第7話 変容し、暴走と化す

『北の丸ICより首都高速へ進んだロケ車は、九時四十五分に配信を開始。続々と訪れる来場者の数と、祝杯ムードがコメント欄に滝のように乱れ舞う。

 最初は打ち上げらしいライブの反省会や感想が飛び交い、ファンとの交流を深めた。ときには質問に答えることもしたようである。


 ――ここだけの話、ありますか?

 ――もうすぐチャンネル登録者数が一千万を越えますけど、その記念企画は用意してますか?

 ――ビショップさん、生歌披露して! 曲は「空は時として残酷に」。

 ――ナイトさん、今撮っているドラマ「真紅の結末」のウリを、ネタバレにならない程度にお願いします。

 ――年末の〝^GEINO^〟は誰が優勝しますか? 是非、予想してください。etc……。

 未だ暴走車としての風格が見えぬロケ車は当初、三十分ほどで切断予定だったらしい。というのは――』


 展開を引き延ばすように、なかなか次の場面に行かない。

 竜一は堪えて読み進めてみるが、生放送の〝起〟か〝承〟にあたる部分が延々と続くばかりで辟易してくる。生放送で拾ったコメントに答えた質問についての内容が、これでもかと続くのだ。

 元ファンや関心のある読者などにはサービスの良い文章かもしれない。だが、彼が最も知りたいのはあくまで彼らがひき逃げを起こした発端と思しき場面――『投げ銭』の部分だ。すべてを読むにしては分量が長すぎる、できれば飛ばしていきたい。ぱらぱらとめくった。

 しかし、膨大なページ量だ。新聞記事の一面を飾るほどに黒い文章が続き、目が痛い。筆者としての見解とその考察だけで、冊子の半分はそれに充てられている。


 途中手繰ったとあるページの上部には、車内を撮影しただろうモノクロ写真がどかっと腰を下ろしていた。『生放送アーカイブより』という小さな注釈……この写真は生放送のスクリーンショットなのだろうか。

 画角的に察するに、三脚を組んだカメラでやや見下ろす風に車内後部を撮影したものらしい。窓はすべてカーテンで閉め切られ、囲むようにして車内シートが設けられている。座る者たちは四人いて、うち一人は化粧の濃い女性だった。確実に彼ら……加害者一行だと認識できた。


 写真手前側にはテーブルが、画面中央にかけて縦長に設置されている。

 ピーナッツ、ビーフジャーキー、燻製セット、オードブルなど、酒のつまみが所狭しと乱舞している。高級キャビアまである。それらと歓談するように左一人、奥二人、右一人という配置で座る。贅沢な距離の取り方だった。

 奥二人については、赤ワインを持って中身を揺らす最年長の男と、肩に寄り添うようにもたれた若い女……あれが歌姫ビショップと、老獪ろうかいな司会者ジャックなのだと初めて解った。

 往々にして目元は黒い線で塗りつぶされていたものの、どれも口角は上に曲げられている。少なくともこの時間は皆、楽しかったのだ……と、彼らは物語っているように、無邪気な笑顔を浮かべている。


 その写真に拝跪する文の羅列が、あと何ページも続く。長い文字のトンネルを抜けて、ようやく竜一の手は止まった。ようやくだ。


『予定時間が五分と迫ってきて、彼ら四人は切り上げようとした。

「じゃ、そろそろ高速降りるんで、配信切ろうかなー」

「明日の動画でまた会おうねー。みんなー、おつおつー」

 ルークとビショップが別れを示唆し、コメント欄は別れを惜しむ色を滲ませて急流となる。その時、コメント欄全体に紙吹雪が舞った。十万円の投げ銭である。ルークが読んだ。』


 陸続きだった内容は、ラストページ冒頭で〝転〟となった。高額投げ銭は、こう投げかけた。――渋滞してんでしょ? 配信を止めなくてもいいじゃん!



『もし、彼らが素面しらふであれば、このコメントに一抹の疑念を抱いたのではないだろうか。彼らが乗るロケ車の窓はカーテンが閉め切られている。

 日本武道館にほど近い北の丸ICから乗ったとはいえ、配信画面から車内の状況を鑑みて渋滞に巻き込まれていると判断できるだろうか?

 配信時間から察したとしても、とてもじゃないが彼らの居場所を特定できるのは至難の業のように見受けられる。事件後、Nシステムによると当夜、彼らの車は中央道調布IC付近にいた。普段通りなら調布ICで降りるところを、判断を見誤ってひき逃げ現場の府中に向かっていったのだ。

 しかし、今のこの情報はすべてが露見してから分かったもので、この時点ではとても車の行先まで特定することはできない。どうして彼らの車が渋滞に巻き込まれていることが解った?――この疑問を持った私は、すこし穿うがちすぎなのだろうか。』


 穿ちすぎだろう。

 どうやらこの筆者はこじつけするきらいがあるようだ。単なる匿名コメント程度で妄想が過ぎる。心の中で突っ込んでから先を読んだ。


『しかし、過去の出来事は変えられない。十万円の投げ銭、破格だとだれでも感じざるを得ないだろう。何せ読み上げるだけで十万円のギャラが貰えるのだ。読み上げない手はない。

