24


 翌日に流行病が蔓延していた村に出発しろと指示されても、ユイルアルトもジャスミンもやる事は変わらなかった。

 育てている植物達に水を遣り、様子を見ながら花や葉を摘んで笊に干す。少し色が悪くなってしまった葉は除去して、自分達が戻って来るまで枯れずに無事であることを祈るだけ。

 留守にしている間の水遣りはミュゼに任せるつもりだった。彼女はシスターとして孤児院に花を植え、子供達と一緒に育てていたと聞いた。医者の二人が育てている植物について、そう悪いようにはしないと信じている。

 夜になって、ジャスミンは一足先に風呂に入りに下りた。彼女が戻ってくるまでの間、話し相手のいない退屈な時間を、ユイルアルトは植物と向き合っていた。


「……あなたも、連れていけたらいいんですけれど」


 独り言のように呟いたそれは、芽を出さない毒草の最後の種が植えられた植木鉢に向かってのものだ。

 土色一色のその表面は、今も変化が見られない。

 このままこの種は、死んでしまうのだろうか。ユイルアルト達が帰ってきた時、変わらず発芽しないままだったならもう芽吹かないかもしれない。

 色々な条件を試してみた。一番日当たりのいい場所に置いたし、水だって欠かしていない。発芽を遮らないように、土は抑え込まずに軽く乗せるだけにしてある。

 側で様子を見られなくなるのは嫌だった。だからと、仕事に荷物ばかりを増やす訳には行かない。


「潮時、かも。国家の庇護の下で生きている今、昔と同じ条件で薬が作れる訳じゃない……」


 手に持っている如雨露を置いて、ユイルアルトがその鉢を覗き込んだ。その時だった。


「……連れて行けばいいじゃん」


 女性の声が聞こえて驚いた。まるで、ユイルアルトに対する返事のようだった。けれど、ユイルアルトは植物が喋らない事を良く知っている。

 しかしこの場所には今はユイルアルトしかいない。まさか不審者―――そう思って振り返ろうとしたユイルアルトの背中に、何かが当たった。

 背中の一点だけを押さえるように、固いものが当てられていた。それに気付いたユイルアルトは途端に動けなくなる。


「ごめんねぇ、ちょっと振り返らないでくれるかな? 大丈夫、物取りじゃないし命を脅かしたりもしないから」


 聞いた事の無い声、だと思った。

 話し方は不審者にも関わらずどこか親しみやすさを持ち、声質は若い女性。甲高くもない、落ち着いた声だった。


「あいつ、あたしを『纏めて持って出る』って事、滅多にしないからさ。ちょっとご挨拶が遅れちゃったんだ。ねぇ、ユイルアルトって名前で良いんだよね?」

「………貴女、どなたですか。私の名前を知ってるのはいいですが、まず自分から名乗ったら如何です」

「……ふふ、やっぱりあたしの事分かるんだね。でも名乗らない方がいいと思うんだけど。死人の名前を聞いても、生きてる奴に意味なんて無いでしょ」


 死人、と聞こえてユイルアルトの肌が粟立った。

 それならば理解出来た。この部屋には隠れる場所なんて殆ど無いのに、急に彼女が部屋に現れた理由、気配もさせずに背中を取られた理由、聞いた事のない人物の声が、この貸し宿の空間内でする理由。『あたしの事分かるんだね』と、その声が言った理由。

 同時に悟った。この人物は、ヴァリンがいつも連れている幽霊だ。


「……何の御用なんです。まさか、私まで呪い殺すおつもりですか。背中に押し当ててるコレ、何なのですか」

「ああ、これ? ちょっと下の階で失敬した鉄串。大丈夫、ちょっと使わせてもらってるだけ」


 血の気が更に引く。鉄串なんて、非力なユイルアルトにはちょっとした凶器だ。幽霊がものを動かして生きている者に危害を加える、という話は聞かない訳でもない。


「呪い殺す……、ね。 ……ふふっ、ふふふふ。あたしにそんな大層な真似は出来ないよ。出来るってったら、こんなもので誰かを脅すとか、『持ち主』の側に付いて回るってくらいで」

「持ち主……? 脅すとはまた、恐ろしい話ですね」

「あたしはねぇ、ユイルアルト。あたしの事が見えて、あたしの事を何も知らない誰かにずっと頼みたかったことがある。この国の未来にも関わる話だ」

「国の未来?」


 その幽霊は、何気ない話のように荷が重い事を話しだす。


「ヴァリン、明日の貴女達の出発に付いて行くんだってさ」

「……はぁ!?」

「その時に、あいつは荷物を持って行く。その中に、少し大きめの箱がある筈。それを、その中身を―――何処にでもいい。捨てて欲しい」


 ヴァリンが出発に付いてくる、それ自体は何となくそうかも知れないと思っていた。普段のヴァリンがジャスミンに向ける冗談に混ぜ込んだ執着らしきものは、ユイルアルトに予感をさせていたから。

 しかし頼みごとは了承しかねる。それでなくともヴァリンの周囲に対する警戒は強い。自分が副マスターを務めているこの酒場の中でも滅多に足音をさせない程に。そんな彼の荷を漁って捨てろと言われても、バレたら殺されるのが目に見えていた。


「そんな、命知らずなこと、出来ません……!!」

「頼めるのはユイルアルトしかいないんだ。オルキデにもマゼンタにも断られて、あたしはもう苦しむあいつを見ていたくない」

「苦しむ、って」

「駄目で元々って思って頼んでる。なんなら、あのジャスミンって女にヴァリンが近付かないよう協力してもいい。誓っていい、『あたしがいる間』は、ヴァリンはジャスミンに手を出すことが出来ない」


