第21話 遭遇


     /茜


「―――間違いない」


 眼下に町を見下ろしながら、私は低くつぶやいた。


 この町はとても明るい。

 とっくに深夜を回っているというのに。


 もっとも全てがといわけでもない。

 一部の繁華街に光が集っているだけで、人も寝静まってかなりたつこの時間では、闇に沈んだ場所の方が圧倒的に多いのだから。


 風が吹く。

 身に染みる寒さを運ぶ風に、血の香は無い。が、それでも――残滓は残っている。

 この町で、何かがあった証拠。


 実際、ニュースでも取り上げられていること。

 恐らく、このどこかに潜んでいるのだろう。


「でも……まさかこんな所にいるなんて」


 私にとって、この町は初めてではない。

 知り合いが住んでいて、何度か……会いにきたことがある。


 一度私が向こうにいる時に押しかけられて、重々に懲りたから、なるべく定期的に訪れるようにしていたのだ。

 だが今回は、別の目的をもってここに来ている。ある者を追って。


 一応、仕事だ。

 ここに住んでいる知り合いに頼めば、恐らく二つ返事で手伝ってくれるだろう。

 どうしてかは知らないけれど、私は彼女に気に入られてしまっているから。


 だけど、厄介なのも周りにいるのだ。

 顔を合わす度に文句ばっかり言う女とか……あの人とか。


 好きとか嫌いではなくて、何となく苦手……というのが正直なところである。

 できれば顔を合わさずにすみたいというのが、私の本音かもしれない。

 まあどうなるか分からないが。


「――――」


 私は闇の中に動く人影を捉えて、目を細めた。

 少し遠くて分からないが、多分、普通の人間。

 でも――


「…………」


 思い至った可能性に突き動かされるように。

 私は足場にしていたビルの屋上から飛び降りた。


     /由羅


「…………」


 電気もついていない部屋で私は一人、小さく包まっていた。

 深夜はとっくに過ぎていて。

 少し前だったら、愉悦を求めて町を彷徨っていた時間帯だ。


 でも今日は、そんな気はまったく起こらなかった。

 頭に浮かんでいたのは、今日一日のことだ。


 けっこう――楽しかった。

 色んな場所に連れていってもらったり、逆に連れ回したり。


 自分一人ではどうしても手に入れられないものだ。

 最近まで夜を徘徊して愉しんでいたこととは、明らかに違うもの。


 自分に呪いがかけられていることも忘れるくらい、今日一日は充実していたような気がする。


 でも、不安もあった。

 真斗と一緒にいた女。


 初めて会ったのだとは思うのだけど、なぜか不愉快だった。

 今まで人間を見て感じていた支配感とは、全然違う類の気持ち。


 ……誰だったのだろうか。


 あの女もあの女で、まるでこちらの全てを見透かしているような感じだった。

 私が毎夜出歩いて、人を殺していたこと。

 真斗を殺しているかもしれないということ。


 それに、私でも思い出せない、目覚める前のことまで全て知っているような気がした。

 ……ひどく、嫌だった。


『まったく誰かしら。そんなことするのは……ね?』


 本当はもっと真斗といたかったのだけど、あの女にそう言われて、急に不安になって逃げ出してしまった。

 気づいたら、彼の前から離れてしまっていたというべきかもしれない。


 不安。

 あの女はきっと、私が今手に入れた生活を、壊してしまいそうな気がする。


 殺してしまった方がいいのかもしれない。

 私の中のどこかで、そんな声がした。


「違う……駄目」


 私はぶるんぶるんと頭を振った。

 人間を殺すことに、大して抵抗は無い。


 そもそも私を追って、殺そうとしてきたのは人間の方だ。

 それが大して強くもない連中だと分かって、立場は逆になってしまったけれど。


 でも、駄目な気がする。

 真斗は、悪いことをする人間以外のものにとっての敵対者だ。

 あの日、私と彼が出会ったのは、真斗がここ数日この町で人を殺していた私のことを察知して、捜していたからだろう。

 偶然ではないのだ。


 今また誰かを殺せば、私は本当に彼に敵とされてしまう。

 狩られることが恐いわけではない。

 だって、私の方がずっと強いのは間違いないから。

 あの日のように、簡単に返り討ちにできるだろう。


 私が恐いのは、真斗が私と一緒にいてくれなくなること。

 敵としてでしか、私を認識してくれなくなること。


 そんなのは嫌。

 彼とは最悪の出会いだったけれど、どんな運命のいたずらか、今こんな結果になっている現状を、覆されたくはなかった。


 我侭、というもの分かってる。

 でも……それでも。


 思えば思うほど、不安になってしまう。

 私はぎゅっと、自分自身を抱き締め続けた。


     /真斗


 深夜を過ぎて、俺は夜の町を歩いていた。

 場所は、ここ数日殺人の起こった現場近く。


 殺人犯――しかも人間ではないだろうと思われる相手を捜すというのは、なかなか鬱になる仕事内容だ。


 ニュースを見た限り、昨日は殺人事件は起こってはいない。

 だいぶん騒ぎが大きくなったこともあって、相手も形を潜めた可能性もあるが、それでもまだ一日だ。


 もし一昨日の事件と今までのものに関連性が無かったとしても、二日。

 まだまだ同様の事件が起こる可能性はある。


「…………」


 人の気配。

 そんなものを感じて、俺は立ち止まった。


 単なる通りすがりとは違う、明らかにこちらに向けられた意識を、背中に受ける。

 俺の知覚能力なんぞ大したことはないが、それでも色々と訓練した身だ。常人よりは在る程度勘が良くなっている。


 振り向くべきかどうか、俺は悩んだ。

 相手の気配も止まっている。


 相手が何者であるかは分からないが、少なくとも背後を取られてしまっているのだ。ただ、距離はかなりあるだろうが。


 このまま立ち止まっていても埒が明かない。

 俺は振り返って――目を細めた。


「いない……?」


 違う。

 近くにいないだけだ。


 ずっと向こう――遠い民家の屋根の上に、シルエットが見えた。

 人間の、姿。


 思った以上の距離があって、正直顔はおろか、男か女かすら分からない。

 しかしそれでも感じた視線。明らかに、意図的な投げかけられた気配。

 俺に、気づかせるために。


 一気に俺は警戒を強めた。

 懐に忍ばせてある銃の感覚を、そっと確かめる。

 と、不意に人影が身を翻す。

 俺のいる方向とは反対に向かって。


 しばらくの間、俺は追うべきかどうか悩んだ。

 が、結局やめる。


 危険かどうかは分からないが、無茶なことはするべきではないだろう。

 そう決めて。


 俺はその場所を後にした。

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