第4話 深夜の死闘②

「今日は二人……それとももっと増えるのかな」


 そうつぶやいたところで。

 足元で倒れこんでいた女が、その場を脱兎のごとく逃げ出した。


 その突然の行動に金髪女の視線が逸れ、俺はなんとか身体の自由を取り戻す。

 少なくとも、そのきっかけにはなった。


「――逃がさないよ?」


 くすりと笑って、女は軽く地面を蹴った。


「! おいっ……!」


 その女の迷わない行動に、俺は思わず叫ぶ。

 しかしそんなことなど、何の役にも立ちはしない。


 拳銃を向けたその時には、そいつは空高くに舞い上がっていた。

 十メートル以上――とても人間技じゃない!


「ち――くそっ!」


 相手の正体を確認することもなく、俺は再び引き金を引いた。

 あいつは――人間じゃない!


 二発――だがどちらも空しく虚空を突き抜ける。

 女は空中で僅かに振り向いて笑うと、そのまま地面へと落下する。――悲鳴を上げて逃げ惑う、女の背へと向かって。


 すぐにも嫌な音が響き渡った。

 地面に着地する音に混じって、肉を潰し、骨を砕く生々しい音が。


「てめぇ……っ」

「――こういうのも、あっさりしていていいかもね」


 完全に潰れ、血の滲んだ背中から足をどかしながら、女は顔色一つ変えずにそう口を開く。


 ――こいつだと、直感した。

 ここ連日起こっている、通り魔殺人の犯人は。


「それにお楽しみは、あなたでいいし」

「――言ってろ!」


 構わず、俺は銃を連射した。

 一発が女をかすめ、そのことにそいつは表情を喜ばせる。


「私に付き合ってくれるんだ。――楽しみ」


 そうささやいて、俺に向かって跳躍する。


 現在の弾倉には残り一発――そいつの接近速度はまともではなかったが、それでも撃ち出される弾丸ほどではない。

 俺は真正面からせまる女へと、躊躇い無く引き金を絞る。


 銃技に関しても、咒法と同じように九曜家で習ったことだった。

 他にも多種多様に習いはしたが、拳銃の扱いが一番であったことから、今でも銃を中心にしている。


 相手は女――だが。

 やらなければやられる。

 これは、そういう相手だ。


 放たれた弾丸――さすがにこれは、かわせない。

 そいつは身体を逸らしたものの、その一発は胸へと命中した。


 よろめき、失速するが、女はすぐにも体勢を立て直すと、再び地を蹴る。

 まともじゃない。


「化け物が――」


 舌打ちして、俺は即座に予備の弾倉へと変える。

 同時にその場から動こうとしたが、その時にはすでに、目前にそいつの姿があった。


 伸ばされた手を思わず銃で受け止めた瞬間、その信じがたい衝撃に暴発してしまう。


「――ほら。捕まったらさすがに終わりじゃない?」


 熱くなった銃身を素手で握り締め、女は笑う。

 どんな握力なのか、それは今にも銃を握り潰しかねないほどだった。


「…………っ!」


 眼前に、少女の顔が一杯に広がる。

 その整った容貌は、場違いなほどに美しかった。


 しかし、人間などではないのだ……断じて。

 細い指が、俺の顎に触れる。


「――もう終わり? 思ったよりつまらないわね」

「――そりゃどうも」


 ジャッ……、と鈍い音が、二人の間でした。

 こっそりと左手で隠し持っていたナイフが、女の服と身体を切り裂いた音。


 そして間髪入れず、逆手で持ったそのナイフを胸へと突き立てやる。

 飛び散る赤いもの。


 さすがに、少女の顔が変わった。

 その瞬間、俺はわけも分からず吹き飛ばされていた。


「ぐ……あ……っ」


 壁に叩き付けられ、激痛に苦しみながらも何とか起き上がろうとして――気づく。左肩から下がまったく動かないことに。


「い……きなりこれかよ……」


 見なくとも分かった。

 完全に左肩が砕けてしまっている。

 ほんの今、女が振り払うようにした拳に触れただけで。


 バキン、と音がする。

 見れば、引き抜いたナイフを女が片手でへし折った音。


 この女は、常軌を逸した怪力の持ち主のようだった。なるほどこれならば、素手で人間をバラバラにすることなど簡単かもしれない。


 ……冗談じゃない。あんな風にされてたまるか。


「……ちょっと、今のは痛かった」


 不機嫌な顔になりながら、そいつはナイフを放り捨てた。


「……そりゃざまぁねえな。なめてるからさ」


 壁に体重を預けながら何とか立ち上がり、皮肉げに笑ってやる。


 こんな状況下でも強がりが言えるのは、普段からの性格のたまものだろう。

 もちろん虚勢だ。どうせ逃げられやしない。

 だったら減らず口でも叩いておかないと、やってられない。


 そんな俺の様子をまじまじと見て、女は小首を傾げてみせた。


「ふうん……。怖くないの? 私のこと」

「誰が。そんな外見してて、どこを怖がれっていうんだよ」


 ――もちろん、そんなことは嘘だ。

 じろりと睨んで尋ねてくる女は、今までに感じたことのない殺気の持ち主で、総身に粟立つのを止められやしない。


 その内面的な恐ろしさの前には、外見など何の意味も無かった。

 いや、そんな姿をしているだけに、余計に残酷だ。


「……やっぱりお前か? ここ最近の殺しは」


 時間稼ぎのつもりではなかった。ただ、確認しておきたかっただけで、聞いてみる。


「そうよ」


 悪びれなく、そいつは頷いた。


「動機はなんだよ」

「動機? そんなの」


 くすりと笑われる。


「踏み躙りたくなるの。人間を見ていると」



     /由羅


 自分と良く似ているけど、その実出来の悪い模造品としか思えない作りの悪さで、生きている人間。

 目覚めてすぐは何とも思わなかった。いや、それどころかそんなのに恐怖すらしたのだ。


 でも時間がたち、いろいろ分かってくるにつれてそんなことは杞憂であったと思わされる。むしろ、そんなことを思っていた自分が馬鹿のようだ。あの少女が追われている自分を見て、不思議そうに首を傾げていたことも、今では頷ける。


