第32話 協力か、それとも


     ◇


 事務所に戻り、無言で椅子に座る俺と茜へと、最遠寺がお茶を入れて運んでくる。


「どうぞ」

「……ああ」


 飲む気にはなれなかったが、それでも適当に頷いておく。

 茜は茜で多少困惑した様子で、自分の分を受け取っていた。


 あいつにしても、今回のことの全ては分かっていないのだろう。

 もちろん俺に至っては少しも理解していない。

 全てわかっているのは、最遠寺だ。


「説明……してくれるんだろうな」

「ええ」

「本当に、あいつがそうなのか」

「そうよ」


 あっさりと頷く最遠寺。


「そのことに関しては、間違いない」


 茜も、同様に頷いてみせる。


「あれはもともとアトラ・ハシースに封印されていた、過去の化け物らしい。それが一年以上前に、突然その封印が解かれてしまったんだ。封印されていた本人は逃亡し、私たちはそれを追った。結果は少し話したと思うが、こちらが犠牲を出すばかりで、なかなかその消息を掴めはしなかった。現在では私がその追跡の責任者であり、発見後の裁定内容は抹殺だ」

「過去の……化け物?」

「うん……詳しくは知らないけど、そう聞いている。でもたぶん、あれが何であるのかアトラ・ハシースでもよくわかっていないんじゃないかと思う」

「あれはドラゴンよ。千年ドラゴン……あるいは魔王の遺産スセシオンとも呼ばれている代物」

「……何だって?」


 驚いたのは、俺ではなく茜だった。

 俺には何のことか、分からない。


「ドラゴンとしてあれが目覚めたのは、今から千三百年ほど前のこと。伝説にもなっているでしょう? あれが、その起源」

「待てよ。何のことなんだ? 俺にはさっぱり……」

「千年ドラゴンというのは、魔王のみが生み出せるという存在のことだ。伝説では一生に一度だけ、魔王はその卵を作ることができるらしい。誰か魔性のものをベースにして、一旦卵にまで還元し、そのまま千年を経ると目覚めるとか。とても強力で凶暴な存在だって聞いている。……もっとも、アトラ・ハシースに正式な記録は残っていない。あくまで口伝であって、本当かどうかもわからない話だ」

「それがあいつだって――言うのか」

「それは私にもわからない」


 俺と茜は、同時に最遠寺を見た。


「なぜ……お前はそんなことを知っているんだ?」


 不思議そうに聞く茜。

 茜の言う通りなら、どうしてアトラ・ハシースでもない最遠寺がそんなに詳しく由羅のことを知っているのか。


「多少、事情に詳しいだけよ。そんなことよりも重要なのは、桐生くん、あなたのことの方。まだ思い出せない?」


 俺があいつに殺されていて、しかもあいつに刻印咒を刻んだってことか。


「思い出せないな。だからまだ信じられない」


 しかしあいつは全く否定しなかった。

 本当に俺が忘れているだけならば、辻褄が合ってしまう。


「真斗、聞きたい。もしかして、お前が今日の朝に私に会わそうとしていたのは……」

「ああそうだよ。さっきのあいつだ」


 茜へと、俺は頷く。


「あいつを何とかしてやるつもりだった。だっていうのに――くそ!」

「謝るわ。桐生くん」


 不意に、最遠寺がそんなことを言った。


「……何がだ?」

「わたしはあなたが記憶を失っているとは思わなかった。でも失ってしまっていて、それでもしばらくすれば戻るだろうと思っていたわ。やはり自然に思い出すのが一番、あなた自身が納得できるから。だからわたしはあえて何も言わなかった。でもその間に……」


 俺は由羅と再び会って、そしてあんな約束までしてしまったというわけか。

 何とかしてやる、なんて。


「こんなことで桐生くんが悩むのなら、少しでも早く真実を告げれば良かったと思う。それをしなかったことを、謝っているの」

「……いいさ、そんなことは」


 一番の問題は、俺が覚えていないことだ。

 くそ……!


