第55話 アルティージェと名乗りし
「でもって黎だけど、あいつはあいつで俺は借りがある。あいつがいなければ、いくらお前がいたからって俺は死んだままだったんだろ?」
「……確かに。そなたのことについて頼んだのは、ジュリィだ」
「つまりだ。あいつの目的はどうだったにせよ、俺はあいつのおかげでここでこうして存在してられる。まだまだ死ぬつもりなんかなかったから、それはそれで嬉しい。あまり死んだっていう実感はねえけど、それでもあんな記憶を思い出しちゃな……」
由羅にやられた時の記憶。
あれは生々しいし、正直思い出して気持ちのいいものではない。
それでもあの記憶がある以上、俺もどうしようもなかったというのだけは、分かってしまう。
「そなたの記憶を、調整すべきではなかったのかも知れない。しかしそうしなければ、あの記憶の印象を薄め、客観的に把握することはできないであろうと、私は判断した。もし目覚めと同時に思い出せば、そなたの気は狂い、精神に異常をきたしていただろう」
「一応、気遣ってくれたってわけか」
俺に記憶が無かったのには、それなりに理由があったということか。
「人は心が病めは、身体も病む。心が死ねば、身体も死ぬ。そういうものであると、判断している。……そなたを利用すると決めた以上、安定した状態に保つことは、ジュリィとの協力において、不可欠だと思った」
「なるほどな」
俺は頷く。
「けど皮肉だよな。万全を期そうとしたせいで、こうなっちまったんだから」
「わたしはよく、運命のような力の前に、阻まれる。恐らく、此度もまた……」
その言葉に、俺は僅かに違和感を覚えた。
「……なあ。お前がジュリィに協力している理由は何なんだ? あいつの話だと、頼まれて力を貸しているみたいだったけど、それだけなのか?」
この少女は、ただ単に黎に力を貸しているだけなのだろうか。
それともこいつ自身に何か目的があるからなのか。
「……それを聞いて、どうする?」
「理由によっては、お前を何とか説得して、あの二人をどうにかしてもらおうって思ってな。言っただろ? 俺はあの二人の状況に不満なんだ。もちろん俺の我侭だけど、あいつらに殺し合って欲しくないんだよ」
それを聞いて。
エクセリアは、その赤い瞳をこちらに向けた。
「それは、わたしの想いとは対照的な意思だ」
「……なに?」
「わたしはイレギュラーなものを認めることを、良しとしない。存在を、存在以上のものとして認識することを、罪悪と……考えている。ちょうど、今のそなたのような存在を」
……?
「どういうことだよ?」
「ものはもの以上であってはならない……。そうでない在りえぬものは、容易に世界を乱す。狂わす。そういった要因は、排除しなければならない」
一体何を言おうとしているのか分からず、俺が顔をしかめた時だった。
「ふふ……あははははっ」
――なんだ?
突然響いた笑い声に、ぎょっとなって俺は振り返る。
「いったい何の世迷言なのかしら。そんなものが、あなたの意思だとでも?」
「……?」
さも当然のように、そいつはそこにいた。
俺の知らない顔。
淡くて長い髪をした女――いや、少女というべき年齢だろう。
細い顎をつんと反らして、どこか見下すようにこちらを見ている。
いや、俺ではなくエクセリアを。
「なぜ……そなたがここに」
僅かなりとも驚いた様子で、エクセリアが小さく口を動かす。
顔見知りか……?
