クリスマスにプレゼントが貰えるか不安で慣れない1人呑みをした挙句酔っ払って徒花亭に転がり込むかめりあさん
クリスマスという行事は嫌いではないが、そこまでさしたる執着がある訳でもない。
毎年わざわざ家族で集まって盛大に祝う習慣もないし、精々が、偶然見かけた小さな苺のショートケーキを持ち帰って一匹でつつくのが関の山だった。
それが何を思ったのか、今年はわざわざ予約までして5号のホールケーキを取り寄せている。
そこにさしたる理由はない。強いて言うならば、せっかく世の中が浮かれている中で薄っぺらい三角は味気ないと思ったのと、食べ切れなくてもどうせ消費してくれるアテがあったから。
なんなら、弟子達に気まぐれに配ってあげてもいい。突拍子もない当主の行動を訝しむかもしれないが、きっと、喜んでくれるだろう。
プレゼントだって、いつも押しかけられるたびにお土産と称して何かを置いて行かれるので、そのお返しに過ぎない。徒花家当主たるもの、貰った借りをそのままにしておく訳にはいかない。当主自ら家名に傷をつける訳にはいかないのだ。
それなのに、だ。
あの鼻の長いのときたら、今日は姿ひとつ、携帯のメッセージひとつ寄越してこない。さる変質者の侵入対策に塀の裏に仕込まれた門松も、今は広い庭園の中で本来?の役割を果たせず所在なさげに寒風に揺れている。
いつもなら、気付けば縁側で大の字になっているくらい私のプライバシーの侵害に余念がない彼女なのに、これはどういうことなのか。
まあ、クリスマスイブ、こうやって一人でのんびりしている方が少数派なのかもしれない。稽古も既に年末のお休みに入っており、弟子達もそれぞれの予定があるのか、哀れな当主を置いて皆出払っている。
ということはつまり、あのセクハラ大魔神は今遊び歩いている最中ということか。そう考えると心なしか腹が立って来るとともに、どうか道を踏み外さないで欲しいという祈りにも似た気持ちが沸き起こる。
「はぁー……やれやれ。やれやれですよ」
それは一体誰に向けたものだったのか。私、徒花 まつは、がらんとした邸内を見渡すと、ひとり深々とため息をついたのだった。
まさか自分1匹のためにせっかくの円を崩してしまう気にもなれず、冷蔵庫に鎮座する巨大なケーキ屋の箱を恨めしく思いながら、その日は軽く夕飯を済ませて早めに就寝することにした。
日中の稽古に身が入らずあまり体を動かせていないせいか、こころなしか寝付きが悪い。
暫く、夢と現実の狭間で、順位戦の符を読み漁っていたところだった。
「!」
突然、胸の中で警鐘が鳴って、あわいから引き戻される。
電光石火。脳が知覚する前に、研ぎ澄まされた反射神経が枕元の脇差に鯉口を切らせる。もし侵入者が目前に迫っていたとしても、余裕で先行を取ることができただろう。
思わず日頃の鍛錬の成果を見ることが出来て、体より後に覚醒した私から笑顔が溢れる。
いや、笑顔の理由はそれだけでは無いはずだ。
遅れてついて来た自覚に、カッと耳の裏が熱くなる。思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう。これはこれで、はしたないこと、この上ない。
「やれやれですよ……」
猫科と違って、犬科の爪は仕舞うことができない。彼らが硬い地面を歩くと、かちゃかちゃと、私たちの蹄とはまた違った独特の音が鳴る。
私の耳が捉えたのは、そのような気配だった。
まさかこんな夜更けに、とも思うが、あのウッカリセクハラ犬が、クリスマスに煙突からサンタクロースすると言っていたのを思い出す。もちろん冗談だろうが、その冗談を実現してしまう性分なのもわかっていたので、煙突の下に門松を仕込んでおくべきか暫く悩んでいたのだった。(もちろん伝統的な日本家屋である徒花亭に煙突は存在しない)
「……」
一瞬浮かんだ楽しげな予感は、ピンポンというはた迷惑な音にかき消された。
あの痴漢常習お姉さんは、これまで一度も呼び鈴を使った事が無い。
つまり、彼女ではない。
一瞬膨らんだ明るい気持ちが萎えていくのも、そうやって心揺らされる当主にあるまじき自分も、こんな夜更けにわざわざ呼び鈴を鳴らす輩も、何もかもが恨めしい。
腰帯に雑に太刀を差して小袖に半纏を羽織っただけの物騒な格好で、廊下を蹄で踏み鳴らしながら玄関を開け放つ。
私は徒花家当主。下手な酔っ払いの悪戯などであれば、後顧の憂いを断つ為に斬り捨てる勢いだ。
「……」
「あっ、刀差してるのかっこいいですねー、えへへ……」
だから、良かった起きてたあ、と、心底間の抜けた鼻声が頭上から降ってきたのには、思わず脱力してしまった。
鼻先と耳の裏を真っ赤に染めて、鼻水を垂らしたかめりあさんが、玄関の前でぶるぶる震えていた。いくら北国の生まれでも、雪がちらつく中、半襦袢にスカートという、あまりに季節感が無さすぎる格好だ。
「寒い、おうち帰れません、どうか入れて下さい……」
話を聞く限り、一人で飲み歩くという慣れないことをした挙げ句、どこかに上着を忘れて行き倒れ寸前らしい。
まごう事なき、先程まで斬り捨てようとしていた下手な酔っ払いそのものだった。
つまりこの深夜徘徊迷惑千万お姉さんは、私を置いて今の今まで飲み歩いていた訳だ。ほう?
