クリスマスに徒花亭を訪れる直前のお話 りあ×元カノ (notりあまつ)

 普段はちょっと寂れたこじんまりとした商店街も、この日だけは精一杯煌びやかなイルミネーションや飾り付けられたもみの木で溢れていて、ケーキ屋の呼び込みがいやがおうにも今日がクリスマスイブであることを意識させてくれる。

 街全体が普段より少し明るい雰囲気に包まれ、店には色とりどりのPOPが溢れ、ジングルベルのBGMがいたるところで鳴り響く。

 こんな、ちょっとお祭りみたいな雰囲気が私は好きで、この時期は仕事帰りに意味もなく街をふらつくなんてことを、毎年していた。

 それが何故だろう、今年は様子がおかしい。

 周りを行き交う獣達が全て家族連れやカップルに見える。彼らの笑顔があまりに楽しげで、あまりにも眩しい。  

 正直、彼らを素直に祝福することができない。何故自分はここに独りでいるんだろうか、という想いばかりが募っていく。

 己のほの暗い羨望を自覚した瞬間、行き交う獣達の雑踏が、スッと遠ざかって、代わりに自分の心臓の音だけがバクバクのたうつのが聞こえる。

 これは駄目だ、と思った瞬間、無意識のうちに目的地のまでの道のりを逸れて、路地裏の小さな屋台に避難していた。

 通りから細い路地を目を凝らして覗き込まないと気づかないような、ちいさな露天の屋台で、雨風にやつれた粗末なテーブルに腰掛けると、商店街の喧騒が遠くに聞こえる。

 店主は物静かで、注文以外で話かけてくることもない。漂ってくるあたたかなおでんの出汁の匂いで、少し心を落ち着けることができた。

 熱燗を煽りながら天を仰ぐと、空はクリーム色のぶ厚い雲に覆われていて、太陽は見えないのに妙に明るい。それが雪雲なのだと理解したのは、冷たい風にパラパラと粉雪が混じり始めたからだ。

 お酒で火照った身体に、静かに降り注ぐ冷たさが心地よくて、隣の席に上着をかけて、冷たい風に当たる。

 空を舞う微細な雪の結晶が、どうしても、どうしてもかつての恋人を連想させた。

 お酒の勢いに頼って、蓋をしていたかつてを思い返していく。

 銀の粉を振りかけたような毛皮の、美しい狼だった。

 そして、まるで身を切る雪風のように苛烈だったと思う。

 空の熱燗のとっくりを店主に下げられるたびに、浮かんでくるのは昔の失敗ばかりだった。

 私はよく彼女の気に障ることをして、怒られてばかりだったと思う。彼女を失望させてしまったことが、自分の中で、ずっと、心残りだった。

 願わくば、もっと自分がしっかりしていれば良かったとひたすら思ったし、そうでない自分がひたすら惨めで、失敗を繰り返した挙げ句の果てに、結局、自分から独りになってしまった。

 時折、出会う前からやり直したい、と思うことがある。

 酒精で鈍った頭でも、馬鹿なことを考えているのは、わかる。

 しかしそれは、下らない空言で片付けるには、あまりに甘美な妄想だった。

 RPGの最初から始めるのように、全滅するたびにセーブポイントまで戻って、バットエンドを避けて、いつかは正解のエンディングに辿り着けるように……

 「なんだ、アナタにしては珍しいことしてるじゃない」

 その気持ちが、再会を望むのとは違うことを自分で理解していなかったら、今聞こえた声もやっぱり自分の願望が生み出した幻聴だと思ったことだろう。

 「すみません、熱燗、このコと同じやつを。あとおでんもお任せでいただけますか?」

 唐突に背後から現れた懐かしい声の主は、慣れた感じで注文を済ませると私の横に何食わぬ顔でどかっと座る。

 「うー寒い。こんな時期にアンダーコートの脱毛とかやるもんじゃないわね……」

 そのまま、ふんふんと不躾に私の匂いを嗅ぐ。私は半分朦朧として霧の中にいるような気分で、ただされるがままになっていた。

 なかばテーブルに突っ伏したまま、視線だけを動かして、隣に座った狼の、耳の先から爪先までをゆるりと見やる。

 綺麗に銀色に染め上げられた毛皮に、皮のジャケットにブーツ。トレードマークの銀のピアスまみれの左耳。本能を隠さない所も、雄のようにガサツな仕草も、ちょっとハスキーな声も、綺麗な香水の匂いも、記憶にある彼女そのままだ。もう五年以上経つのに、変わらぬ私の元カノだった。

