第31話 犯人は


     /茜


 反撃。

 それは突然だった。


 私が何発目かを撃ち込んだ時、狙いが逸れて、巻き上がった瓦礫があいつの姿を一瞬隠した。


 その僅かな間に、そいつはこちらに背ではなく正面を向けていて。

 一気に飛び掛ってきたのだ。


 一瞬にして消える、十数メートルの距離。

 私は思うより先に、真横に跳んだ。


 ズガッ!


 そいつの細腕が、地面を叩き割り、砕いた音。

 地に這って、こちらを見据えるそいつの瞳は――捕食獣の、それだ。


 私はあいつを狩るためにここにいる。

 けれどあいつも、私を狩る気でいる。

 そういう目だ。


「く……っ」


 私はとにかく動いた。

 あいつの身体は全て凶器だ。

 捕まれば、絶対に逃れられない。

 その場でバラバラにされてしまう。


 立場が逆転する。

 今度は私があいつに追われた。


 背後から狙撃されることは無いとはいえ――その分相手の身体能力はまともではない。

 私が日常自分にかけている身体強化の咒を、別のものに差し替える。

 いつものままでは、とてもじゃないがあいつの動きに対応できない。


 それでも。

 そいつはすでに私のすぐ背後へと迫っていた。


「――はあっ!」


 私は振り返ると、銃でもって振り払う。

 そいつがいくらか後ろに下がったところで、発砲。


 しかし精神制御が甘かったのか、大した威力にはならず、それを見切ったそいつに片手で簡単にその一撃を払われてしまう。


 大した相手だ。

 私は焦燥感にじわじわと支配されながら、相手を見据えてその場に踏みとどまる。


 今ほど振り払った一撃のせいで、少女が右にしている手袋が少し破れ、血が滲んではいたが、まるで気にした様子もない。

 ただこちらをどう殺すか、それだけを考えているようだった。


 こちらとて、まだ対応の手段は残されている。

 負けたとは思っていない。


 ただ少女が動かなくなったことで、こちらも迂闊に動けなくなってしまっただけだ。

 少なくとも今、下手に背を見せるわけにはいかない。


 数秒か、数十秒か。

 それだけたって、なぜか少女は視線を逸らした。


 殺気は消えはしなかったが、薄らいで。

 意味がわからない。


「……やっぱり、殺したくない」


 突然、そんなことを言う。


「なに……?」

「別にあなたのためじゃないもの。私のため」


 私はただ眉をひそめて、その少女を見返した。

 思ってもみなかった、言葉。


「なるべく……真斗には疑われたくないから……」

「――?」


 耳に届いた知った名を、私が聞きとがめたその時。


氷結の刃よデネス・ロー・ルディネイン!」


 突如として響いた、咒。


 私とそいつが同時に見上げた瞬間、氷の刃がまさしく雨のように、降り注いだ。


     /真斗


 信じられないくらい、最遠寺は速かった。

 咒法には、自分の身体能力を一時的に高めたり、また恒常的に高くしておくことのできるものがあるらしい。


 しかしそんなものを自分にかけているような咒法士など、限られている。

 よほど咒法の知識に精通し、また戦いというものを日常に位置付けている連中。


 俺は何とか後を追いながらも、どうやら最遠寺が誰かの後を追いかけているらしいことに気づく。


 俺にも何度か見えたからだ。

 夜空を舞う、二つの人影が。


 そいつらが地面に降り立ったその場所へと、迷わず駆けていく最遠寺。

 そして。


「荒ぶ風、北より抜けて、氷結の雨たらん。凍てつき穿つ、極淵の風――」


 俺の言葉などまったく聞かず、立ち止まっていたその人影へと向けて、それこそ問答無用で咒法を叩きつけた。


 最遠寺が使ったのは、俺の知らない咒法。

 九曜家で習ったものと似ていたが、少し違う。


 最遠寺は見事といえるほどの精密さで咒を組み立てると、まだこちらに気づいていない相手にへと、咒法を放つ。


 現れたのは、幾数もの氷の刃だった。


「――――!」


 狙われたその人影は、突然のことに驚きながらも、何とかしてその場を飛び退く。

 しかしその完全な不意打ちに、いくらかの刃を身に受け、鮮血を舞わせて顔を苦痛にしかめた。


「なに――あなた!?」


 裂傷したところを押さえて、こちらを見たそいつは、最遠寺を見て驚愕の表情を浮かべる。

 そして後からきた俺を見て――


 は……?


 一瞬、俺の思考が停止する。

 そこにいたのは――


「由羅!?」

「真斗……? うそ、なんで――」


 あいつも呆然としたように、こちらを見返している。

 そしてそのすぐ近くには、物々しい銃を構えた、茜の姿。


「真斗――どうしてここに」


 茜も驚いたように、こちらを見返している。

 ただ一人冷静なのは、口元に微かな笑みさえ浮かべて眺めている、最遠寺。


 俺は状況が理解できず、全員の顔を見回す。

 誰もが、俺の知っているやつだ。


 最遠寺が追っていた二人は由羅と茜で、二人のうち由羅に向けて、最遠寺が攻撃を仕掛けた――俺にはそう見えた。

 何の確認も無く、だ。


 それに第一、由羅と茜は何をしていたのか。


「真斗……」

「動くな!」


 最初に動こうとした由羅を、茜が銃口を向けて制止する。

 最遠寺もまた、俺と由羅を遮るように、ちょうど間へと移動した。そして口を開く。


「……さすがね。こんなに早く、犯人を見つけてしまうなんて」


 な……?


