第56話 約束を守るためならば


     /黎


「っあ!」


 わたしの一撃を受けて、由羅は吹き飛び背に当たった木を砕く。

 常人なら内臓破裂で死んでいるだろう威力だったけれど、それでもユラにとっては致命傷にはなり得ない。


 それでも痛みが無いはずもなく、顔を苦痛で歪めてこちらを見返してくる。

 わたしは追い討ちをかけようとしたが、できなかった。


 理由は二つ。

 一つは体力の温存。


 ユラと闘い始めてから、わたしは大した傷を負ってはいない。ユラがほとんど守りに徹しているからだった。

 そのせいで持久戦になってしまっている。


 そして徐々にではあるが確実に、わたしの体力は損なわれていた。

 今日一日真斗と市内を回り、微量ではあるが、少しずつ周囲の人間から生気を吸収し、得ることができた。

 そのおかげで、思った以上に回復させることができている。


 しかしずっと一緒にいた真斗のものまで奪ってしまい、きっと彼はずいぶん疲労していることだろう。それは申し訳なかったが、感謝している。


 だが回復したとはいえ、万全には遠い。

 しかもこうして闘っていることで、限界が近づいてきていることも、認めなければならなかった。


 このままユラに決定打を与えなければ――この剣を突き刺さねば、いずれわたしは敗北するだろう。

 どんなに傷つこうと、相手は千年ドラゴンだ。

 例え頭を砕いたところで、蘇ってくる。

 もはや、無駄に体力は消費できない。


 ……いや。

 わたしは顔をしかめた。

 考えたくもないことが、脳裏をよぎってしまったから。

 けれど一度浮かんでしまったことは、なかなか頭から離れない。


 もう一つの理由。

 それは、ユラの狙いだ。

 彼女の目的は、持久戦に持ち込むこと。


 体力を削り合っていけば、やがてこちらが不利になる。それを狙ってのことだと、当初は何ら疑わなかった。

 けれど今になって、疑問を覚えてしまう。

 本当にそうなのか、と。


 こちらの状態は万全ではない。これまでの交錯の最中、わたしも体勢を幾度も崩し、隙を作ってしまっている。

 ユラがいくら闘い慣れしていないとはいえ、全くの素人というわけでもないのだ。そんな隙を、見逃すはずがない。


 おかしい、と思った。

 変だと。


「……ユラ」


 わたしは倒れ込んでいるユラへと、声をかける。


「いったいどういうつもり? いくらなんでもあなたには意欲が無さ過ぎるわ。単に片手が使えないからだけだとも思えない……。何を考えているの?」

「……別に、何も考えてなんかないもの」


 答えて、よろりと揺らめきながら、ユラは立ち上がる。


「嘘ね。あなたはさほど馬鹿でもないわ。何も考えてないなんて、言わせない」

「…………」


 どうしてこんなにも気になるのだろうと自問したくなるほどに、わたしは思考を巡らしていた。

 ユラが何を考えているかなんて、関係無い。

 ただ倒し、もし逆にやられれば、それはそれまでというだけ。

 どちらにせよ、わたしは終われる。

 それで、いい。


 けれど。

 何かがやっぱり引っかかる。

 ユラのことが気になる。

 何を考えているのか。


 まるで、ずっと昔のように。

 わたしが、姉であった頃のように。


「――――」


 はっと。

 わたしはそれに気づいてしまう。

 ユラの、目的に。


「あなた……」


 考えてみれば簡単なことだった。

 ユラは何も変わってはいない。

 今も、昔も。

 ならば。


「……守るつもりなのね。真斗との約束を」


 そう言えば、ユラは微かに目を見開いた。

 その軽い驚きも、すぐに消えはしたが。


「……そうよ」


 淀みなく、頷く。


「あなたって子は……っ」


 まるで、あの時と同じような苛立ちだった。

 ユラが、お兄様を拒絶したのを目の当たりにした、あの時のような。


「どこまでいい子ぶるの……?」

「違う……私はそんないい子じゃない。頭だって悪いけど、決めたことは絶対にやり通すことくらい、やってみせる。それだけだもの」

「ユラ!」


 思わず、叫んでしまっていた。

 感情が溢れてしまう。


 ユラは真斗との約束を、この期に及んでなお守るつもりなのだ。

 もう誰も殺さない、という約束を。


 ユラが持久戦を望んでいることは、もはや間違いない。

 ただし、その目的は違う。

 わたしを殺すためではなく、わたしを傷つけずに倒すためなのだ。


「私は何度だって、受けてあげる。私はそうそう死ねない身体だから、何度だって。ジュリィが許してくれて、諦めてくれるまで」


 体力の削り合いに終始すれば、先に力尽きるのはわたしの方だ。そうなったら行動不能になり、しばらくは動くことはできなくなる。


 もしその後体力を回復させて、挑んだとしても、ユラはまた繰り返すと。

 わたしを傷つけずに、倒す。

 どれだけ時間がかかろうと、確実な方法だ。


 ――『確実な方法があるのなら、どんなに大変でもやってみせる!』――


 初めユラはそう言っていた。

 それはこういうことだったのだ。


「どうして……そこまで。そこまでして、真斗に……」

「わたしはきっと、真斗のことが好きだから」

「――――」

「ううん……そう思いたいだけかもしれない。でも、とっても感謝してる。どんな理由があったって、わたしは真斗を殺した。なのに許してくれて、良くしてくれて……。今になっても、わたしの敵にならなくて……。本当に、嬉しいから」

「……それだけの理由で?」

「充分だもの。だってそのおかげで、あの時のように……狂わずにいられるんだから。そうなりそうだった私を、救ってくれたから」


 そうきっぱりと言うユラを見て。

 違うと思った。

 同じだと思ったけれど、違う。

 あの時のユラとは。


 あの時のユラは、大切なもののために、選ぶことができずに身を引いた。

 でも今のユラは、身を張って立ち向かっている。

 優しくて、純粋なところは変わっていないけれど、ずっと強くなった。

 それに比べ、わたしは……。


「……わたしが許すと思っているの?」

「わからない。でも、やるしかないもの……!」


 どうしてこんなに、この子は。


「…………っ!」


 どうしようも無く溢れる感情に押し出されるように。

 再びユラへと、わたしは剣を振りかざした。

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