第22話 力試し


     ◇


 その場を離れた後も、警戒は解かなかった。

 いや、解けなかったというべきか。


 気配はいったん途絶えた。

 しかしすぐに、再び現れたのである。

 しかも今度は先ほどまでよりずっと、あからさまに。


 足を止める。

 相手は――止まらない。


 おいおい……っ?


 ハッとなって振り向いた時には、すでに背後に迫った影。


「んなっ!?」


 思わず飛び退いたが、頬を何かがかすめた。

 冷やりとした感覚。

 長い刀身が触れた結果だ。


 相手の姿は暗闇に紛れ、よく分からない。

 顔も、何かで隠している。


「ち……!」


 もしかするとこいつがそうなのかもしれない。

 連日の殺人犯の可能性。

 それを咄嗟に脳裏に浮かべた。


 拳銃を引き抜く。

 相手の持っているのは刀身の長い剣。


 このご時世に剣とはまた……!

 しかしあまりに近すぎて、この距離ならば使い勝手が悪いはず。


「――止まれ!」


 俺は瞬時に銃口を合わせた。

 相手が剣を振るうより、こちらが引き金を引く方が早い。


 俺の武器は飛び道具。

 間合いを詰められると弱いが、ここまで詰まってしまえば、剣よりは有利だ。


 一瞬、相手の動きが止まる。

 ……言葉が出てしまったのは反射的なこと。


 相手がそのまま動けば、俺は迷わず撃つつもりだった。

 正体が分からないとはいえ、見極められないうちは敵とみなす。

 それくらいの覚悟が無いと、こちらが命を落としてしまう。


 相手は仮面のようなもので顔を隠していた。

 背丈は決して高く無い。

 華奢な印象すら受ける。

 俺は目を凝らして、ふと眉をひそめた。


「お前――?」


 相手の仮面の下で、口が笑みの形に歪む。

 俺が相手の正体に気づき、一瞬動揺してしまったことで生まれた隙――それを、こいつは見逃さなかった。


 相手はあっさりと剣を捨て、素手で銃を構える俺の腕を払う。

 虚を突かれ、不覚にも俺は銃を手放す。


「お前……おい、こらっ!」


 俺は慌てたが、相手は動じることなく襲い掛かってくる。

 くそ――いったい何考えてやがるんだ!?