 「あなたは……変わらないね」

 「なによ、嫌味かしら」

 私が理解できずに曖昧に耳を傾げると、銀の狼はため息をついた。

 「いい歳してこんな格好してんなって事!全く説明しないと冗談が通じないのは相変わらずねぇ...ボケ殺しだわ」

 言っていることは記憶の中の彼女そのものなのに、表情だけが食い違っていた。

 「そうだよね、アナタは説明しないとこういうの、わからなかったもんね……」

 今の彼女は、まるで懐かしむように目を細めて、私の背後でゆらゆら揺れるもうひとりの私を満足そうに見つめている。

 「あのね、アナタは昔から言葉が足りないのよ。伝える気ある?」

 妙に照れ隠しして言葉足らずにするから、いつも誤解を招くのよ、と続く言説に、ぐうの音も出ない。

 「褒めるならちゃんと言葉に出さないと駄目」

 もじもじしながら、テーブルに置いたお猪口から直接舌ですくいあげると、今度ははしたないからやめなさいと言われる。

 私があまりに駄目なものだから、よくこうやって、色々なことを注意されては、年下の彼女にお母さんみたいな役回りをさせてしまっていた。

 「リュカさんにおかれましては今日も変わらずお綺麗で、凄く……カッコいいですよ」

 恥ずかしさを押し殺して絞り出した褒め言葉は、何故か彼女にとてもウケた。

 「あはは、良い子良い子」

 よく言えましたね、とカラカラ笑われながら、耳と耳の間の頭のてっぺんを大きな肉球でくしゃくしゃっとされる。

 ひとしきり笑ったあと、目尻に浮かんだ涙をネイルした指で器用に拭き取りながら、彼女はしみじみと言う。

 「こんな日に独りで呑んだくれているなんて、アナタもアタシもロクなものじゃないわね」

 私はもう顔を上げていられなくて、ひたすら地面がうっすら白みを帯びていくのを眺めている。

 ただひとつ、この幻が終わってしまう前に伝えておきたい事があったのに、頭が回らなくて、小手先の話術さえ披露するのは無理そうだった。

 だから、ストレートに胸中を吐き出すことしかできない。

 「ごめんなさい」

 「何が?」

 「私が間違ったこと、全部に対して」

 返答はない。代わりに、長い、長いため息が聞こえた。

 沈黙の後に、カチッというライターの音と、プハッと息を吐く音が続く。ほどなく、懐かしい煙草の匂いが漂ってくる。

 「失敗するのにびくびくして、読めもしないアタシの顔色を伺うアナタを見ているのは、正直気に入らなかったわ」

 相変わらず、ナイフのような鋭さだった。私が朦朧として痛感が麻痺していなかったら、きっとショックで死んでいたと思う。

 「だから、アナタが自分の意思でアタシから離れていったことには、意味があったと思ってる。アタシは、ちょっと寂しくはあったけどね」

 反射的に喉元まででかかった私の謝罪を、ふかふかの掌がぎゅっと鼻先を包んで、押し留める。

 「だからといって、アタシが妥協するなんてことは無かったわ。アタシは常に後悔しないように生きてるんだから」

 今死んでも良い。なぜなら、常に全力で生きているから。彼女の口癖だった。

 自分とは全く正反対の、私が憧れた、そして今も変わらず憧れている、彼女の強さと潔さそのものだった。

 やっぱり、やっぱり、かっこいいなと思ってしまう。

 「アタシ達が通った道にifなんかははないの。だから少なくともアナタは、"今間違った選択肢を進んでいる"なんて考える必要はないのよ」

 そのまま彼女は、テーブルにカン!とお猪口を置いて、手早く店主とお会計を済ませると、顔を伏せたまま動けないでいる私の毛皮を、またくしゃくしゃっと撫でる。

 「アナタはそんな悪い奴じゃないんだから、心のままに生きたら良いわ」

 びっくりする程穏やかな声だった。

 そうだ、時折聞かせてくれるこの声に、私は惚れて……


 ハッと目が覚めて、突っ伏して潰れていたテーブルから顔をあげる。

 見渡せば、自分以外に客はおらず、周りは薄暗い。雪はすでに地面が見えないくらいには積もっていたから、ここに座ってからだいぶ時間が経っているようだ。席を立つと自分に積もった雪が椅子に降り注ぐ。

 急に寒さを意識して、奥歯がガチガチ震えだす。もしかすると危うく露店で凍死する所だったかもしれない。

 どうして目が覚めたのかと思えば、露店の店主がガチャガチャと店じまいの用意を始めていた。

 慌てて涎を拭きながらお会計を済ませて、銀色の狼のことを尋ねる。  

 寝惚けていたのと、寒さで上手く呂律が回っていなくて理解されなかったのかもしれないが、何度訊いても店主は首を傾げるばかりだった。

 いまいち回りきらない頭で、やはり、夢だったのかもしれない、と思う。そして、それでも良い、とも。

 そして、あることに気づく。

 「へっ、あれ?私の上着はどこ?」

 気づけば商店街のシャッターは締まり、終電も無くなっている時間だ。

 ともすれば私は仕方なく。そう、仕方ないのだと自分に言い聞かせながら、今度は真っ直ぐ目的地まで足を向けたのだった。

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