第57話 少女の葛藤


     /真斗


「お前……」


 それは一瞬だったので、はっきりと見たわけではなかった。

 今こうして見るエクセリアは、これまでと何ら変わらない。


 けれどさっき、こいつは泣きそうな顔をしていた。

 いや、泣いていたのかもしれない……。


「どうしたんだよ。えらくしょげた顔して」

「…………」

「だから……」


 黙ってしまったエクセリアを前に、俺は半ば途方に暮れていた。

 今のエクセリアは外見そのままの子供のようで、いったいどう手をつけていいのかすら分からない。


「まったく」


 溜息が洩れる。

 俺はこいつを説得にきたというのに、それがお守りになっちまうとは……。


「お前、何か悩んでるんだろ?」


 とにかく黙っていても仕方が無い。

 俺は何とかエクセリアに口を開かせようと、話しかけてみる。


「だったら話してみろよ? でもってその後で、俺の話を聞いて欲しい。それじゃあ駄目か?」

「…………」


 ようやく、エクセリアは反応をみせた。

 視線が、こちらを捉える。


「私は、どうすればいいのだろうか……」


 僅かに動いた唇は、そんな言葉を紡ぎ出した。


「どうすればって、お前」

「私は……わからなくなった。いや、元々わかってなどいなかったのかもしれない」

「何が、なんだ?」

「私がやろうとしていることの意味。そして……その結果を」


 そう言いながら、エクセリアはそっと手を伸ばしてくる。

 冷たい指先が、俺の頬に触れた。


「私はそなたを、認識すべきではなかったのかも知れぬ。例えどんな理由があろうとも、誰であろうとも」

「俺がこうやって生きていることが、まずいってことか?」

「そうではない。……確かにそなたは思うようには動いてくれなかった。しかしもし望むように事が進んだとしても、最後に同じことで悩むことになったと思う。自分で蒔いた種ではあるが……」

「いったい何を悩むんだ?」


 俺の問いかけに。


「そなたを否定できぬことを」


 そんな答えが返ってきた。


「我々観測者は一度強く認識したものを否定されることを、受け入れられぬ性があるらしい……。知っているつもりではあったが、こうやって体感して……」


 手が震え、離れていく。


「私の想いと、思うこと……。それらは相反してしまう。私は、どうすれば……」

「一つだけ、確認しときたい」


 再び俯いてしまったエクセリアへと、俺はまっすぐに聞いた。


「さっきのあの女が言ってたことだ。お前は黎も由羅も始末するつもりだと……そう言ってたと思う。それはどうなんだ? それが目的だったのか?」

「……そうだ」


 頷く、エクセリア。

 やっぱりか。


「どうして」


 その問いかけに、答えはしばらく無かった。

 ずっと押し黙ったまま、どれほど時間が経過してからか。

 小さく唇を動かして、答えを紡ぎ出す。


「認めたくない……。自然に反し、世界を乱す。容認すれば」


 似たようなことは、確かさっきも言っていた。

 俺は少し考えて、改めて聞いてみる。


「つまり……あの二人がいると、この世界がおかしくなるからとか……そういう何かがあるからなのか?」

「そう、判断していた」

「じゃあ今もこの世界が、おかしくなりかかってたりするのか?」


 ふと俺が知っている世界の様子を、思い浮かべてみる。

 環境問題云々――人が増えて、生きていることで、確かに地球は色々大変なことになってきているのかもしれない。


 しかしそういうことが関係あるのだろうか。もしくは拍車をかけているのか。あの二人がいるからといって。


「千年前」


 小さな声に、俺はエクセリアを見返した。


「その弊害が初めて顕現した。させてしまった……というべきだが」

「弊害?」

「存在を、それ以上として認識するために不可欠なのが、我々自身の感情だ。意識的に、認識しなければならない。そうやって感情で何かを認識するようになっていった結果、千年前に死を認識するに至ってしまった」

「なんだそりゃ?」

「死は、死だ。あらゆるものに運命付けられたもの。その運命を加速度的に早め、意図的に操れるほどの力をもった、存在。死神。それを生み出してしまった」

「……よくわからんけど、それってやばい奴なのか?」

「その気になれば、この世界を滅ぼすこととてやってのけるだろう」


 滅ぼすって……なあ。


「けどさ。そんなのが千年も前からいたとして、だからといって世界は別に……」


 そんな存在に世界が恐怖しているようには見えない。

 それらしい影響も思いつかないし、騒ぎになっているとも……思えない。


「私はその存在を何とかしたいと思った。誰よりも私が……怯えていたのだろう。そうして百年をかけて、封印を施した。だがそれも解けてしまった。しかしもはや、どうすることもできぬのかもしれない。私はただ、惰性のみで動くことしか……」

「お前……?」

「私は、どうすれば……」

「おい!?」


 エクセリアの身体が透け出したのを見て、俺は思わず叫んだ。

 そして止める。

 こんなところで逃げ出されるわけにはいかない。


「こら勝手に消えるな! まだ何も解決してないんだからな!」


 消えそうになったエクセリアの瞳が、こっちを捉える。


「逃げてるんじゃねえぞ! 事情はどうあれ、お前のやった責任はきちんと――」

「……私を、連れてゆくが良い。あの、二人の元に」

「え……?」

「そして、好きに……」

「おいこら!?」


 薄らいでいた身体は元に戻る。

 しかしそれと同時に、まるで糸の切れた人形のように、エクセリアは倒れ込んだ。

 思わず抱きとめたその身体は、信じられないほどに軽くて。


「こいつ……?」


 すでにエクセリアに意識は無かったが、とても眠っているようには見えなかった。

 動悸すら感じられない。

 それはまるで人形ようで。


「てめえ……こんなんになって連れてけってか……? 好きにどーしろって言うんだよ!」


 毒づくが、反応など返ってくるはずもなく。

 俺はその軽い身体を抱きかかえて、あの二人のもとへと――走った。

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