第5話 写真の山

 二人は擬態化した森を抜けて、――砂利の上に枕木を設置した線路に黄と黒の遮断機――を乗り越えると、彼女は途中にあるドアを開けて彼を部屋に通した。

 入口ドアに貼られた案内プレートを見ると、『日本』と書かれていた。


「どうぞ。初回ですし、こちらの部屋で行いましょうか」

 中は十五畳ほどの、広めの応接室。打って変わって内装は気品にあふれ、可愛い。

 猫脚のテーブルが中央に置かれ、テーブルをはさむようにして二つの黒い事務椅子が置かれている。飲み物を聞かれ、彼は紅茶と答えた。

「ついでにお茶菓子も持ってきますね」彼女は静かに退出する。


 上座に着席した竜一は、目の前で寝そべる可愛い動物に心を惹かれた。

 は猫又という動物が、テーブルクロスの中で、が、のんびりひなたぼっこをしている。しっぽが二股に分かれてハート型にカールしている。


 手持ち無沙汰に室内を眺めてみる。

 猫又のテーブルクロスからして、この部屋はプレート通り『日本』を収容した部屋なのだろう。壁の端から整頓され、日本伝統工芸展の展覧会が開かれていた。

 鳴子漆器のお椀や南部鉄器の薬缶やかん、鮮やかな青緑色に波紋模様が美しい江戸切子と寄せ木細工風の螺鈿らでん

 長く、大きなキャビネットの上に目を移せば将棋の駒のごとき様相で赤ベコとひな形のこけし。双方が結託して信楽焼しがらきやきのたぬきに決闘を申し込んでいる。

 壁には写真の貼られたコルクボードと絵が飾られており、対角線上に女性ものの大首絵が見つめ合う。どちらも江戸時代の、見返り美人図に構図が近い。

 藍草由来か、青色の着物を羽織る大人びた女性が後ろを振り向こうとして、右に首を曲げている――はらりと落ちたうなじから肩にかけて、裸肌を露わにさせて。

 ただ、筆のタッチは浮世絵に近いために、色香はそこまで感じとれなかった。


 うっすらとだが、室内に甘く落ち着いた印象のあるミント系が漂っている――匂いが待ち人の鼻孔をくすぐった。隅にアロマキャンドルを灯してあるらしい。

 ひとしきり待ち時間を堪能していると――三回のノック。遠慮気味にドアが開かれ、

「落ち着きましたか、日下部さん」

 お盆を持って入室してきた、にっこりと。はい、と頷いた彼を見て、彼女の口がほころぶのが解った。


 ☆


「まずは自己紹介から、ですね」


 お茶菓子――抹茶のバウムクーヘンがテーブルに着地する頃には、机に置かれた紅茶カップから馥郁ふくいくたる湯気を発していた。

 室内に充満していく芳醇な香りを聞香ぶんこうしつつ、渡された名刺――「名刺……までとはいきませんが……」と丁重に断っていたが――を拝見。

 『すめらぎ みどり』と刻印された彼女の名前とここの住所、そして――、


「『紅いドレスを纏った淑女』――これが相談室の名前、ですか」

 穏やかな表情を浮かべ、彼女は首肯する。

「HPをご覧になった手前、直接本人に申し上げにくいことですが、この『相談室』は私一人で切り盛りしています。慈善運営……という言い方をすればよろしいのでしょうけど、少々キツイ言いかたをすれば、私の趣味として始めたものですので、特に相談料は設けておりません。専門的な知識は持ち合わせてはいませんので」

「無料、ということですか」

 相手は首肯する。辺りを見回してから、竜一は質問した。


「収入はどうしてるんですか。それに、この城も」

「政府からの給付金で生計を立てていますよ。私はですから。〈治外法権法〉の白羽の矢が立って、先行適用の第一号としてこちらの居住地に住まわせていただいているのです」


 聞きなれない言葉の端々から彼の頭は混乱する。

 治外法権法? 先行適用の第一号?――何だそれは。それに、

「皇さんが、遺族……ですか?」

 口元に手をやって、声をらした。

「ふふ、日下部さんは本当に知らずにここへいらっしゃったのですね。連日連夜、半年後の国民投票について取りざたされているでしょう?

 実際、わたくしのことは誰でもご存知なのでは?――と自負してしまうくらい、業界では有名人なのです。『治外隔離区域』も小耳に挟んでいない様ですし」


 苦笑を漏らすみどりに反比例して、竜一の身体が小さくなった。無知すぎる自分に恐縮してしまう。

「あら、そこまで自分を卑下することはないですよ。その方が新鮮ですから。ここ最近、数か月以上は国民投票の是非に関心がおありなようで、報道機関の方々がひっきりなしに電話取材を申し出るのです。

 不躾にお聞きになるインタビュアーさんもいらっしゃいますから、多少の耐性は持ち合わせています。先ほど申し上げました通り日下部さんは気にする必要はありません。そうですね……イチから説明すると時間がもったいありませんし、それはまた今度にしましょうか。今日は自己紹介のみにして、あの事件――ひき逃げ事件について、振り返ってみましょうか」


