第3話 深夜の死闘①

     ◇


 俺が大学に入ってから約八ヶ月。

 これまでに受けた仕事は、三件。どれもがまともな内容では無かった。


 世の中には色々と不思議なことがあるわけだが、こと日本において魑魅魍魎、妖怪変化というものは、そういった不思議の一つである。


 実在するかどうかはともかく、その存在は誰もが知識として知っている。しかし実際にそれらを目撃した者となると少なく、例えそう公言したところで大半が冗談として扱われてしまう。


 そのせいか、俺のような存在も、冗談として捉えられがちであった。

 調伏師・降伏師――西洋ではエクソシストなどと呼ばれる存在。


 呼び方は様々であるが、そういった一般とは一線を画す人材とそれらを擁す組織が世界にはいくつか存在し、またこの国にもあった。


 もっとも有名なのが、アトラ・ハシースと呼ばれるヨーロッパに本拠を置く組織らしい。彼らは日本で言う妖怪変化といった人間外の類をまとめて異端とし、抹殺の対象としているとか。


 異端種いたんしゅ、と呼ばれる存在がある。

 アトラ・ハシースの影響がさほどないこの国ですら、現在ではその名がよく通っている。


 俺が今までに関わってきた仕事というのが、どれもがその異端種に関わるものであったことは言うまでもない。


 大学に入るまでの間、西日本では最も名の知られた調伏師の家系である九曜くよう家にて、俺はその術を学んできた。そこで一人前と認められた者は、各地方にある九曜の下位組織の一員としての未来が待っている。


