11

 青紫色の短髪、気怠そうな濃い藍色の瞳、男性にしては色白なマスター・ディルやヴァリンと比較しても白く見える肌。

 二階へ繋がる階段から姿を現した男は、呆れ気味に一階を見渡している。


「酒も入れずの乱痴気騒ぎとは、まるで以前のココが戻ってきたようですね? ……ディルさん」

「―――アクエリア」

「この場所で人死にを出すなんて、俺が許しませんよ。はい全員武器仕舞って。文句があるなら荷物纏めて出て行きなさい」


 アクエリアと呼ばれた男が、音をさせながら階段を下りる。その右手は人差し指だけを立てて握っていた。時折、乾いた音と共に指先に電気が走る。酒瓶を破壊したのはこの男の魔法だろうとフェヌグリークが察した。

 その男の言葉に、全員がその場で武器を仕舞った。そして、ヴァリンは苛立ちのままにオルキデを突き飛ばすようにしてフェヌグリークから離れる。


「何があったんですか」


 アクエリアは客席に到着するなり、全員の顔を見渡して尋ねた。

 それに答えたのは、マスター・ディル。


「此の二人は、アルカネットの『仕事』を覗き見た者達だ」

「はぁ」

「処断も止む無し、と判断する。其処な金髪には一員となるよう勧誘したが、回答を得られなかった」

「でしょうねぇ貴方の交渉下手はよく知ってますよ」


 少しは物を考えて交渉してくださいよ、と、アクエリアから呆れたような声がする。

 二人の力関係はその会話だけで推し量る事は出来ないが、アルカネットとは違いどうやらマスターと少しは対等なようだ。

 最初にアクエリアが近寄ったのはフェヌグリークにだ。座り込んで俯いたその姿と同じように膝を付き、頬へ手をやる形で自分に顔を向かせる。


「お嬢さん、大丈夫ですか」

「…………」

「怖かったですね、でも安心してください。俺はこの酒場に居る中では話が通じる方ですよ」


 その自称を、ヴァリンとアルカネットが同時に鼻で笑った。

 フェヌグリークとしては話す相手も二転三転、命の危機まで感じる今の状態で更に別の男が対応するとなれば逃げだしたい一心で。それで唯一、自分を助けてくれそうなミュゼに視線を向けたのだが。


「―――……」


 ミュゼは、アクエリアを見たまま目を見開いて硬直していた。

 フェヌグリークの口から、え、と声が漏れる。今まで彼女のそんな顔は見た事が無かった。少し前に死体転がる血の海を見てさえも、すぐに笑みを漏らしていたような女だ。その頬に冷や汗さえ流れていそうな様子に、フェヌグリークの恐怖心が更に深まった。


「お嬢さん」


 アクエリアからの声。


「っ、は、はい」

「話の途中ですよ、こっちを見てください。……それで、お名前をお伺いしても?」

「……フェヌグリーク、です」

「はい、フェヌグリークさん。綺麗な名前ですね。おいくつですか?」

「……正確には、わかり、ません。孤児なので」

「そうですか。では失礼ながら、ご両親の事も御存知ではないのですね?」


 アクエリアの問いかけは、フェヌグリークには答え易かった。声の柔らかさもそうだが、これまでの会話ではほぼ全員が押し付けるような威圧感のある声だったので、フェヌグリークはここに来て漸く息が出来ているような落ち着きを覚えた。

 名前、年齢、親、それから今何をして暮らしているかという質問には孤児院のシスターを、と。何故アルカネットの仕事を見てしまったのかという質問には、慕う兄が何か後ろ暗い事をしているという気がして尾行した、と、そういった事を聞かれて答えた。

 他の全員が、二人の話に耳を澄ませている。滅多な事では他人に興味を抱かないマスターも同じだった。


「それでフェヌグリークさん」

「は、い」

「アルカネットさんの姿は、貴女が見たからと言って満足のいく姿でしたか?」

「ま、ん、ぞく、って」

「彼が何をしたか、その目で見ましたよね。満足しましたか。貴女の興味は、それで収まってくれましたか」


 満足。

 何に満足すればいいのだろう。『見た』事自体に満足をすればいいのだろうか。

 だって、兄は人を殺した。人を殺して、それで、そんな仕事をしているという事実と、この酒場がそれに関係しているという事しか分からなくて。

 フェヌグリークの頭の中はそんな考えでいっぱいだった。問いかけの答えにならない言葉を返したのは、今の状態に出来るせめてもの反抗だ。


「……この、こと。……王様に……報告します」

「ほう?」

「だって、こんなこと、許される筈ないですよね。自警団の人だって、ううん、騎士様達だって、知ったら、こんなこと」

「この酒場は代々王家直轄だ」


 二人の話に割って入ったのはヴァリンだった。不機嫌そうな顔を隠さずに、フェヌグリークを見下げるように口を開く。


「頭が足りんのか、プロフェス・ヒュムネ。わざわざこの場所がそんな面倒臭い副業に手を出す訳がないだろう。下劣なけだものどもを処分するように命令しているのは、国王率いる城の奴らだよ」