「はぁーー……ほんとうにやれやれ、やれやれですよ……まったく貴女というのは、めぇ」
これは、すべての種類の感情がない混ぜになった溜息だった。
全く、今日はずっと溜息をついている気がする。全部目の前の空気読めない鼻たれ犬お姉さんのせいだ。
とりあえず見た目が寒そうなので、自分の半纏をマッサージ器具のようにぶるぶる振動しているかめりあさんに着させる。
「とりあえず風邪を引かれては困りますので。暖房が入るまで暫くかかりますから、これを着て居間にいて下さい」
「わぁーーやった!ありがとうございます!まつさん優しい!好き!」
喜ぶのは宜しいですが、ふふっ、まつさんの匂いがする!と言いながらナチュラルに半纏の匂いを嗅ぐのは辞めて頂きたい。
恥ずかしいのと、鼻水がつくので。
「犬だから!犬だから仕方ない!」
ぱったぱったと、尻尾を揺らしながらルンルンで私の後ろを付いてくるかめりあさんなのだった。
「あっ偉いー、門松もう準備してあるんですね」
「貴女みたいにのんびりしていたら何も準備できませんよ。年末は庭師の方もお休みなんですから」
炬燵に首まで押し込まれて洟をチンしてもらったかめりあさんはご機嫌だ。首だけ起こして庭を見ながらそんな呑気なことを喋っている。貴女の為に準備したんですよとは口が裂けても言えない。
なんだか気恥ずかしくて、誤魔化すために顔から毛布を被せてやる。ついでにまだ震えているので、洗面所にあった電熱線ストーブを側に置いてやる。
「あーーまだ寒いですね……ほれほれ」
嬉しそうに毛布から顔を出したかめりあさんが、わざとらしく毛布の端をぴろぴろさせて私を誘うが、そんな肉食獣の口の中に飛び込むような真似はしない。
無言で電熱線ストーブを近づけて返答とする。
「うっあつい焼かれるっ!」
「貴女のこの一年の業の火ですよ。往生して下さい。」
是非、これまでの自らの罪を噛みしめながら浄化されてきれいなかめりあさんになって欲しい。
炬燵もじわじわ暖かくなってきたところで、私はかねてからの懸案事項を切り出す。
「ところでお腹に空きはありますか?ケーキの残りならありますが……」
「ふわっ!?ケーキあるの?すごい!お腹すいた!」
ケーキ!という単語にいてもたってもいられなかったのか、いつも畳まれている耳が、ピン!と立ってこちらを向く。
遠慮がちに切り出してみたものの、こういうときのかめりあさんはわかりやすくて、何もわかっていなさそうで、本当に助かる。もちろん本犬には絶対に言ってあげないが。
「あーはいはい、それじゃあ用意して来ますから、そこで大人しく温まってて下さいね」
「はーい!!」
台所に向かいながら緩んでしまった頬を撫でつけると、やっぱり溜息をついてしまうまつさんだった。
かめりあさんは結局、いくらでもおかわりが出てくるケーキに不審がることもなく、累計半ホールくらい平らげた。実にちょろい。
食休みを挟んだ後に私が少し口寂しくなり、酔っ払いに出すには躊躇したものの、結局は気分ばかりの日本酒をおちょこ一杯ずつ並べる。
かめりあさん、横着してテーブルに置いたまま舌ですくって味わうのは、はしたないからやめて欲しかった。
「あらあら悪いまつさんですねー、こんな夜更けにお姉さんを酔わせてどうするのかなー??」
舌を出したまま上目遣いのかめりあさんは、今日も絶好調だ。絶好調に面倒くさい。
「こんな夜更けに上機嫌で押し掛けてくる貴女にだけは言われたくなかった台詞ですね」
空気を読んだ壁時計が、ボーンボーンと零時の鐘を鳴らす。
そういえば、サンタクロースをしに来たのかはわからないが、結局クリスマスに押し掛けて来たところは本当になってしまった。やっぱり、かめりあさんの冗談は侮れない。要警戒対象だ。
「ふふ、赤鼻のトナカイさんだよー」
かめりあさんが、赤くなった鼻筋を見せつけるように覗き込んでくる。いつも変わらない斜め上のひょうきんさだった。
「ああ、そっちでしたか。今の時間にこんなとこで管を巻いているなんて職務放棄も良いところですかね」
きっとサンタクロースが何処かで途方に暮れているのだろう。それでプレゼントを貰えなかった全国の良い仔に謝って欲しい。
「サンタはまつさん!お髭が白いから」
「例えそうでも貴女はごめん被ります。飲酒運転で捕まって下さい」
あと私にお髭は生えていない。断じて。
「だからプレゼント下さい!」
大方、プレゼントならさっき食べたでしょうくらいの返答を期待されていたのだと思う。
私は無言で、既に用意していた、綺麗にラッピングされた包みを裏から取り出す。