 幽霊の声は切実に聞こえて、ユイルアルトが言葉を返す。


「何故。幽霊の貴女がそんな事出来るなんて思いませんが、そこまで言うからには、何か理由があるんでしょう。貴女はヴァリンさんの何なんです、そして、その『中身』とやらに、何の意味があるんです」

「……、……そうだよね、気になるよね」


 この幽霊が何を隠したがっているか分からなかった。生者に死者の名を聞かせても意味がないというのなら、意味が無いとしても良いから聞かせて欲しいのに。

 悲しみを湛えた音が、生前の息の流れを思わせる柔らかさを持ってユイルアルトの耳に届いた。


「あたしが、あいつを駄目にした。あたしさえいなければ、あいつはきっと幸せになれた。あたしはね、あいつにとっての疫病神なんだよ。いつまでも引きずってるより、手放して忘れた方がいい」

「手放す……? 中身は貴女自身に関係するものなのですか」

「ま、そうなるかな。子供じゃあるまいし、もういい年なんだからいつまでも同じものに執着するのは止めて欲しいんだ」

「……貴女は、ヴァリンさんの何なのですか」


 同じ質問が、ユイルアルトの口を突いて出た。


「言ったじゃない、疫病神だよ」


 同じ答えが、幽霊の声で聞こえた。


「そんな訳で、明日から宜しく。あたしも一緒に行くことになるから」

「はい!?」

「疫病神に憑かれたくなかったら、キリキリお願い聞いてよね。期限は、明日出発してから任務終わってここに戻ってくるまでの間」

「そんな事言われても、絶対無理です!」

「そのジャスミンって子、ヴァリンの毒牙に掛けられたくないんでしょ?」


 幽霊は、ユイルアルトの心の中を読んでいるかのようだった。今のユイルアルトの弱点はジャスミンで、彼女の笑顔が曇る事を嫌だと思っている。

 同じ職種で、似た境遇の彼女を唯一の理解者だと感じていた。その感情は恐らくジャスミンも同じだろう事も。二人の間に割り入ろうとするヴァリンは、ユイルアルトにとって苦々しい存在で。

 恋ではない。ましてや愛でも。けれど、ジャスミンの事が『好き』だ。だから、ユイルアルトは。


「………出来ない、かも知れませんよ」


 遠回しに、了承の返事をする。


「言ったでしょ、駄目で元々だって。その時は、……また、考える」

「今からでも考え直してくださればいいのに。貴女と彼がどんな関係だったか知りませんが、無関係を私を巻き込むなんて止めて欲しいです」

「ふふ、よく口が回るね。この酒場にいる時点で、案外無関係でもないんだよ」


 幽霊の声は、なんとなく予想していたよりも快活な声で。

 だからほんの少しだけ、まだ彼女は生きているような気さえさせる。


「あとね、ユイルアルト。……あたしの事は、他の誰にも……言わないで欲しいな」

「……ジャスミンにもですか?」

「見えない彼女に幽霊の話する? 気味悪がられて終わるよ?」


 幽霊が、自らの事を幽霊と言うのだ。こんなに明るい声をしていても、彼女はもう故人。

 幽霊というものは、もっと辛気臭いものだと思っていた。一階にある酒場が、いつも葬式会場のような暗い雰囲気を纏っているように。


「それとね、ユイルアルト」

「なんでしょう」


 幽霊である彼女に、これ以上質問する事は無かった。

 聞いてもはぐらかされて終わってばっかりだ、だから、彼女から名を呼ばれて続きを待つ。


「一階でね、どうやら今ヴァリンとジャスミンが鉢合わせてるみたいだよ」


 聞いた瞬間、ユイルアルトの口があんぐりと開く。


「………それを早く言ってください!!!」


 直後、親友を毒牙から救出するために振り返る。すると、そこに居た筈の幽霊の姿は無かった。

 ―――しかし同時に、両肩にずしりとした重さを感じる。


「重っ!!」


 肩に乗られてる、と気づくのは直後。


「あー、女の子にそれは禁句だよユイルアルト。……長いね名前。ジャスミンみたいにイルって呼んでいーい?」

「馴れ馴れしいですね貴女!!」


 振り払おうとしても離れてくれなさそうな予感を感じて、今はジャスミンを優先する。急いで扉に駆け寄って廊下に飛び出した。


「貴女、じゃないよ」


 もう応えるのも無駄だと判断し階段を駆け下りるユイルアルトの耳に、幽霊の唇が近寄る。ユイルアルトにしか聞こえない声はそこから発せられている訳ではないのだが、生前関わっていた人物たちにそうしていたように、彼女は囁いた。


「ルビー、とでも呼んで。呼び名が無いと不便だよね、やっぱり」


 それは赤く輝く宝石の名前だ。返事はしなかった。

 宝石の名を使うなんて、幽霊のくせにいい気になって。

 本当に憑りつかれたりしたら嫌なので、思っている事は敢えて口には出さない。


 一階に辿り着いた時、ユイルアルトが想像していた図式が出来上がっていた。

 いつものようにジャスミンに絡むヴァリン。

 怯えて壁際にまで逃げているジャスミン。

 そしてそれを呆れた表情で見ている、オルキデとマゼンタ。

 興味なさそうに、どこか違う所を見ているカウンターの中のマスター・ディル。

 来店している酒場の客は、この光景に構いもしない。


「やめて、ください……」


 蚊の鳴くようなジャスミンの声を聞いて、歩幅を大きくしてユイルアルトが近付いていった。



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