「それでこれからどうするつもりなんだ」


 尋ねたのは、茜。


「私の目的ははっきりしている。あれを、抹殺すること。今日少しやりあってみたけど、思っていた以上に、強い。協力があると嬉しい」

「わたしは構わないわ。わたしはわたしで……あれに恨みがあるの。殺すことができるのなら、アトラ・ハシースでも腕利きのあなたの協力は嬉しいわ。九曜さん」


 あっさりと、二人は協力体制をとってしまう。

 問題は俺か。


「最遠寺……俺を助けたって言ってたよな? どうしてだ?」


 聞いた話では、少なくとも俺は瀕死の重傷だったはず。それをたった一晩で蘇生させたという事実は驚きだが、それ以上になぜ助けたのか。


「助かるかもしれない人を、助けてはいけないのかしら」

「ああ……そうだな。すまない、馬鹿なことを聞いた」


 最遠寺の言う通りだ。

 人が人を助ける理由など、決して大したことではない。


「いえ、いいのよ。あの女にあれほどの刻印を刻んだあなただもの。それを見ていて、打算が無かったといえば嘘になるわ。それに一部始終を見ていて、本当は助けるつもりは無かった。わたしは様子を見ていただけだから。でもあなたに思わぬ反撃を受けて、あれは動揺して――その場から逃げ出してしまったわ。いつもなら、死体であろうとバラバラにしていたのに。だから助けられたの」


 そういえば、と思い出す。

 三日前を最後にして、ここのところ殺人は起こってはいない。


 その三日前の殺人も、連日のものに比べて、死体の損傷は激しくなかった。

 している余裕が無かった、ということか。


「わたしはあなたが回復したら、協力してもらうつもりだったの。あの女を狩ることに」


 ぞっとするような冷たい声で、最遠寺は言う。

 協力……か。


「できないな……きっと」


 まだ実感が湧かない。

 何より俺はあいつのことを知ってしまった。二人が言うような悪いところではないものを。


「そのようね」


 あっさりと、最遠寺は頷いた。


「けれど記憶さえ戻ればきっと協力してくれる。あなたが自分に受けた仕打ちを思い出せば、憎むことさえ簡単でしょうね。でなければ……あんな刻印を、刻んだりはしないわ」

「……かもしれないな」


 あんな呪いを、誰かに刻むなど。

 俺はそんなことは一生無いと思って、疑っていなかった。

 だっていうのに、もし全てが真実ならば……。


「桐生くん。できればあなたには、協力して欲しい」

「私は反対だ」


 今まで黙って聞いていた茜が、口を挟む。


「感情的な理由以前に、私は元々真斗が関わることには反対だった。しかも相手は千年ドラゴンなんていう化け物なんだ。私たちだってどうなるか、わかりはしないんだぞ」


 そう、か。

 もしあいつを殺そうとこの二人が動けば、当然あいつも反撃する。

 その結果、どちらかが死んでしまう可能性が、充分にあるってわけか。


「くそ……冗談じゃねえ……」


 本当に冗談じゃない。

 何でいきなり……こんな展開になるんだよ。


「お前ら、どうしてもあいつを殺さなきゃいけないのか?」

「真斗。この一連の殺人は紛れも無くあれなんだ。例えアトラ・ハシースの者が犠牲になったのが正当防衛だったとしても、ここで起きた殺人は、何の意味も無い快楽殺人だ。それを見逃せと、そう言うのか?」

「だけどあいつは……っ」


 そんな奴じゃ、ない……。

 少なくとも俺はそう思っている。

 でも失っているかもしれない記憶のせいで、断言することはできなかった。


「仕方ないわ……九曜さんの言う通り、危険なことには違いないから。強制はしない。けれど、その気になったら協力くれると嬉しいわ。ただ、あまり時間はないようだけど」

「時間がない?」

「ええ。あれは、わたしの宣戦布告を受け入れた……わたしが動かずとも、向こうから来るわ。そうね……恐らく、明日の夜には決着がつく」


 考える時間は一日……ということか。


「思い出して……みるさ。それから決める」


 俺はその時、ただそうとだけ、答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る