 しかし落ちこぼれとなると、また話は違ってくるのだ。

 いかに九曜というブランドが高くとも、そこに認めてもらえなければ引き取り手は存在しなくなる。


 俺の場合は運が良かったのか悪かったのか、そういった組織の情報収集の役割を担う出先にて――つまり柴城興信所にて、アルバイトという形で雇ってもらうことになった。


 ちなみにこの興信所は、九曜の関西における最大拠点である計都神社けいとじんじゃの末端組織にあたる。


 それが今年の四月のこと。

 俺が大学入学の為に京都で下宿するようになると同時に、どこからか情報を嗅ぎ付けてきた所長が、ふらっと俺の前に現れて勧誘したのである。


 それから三つの仕事を片付けてきた。

 八ヶ月でこの量は多いのか少ないのか分からないが、少なくとも順調ではあった。


 報酬も、まあ悪くない。かなり危険なこともあったが、それで嫌にならない程度には、この仕事のことを好いていたのかもしれない。

 とにかく無駄になるかと思われた技術を活かす事ことができ、今後ものんびりと仕事があれば受けていくつもりだった。


 だが今回は。


「どうも、なあ……」


 受ける前から感じていたことであるが、やはり気乗りしない。

 とはいえなぜそう思うのかというはっきりとした根拠も無い。

 だから余計にしっくりこないのである。


     ◇


 深夜の街中を、俺は一人歩いていた。

 時刻は午前三時過ぎ。


 俺の地元ではありえないことであったが、さすがにここは都会だけあって、夜中でもぽつぽつと人の歩く姿を見ることができる。

 それでも三時頃になってくると、さすがに人気はなくなる。深夜の客待ちのタクシーもいなくなり、市街地から離れた場所では完全に静寂に支配されていた。


 聞こえるのは、自分の足音だけ。

 防寒着に身を包んで、寒さに身を縮めながらゆっくりと歩き続けた。


 場所は、ここ数日通り魔殺人の起きている現場近く。

 簡単に遭遇できるとは思っていないが、まずは歩くしかなかった。


     /由羅


 ――夜。

 人の寝静まるこの時刻に、散歩することはいつのまにか日課になっていた。


 散歩――確かに寝付けない夜にはいいかもしれない。

 そう思って、夜を翔ける。


 もちろん、ただの散歩で終わらすつもりは無い。

 ここ最近の日課になりつつある愉しみを、今夜もするつもりだった。


「ふふ……」


 昨夜のことを思い出して、思わず笑みがこぼれる。

 三回目にして、何となくコツを掴んだような気がした。だからこそ昨夜は、今まで以上に長く……苦しみ悶える姿を見て、愉しむことができたのだ。


 再びそれを体感したくて、眼下を探した。

 今夜の獲物――生贄を。


 ふと目に止まったのは、酔っ払っているのか、千鳥足で歩いている女だった。

 あれで、いいかな。


 今まではずっと男だったから、ちょうどいいなと判断して。

 夜空を舞う私は、そっと地面に降り立った。


  /真斗


 毎夜の通り魔のせいで、この地区に限らず京都市一帯では注意が喚起されている。

 人々の大半は警戒しているはずなのだが、それでも不用意に夜の町を歩く者はいなくならない。


 警戒しながらも、自分がその対象になるかもしれないとは、誰もが心から思っていないからだろう。確かに低い可能性だろうが……。

 それにも関わらず、だ。


「……まったく」


 その少ない可能性にすがって、深夜の町を歩き続けて一時間。

 時刻は午前四時。


 十一月にもなると夜明けは遅くなるが、だからといって人々の出勤時間も遅くなるというわけでもない。

 五時半くらいになれば早い人ならば出勤を始めるし、重要路線の市バスも動き出す。


 つまりあと一時間ちょっとくらいの間でしか、完全に人目につかない犯行というのは難しい。

 もっとも今まで通りに屋外で行われるとも、同じ現場付近で行われるとも限らない。それにもしかすれば、すでにどこかで終わってしまっているかもしれない。


 一番確実なのは、犯人が俺を対象に選ぶことであるが、正直選ばれたくなどないし、可能性としてもかなり低いだろう。


 やはり何日もかかるか――そう思い始めた矢先、だった。


「――――」


 角を曲がったところで、ふと足を止める。

 何かが聞こえたわけではない。

 ざっと見回すが、不自然なところは特に見られない。――それでも、違和感があった。


「……なんか変だな」


 初め自分は左に行こうとしていたのだ。にも関わらず、気づくと右に曲がってしまっていた。


 ぼうっとしていたからだろうか。

 いや……そんなはずはない。

 自分は今、左に曲がったつもりで右に進んでいたのだから。


 まるで何かに化かされたような気分が、何かを訴えかける。

 これはおかしい――と。


「もしかしてもしかするかも……な」


 つぶやいて、俺は思い切って百八十度方向転換した。

 行くはずだった左の道へと、進路を変える。


 俺が九曜家で今までに習ったもののなかに、咒法じゅほうというものがある。日本風にいえば調伏ノ法といった法力のようなもので、魔法じみた力のことだ。


 日本独自に発達したものもあるが、西洋で発達したこの咒法は少なからず日本にも伝播している。


 九曜家には十六世紀にはすでに伝わっていたといわれ、日本の中では特に深く、西洋の術に精通しているという。

 そのせいか、俺が習得したものもどちらかというと、西洋のものに近いものだった。


 そういった咒法の中には、簡単な精神支配に関わるものもある。

 精神支配といっても洗脳に至る高度なものから、暗示程度の簡単なものもあるのだが、もしかするとその暗示が――つまり人避けの類のものが施されているのではないかと、疑ったのだ。


 咒法について深く習熟した者には効きにくいらしいが、俺にしてみれば何となく違和感を覚える程度だった。うっかりしていれば、見逃していたかもしれない。

 もっともただの思い過ごしなのかもしれないが……。


 そこから更に数十メートル進んだところで。

 いきなり悲鳴が上がった。


     /由羅


 近くに民家が無いわけではない。

 しかしこれだけの悲鳴が響いても、誰も不審がって覗こうとする者はいないようだった。


 まあ誰かが嗅ぎ付けてきたところで、特に困ったことじゃない。愉しみが増えるだけだもの。


 頬を切り裂かれて血に染めていたその女は、ガチガチと全身を震わせて、自分の首を掴んでいる私へと心底の恐怖を表明していた。


 そんな様子に、私は微笑する。

 そう……そういう表情を、私は見たいんだから。


 私の手はその人間の女の首へと伸びており、少し力を込めれば首の骨など簡単に握り砕くことはできたが、そうはしなかった。


 殺すことなど簡単であったが、別段それが目的というわけでもない。

 ――それに至る過程こそが、愉しみなのだから。


「――――?」


 これからというところで。

 何かが、首へと伸びた手を貫通した。


 穿たれた穴からは鮮血が塗れ、痛覚が不快な感覚となって伝わってくる。

 どさり、と掴まえていた女を地面に落とすと、私は周囲に視線を巡らす。


 そして。

 こちらに何かを向けている男と、目が合った。


     /真斗


 サイレンサー付きの拳銃から、風に揺られてゆっくりと硝煙が流れていく。


 ――手を出すつもりは無かった。

 あらかじめ予想していた後悔を覚えながら、俺は相手に向けた銃口を逸らすことなく、相手を正視する。


 その少女はきょとん、とした表情で、こちらを見返してきた。


 ……銃で撃たれた反応がそれかよ。


 苦々しく、思う。

 まだ二十歳には届いていないだろうと思われるその女は、淡い色をした長い髪の持ち主で、アイスブルーの瞳でこちらの姿を映している。


 その両手は自らの血と他人の血とで、赤く染められていた。


 おいおい……。


 その光景に、背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じる。

 今回の犯人は、どんなイカレた野郎かと思っていたのだ。人間にしても、そうでなくても。


 しかし実際は、こんな少女ときたものだ。

 淡くて長い髪を、真っ直ぐに下ろしている少女。

 こんな闇夜にでも良く映えている、アイスブルーの瞳。


「ああ、くそ」


 女の容姿とは裏腹に、俺は手を出してしまったことを激しく後悔し始めた。

 そして身体が訴えてくる。


 ……はやくにげろ、と。

 この女はまともじゃない……!


 しかしまるで金縛りにあったように、動けなかった。女のその瞳がこちらを映している限り、永遠に動けないのではないかと思うほどに。


「ふうん……こういう日もあるんだ」


 口を開いた女は、傷口を舐めながら面白そうに言った。

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