かめりあさんは、さっきまでの陽気な雰囲気はどこへやら、ちょっと信じられないものを見る感じで極彩色の包装を見つめていた。
現実だと思っていたら、実はまだ夢の中に居たことに気が付いた。
まさしく、そんな顔をしていた。
「貴女にですよ?」
「えっ私に?」
まったく、やれやれ。他に誰が居るというのか。
「メリークリスマス、かめりあさん」
その言葉に、びくり、とかめりあさんが反応する。
そして、おそるおそる、プレゼントの包みに紐付いたクリスマスカードに目を落とす。そこには、私の直筆で、クリスマスメッセージが書いてある。何に警戒されているのかわからないが、ドッキリでもなんでもない、正真正銘、彼女に宛てたものだ。
ずっと何かを逡巡した後、かめりあさんが捻り出した言葉は、実に精彩を欠いたものだった。
「あっ、愛ですね!」
多分、何か気の利いた冗談が言いたかったのだろう。言った後に、声が裏返ってしまったことを恥じたのか、かめりあさんの目がぐるぐると泳いでいる。
その機を逃さず、私こと徒花 まつは、淡々と追撃をかける。
「もちろん、そうですよ。日頃の感謝と、愛を込めて」
沈黙が徒花亭の居間を支配する。
封をされたままのプレゼントを見つめたまま、そわそわそわそわとしていたかめりあさんの耳と尻尾が、だんだんと萎れていく。
半ば、いつもやり込められている意趣返しの意図もあったのは否めないが、それにしてもこんなに効いてしまっては、逆にこちらが不安になってしまう。
何かが、気に入らなかったのだろうか。それにしても封すらあけていないのに?
暫くの静寂の後、ポツリ、とかめりあさんが溢した言葉に、脱力してしまう。今日何度目だろうか。
「プレゼント、用意してあったのに、うちに置いてきました……」
モゴモゴと、昼からずっと呑んでたから……というばつの悪そうな告白が続く。
私は、深い、深い溜息を吐き出す。まったく、まず自分の溜息の備蓄がこんなに沢山あったことに驚きだ。
いつも無礼千万(失礼)なくせに、そういう所を妙に気にするかめりあさんに、思わず笑いが溢れてしまう。
なんだ、そんな事を気にしていたのかと。
「じゃあちゃんと明日取りに行ってきて下さいよ!貰えなかったらわたしのあげ損じゃないですか!」
とたんに、かめりあさんの耳がピクッと動いて、今にも泣きそうだった顔がパァッと明るくなる。コタツの中で暴れる尻尾が、私の脚にばしばしと当たる。
「はいっ、あした、朝一で持って来ますね!!じゃあ封は一緒に開けましょうねっ!まつさん好き!」
かめりあさんが、破顔させて私の頬を舐めようとしてくるので、それは丁重にお断りする。
しょげたり、笑ったり、はしゃいだり。本当にこういう所が分かりやすくて、感情が豊かで、彼女といるとなんだか、私まで振り回されて落ち着きをなくしてしまう気がする。
私は徒花家の当主なのに。
それが楽しくないと言えば、嘘になってしまう。
全く、本当に罪な女性だった。
翌朝、かめりあさんは持ち前の健脚を無駄に活かしてトナカイもかくやというスピードで、自宅からプレゼントを抱えて戻ってきた。
行きの時の勢いは何処へやら、もじもじと躊躇いながら白と緑の市松模様の包みを差し出すかめりあさんに、また笑ってしまう。
その理由は、封を開けてみてなんとなく、わかった。
出て来たのは、昨日呑んだ日本酒と同じ物が一本と、通販のギフト券。
消耗品と、受け取った人の好みで何にでも代わるプレゼント。
かめりあさんの懊悩の跡が見て取れて、実に面白かった。多分、彼女は恋文を書くだけ書いて渡せないタイプだ。
「色々考えましたけど!やっぱりまつさんに今一番必要なのはこれかなって!!」
自信満々に言い切るかめりあさんに、私もにこやかに言葉を返す。
「ふふ、私は貴女からなら何を貰っても嬉しかったですけどね。有り難く頂いておきましょう」
疾く言葉を失って、庭の鯉のように口をパクパクしているかめりあさんを見て、心の中でガッツポーズする。
私は、真っ白に燃え尽きたような彼女を尻目に、なにも気付かないフリをして、これで何を買ったら面白いかしらと、ひたすら思いを馳せるのだった。
ちなみに私からのプレゼントは大型犬用の足ツボマッサージ機だった。
「すごいよまつさん、なんかね!どのツボも全部痛いの!!」
「内臓ボロボロじゃないですか……もう少し健康に気を遣って下さいよ」
「まつさんに心配された!嬉しい!」
「聞いてませんよねぇ、ひとの話」
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