第2話 日常に溶け込む

 信号機で捕まったすきに、カーナビ画面をタップしてテレビ機能に切り替える。指でチャンネルをザッピング。

『これがモウカのマグロ! この貴重な肉は、わずか五百グラムしかとれない部位。推定百万はくだらないここを、漁師の船の上で贅沢にいただき――』


 料理番組らしい。大トロがドアップに映る画面は興味がないので回した。

『ちなみに奥さん、家事で忙しいでしょう』

『……』

孤閨こけいを守ってばかりじゃ、普段の食事に「華」なんてないでしょう。どうです? いっそ私と――』

 年の差カップル、ということは恋愛ドラマが釣れたらしい。

 これはたしか、視聴率もそこまでない奴だ。第一話で五パーセントを切ったとネットでずいぶん叩かれて、案の定この時間にもう再放送やっているようだ。眉をしかめて回す。

 次は深夜の場面。これもドラマだが、見覚えのあるものだ。

 腰を抜かして後ずさる若い男性が女性に向かって怯える声を発している。

『どうしてだ……?』

『なんの話ですか』

『どうして今日、人を――俺を殺すんだ?』

『うふふ、往生際の悪い。なぜって今日は――』

 発砲音と白い煙。紅い装束を着た女性のセリフを削る。

『――ですもの』

 絶命した男を一瞥した後、振り向いて公園を後にする。白いエンディングロールが流れていった。

「ああ、『真紅の結末』。……ラストの再放送か」

 銃口を向けられた先の、画面内下部にちらりと映じる文字を読むとたしかに『真紅の結末 最終話』と書かれていた。

 先ほど家で見たミステリードラマの、最終回にあたる。最高視聴率は二十数パーセントを超える名作ドラマだ。こんなドラマ、まだ流れるんだな……。


 平日の午前なのでこの程度。たかが知れている。専業主婦を対象としたニュースの深堀りやドラマの再放送、あるいは、通販番組。

 だが、それでも竜一はこのような退屈な時間帯でも何か聞いて流さなければという強迫観念めいたものを呼び起こさせるのだ。

 いかに自分の知識――忘れているという意味でも――が足らなかったのかを思い知らされたこと。自分の身なりや容姿について気づかされたこと。どちらも彼女と話した時に初めて気づかされた。

 だから、次会う時までにはこのような時間でも情報収集を怠らず、一般常識を膨らませるよう、無知の耳を傾けなければならない。

 ちょうどよく、『真紅の結末』が終わってニュース番組が引き継いだ。竜一にある知識だけでも何とかなるような予感。明かるげなBGMとともに、回転する筒状のニューストピックが張り付いた文字列がきらりと輝く。一番最初が下りてきた。


「本日のニューストピックはこちら!

 不運といいますか、僥倖ぎょうこうといいますか。チャンネル登録者数五〇万人を超えるHigh TVer〝県議会議員偵察委員会〟が、またも大手柄を立てたようです」

 これにしよう。

 信号機が青になったのを合図に発車した。チャンネル回しに飽きた左手はハンドルに引っ越して、左折を手伝う。多摩川と南武線の間を並走するように、車を北西方面に走らせた。

 ネット番組のキャスターが「High TVer」の紹介文を読み上げている最中、下り電車すら追い越すほどにさくさく進む。いつも混んでいる下道なのに、と竜一は助手席ウインドゥを全開にした。生ぬるい風でも、一瞬でも浴びたくなったからだ。




 県議会議員偵察委員会。チャンネル登録者数は七十六万人。

 いわゆる「素人High TVer」の一角……いまや芸能人が跳梁跋扈する以前に、動画投稿界の黎明期にて活躍したその生き残りと数えられる。

 短時間に編集された動画を、毎日コンスタントに投稿し続ける手法はすでに定着済みだが、この真逆を行くチャンネルは現在ではこれくらいしかないだろう。ほかは芸能人チャンネルに〝喰われて〟しまっている。

 素人ながら、無編集無音声の動画五時間という昔ながらのアーカイブスタイル。

 しかし、これでも再生数は三十万を超えてしまう。その理由はニュース番組でこの無編集部分の一部が切り取られ、たびたび衆人環視の場にて醜態しゅうたいを晒されることにある。