「ふん、なぜですって? わたしがあなたに言ってやりたいことがないとでも思っているの? もしそうなのならば、少しは感心してあげるけど」
少女が発するそれは、ひどく皮肉げな口調だった。
どう聞いても、好意的なものには受け取れない。
「別段捜し出してまで文句を言ってやろうなんて、そんなつまらないことは考えなかったけれど、こうして近くに現れてくれたんだもの。せっかくなのだから、会ってやろうと思った程度よ」
またずいぶんと高圧的な女だな……こいつは。
けどそれ以上にこいつからは、敵意だか憎悪だか、それに近い感情が見え隠れしているような気がした。
多少呆気に取られながらも、だからといって傍観しているわけにもいかず、口を挟みこむ。
「おい、お前、いきなり――」
何だなんだと言おうとした瞬間、一瞥された。
「黙りなさい。あなたとは話していないわ」
「な」
こ、こいつ……。
その言いように、俺は顔を引きつらせる。
この女、とんでもなく態度がでかい。
やたらめったら偉そうな雰囲気を全身から発散させてやがるし……。
とにかく、むかむかとなる。
だがそんな俺の気など微塵も気にした風も無く、そいつはエクセリアへと視線を戻した。
「それにしてもエクセリア。あなた、今になってもそんな下らないことを口にしているなんて、正直呆れたわ。本当に愚かしいものね」
「…………」
「ふん? 何か言いたそうね」
「私が愚かだと?」
エクセリアの紅い瞳が鈍く光る。思わず悪寒が走るような冷たい視線だった。
こいつ、やっぱりただの人間じゃねえぞ……。
しかし対する少女は少しも動じはしない。
むしろ挑発するように口を開いた。
「そうでしょう? でなければ何だというの?」
二人が睨み合う。
俺はぞっとしながら、その光景を見ていた。
今この場に満ちている感情の圧力は、黎や由羅のそれらを簡単に凌駕している。
間に挟まれた俺は、何というか、最悪だった。
「あなたは自分の感情に気づいていながら、隠している。隠して、未だに下らないことに縋っているわ。怖いのかしら。それとも……レネスティアへの嫉妬?」
「――――」
エクセリアの表情が、微かに凍りつく。
構わずに、少女は続ける。
「簡単な証明をしてあげましょうか。あなたがどうにかしたいと思う存在は何人かいるのでしょうけど、さしあたってはあの二人。由羅を始末して、その後はジュリィ。そしてそこの人間を片付ける。それでとりあえず、レイギルアの後始末はできるというわけね」
…………?
ちょっと待て。こいつ、今とんでもないことをさらっと口にしなかったか……?
「その手間、わたしが省いてあげるわ。まずはその人間を殺しなさい。そうすれば、由羅はもちろんジュリィもわたしが始末してあげる。ジュリィを殺すのなど簡単だし、由羅も千年ドラゴンとはいえ、わたしにとってそれは問題にならないわ。そんなこと、あなたが一番知っているものね?」
「おいこらてめえ!!」
さすがにたまらず俺は口を挟んだ。
その声に、鬱陶しげに見返してくるそいつの姿が、また腹立たしい。
「……あなたに発言を許した覚えはないのだけど?」
「誰がてめえの許しなんぞを欲しがるか! だいたい何なんだ、いきなり出てきて勝手にべらべらしゃべりやがって! 挙句俺を殺せだと?」
「もう死んでいるくせに、何を今さら」
「て、てめえ……!」
「――エクセリア、何をしているの? 早く消してしまって。どうせ仮初の存在。ちょっと視線を逸らせば消えてしまう哀れな木偶。簡単でしょう?」
「いい加減に――」
さすがにカッとなりかけた俺だったが、その刹那、身を翻した少女の姿に目を見張る。
――速い!
「くっ!?」
俺が振り返るよりも速く、背後に回りこんだそいつに背を押される。
軽くだったにも関わらず、バランスを崩して前のめりに倒れそうになった。
だが――何とか踏み止まる。
それが、命を救った。
「こ、の……っ!?」
悪寒。
ぞっとするそれに恐怖して、俺は何よりもまず、その場を思い切り蹴った。
飛び退く――そこを、何かが一閃する。
「……ふうん?」
きょとん、としたように、そいつは声を洩らした。
「避けたの。少しはできるのね」
そう言って、手にしている物騒なものを、自分の肩へと置く。
「こ、こいつ……」
そいつが持っていたのは、剣というには長すぎて、槍というには刃の長すぎるという武器だった。
ぱっと見ただけでもまともな重量のものでないと分かるのに、そいつは片手で軽々と持ち、肩に置いている。
ふと地面を見れば、さっきまで俺がいた場所は深く抉られていた。
もし地面に倒れこんだままであったら、俺の身体は両断されていただろう。
「てめえ……殺す気か?」
「だってぴーぴーうるさいんだもの。エクセリアも煮え切らないし。だったらわたしがしてあげるわ」
「…………っ」
絶句する。
こいつ――とんでもない奴だ。
何者かは知らないが、まともじゃない。
「逃げてもいいのよ? けれど今度は」
そいつは手にした槍剣を地面に突き刺すと、すっと片手をかざす。
「粉々にしてあげるわ。逃げるのなら、わたしの視界全てから逃げないとね?」
「てめえ、全部吹っ飛ばす気か!?」
何か得体の知れない力が発動しているのが否応無く分かった。
しかもそれは、俺が今まで感じたことが無いほど、強力なものだ。
かざしたそいつの指先がぼんやりと光り出し、こちらに狙いを定めてくる。
「だって、それなら逃げられないでしょ? ううん、逃げても無意味、ということになるものね。でも努力はしていいんじゃない?」
無意味な努力でもしろと、そう言いたいのだろう。
完全に、弄んでやがる。
「まだ他に人がいるかもしれないんだぞ!? 第一あの二人だって――」
「あら、一人で逝かなくてすむというわけね。良かったじゃない」
本気でそう思っているかのような口調で、事も無げに言う。
くそ――冗談じゃ……!