 お互い丸腰ではあったが、相手の体術は大したものだった。

 俺も九曜家で、武器の扱いとともに身のこなしについても修練を積んでいる。

 素人相手の喧嘩程度ならば、まず負けないだろう。


 だが相手は充分に強かった。

 よく分からなかったが――それでも俺は何とか思考切り替え、応戦する。


 幾度かの攻防のうち、決定的な隙を作ってしまったのは、俺の方だった。

 体勢を崩され、よろめいたところを見逃さず、相手は充分に力を込めた蹴りを、俺の頭目掛けて叩き付ける。


「く……っ!」


 避けられないと判断し、右からきた一撃を、俺は左腕を右手で支えて受け止める。

 歯を食いしばって耐えたものの、その一打は腕を砕きそうな勢いだった。


 が、痛みなど感じている暇は無い。

 相手の動きが止まったその瞬間を狙い、俺は迷わず体当たりをかける。


 大した力も勢いも無かったが、それでも相手は反射的にかわして。

 俺はそのまま地面へと飛び込み、銃を拾い上げる。

 そしてろくに狙いも定めず、相手へと向かって発砲した。


 二発。


 もちろん当たりはしなかったが――なぜか、相手は止まっていた。

 あまりに、無造作に。


 いきなり隙だらけになってしまったことに、逆に引き金を引けなくなってしまう。

 しばらくの沈黙。


 やがて相手から戦意が消えていることに気づいて、俺はようやく銃を下ろし、その場に立ち上がる。

 そして、口を開いた。


     ◇


「お前……いったい何の真似だ?」

「ごめんなさい。突然こんなことをして」


 相手は予想通りの声を発した後、つけていた仮面を取り外し、放り捨てる。

 カラン、と夜道に乾いた音が響いた。


「謝ってもらう前に、理由を聞きたいけどな」


 俺は不機嫌に、最遠寺へと聞く。


「そうね」


 こくりと、最遠寺は頷く。

 そう――途中から気づいてはいたが、俺を襲った相手というのは紛れも無く、最遠寺だったのだ。


「ちょっとね。桐生くんの力試しをしようと思って」

「力試しだあ?」


 思わず声を上げると、くすりと笑われてしまった。

 最遠寺は地面に転がっている剣を拾い上げると、何事かを唱え――そして剣は消えてしまう。


「手荒だったとは思うわ。でも……あなたがどれくらい強いのか、知りたくて。それで、ね」


 それでね、じゃねーだろが。

 俺はジト目になって抗議したが、最遠寺は気にした風も無い。


「ってことは、俺の実力を計るために後をつけてきて、しかも斬りつけてきたってわけか」


 物騒な奴である。


「まあ、そんなところね。迷惑だったかもしれないけど」

「非っ常~に、迷惑だ」


 冗談じゃない。

 途中までは、件の殺人犯だと思ってたんだからな……くそ。


 正直文句の一つでも言ってやりたかったが、そんなことを言ったところで無駄だろう。

 そんな気がする。


「わたしはね、確認しておきたかったの」


 黙っていると、最遠寺がそう口を開く。


「……何をだ?」

「すぐにわたしだと気づいたでしょう?」

「……まーな」


 いくら夜で、顔を隠していたからといっても、分からないわけがない。


「夕方まで一緒にいたんだ。わからんわけがねえだろ」

「そう。でもわたしだとわかっていながら、銃を撃つことをためらわなかったわ。なぜ?」


 なぜってお前なあ……。


「物騒なもん振り回して襲ってきたんだぞ? 応戦くらいするだろ」

「ふふ……そうね。でもわたしが感じた限りでは、あのままわたしが殺す気でいたら……あなたもわたしを殺すことを、ためらわなかったと思うのだけど」

「…………。さてな」


 俺は銃をしまい、視線を逸らした。

 あのまま戦っていたら、か。

 まあ、否定はできないな。冗談にもならんけど。


「あなたのその割り切りの良さ……それは気に入ったわ。あなたなら良いパートナーになってくれそうね」


 はあ?


「パートナー?」


 思わず聞き返す。


「俺が? お前の?」

「そう」


 あっさりと頷かれる。

 ふむ、パートナーねえ……?


「って、冗談だろ? 俺なんかにお前の相棒が務まるかよ」


 相手は最遠寺の令嬢だ。

 技量・血筋において、俺なんぞは多分、足元にも及ばないだろう。……悔しいけど。

 今のだって、それなりに手加減してくれていたはずだ。


「そうかしら」

「そーだよ。今だってちょっとやりあって、優勢だったのは間違い無くお前の方だっただろ? 第一バイト相手に何言ってるんだ」

「……同等の扱いが嫌だというのなら、部下として使ってあげてもいいけど」


 おい。


「……どっちにしろ、あんまり役には立たないと思うぜ。俺はというと――」


 できるのなら、俺は一人で行動したいのだ。

 団体行動が苦手というわけではないが、とりあえず一人の方がやりやすい。慣れてるしな。


 と、どこか不機嫌そうな最遠寺の表情に気づいた。


「桐生くん。わたしと一緒に行動するのが嫌なの?」


 何やら剣呑な口調で聞かれる。


「いや、そーいうわけじゃなくてだな」

「別にわたしの言葉に従えとは言わないわ。けれど、今後は一緒に行動してもらう。何なら柴城さんを通しても良いのよ?」

「……了解」


 とりあえず、あきらめる。

 何というか強引な奴だ。最遠寺って。


 頷くと、最遠寺は機嫌を直したように、小さく笑ってみせる。


「わたし、あなたのことはそれなりに認めてあげているのよ? 期待しているわ」


 それなりに、ね。

 しかし一体どんな期待をされているのやら。


「後で見損なったとか言うなよ。傷つくからな」

「あら、そう思われないように努力しなければならないんじゃないの?」

「過剰な期待に応えるための努力は、御免こうむりたいね」


 本音である。

 背伸びというのは……まあ何というか、疲れるのだ。

 何事もほどほどが一番だ。


「ふふ……本当、飾らないのね」

「あん? ……見栄のこと言ってるんなら、俺に期待しても無駄だぜ」


 九曜家ではずっと落ちこぼれだったのだ。

 あいにく技量において、今さら大したプライドは持ち合わせていない。


「でもだからこそ……覚悟が良いのかもね」


 自分はそれが一番気に入っていると。

 そんな最遠寺のつぶやきが、聞こえたような気がした。


「……ま、いいけどな。それよか今からどーするんだ?」

「見回りのことを言っているのなら、今日はもういいのではないかしら。どうせなら、明日から改めて桐生くんとやりたいから」


 ……ふむ。


「そう言うんならいいけどな。結局変な気配はお前だったわけだし……。何かもう、今日は歩き回る気力が失せたっていうか……」

「あら、それは違うわ」

「む?」


 いったい何が違うというのだ。


「あなたが感じた気配、あれはわたしではないのよ。わたしは桐生くんを襲う直前まで、気配を隠していたから。最初に桐生くんが感じたのは、別人のもの」

「別人ねえ……」


 つまり、最遠寺もその気配を感じていたというわけか。


「お前の落ち着いた様子を見るに、それが誰だかわかってるって感じなんだが」

「まあね」


 否定せずに、最遠寺は頷いた。


「誰なんだ?」

「そのうちわかると思うわ。向こうは向こうでこちらのことを警戒していたみたいだけど、さっきので十分に観察できたでしょうから。敵にはならないわ」

「……まあ、お前がそう言うんだったら、とりあえず安心しておくけど」


 どーやらこの町、物騒な奴以外にも、変なのもいるらしい。


「とりあえず、今夜はここまでにしておきましょう。今後の詳しいことは、明日事務所ででも。朝にでも迎えに行くから」

「……了解」


 今回の仕事に関して、いきなり主導権を取られてしまったような感はするが、バイトの身としては、それはそれで悪くないのかもしれない。

 戦力としては、間違いなく心強いし。


 結局この夜は俺のマンションまで二人で戻り、また明日ということで別れたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る