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 アルカネットは自警団員であった。

 同時に、別の仕事も受け持っていた。


 この国には王室直属の『王立騎士団』と、市民が仕切る『自警団』の二つが治安維持機関として存在し、自警団は形式的に王立騎士団の下に属する。

 しかし騎士団が直接その力を振るうのは、王侯貴族が住まう『十番街』以下数地区のみ、あとは自警団の役割である。

 地区は割り振られたその数が小さくなるにつれて治安が悪くなり、一番街までなると自警団そのものが存在していない。自由を謳う国の暗部がそのまま数字に表れているのだ。

 暗部には暗部で対抗することを思いついたのは、何代目の国王なのか、それを知ることはもう誰にも出来ない。


 アルカネットの住む酒場『J'A DORE』には、昔から裏の顔がある。それはいつ始まった話かは、聞こうにも知っているものはもう居ない。

 初代マスターとして酒場を経営していた、アルカネットの育ての親。それから、アルカネットよりも先に引き取られて育てられていた女。二人が隠そうとして、隠し切れなかった話だ。


 いつからか、王室直属にもうひとつ組織が出来ていた。

 他国からの批判を受けないように、秘密裏に。いつでも解体できるように小さく、それでも信頼が置ける者に舵を任せて。

 自警団もその存在を知らされていない。耳聡い者は存在を嗅ぎ付けてはいるが、露見させることは王国を敵に回すだけで、得なことなど何も無い。

 重犯罪を犯したもの、王室の尊厳を汚すもの、国民の生活を著しく脅かすもの。

 その全てを秘密裏に始末するための、裏ギルド。

 『JA'DORE』の裏の顔―――『ja'dore』。血の制裁を以て、王国の秩序を保つもの。

 そして、その裏ギルドを取り仕切っているのは、アルカネットが毛嫌いしているディルなのだ。




 アルカネットは孤児院を出て、沈む夕日を正面に受けながら街を歩く。暮らすだけなら不便の無い、気に入っている街並み。夕方にはどこからか食事の匂いが漂って、子供達が遊びの帰りに家路を急いでじ戯れながら走る姿も見える。

 自分と関係のないものが、普段通りの何も変わらない営みをしているのは見ていて好きだった。何の危険もなく、同じ毎日を繰り返しているのを見れば、その仲間に自分が入れている気がして。

 自警団員としての矜持はある。この日常を守るのは、騎士達の目が届かない街では自分達の仕事だと思っている。けれど、自警団だけでは対応しきれない事柄がある事も知っている。

 感傷ではない。ただの事実だ。

 アルカネットは自警団員になってから、子を戯れに殺された親の嘆きを見た。恋人を性質の悪い変質者に嬲られた男の憎しみを見た。配偶者が加害者側になって、世間に詰られ自殺した妻の無力を見た。団員の中には、人の闇を見て心を病んだものも居る。そしてアルカネットは、そのどれを見ていても、手を差し伸べる事が出来なかった。


 ―――戻れなくなるよ


 もう居ない筈の女の声が蘇った。鈍い銀の髪を持つ、粗暴で、乱雑で、けれど見た目だけは綺麗で、美人で。


 ―――斡旋してやることは出来る。だけど、その後逃げ出すなんて許さない


 アルカネットは、彼女に裏ギルドの一員となる事を懇願した。当時、育った孤児院を運営していた貴族がその運営から手を引いたのだ。そのままでは路頭に迷う妹達と他の孤児達を、どうにかして守れないか。そう悩んで、考えて、その地獄へと行き着いた。

 手に入れたのは、一人で暮らすには充分すぎる金と、指示が出た相手を誅殺する権利と、そして、泥と血で汚れた両手。それから、冷たい視線で嵌められた足枷。足枷は目の前で泣いている者に手を差し伸べに行くには短すぎて、届いたところで差し伸べるべき手は赤で濡れている。

 覚悟はしていた。

 けれど、その地獄へと案内してくれた女は、別れさえ告げずに先にいなくなっていた。


 別れの言葉があったら納得できたのか。

 アルカネットは自問するが、それにも否の答えしか出ない。

 地獄の炎に先に焼かれにいった筈の女が、その温度の心地に悶えている姿を想像しても嘲笑う気にもなれない。

 苦手な女だった。

 でも、嫌いではなかった。

 ひとりの女の喪失で、アルカネットの世界は大きく変わってしまった。


 アルカネットは、自分の巣である酒場へ戻る事を諦めた。面倒だな、と思いながらも酒場とはまた違う方向へと歩き出す。

 『仕事』がまだ残っている。自警団の仕事ではない、もうひとつの仕事だ。

 三番街で見つかった、首の無い男の全裸遺体。それはギルドマスターであるあの男の指示に従って、アルカネットが手を下したもののひとつ。

 そしてその遺体の男が所属していた人身売買組織の頭領が、三番街のとある地区に身を潜めているという情報をギルドの仲間のひとりから聞いていた。少し頼むと支援をしてくれる彼には、なにか後日改めて礼をしなければいけないだろう。

 しかし一市民として街に出ている今、武器になるようなものは持っていない。どうしたものか、と考えていると、進む道の先で子供達が走っていた。帰宅の途を急ぐ子供達は、自分の家の扉を開いてそこに駆けこんだ。家の中から声が聞こえる。