「……そん、な」

「そもそも、国王もその下の奴らも全員人殺しだ。国として存在するからには、多かれ少なかれ誰かを殺してその体裁を保ってるものなのだから。戦争なんてその最たる例だろう」


 その言葉は、フェヌグリークの胸に重く沈んだ。

 これまで戦争があった事は理解していても、そのものに触れる事が無かった。フェヌグリークの見てきた世界は、老朽化した孤児院の中の貧乏な暮らし。それでも、皆助け合って暮らしていた。

 いつでも助け合っていたら、いつしか兄が高額の寄付を寄越すようになった。

 最初は、兄が自警団として出世したからだと思っていた。けれど、その寄付は普通に考えても多すぎた。それが毎月続いた。食べるのにも、着るのにも、冬の寒さにも耐え凌げる金額は並みの自警団員では用意できない筈。

 生活が満たされていって、建物の隙間風を全て塞ぎ終えて、それで漸く浮かんだ遅すぎる疑問。


「人殺しが人殺しを従える国で、人殺しが渡した金で飯を食っていたのだろう? その貧相な体は誰かの血肉で出来ているって訳だ……それで綺麗事を並べられてもお笑い草だな。今時新兵だってそんな青臭い事は言わないぞ。……なぁアリィちゃん、お前妹の教育どうなってるんだ」


 兄妹を心底小馬鹿にするようなヴァリンの発言に、アルカネットが眉間に皺を寄せる。それを諫めたのはアクエリアだった。


「ヴァリンさん、ちょっとお黙りなさい。ピーチクパーチク囀るのは朝の鳥だけで充分なんですよ」

「鳥……って、お前」

「話の最中に割って入ってくるなんて、無粋も良い所でしょう。いいからお静かに頼みます」


 仲間にしては少々棘のある物言いだが、それきりヴァリンは黙ってしまった。力関係が薄々見て取れる気がしたが、アクエリアの質問は様子を窺おうとするフェヌグリークの思考を阻害する。


「散々な言われようでしたが、プロフェス・ヒュムネにそこの二人がどうして殺意を抱いてるか、それは今お伝えすることは出来ません」

「なんで、ですか?」

「少しばかり彼らの私生活に首を突っ込むことになるからですね。面倒臭い事になりますので、聞きたかったら後から個別に聞いてください。命の保証はしませんけれど。……まぁ、それはいいとして。俺としても、頷いて言うとおりにした方がいいと思いますよ。そこのもう一人のお嬢さんと一緒に―――」


 そこで漸く、宵闇を思わせる色をしたアクエリアの瞳がミュゼに向いた。

 アクエリアが一瞬息を飲んだのは、フェヌグリークの気のせいではない。金糸のような髪と翠色の瞳を持つ彼女を見た瞬間に、彼の動きの全てが止まった気がした。けれどそれは本当に一瞬だけで、彼は改めてフェヌグリークに向き直る。


「……死にたく、ないのであれば。………俺としては、二人ともこの酒場で暮らした方が色々と利点があると思いますけどねぇ?」

「利点って、なんですか。私は、孤児院の子供達を見捨てて生きるなんて、できません」

「……んー。見捨てろって言ってる訳じゃないんですけれど。子供なんて、育てる人間がいたらそれが誰であれ育ちますよ。彼らに親がいなくても育つように。貴女だけが子供達を育てられる訳ではないでしょうし」

「……急に、私がいなくなったら、あの子たちは悲しがります」

「そうですね、悲しがるでしょう。けれど、生きる。貴女の事も、いつか時の流れの中で忘れてしまうかも知れない。子供の記憶なんて、そんなものです。忘れて、生きて、そして大きくなって。産みであれ育てであれ、親の事など気にしないで自分の足で立てるようになる事こそ、貴女達が重視している事じゃないんですか」