 そう。きっかけは、目覚めてすぐに出会った少女。

 彼女に会えたことで、自分を認識し、その力を自覚できるようになったのだから、感謝してやまない存在だ。


 今さらながらに思えば、あの少女も人間ではなかったのだろう。なぜなら人間を前にして常に感じる優越感や支配感を、まったく感じなかったのだから。


 もう一度会いたい。

 そう思ったからこそ、こんな国までわざわざやって来たのだ。


 多分、この町に住んでいる。

 そう言っていたし。


 初め、こんな夜に出歩いていたのはその少女に会いたかったから。

 あの人は昼間よりも、こんな夜にこそ出会える気がした。

 ……根拠は自分でもよくわからなかったけれど。


 そんなことをしているうちに、偶然人を殺した。

 こちらにしつこく言い寄ってくる人間の男を、ほとんど反射的に引き裂いて。


 それからこんな毎夜が続くようになった。

 もっともそれ以前から少しずつ、周囲の人間に対して同じ視線で見られなくなっていたのは事実だ。


 それはともかくおかげで最近は、あの人を捜せていない。

 そのうち飽きたら、また捜すつもりだった。


 もしかしたらあの人も、私と同じことをしているかもしれないし。


     /真斗


「……なるほど。とどのつまりは快楽殺人か。まあ同じ人間でもそういうことをする奴はいるんだ。お前みたいな化け物が何考えてようと……不思議じゃないってか」

「……化け物?」


 その言葉に、女の柳眉が逆立つ。

 どうやらその表現がお気に召さなかったらしい。


「そういえばさっきも言っていたよね。人間にそんなことを言われるのは不愉快よ」

「はっ……自覚が足りないんじゃねえの」

「……私が聞きたいのはあなたの悲鳴だけ。悶える姿だけを見せてくれればいいの。そう……そろそろね」

「……そうかよ」


 疲れたように息を吐き出して、今まで離さずに手にしていた拳銃を、俺はそいつへと向けた。

 女が冷笑する。


「当たれば確かに痛いけれど、そんなものじゃ私は殺せない」


 ……その通りだろうな。

 例え急所に命中させたとしても、殺せる気はしない。それこそせめて、もっと威力のある何かで身体を粉々にでもしてやらない限り。


「……嫌な勘ってのは、けっこう当たるもんだよなあ」


 左肩の激痛が頭痛を引き起こして、ガンガンと殴られるように頭が痛い。

 ……逃げるべきなのだろうが、そいつは逃がしてくれないだろう。背を向けた瞬間に、殺される気がする。


 死ぬ気は無かったが……それでも覚悟を決めねえとな……。

 見ているだけで良かったのに、思わず助けようと手を出してしまったのがそもそもの間違いだったのだ。


 せめて相手がどの程度危険な存在であるか、気づかれぬうちに察するべきだったのだが、今さらもう遅い。


 ち……だから俺は落ちこぼれなんだよな。

 つまらないことを思い出しながら、心中で毒づく。


 ――本当に、まったく。


「足掻きはするぜ。一応な」


 覚悟して。

 俺は引き金を引いた。


     /エクセリア


「…………」


 あれ、が目覚めてより数ヶ月。

 初めて、変化を見た。

 使える、と思える好機がそこにはあった。が、すぐにも自嘲する。


「私はよく見誤る……。運命ならば、為せぬことも無力とは言わぬのであろうが」


 例え私であっても、運命など見えない。あるのかもしれないが、誰にも見えぬ運命など無いにも等しい。

 だからこそ、自ら運命のレールを用意する。


 とはいえそれも、運命と呼ぶには粗末に過ぎる、擬似的なものに過ぎない。故に脆くも崩れ去ることは多い。

 それは、あるのかもしれない運命への大いなる反抗ゆえか、もしくはただ力足らぬがためか。


 ……それが分からぬからこそ、幾度も挑むのかもしれない。


 ともあれ。

 為さねば為らぬことは事実。


 私はじっと……その瞬間を待った。


     /真斗


「ぐぁ……っ!」


 ヒビが入るほど強かに壁に打ち付けられて、知らず喀血する。

 今ので肺でも傷ついたのか――何にせよ、すでに俺の身体はぼろぼろだった。


「どうしたの? 痛そうね」


 首を傾げて、女は笑う。

