5

「誰だ!」


 男の声は二回目。それでも返事が無い扉の向こうに舌打ちをして、外套の男は仲間の一人に視線を向ける。

 お前行け、と、視線に言葉を込めたそれを受け取って男が一人立ち上がった。その間も、扉を叩く声は止まない。

 この塒自体は通りよりも少し奥にある。両隣は少し距離を開けて同じような建物が立っているが、今は使用者も居ない筈だ。だから、近隣住民の気のいいご挨拶、という訳でもないだろう。

 鉄の取っ手に手を掛け、扉を開いた男。

 そして、開かれた扉の向こうには、髪も服も靴もその全てが黒い男が立っていた。


「……何の用だ」


 外套の男は、来訪者がたった一人でいるらしいことに安堵した。そして、油断した。肩の力が抜け、眉間に皺が寄る。もし自警団やその類の者だったとしても、商品は既に配送済みなのだ。ここにあるのは表向きの仕事としての、価値も不明な古臭い置物や絵画だけ。

 男は足音をさせて建物内に入った。そして後ろ手で扉を閉める。額に巻いた白い布と、僅かに露出している肌以外は全身を黒で固めたその男には、武器らしい武器を持っているようには見えない。


「ここは古美術を扱ってると聞いたぞ、そんな所に来るとしたら目的は何だと思う?」


 黒衣の男からは僅かながら、酒の香りがした。よく見ると頬も僅かに赤く、瞳も胡乱なようだ。変な奴が紛れ込んで来た、と、外套の男が不快を露わにする。


「……ええ、ええ。そうですよ。こちらでは共和国から東方の島国、他にも嘗て滅んだ帝国やあのファルビィティスの逸品まで揃えております!! お客様は御目が高い、さ、どうぞこちらに―――」


 それでも、怪しまれる行為は止めておいた方が賢明だ。酔っぱらいに物の価値が分かるとは思わないが、自分達だってそうなのだ。訳の分からない二束三文で手に入れたガラクタに、それらしい話をでっちあげて高値で売り払う。そんな行為も副業の感覚で繰り返してきた。

 さっさと帰らせるか、それとも身包み剥いで町中に捨ててもいい。その時、男はそう思っていた。


「それよりも、なぁ」


 来客――アルカネット――が、瞳の色を変えた。酒に酔った男の振りを止めて、後ろ手のまま扉の鍵を閉める。


「お前達だろ、子供達誘拐してどうのこうのってのは」


 アルカネットは部屋の中の男達の顔を見回した。協力者の話からは、これ以上の仲間の事は聞かなかった。なら、ここに居るだけで全員なのだろう。……二番街の店とやらの者を除けば。

 誘拐、の単語に男達の雰囲気が変わる。そして、何も言わずに部屋の中にあった武器を手にしていた。

 壁に掛かった長剣、部屋の中にあった角材、槍、大きい灰皿のような鈍器。酒を飲んでいるのは確かなアルカネットが肩を竦めた。は、と出した吐息にさっきまで飲んでいた不味かった酒の味を思い出す。

 仕方ないんだ生きるためにはこうするしかなかったんだ、などと面倒臭い話にならなさそうで安心した。これで、アルカネットも遠慮せずに済む。


「それ知ってんなら、ここから帰す訳にはいかんなぁ?」


 投げられた声が芝居がかったようなものに聞こえて、堪らずアルカネットが肩を揺らした。

 『帰す訳にはいかん』。こいつらは、俺に帰りたい家があるとでも思っているのだろうか。酔いも手伝って、込み上がる笑いは抑え込めない。しまいには声を上げて笑うアルカネットを不気味なものでも見るような顔をしていた男達が、意を決したように武器を手に肉薄した。


「楽しい気分のまんま死にな!!」


 最初に来たのは、角材を持った男だった。振り上げられたその瞬間まで、アルカネットは笑っていた。そして。

 笑ったまま、角材が振り下ろされるまでの一瞬に身を屈めて詰め寄って、その顔面を狙って拳を捻じ込んだ。


「―――!!!?」


 その顔は酷薄な笑み。緩めた口許から覗く歯が、しっかりと噛みしめられていた。

 角材を持った男はその場でよろめいた。取り落とした角材は床に落ちて音を立てる。その男の顔からは、夥しいほどの血が流れている。

 目だ。アルカネットが拳を喰らわせた左目から、血が溢れ出していた。


「っは、ああああああああああああああああああああああ!!?」


 拳を受けた男の絶叫は、自分に何が起きたか分からないことへと、痛みと。そのふたつで他の言葉を漏らすことさえ出来ていない。床に転がった男が、目を手で覆うがそれすらも激痛が走っている。目を庇いたいのに痛みで出来なくて、男の手が顔の前で行き場を探して躊躇う。その男の顔を、他の仲間は見てしまった。