俺が何の活路も見出せずにいるその時。
音も無く、誰かが俺の前に立った。
「お前……!?」
小柄な人影――そいつは紛れも無く、エクセリアだった。
まるで俺を庇うように間に入り、あいつを見返している。
「……何の真似?」
「…………」
「ふうん……。嫌なのね。その人間を殺されるのが」
「理由はどうあれ、私が一度認識したものを、勝手に他者に否定されたくはない」
その言葉に。
「ふふ、あははは」
また、そいつは可笑しそうに笑った。
そして発動していた咒法を消し去る。
あまりにもあっさりと。
「そうね、それが観測者というもの。レネスティアを見ているから、よくわかるわ。でもだからこそ、あなたは愚かだというの。今わたしがやったことと同じことをあなたがしているということ。それを理解していないのだから」
「――――」
「ふぅん? そんな顔もできるのね。けれどもう遅いわ。今までの貸しは返してもらう」
そう言い、そいつはそっと歩み寄ってきた。
無視するようにエクセリアの横を通り過ぎ、俺の前まで来て足を止める。
思わず身構える俺の前で、そいつは見上げて微笑を作った。
今までの敵意のようなものは、一切消えていて。
なんだ……?
「真斗、少々脅かしすぎたけれど、許してね?」
「はあ……?」
「そんな馬鹿みたいな顔しないで。あなたは由羅のお気に入り。あの子の大切なものを、わたしが奪うわけがないじゃない」
それは皮肉でもあった。
俺へではなくて、多分、エクセリアへの。
そんな気がした。
「お前……?」
「お前、ではないわ。もちろん、てめえ、でもね」
そう前置きすると、そいつは一歩下がって優雅に一礼してみせた。
「わたしはアルティージェ。そう呼びなさい。由羅のパートナーということで、特別に許してあげるわ」
「な、ちょ、お前……?」
「だからお前ではないと言ってるのに」
唇を尖らせて拗ねるように、そいつは言う。
「殺されながらも由羅を選んだあなたには、それなりに感心しているのよ? 人間にしては……とね」
「お、おい、こら――」
一方的にそんなことを言われ、俺は戸惑うしかなかった。
ほんのさっきまでは、こいつに殺されそうになっていたっていうのに、いきなりそんなことを言われても、簡単に整理できるものじゃない。
「今日はあなたに任せて引いてあげるわ。ちゃんと由羅を助けて、ジュリィを殺しなさい。そうすれば、あなたの存在は助けてあげるから」
「な……?」
「いいこと? 確かに言ったわ」
それを最後に。
そいつ――アルティージェと名乗った少女は、そのままこの場から立ち去ってしまう。
いったい何だってんだ……?
しばし呆然と見ていた俺だったが、やがて我に返ってエクセリアへと視線を戻した。
「……あいつ、何なんだ? いきなり現れて、いったい何を……」
俺が声をかけても、エクセリアは黙ったままだった。
俯いていて、顔色も見えない。
「おい、こらって」
俺は頭を掻きながら、その場にしゃがみ込む。
そうやって、エクセリアの顔を見上げて。
息を呑んだ。
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