「待て――どういうことだ?」


 俺はなるべく冷静になろうと努めながら、低く問いただす。


「真斗。こいつがそうだ。私が追っていた異端――そしてここ最近、事件を起こしていた犯人。お前が追っていたやつだろう」


 答えたのは茜。


「待てよ……何の冗談なんだ。俺はそいつのことを知っている。由羅っていうやつで……最遠寺、お前だって知らないわけが」


 そこで息を呑む。

 最遠寺は何の容赦も無く、由羅を攻撃した。

 まさか。


「そうよ、桐生くん。わたしは初めから、その女が異端であり、一連の犯人だということは知っていたの」


「な……」


 俺は再び由羅を見る。

 由羅は、もう俺を見ていなかった。

 誰も見ず、ただ視線を下に向けている。


「おい由羅! いきなりこんなこと言われて……俺は信じてないぞ」


 突然そんなことを言われて、はいそうですかと頷けるわけもない。

 だっていうのにどうして……お前は黙ったまま、何も否定しないんだよ。


「最遠寺……それに茜も。何を根拠にそんなこと言うんだ。わかるように説明してくれよ」

「説明なんて、本当は不要なのだけれどね」


 最遠寺はくすりと笑う。


「その女の左手……それこそが、全ての証拠なのだから」


 その一言が。

 由羅を、びくりと震わせた。


「左手……?」


 俺は眉をひそめ、思い至る。

 あいつの左手にあるのは、刻印咒。

 誰かに刻まれたという、呪われたもの。


「その刻印は、いったいどうして刻まれたのかしら。そして誰に……ね?」

「これ……は……」


 目に見えて、うろたえる由羅。そして、俺を見る。信じられないくらい、哀しげな瞳で。


「それは、あなたが殺した人間に、最期の力でもって刻まれたもの。そう……桐生くんに、ね」


 は……?

 俺が、だって?


「おい……何言ってるんだ? 俺がいつそんなことをしたって言うんだよ。第一俺は死んでなんか……」

「死んだのよ」


 あっさりと最遠寺は告げる。

 冷たく、はっきりと。


「まあ正確には……命の灯火が消える寸前だった。わたしが見つけた時にはね。それを、助けてあげたの。どうやらその時に、記憶の混乱を起こしてしまったようね。あなたはその女に出会ったこと……殺されそうになったことを、次の日目覚めた時には忘れてしまっていた。朝、とても身体が痛かったでしょう? 心臓を握り潰されていたんだから、当然だけれど」


 何だって……?

 そんな、そんな――ことが。


 確かにあの日、調子は悪かった。

 そして、由羅と出会って。


 そういやあいつ、何度も言っていた。

 あの刻印咒を刻んだのは俺、だと。

 だから俺の所へ来た、と……。


『そ、その……あの時のことは謝るから、許してよ……』

『……やっぱり私のこと恨んでるの?』

『この馬鹿っ。どうして一日もたってないこと忘れちゃうのよ!』

『――これしたの、あなただもの』


 あの日のことを思い出せば、そんな会話が確かにあった。

 どれもが、聞いていた俺にしてみれば、よく分からなかったこと。


 しかし最遠寺の言うことが本当だったとしたら、どれもが説明がつく。

 ……ついてしまう。


「自分が手にかけた相手に、何とかしてもらおうと頼るなんて、本当に呆れた女ね。彼が忘れていることをいいことに」

「なによ――なんなのよ!」


 たまらなくなったように、由羅が叫ぶ。


「どうして壊すの!? 私、今の生活がとても気に入っていたの! ずっとこのままでいたかった! それをどうして……! なんなのよ……あなたたちはっ!」

「相変わらず我侭なことね。しかも都合よくできているようだし……」


 由羅の言葉に、最遠寺の表情に憎悪が満ちる。


「他人の忘却に付け込んだだけではなく、自分のことすら忘れているなんて」

「自分……? 私のこと、知ってるって言うの」

「もちろん――知らないわけがないわ。ユラスティーグ・レディストア」


 言われて。

 由羅の表情が固まる。


 そして。

 あいつは小さく搾り出すように口を開いた。


「………………ジュリィ・ミルセナルディス……」


 長い沈黙の後に紡ぎ出された名に、最遠寺は笑う。


「そう――ようやく思い出してくれたかしら。ユラ」

「…………っ」


 歯を噛み締めて、由羅は最遠寺を睨みつける。

 俺には少しも理解できない、会話。

 だが二人にとってはそれだけで、お互いを認識してしまったらしい。


「こんな……ところまで……」

「長かったわ。けれどもう終わりにしたくなったの」

「そう……」


 由羅は、頷いて。


「じゃあ、そうすればいい」


 そう言った後、俺へと視線を送ってくる。

 哀しげで、申し訳ないような、そんな顔。


「……ごめんね」


 それだけの言葉を残して――由羅は地面を蹴り、その場から大きく跳躍した。


 闇へと舞い、消える姿。

 おまえ――何か。


「――――」


 それを追う、最遠寺。

 何が、ごめんね――だ!


「待て――待てよお前らっ!!」


 俺はあらんばかりの大声で叫ぶ。

 しかし止まったのは、由羅を追おうとしていた最遠寺だけだった。


 最遠寺はこちらを見返して――ふうと、息をつく。

 由羅の姿はもう、どこにも無い。


「わたしとしたことが、少し感情に流されてしまったようね」


 自嘲するような笑みを浮かべて、小さくつぶやく最遠寺。


「いいわ。どうせだから、はっきりさせておきましょう」


 そんな風に言う最遠寺の声が、やけに空しく響き渡った……。

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