第2話 夕焼けと雑音と

 ――遺言聞きましょう。

 


 突然のことに唖然とした。

 三秒間凝然と目を見据え、タップする前の状態に戻った辺りでハッと気づく。

 すぐに消えた文を眼前に引きずり出すために上から下にフリックするが、何もない。今日の天気と気温、現在の時刻以外に情報がない――何だ、今の文は?


 これだけは幻覚じゃないと感じた。そうだ、メールだ。

 もう開くことはないと思っていた受信箱を久々に開く。当然新着がない。だが、試しに迷惑メールをのぞくと、そのタイトル文が見つかった。

 メールの設定をまったくいじっていない彼――竜一は一つの疑問を呈した。

 『迷惑メールなのに、着信音が鳴ったのはなぜ?』。

 彼の指は件のメールをタップ。

 開けば迷惑メール特有の長く、そして玉石混淆ぎょくせきこんこうな情報が詰まった単語の羅列が続くかと思いきや、二行とサイト名、URLのみの簡素なものだった。


『最期の願い、聞きましょう。

 ありったけの思いを吐き出してからでもいいのでは?


 HP:紅いドレスを纏った淑女

 http:www.1606934959062&ei=9wu_X--7A-mQr7wP7PiUGA&……』

 

 たとえタップしてフィッシング詐欺やワンクリック詐欺なら別にいい。どうせ意味のないメールアドレスだ。

 だが、それでも……と、生唾を飲み込んだ。

 指先とそのURL、わずか三センチも満たない空間を泳ごうともがく。爪の先が寸前で着地しようとして、直前で離陸拒否するといった風で止まったり進んだりを繰り返す。

 やがて躊躇ためらっていた指先は、『紅いドレスを纏った淑女』に通ずるアルファベットと数字の羅列に着地、すぐに離した。


 切り替わるように別ウィンドウが開く。

 ロードが終わり、黒色に塗りつぶされたページの上で色がついた雫が数滴落ちた。

 まるで水彩絵の具を含ませた筆を乱雑に振り払ったような暖色系統の雫。

 それが黒いキャンバスに染み込み、外縁が滲んでぼやけていく。次第に濃淡がはっきりしていった。

 独特の世界観を醸し出しながら、やがてその色は薄暮冥々はくぼめいめいたる情景を表しているらしかった。

 朱色と橙、そして紺をあわせた色合いをした浅黒い夕陽は、荒涼とした地面をやさしく照らし出している。

 中央に一軒の家が、影絵のような黒一色で塗りつぶされ、寂し気な枯れ木が人型のシルエットに話しかける。


 ほのかなオレンジ色をした、この人物がメールの差し出し主だろうか。低い身長と華奢な体つきからして子供だ。淑女の容貌とは……とても想像できなかった。

 杖を持った少女――髪が長いので――が、一軒家の前で孤独に佇んでいた。

 腰元まである長い髪が肩を離れたりくっついたりを繰り返し、時折誰かに手を振っている。目を凝らしてみれば妖艶ようえんに首をかしげる仕草まで……アニメーション仕様だとはいえ細かい。


 遅れて文字が現れる。

『最期の手紙、送ってみませんか?』という一文と、一歩遅れて浮上してきたつる性植物柄のメッセージフォーム。

 ここまでの道化染みた演出に、何か文章でも送ってやろうかという気になって、あれ?――となった。ここまで感情が動いたのはいつ振りだろうか、と、一瞬頭をよぎったのだ。

 その心のかけらは心の中から幽体して、指先に乗り移った。そして送る気のなかったこのような文を紡ぎ出す。


『自殺したいと思ってます。どうか話だけでも聞いてくれませんか?』


 「送る」をタップすると、メッセージは封筒にしまわれ、昔ながらの封緘ふうかん印を押された。手紙は紙くずレベルまで小さくなっていき、数回ゆるやかな弧を描いてあの一軒家の郵便ポストに吸い込まれた。

 橙に染められた彼女がちょこちょこと歩いていってポストの蓋を開き、中腰になって中をのぞく。取り出してそれを読んだ。ここまですべて演出が凝っている。

 三十秒ほど――即時ではない所がまた趣向を凝らしていると竜一は思いながら――読んで、返事が来る。

『いつでも来てください。私はあなたが来ることを、ここで待っています。いつまでも、いつまでも……』

 下にスクロールしていけば予定表が貼付ちょうふしてあった。

 休日と祝日以外なら開いており、直近では明日の午後から空いているらしい。明日行ってみるか、どうせニートだ。


 末尾には簡易地図と住所が添付されていた。

 東京都府中市××……。幸いここから小一時間ほど電車に揺られた場所にあるらしい。それでも武蔵野線沿線には疎く、かつ駅から歩くようだ。

 念のためグーゴルマップで目的地検索、経路検索して場所を確認する。

 幸い府中市内の駅から道なりに沿って歩くだけらしく、東京競馬場の脇を通るルート。迷子になる要素はなさそうだった。

 ただ、一点だけ気になった。通常、検索すれば目的地は赤いピンで示されるはずが、なぜかが刺さっているのだ。

 備考欄には『治外隔離区域ちがいかくりくいき』と記載してある。少し首をかしげたくなるものの、彼の指先がその言葉をリサーチすることはなかった。なぜなら……


「……スポーツはこのくらいにして、次はお待ちかね、『夜まで生討論!』のお時間です。

 残すところあと四か月と迫った史上初の国民投票について、当番組にお越しいただきました専門家の皆さんが、あのひき逃げ事件の加害者側代表として有名なと電話対談していきます。

 チャンネル登録者百万人越えの『High TVer』であり、『加害者側』代表でおなじみの〝ナイトライダー〟さん。昨日に引き続き、本日もよろしくお願いします」

「あ、よろしくお願いしまーす」

「よろしくお願いします。今回も鮮やかな論破、期待してますからね。

 では……『被害者側』代表の紹介に移ります。まずはコメンテーターの――」



 テレビのたわ言が煩くて顔をしかめたくなる。またがらみか。

 テレビ番組なのに、「High TVer」――動画をインターネット上に投稿することで広告収益を得、生活する者の総称――を引っ張り出したら終わりだよ、と竜一は嘆息する。

 国民投票、国民投票と、ただえさえ投票率の低い世間に働きかける選挙カーが通りすぎるような爆音……もう寝よう。


 寝汗で凍えるベッドの上。寝転ぶ彼を引き留める念仏は、六年前に起こった〝ひき逃げ事件〟の内容をまだこすっているらしい。

 府中市の小学生を轢いた銀色のハイエースバンが、深夜から朝にかけて爆走した挙句、横浜港にて現行犯逮捕された危険運転致死傷罪ひき逃げ事件である。


 人ひとり轢いたからといって、何だというんだ? 一ミリたりとも興味がない彼には騒音の弊害でしかない。

 そうして念仏は深夜まで続く。不毛なコメンテーター同士の舌戦が耳に付いて眠れない。彼は悶々とした夜を過ごして朝になる。

 ひき逃げ事件のロケ車のように、朝になっても飽きずに話していた。

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