「お帰りなさ……って! またアンタはそんなもの持って帰ってきて!!」

「だって、これ凄く格好いいんだよ! 自警団の人が持ってる剣みたい!」

「そんなものが剣になる訳無いでしょ!! いいから捨てなさい、これで何本目!?」


 母親らしい女性の雷が家の中で落ちて、それから扉がまた開いた。

 中から出てきたのはさっき帰宅したばかりの子供だ。まだ幼い手に握られていたのは、長いだけで太さが無い木の枝。子供はそれを家の外に放って、再び家の中に入る。

 放られた枝は転がって、アルカネットの視線の先、道の真ん中へと辿り着く。アルカネットは少し考えた後にそれを拾い上げに向かって。


「……これでいいか」


 そう呟いた。

 先程の子供が憧れているのは、自警団かそれとも剣自体か。

 確かに枝では人は斬れやしない。けれど、これで生きているものを害することは出来る。

 子供が憧れていた『剣』を拾った『自警団員』が、その子の知らない所で枝を中央からふたつに折った。二つから四つ、そこまで折ったところで、その四本になった木の枝を握りしめて道を進む。

 まだ時間は早い。日のあるうちに動きたくはない。誰かに見咎められたら―――余計な仕事が増えるから。

 空いた時間で何をしようか。酒でも引っかけるか。そう考えている間に、四番街に入って少し経っていた。目的の場所は三番街だ。先に下調べと逃走経路は確認済み。だから、時間を潰すだけ。

 標的が、確実に『そこ』にいる時間に合わせて。




 夜を迎え、月明かりが街を照らし始めるころ、『そこ』に入って来た男がいた。

 室内にはこれで四人の男の姿がある。背格好は様々だが、どれも中年程度の顔をしており、そして小汚い。先程入って来た男に関して言えば、分厚い生地で作られた灰茶色の外套を着ているが、くたびれた帽子と僅かな泥に汚れた靴、それから額から顎に至るまで脂ぎった顔のせいで清潔感がまるでない。

 建物は二階建て、階層自体は広い訳ではなく、一階と二階にそれぞれ三部屋があるだけの、過去は何かの事務所として使われていたものだ。そこは今、この男たちの塒のひとつとなっている。出入り口がある応接間のような部屋にはソファと広いテーブルが用意されていて、そこに座っていた男達は入って来た男の姿に立ち上がる。


「おい、『配送』は済んだのか」


 外套の男が声を掛けると、中に先んじて待機していた男が返事をした。


「へぇ、今週分は終わってますぜ」

「そうか。……んじゃ、少しはゆっくりできるってモンだな」


 男たちは人身売買を生業としている集団だった。『商品』とされる子供を売買、或いは拐して連れて行き、廓と呼ばれる二番街の店に引き渡す。そこで行われる行為と言えば、『商品』達にとっては地獄と呼べるものだろう。

 泣いて、叫んで、嫌がって、それで助けてくれるような者は一人も居ない。そして、その場所を出る事が出来るのは『冷たくなってから』。

 それが命も意思も持たぬ玩具であったなら、真っ当な職業だったかもしれない。表向きにはこの男達は古美術商として通している。美術品に何かの価値を感じていそうな見た目をしていないにも関わらず、だ。勿論、自警団が目を付けていない訳ではない。この男達は、そういう時には尻尾を出さないのだ。


「ところで、例の孤児院はどうなってる」


 そして、男達は更なる仕事の話を始めた。

 目を付けた孤児院があるのだ。過去には貴族直轄だったにも関わらず、その運営を放棄され、朽ちていく一方『だと聞いた』場所。

 外套の男の声に、また別の男が返事をする。


「あそこでしょ、いやー、厳しいっすねぇ。どうにか下調べしようとしたんっすが、……なんか、えらく綺麗なシスターが凄い形相でこっち見てくるんすよねぇ」

「シスター?」

「へへ、良い女でしたぜ。いやあ、あれでもうちょい胸さえあれば」

「お前の女の趣味は聞いてねぇよ、そういう事は勝手にやってくれ。襲おうが何しようが勝手だが、こっちを面倒事に巻き込むならお前も川に沈めてやるからな」


 とはいえ、と、男は一度言葉を切った。

 本当なら、この場にもう一人男がいた筈なのだ。その男は、先日首と胴体を切断されて全裸に剥かれて発見された。新聞にも載ったほどの、凄惨な死に方の遺体となって。

 外套の男は数日の間、身を隠していた。誰がそんな殺し方をして来たか分からなかったからだ。味方はおらず、敵だけ多いその仕事は、今までも何度も命を狙われてきた。

 けれど、ここまで『見せつける』ような殺し方は初めてだった。


「暫くは大人しくしてようとも思うが……在庫は多いに越した事ぁ無ぇからな。明日辺りにでも、またその孤児院見に行ってみろ。何か手土産でも用意して行けよ、孤児院ってくらいだから菓子でも持ってきゃコロッと騙されてくれんだろ」

「んじゃ、そん時は何の業者って言います?」

「今度も布地の問屋でいいだろうよ。そのシスターとやらが顔覚えてたら面倒だから、今回はお前は行くんじゃねぇぞ」


 シスターの美貌に未練がありそうな男が渋々ながら、へぇ、と気のない返事をした。

 業者を装って内部に入って下調べをして、行動に移すのはその次かまたその次。

 孤児院を狙う時はそれが常だった。そして問題が大きくなる前に荒稼ぎさせて貰って、また次の土地へ。

 それを繰り返す男達だ。そこに人の心などある訳もない。

 だから、当たり前なのだ。

 男達の耳に、来客が扉を叩く音が聞こえるのは。


「誰だ」


 返事は無い。

 しかし、その扉は再び音を鳴らす。音は三回、木製の扉を叩く音。


 黒衣の死神が、そこまで来ていた。


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