 みどりは席を立って、するするととある方向へ足を運ぶ。

 赤ベコが群棲するキャビネットを開け、ガサゴソと探しながら、

「ああ、もう六年も前になるのですね。時間が過ぎるのは早いものです」

 と、ひとり懐古する。キャビネットの戸を閉じる音がした。手には一部端のれた週刊誌が握られている。

 府中市立小六児童ひき逃げ特定事件……表紙上部にそう書いてある冊子を持って。


「小六というのは、みどりさんの」

「ええ、わたくしの息子です」

 表情こそ笑ってはいたが、冷淡さを伴った声色。加害者は――という二の句が継げなくなるほどだ。彼女の目線は、彼を飛び越えて別の方向へ向いた。

 始終首を振って問答している、赤ベコの群れに目線を移す。

 赤ベコを見ているのか?――と感じ取ったが、どうやらキャビネット上に吊るされたコルクボードに目を絞っているのだと即座に分かった。今更になって気付いた。そこだけ異様なのだ。


 黄の木枠の中に収められた額縁のなかで、あふれんばかりの写真。重力に逆らって横長の山が形成されるまでに膨張する。

 そういえば、さっき『一人で切り盛りしている』って言っていたことを思い出す。

 あそこには、彼女以外の人物との〈思い出〉が詰まっているのだろう。もしかしてそれが――、最悪のシナリオを思い描く目が回遊し、情報を掻っ攫っていく。

 被写体の多くは目の前の彼女を若くした女性もいる。だが、それよりも多い人物が映っていた。身長は小学生くらいの子供――その人物こそ、彼女の一人息子であるのだろう。


 色彩豊かな山の裾野には『六歳 春』と銘打って、入学式の初々しい顔と若い彼女の写真が画鋲で留められている。

 桃色の花びらが飛び交い、葉桜になりゆく木々の前。校門が写っていた。

 男の子の隣の壁には『府立市立○○小学校』という文字が浮かび上がっているので、入学直後に撮影されたものだろうと頷ける。

 すぐ右側には彼女が並んでいるのだろうが、見えない。

 わざと見えないようにしてあるのだろうか、レースで着飾った彼女に覆いかぶさるようにして別の写真が留められている。

 反対側の裾野には『八歳 秋』という付箋と共に写真が連ねてある。

 トラックを疾駆する途中で撮られたのだろうか、名も知らぬ彼は体操服姿だ。

 肩から腰にかけて斜めに垂らした赤いたすきを揺らし、決死の表情で見切れた人物を追い越そうとする。


 中央に向かうにつれて、付箋の年齢が増える。

 『九歳 春』は国語の授業参観中。教室の後ろから俯瞰視ふかんしして、席を立って教科書を読み上げる後頭部を捉える。

 『十二歳 秋』とあり、下には修学旅行の集合写真が斜めに傾けてあった。

 山頂付近に雪をいただいた山――恐らく富士山だろうか――を背景にして、バスの前で中腰した人物に赤丸を付けてある。やや童顔で、上下水色のジャージを着こなしていた。


 修学旅行関係は他にも種類がある。

 滝の前でポーズをとったもの。土産店で吟味する姿を隠し撮りされたもの。

 神社仏閣中、ふすまの透かし彫りにスマホを構えているもの。

 バスの中、手元のしおりを凝然と眺める真剣な姿を捉えたもの……。

 少し埋もれ気味ではあるが、学校生活以外もある。

 ボビンレースのテーブルクロスとケーキ……刺さったろうそくから誕生日の時か。

 赤い車のバンパーに両手を載せ、星空を見上げる姿勢で静止した少年。

 富士山をバックに新幹線内で撮った時。清水寺の舞台で撮った時。

 東大寺の大仏。鹿とせんべい。屋台のりんご飴四つとわたあめ。

 砂浜で花火を打ち上げてあっと驚く――これは幼少の時らしい――彼の顔。

 

 何気ない日常、それを体現した彼を主眼に置いている。ずらし、登っていく。

 今では物珍しくなった紙媒体のブロマイドを登り、頂上を目指して目を滑らした。色彩豊かでバリエーションも様々。名前すら知らぬ彼のことを一部分でも知った気分になる。

 ただ、卒業式の写真がない。どこにもない。仕舞ってあるのか?

 それはおかしい。彼の小学校生活の終止符を打つ、そんな晴れ舞台を……そう思いながらも必死に探す。

 けれどもなかった。隅々まで探しても、そんな姿がどこにもなかった。


 諦めの悪い彼の目は登頂を再開。

 山のようにある写真の、さらに頂点で留められた写真を認めた時点で、竜一は悟ってしまったのだ。

 ああ、なるほど、という納得感。そしてやはり、という揺るぎない事実。

 その写真を一瞥しただけで彼女の宝物はこの世にいないのだ。

 その写真はひどく痛々しい。道端によく見かける電柱は斜めに折れており、その根本には三つ四つ立てかけられた花束。

 赤、ピンク、青、紫など、色とりどりに手向たむけられた献花であることは他人の目からも一目瞭然。

 すぐ近くには白い線が斜めに走っている。車道と歩道を分断する、あの境界線であることは明々白々で、電柱を挟み込むように設置した白いガードレールも見事につぶれてしまっていた――二筋のを遺して。

 電柱に残された血飛沫が忌々しいように感じられてしまう。


 アロマキャンドルの香りが、二人の鼻孔をくすぐる。

「彼らがライブを終え、生放送を配信していました」

 知らぬ間に椅子を引いて、対面に座ったみどりは『ひき逃げの遺族』としての声を吐き落としていく。

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