 諭すアクエリアの言葉は、優しいようで優しくない。フェヌグリークへの説得にしかならない言葉達は、その心を浅く傷つけては離れていく。

 フェヌグリークの『世界』を、温かい箱庭を、その外に住む者達が我が者顔で自分達の常識の足跡を付けていく。

 侵害に他ならない。そして、その男達はそれを選べという。

 フェヌグリークの唇が強く噛みしめられる。この場に居る事に泣き叫んでも、誰も開放してくれないと知っているからそれしか出来ない。痛くて、悲しくて、やりきれなくて、でもフェヌグリークには何も出来ない。何か出来る程、強くなんて無かった。


「―――待って、くれ」


 そんなフェヌグリークの唇から血が流れ出すより前に、ミュゼの声が挙がる。


「……私は、この酒場の仲間になる」


 震える声は、たったひとつを懇願した。


「だから。……シスター・フェヌグリークは、帰してやってくれないか。頼む。その子は、綺麗なままでいさせてやりたいんだ」

「シスター・ミュゼ。そんな事、言わないで」

「私は、そこそこの汚れ仕事も請け負った事がある。それが何処まで役に立つか知らんが、何も知らないシスター・フェヌグリークよりはよっぽど使える自信はある。だから」

「『だから』?」


 懇願に重ねて声を発したのはマスター・ディル。変わらぬ冷徹さで、その心をへし折りにかかってくる。希望など、持つだけ無駄だと言っているような声だった。

 ヴァリンは、二人の姿を嘲笑うように見ている。アルカネットになど、最初から期待していない。店員と思わしき二人の女も、フェヌグリークの味方をしてもミュゼの味方になどならないだろう。

 唇を噛んだ。これ以上、ミュゼが差しだせるものは記憶しかない。自分さえも戸惑う程、現実と齟齬がある記憶。おまけに、言ったら言ったで気狂いと言われて殺されてしまうかも知れない、そんな『記憶』。

 ミュゼが揺らいだ。今、こんな所で死ぬ訳には行かない。こんな世界で、何が起きてるかも分からない状態で死ぬなんて嫌だった。


「そうですねぇ、じゃあこうしましょう」


 再びアクエリアが口を開いた。


「どちらかがこの酒場に反するような行為をしたと確認できたら、フェヌグリークさんとミュゼさん、アルカネットさん諸共首を刎ねます」

「な」


 それに反発したのはアルカネット。


「ふざけるな! 三人とも死ねってことか!?」

「簡単な話じゃないですかね。『何もしない』、それだけで救われる命がみっつもある。それに、妹さんの孤児院関係の話になると責任を取るべきは貴方でしょ、アルカネットさん? ……これ以上、文句言わない方がいいと思いますよ」


 アクエリアが顎でマスター・ディルとヴァリンの居る方向を指し示す。二人はまだ、殺気を解いてはいない。

 アルカネットがそれを見て息を飲んだ。この二人を相手にすると、文字通りの『骨が折れる』では済まないからだ。ヴァリンだけならまだしも、マスターが相手となると。


「……二人が、痺れを切らしてまた武器を抜かないうちに黙ってくださいね」


 それがアクエリアからの最後通告になる。


「それしかないなら、私はもう異論はない。寧ろ、ディル様が私の話を聞いてくれて、しかもその話の内容を考えてくれるってんだ。私に折れどころがあるんなら、今しかない」

「………私も、もう………黙ってろってことなら、誰にも言わない……。だから、シスター・ミュゼと……アリィだけは……」


 女性二人は折れた。命よりも重い意地を、二人は持ち合わせていない。そうなると、アルカネットも折れざるを得ない。もとより、失態を犯して処分されるべきなのは自分なのだと痛い程分かっていた。

 話が纏まった所で、マゼンタが両の手を打ち合わせた。場にそぐわない笑顔のままで、その場にいる全員に声を掛ける。


「はい、じゃあお話が丸く収まった所で。少なくとも今日はお二人ともお泊りですね? 折角ですし、私達のお部屋にいらっしゃいませんか?」


 戸惑った顔を見せたのはミュゼも、フェヌグリークもだ。しかし姉妹の二人はそれぞれの手を引いて、階段の方へと向かう。

 去り際、フェヌグリークが視線をアルカネットへ送った。

 アルカネットも、フェヌグリークを見ていた。

 しかしその視線は、互いの姿が見えなくなる前にどちらともなく逸らされてしまった。


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