「今回の舞台は熊本県。こちらの人物は……首をがくがく曲げて、うたた寝の典型的な姿勢をとっています。

 こちらの方はというと、なんと、タブレットの中を覗くと……家電量販店のページ?! はたしてこれらは本当に議題で関連するものなのでしょうか?」


 画質の悪い切り取られた動画に女性キャスターのナレーション。

 口頭での説明をする議長に隠れ、まるでいたずらっ子のようにタブレットを持つ人物は、選挙で選ばれた県議会議員だ。真剣なまなざしで値段を吟味する姿……どれだけの視聴者が賛同するだろうか。ナレーターもシニカルな声色を込めている。

 偵察委員会の功績はこの一件にとどまらない。例えば神奈川県議会ではうたた寝、東京都ではいびきをかく現場を。秋田県では資料に落書き、談笑する姿をとらえた。さらに今回は九州に飛び、タブレットによるネットショッピングまで……拡大した画面を見るに、どうやら高性能の冷蔵庫を物色していたようだ。

 このように、多額の税金が給与として支払われる県議会議員がちゃんと働いているか、第三者の目線から気軽にチェックできる――ということを売りにしたこのチャンネルは神出鬼没で、予期せぬところで国民をバカにした行動を穿たれた議員らは軒並み炎上。ほぼすべての怠慢議員は政界引退まで宣言させられている。


「いやー、すごい執念ですね。今後一層のご活躍を期待しています!

 さて、朝のニュースはここまでになりまして……」

 換気を終え、閉め切った車内に冷風が垂れ込めるようになったころ、南武線との並走区間は終わりを告げた。料金所を抜けて稲城大橋で多摩川を渡る。電車よりも先に東京都へ足を踏み入れた。

 番組の主役はニュースからラジオスタイルの番組へ切り替わり、画面は静止状態になった。明かるげなBGMが流れ、追って若い女性の声。

「周波数八〇. 〇はちじゅってんぜろ。TOKYO FM。みなさんこんにちは。ラジオパーソナリティーを務めるのはこの私、宮城がお送りします」

「こんにちはー♪」

 

 昼前を彩るラジオなので、DJらしくあか抜けた声をしている。

 二人組の若い女性は先ほどのニュース聴取率を引き継ぐように会話を続け、県議会議員偵察委員会に追加褒賞を与えている。主題歌を歌うしゃべりで話をまとめ上げ、曲紹介に移った。

「えー、それではリクエスト曲です。山口沙矢加さやかで『空は時として残酷に』……どうぞ」


 ゆるいテンポのピアノソロが流れてきた。

 使われている音の数が最小限な、穏やかな曲調。強冷風で車内を冷たくさせるようなものとは反対に、春の気配を感じさせるものだ。その風に乗るように、ひっそりと、少女のような声質が重ねられた。

 未だこんな曲が流れているとは知らなかった。つい数年前に「」を起こしたのにもかかわらず、電子音に囲まれた彼女はそれすらも忘れさせるような魅力を解き放っている。名曲は霞むことすらしないらしい、著作者と著作物をかぼそくも力強く切り裂いた絶世の歌唱力に、竜一はいやでも耳を傾けてしまう。

 間奏が入った辺りでDJが割り込んだ。

「いやー、いつ聞いてもいい曲ですよねー」

「ほんとそうですよね。清純感のあるか弱い声で囁くような曲調……うーん、大学時代にいやって程に聞いたなぁ」

「――わかる! いやぁ、残念だなぁ。ビショップの歌声……いや、このころは山口沙矢加さんですね」


 歌唱しているのは「山口沙矢加」。

 かつて『真紅の結末』の主題歌にして、看板俳優だった男性――最終回にて拳銃にて撃ち抜かれた俳優とともに国民を魅了した、〝Aメロ・メジャーピース〟のメンバー。主演俳優であるナイトと主演歌手のビショップ、その、共同作だ。

 二人が逮捕される前の姿を映した、数少ない作品なのだ。

 

 

 東京競馬場の脇に入ったところで、車は裏路地に入る。

 奥にそびえる「府中の城」。その城下町のように古色蒼然とした看板が、路地からひょっこりと顔を出していた。錆びついた白い木板の上で四文字の青いカタカナが掠れ踊る。『ロータス』――その文字は彼が三日にあげずに通う、喫茶店の名前である。


 喫茶店前で路上駐車する。かすかにコーヒーの匂いのする喫茶店を眺めるついでに、助手席に放り込んだスマホを手に取る。

「じゃあぼくも機種変してこよーっと( *´艸`)」

 顔文字からして、平日で暇人なのは自分とこいつだけらしい。

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