「『渋滞してんでしょ? 配信を止め――』いやぁ、バレちったかぁー。さすがファンは鋭いねぇー! 実はそうなんだよねぇ」

「そうだそうだ! まだ高速にも降りていない。しめるにはまだ早すぎる!」

 ルークが軽く読み上げ、芸人らしい調子で場を潤すと、ジャックが合いの手を入れる。顔を赤くして、見るからにのんべぇになっていた。

 確かに、少しくらい延長してもいいだろう。コメント欄の呼び声に配慮して、一同は延長することにした。


 しかし、渋滞というのは舐めてかかると痛い目をみるもので、十分、十五分と時が過ぎても、一向に進まなかった。

「ねぇ、降りるの、ここじゃなくていいんじゃない? その先で降りたほうが早そうだし」

 ドラマ撮影のこぼれ話が来て、ナイトは冷静沈着に、内心気持ちよく質問に答えている間、左のほうでビショップが問いかけた。

 時刻は午後十時半を回った。疲れた身体にムチ打ってまで配信を続ける気はなく、それでも視聴してくれているファンを裏切るまいと快活に振舞ってはいたのだが、本心は違う。

 さっさと家に帰りたいという気持ちが勝るのだ。それに……と、二人は主座に目を送るようなしぐさをした。このままいけば、になる。少なくともこの二人は解っていた。』


 その懸念を踏まえ、対処を試みる二人。

 ビショップはネコのような声色を使って御大の気を引く。そのすきをついてルークはカメラの画角から消え、三十秒とかからず帰ってきた。腰を下ろした直後、車は動き出した。舎弟のドライバーの元に行き、本線に行けと指示したのだ。

 しかし、ここでも選択を見誤る。五分もしないうちに車の速度は減速し、やがて停車。小仏トンネルの影響で、中央道が渋滞しているとは思わなかったらしい。


『「おい、いつまでかかるんだ!」

 停車してから三十分が経過して、和やかな空気は、水を打ったように静かになる。どんっと、テーブルに拳を打ち付けて、ジャックが癇癪を起したのだ。

「我慢ならない……さっさと動け! このカス車!」

 地団太を踏むように、ワインボトルを振り回し、すっぽ抜けてガラスが割れ落ちる音。ビショップも制止するが、それも叶わない。それらを揶揄するがごとく、またも花吹雪が舞った。十万円の、投げ銭。同一人物だ。内容は、

「そんなにイラつくなら、少し位自分で何かやれば良いじゃないか。そこでふんぞり返ってないでさ。まるで老害じゃないかw」


 ――まずい。

 超高額の投げ銭なので無視できない。しかし、内容は明らかにジャックを挑発するものだ。閉じなければ!

 ルークは配信を閉じようとカメラに手を伸ばす。だが、一歩遅かった。

「『老害』?」

 ジャックは目を走らせ、その内容を読んでしまったのだ。その後、一瞬置いて、磊落らいらくと笑い声をあげた、彼以外は沈黙しているなかで。

「くくく、言い方は腹が立つが、確かにその通りだ。老害、老害ね。

 じゃあ、その老害から脱却するには、何をしたらいい? 私はさっさと帰りたいんだが?」

 一度は驚いたものの、コメントが活性化する。二十秒も経たずに流れは元通りだ。水を得たうおが生き返ったように、コメントは滝になって流れ落ちていく。コンマ○.一秒も表示されずに消えていったが、ジャックの動体視力は見逃さない。


「『しりとりでもすれば?』――ダメだ。根本の解決にならない。

 『歩けばいいじゃん』……それも却下。疲れてんだから。

 『酒のんで忘れろ』? ――ああ、残念。最早一滴もないからイラついて〝老害〟になっているんだよ」

 見るからにクソコメでも、一瞬しか写らないコメントでも、瞬時に拾っていくさまは、とても酩酊状態には見えない。しかし、彼は確実に酔っているのだ。なぜなら、こんなコメントを拾ってしまうのだから。

「無謀なことをすればいい?」

 ジャックは片眉をあげて答えた。「具体的には?」

 またもコメントが活性化する。彗星のような速さで消えていったコメントを読み上げてしまった。

「『自分で、運転すればいい』……ふむ、たしかに」

 おもむろに席を立った。「その手があるな」と呟き、彼の身体はよろけた。足取りもおぼつかない。


「お、おい! ジャッ――」

「うるさい! 邪魔するな!」

 ルークが制止するも、それは叶わず、傲然と仲間をねつけた。ずんずんと姿は大きくなり、手を伸ばした先はカメラだ。カメラはがたがたと激しく揺さぶられ、飛び込み競泳をした時のような、乱れた画面が水しぶきとなって映った後、ついに真っ暗となる。

 何か物を叩く音が、カメラと三脚だと解った直後、微かに聞こえたそれは、公然と記録されることになった。

 唯一難を逃れた音声の、七割を占める走行音にまぎれ、かすかにファンファーレが犯罪色を帯びてゆく。運転席から、それは聞こえてきた。

「さあ、ショータイムの始まりだ」』



「どうです、日下部さん」

 みどりが穏やかな声で遮った。

「読み終わりましたか」

 ごくり、と生唾を飲んだ。

「このあとジャックは……ジャックはどこに向かったんですか」

 数秒の沈黙。そして――

「そのまま運転席に座ります。座って、ついに暴走車と化しました」


 暴走車は酩酊状態になったジャックの手のもとに、路肩に乗り上げ渋滞地帯を抜けた。そして、府中スマートICをして降り、一夜中、府中の街を暴れまわったのだという。暴走車の帰結点は翌朝、早朝まで見つからなかった。横浜にあったのだ。

 発見時、その車は埠頭の先で停車していた。まるでS字フックをひっかけるような、絶妙な角度で止まっていたのだ。有名人が犯罪者に変じた様子を、数多の群衆の目に晒された。

 車のにはベコリと凹んだ前部バンパーと、その上にはある荷物が載せられていた。それは――

「わたくしの息子でした。

 我が子が、車の上で寝そべっていました」

 ――血まみれの状態で。

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