 完全に見下した声音。

 その右手は俺の首を鷲掴みにしており、ぎりぎりとさらに塀へと押し付ける。


 ……明らかに、そいつは俺を相手に遊んでいた。

 女が本気でその力を振るえば、俺などとっくに肉塊と化していただろう。信じられないほどの力の差が、そいつとはある。


「……まだ持ってたの」


 女は俺が離さずに握っている拳銃に視線を落とすと、引き金にかかっている指を引き千切らんばかりの勢いで、奪い取った。


 取り上げたそれをもの珍しそうに眺めた後、すでに砕かれている俺の左肩へと銃口を当て、何の躊躇も無く引き金を引く。


 小さな銃声の後には、硝煙と血の臭い。

 ――表情こそ歪めたものの、ほとんど意地で悲鳴は上げなかった。


「ふうん? けっこう簡単なんだ」


 少し感心したようにまじまじと傷跡を見てから、そいつは残りの弾数の分だけ引き金を引いた。


「……っ……!」


 出血と激痛に朦朧としながらも、俺は相手から視線を逸らすことなく。

 じっくりと、機会を待っていた。

 もっとも残された時間は少ない。その間に、絶好の機会を見つけなければならない。


 まさか本当に……使うことになるとはな。

 ああ、くそ……。


 苦笑する思いで、その時を待つ。

 ついでに所長の馬鹿野郎とか思いながら。


「……悲鳴、上げてくれないのね」


 つまらなさそうに、女は左手に持っていた拳銃を放り捨てる。


「じゃあ、こんなのはどう?」


 言って、空いた左手を俺の胸へと突き立てた。


「が、ぁ……っ!」


 その白く細い指は、そのほとんどを胸の中へとめり込ませている。徐々に赤く染まっていく……服。


「ほら。心臓を素手で触られるっていうのはどんな気分? あ……ふふ。鼓動が弱くなってきてるね」


 女は直接心臓の鼓動を愉しみながら、ゆっくりとその指を、鉤爪のように曲げていった。そうすることで、爪は心臓を裂きながら、それを握り潰していく。


「…………へっ……」


 最期の最後で。

 俺は鼻をならして笑った。


「…………?」


 そのことに、当然ながらそいつは不審げな瞳を見せる。

 そんな女へと、不遜な態度も崩さず、言ってやった。


「高くつくぜ……俺の命」


 その声と同時に。

 俺はまだ生きている右手を持ち上げ、心臓へと伸びている女の左手の甲へと、その五指を同時に刻み込む。


「! なんの……」


 女が声を上げるよりも早く、その甲に刻み込まれた大して深くも無い傷痕から、その痕通りに鮮血が噴き出した。


 ――せいぜい、後悔しやがれ。


 それを目の当たりにして、そいつは思わず左手に力を込める。

 ぐしゃり、と湿った音がして。

 それきり、俺の全てが闇へと落ちていった。


     /由羅


「――――!」


 私がハッとなった時には、その両手から力も抜け、男の身体はずるずると地面に崩れ落ちた。

 一瞬、思わず殺してしまったことを悔いたが、それ以上に気になることがあって、左手の甲を見る。


「…………っ」


 刻み込まれた傷跡はさらに赤々として、そこから信じられない激痛が全身へと駆け巡った。


 呪いだ。

 直感的に、そう判断する。


 己の命――心臓を贄にして、この人間は今際に呪いをかけたのだ。


 なんていう……ことを。


 遊び足りないどころではなく、遊びが過ぎた。

 見たところ、これは簡単には解けそうもない。命を賭けているだけあって、相当厄介な代物だ。


 ――痛い。とても、痛い……。


 私はぎり、と歯を噛み締めると、怒り任せに死体を蹴りつけた。何の抵抗もなく、吹き飛ぶ身体。


 その瞬間、カッと傷口が開き、赤いものが勢いよく噴き出した。

 そして左手を襲う激痛。


「…………ぅ」


 ズキズキと疼く左手を押さえながら、私は恨めしげな瞳を、転がった人間の死体へと向ける。


 あれはただの人間じゃなかった。

 確かに弱くて、脆かったけれど……とんでもないものを刻み付けてくれた。


 ――信じられない今夜の痛手に。

 私はただ――後悔した。

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