 その目には、短い木の枝が刺さっている。血に塗れた枝は折られた不揃いな断面を晒していて、普通ならば有り得ない異物が生えたような眼球の有様に、その場にいたアルカネット以外の全員が慄いた。


「うるせぇ」


 アルカネットは笑みを消し去って、転がる男に吐き捨てる。そして近付いて片足を上げ―――勢いをつけて喉を踏み抜いた。が、と濁った声を上げた男はそれきり動かなくなる。踏み抜いた足を躙り、そして足を下ろして溜息をひとつ。

 そこには何の躊躇いも無かった。容赦も。それを成し得た男は、服の中から新しい枝の欠片を取り出して指に挟む。それで何をするのかは、もう分かりきった事。


「……コイツ、一般人じゃねぇぞ……」


 男の中の一人が、アルカネットを見てそう言った。声が聞こえたアルカネットは、自分を評価したその言葉が今更過ぎて退屈に目を細める。

 一般人じゃないなら何だと言うのか。一般人だったら手に掛けられるとでも思っていたのか。酔いが回って気が大きくなったアルカネットが、殴った方の肩を軽く回しながら首を傾げた。


「心外だな。俺は仕事に真面目なアルセン国民だ。税金も払ってる一般人だよ」


 至極真顔で世間話のように答えるアルカネットの手は、血で汚れている。

 男達だって、後ろ暗い事は色々やってきた。人を殺して楽しむ事は少ないにしろ、それに近しい行為は何度だってやって来た。男達の目的は、ただ人の命を奪うだけの行為ではないのだから。

 けれど。

 この目の前に立つ、黒衣の男は。


「酔いが醒める前に終わらせたい。悪いが、急ぐぞ」


 それを開戦の合図にして、再び男達との距離を詰めた。


「な、っ!?」


 アルカネットが最初に目をつけたのは、槍を持つ男だった。他の武器もそれなりに厄介だが、他の男と向き合っているときに槍による中距離からの攻撃というのは迷惑この上ない。

 槍の長さは、長所と同時に短所だ。間合いを超えて中に入ってしまえば、まともに扱いを学んでこなかった素人では何も出来なくなる。そしてアルカネットは、相手が行動を起こすよりも先に動ける自信さえあった。


 誅罰。

 アルカネットの頭にあったのは、その言葉だけで。

 他の言葉は、都合よく酔いがどこか遠くへ押しやってしまっていた。


 煩いと人が来てしまうかも知れないから、最初は喉。

 よろめいた所に、腹への一撃。

 身を屈めた所に、とどめの意味を込めて、顔面へ。指に挟んでいた枝は、その時に瞼を貫通して眼球に刺さりアルカネットの手から離れていった。

 その三発を流すように、しかし力を込めて。息はあるだろうがそれ以上相手をしていられないので、横腹に回し蹴りを喰らわせて倒す。


「次」


 誰にでもなしに、アルカネットが宣言する。その視線に捉えられた男二人が身を震わせた。

 長剣を持つ、外套を纏った頭領と思わしき男は、柄を握る手の震えが収まらない。武器を持っているのはその手なのに、ほぼ無手の男に対して恐れ慄いてしまっている。

 その震えを、恐れを、身逃すアルカネットではなく。指に枝を挟みながら次にゆらりと体を向けたのは、長剣の男へだった。




 転がる男達をひとりずつ確認していく。動けないのは分かっていたから、先に財布を探した。

 財布自体を持って行くのは禁止されているが、中身を失敬する分には御目溢しを貰っている。金銭目的の犯行だと新聞に書かれては面倒なので、全額持って行くという訳にもいかず半分だけ。財布を持っていたのは四人の内二人だけだった。外套の男はそれなりに小金持ちだったようなので、遠慮なく抜き取る。真面目に自警団勤務していたら半月分になるだろう額をせしめる事が出来て、アルカネットの口許が綻ぶ。……しかしそれはすぐに噛みしめられた。

 こんな事をしていたら、誅殺対象と何も変わらない。

 孤児院への寄付が必要だからと、それを言い訳に何でもやって来た。今回で、アルカネットが手を掛けた人数は二十名は超えたかも知れない。

 失敬した金を自分の財布に入れながら、息の無い死体はそのまま放っておく。問題は、生きている方だ。

 外套の男が持っていた長剣を床から拾い上げる。自分のものよりも重いそれは、実戦用というよりも飾る為のものらしく、アルカネットがその華美な装飾に眉を顰める。切れ味を確かめるように、アルカネットがその刀身に指を滑らせてみた。武器としての本質を忘れていない長剣は、その行為を咎めるかのように指に赤い線を残して皮膚を裂いた。

 これが、今日最初のアルカネットの負傷。切れ味に満足した様子のアルカネットが、指の血を自分の舌で舐め取った。

 誅罰、からの、誅殺。

 死にぞこないは二人。

 アルカネットはその剣を振り上げて、一人ずつ丁寧に、その命を刈り取っていった。


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