんな刻印に頼るなって言ってるんだ。身一つで充分だろ」

「――真斗」

「それでちゃんと……由羅とけじめをつけろ。それができたら、俺はもう何も言わないからさ」


 言うべきことは、それだけだ。

 今俺は、やらねばならないことがある。


「だめ――真斗。もうここまでよ。これ以上は戦えない――殺されるわ……!」

「何言ってんだ。もう死んでるらしいのに」


 軽口を残して、俺はアルティージェへの歩み寄った。

 俺の接近に、あいつは右手に添えていた左手を離す。

 右手から雫となって落ちるのは、赤い血。


「やって……くれるじゃない……」


 低く、うめくような声が、アルティージェから洩れた。

 それを見て、ああやばいな、と漠然と思う。

 どうやらかなり――いや、とんでもなく、怒らせてしまったらしい。


「まさか、わたしを支配しようとするなんてね……? どんな思い上がり?」

「どっちがだよ。傲慢を顔に書いて歩いてるようなやつに、言われたかねえぞ」

「ふぅん……。まだ減らず口を叩く余裕、あるんだ」


 その目が細まる。

 殺気を帯びる。


 ――真斗!

 エクセリアの声ならぬ声が、警告を発してくる。

 分かってる。

 しかし受けて立つしかない。

 逃げることなどできないだろうこの上は。


「……本当はね。みんな生かしてあげるつもりだったの。由羅だって、元に戻ってもらうのは予定の内だったわ」


 何気無い動作で、アルティージェは片手を上げた。

 その瞬間、まるで見えない糸に手繰り寄せられるように、地面に転がっていた槍剣があいつの手へと戻り、収まる。


「けれど、もうどうでもいいわ……。とりあえずあなた、目障りよ」

「!!」


 手にした槍剣が、一気に熱を帯び始めた。

 同時に発生した暴風圧が、所構わずあらゆる場所を席捲していく。


「紋章の継承者だし、由羅のパートナーだし……まあ悪くないかと思っていたけれど、わたしを支配しようだなんて傲慢、許さないわ」

「ち……!」


 これから放たれるものが、まともな威力でないことくらい、俺にも分かる。

 しかし、対抗できる術など――


「だめ……真斗――!」


 黎の悲鳴が聞こえた。

 逃げてというが、逃げられはしない。

 と、俺の目前に小柄な人影が現れる。


「エクセリア……!?」


 思わず声を上げてその名を呼んだが、エクセリアは振り返りもしなかった。

 ただ俺を庇うように、アルティージェの前に立って。


「ふふ、あははははっ。闘ったこともないくせに、わたしを止めるつもり?」


 それは嘲笑。

 どこまでも馬鹿にした響き。


「――目障りよ。死ね」


 高く、飛び上がる。

 光を背負ったまま、アルティージェの姿は上空へと一気に舞い上がる。

 そして、眼下へと振り下ろす。


「――〝九天打ち崩す降魔が牙アリア・シャクティオン〟!!」

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