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鈴女亜生《スズメアオ》

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 人類が築いていた文明が滅びてから、およそ六億年。数々の文明の利器は失われ、世界を支配していたのは植物だった。かつての人間が作った建造物の数々も全ては植物に覆われ、世界は緑一色に変わっている。


 その中で辛うじて生き残った人々は、各地に小さなコミュニティーを作っていた。コミュニティー間の交流はなく、かつては存在していた文明の多くが長い年月の中で消えていき、また違ったものが生まれていく。


 そのサイクルの中に『言葉』があった。かつて誰しもが利用し、互いの意思を伝え合うために用いた『言葉』も今では消え去り、『文字』はただの『記号』、果ては『絵』に近しいものに変わり、その意味を失っていた。必然的に人々から『声』も消えていき、人々は互いの意思を認識するために『言葉』以外の道具を用いるようになっていた。


 それが『歌』だ。辛うじて『リズム』という概念が残っていた人類は互いの意思を伝え合うために、歌に感情を乗せることを手段として選んだのだ。

 この『歌』によって人々は互いの感情を伝え合いながら、各地に点在したコミュニティー間の交流も行うようになっていた。『言葉』と違い、音と感情があれば伝わる歌は意思疎通のための道具として、非常に便利だったのだ。


 そのために各コミュニティーは特定の場所から、他のコミュニティーに対して考えを伝える歌唱ポイントを設定していた。山や平野、湖畔などコミュニティーごとに場所は違っていたが、その多くが他のコミュニティーに歌を伝えやすい開けた場所だ。

 そこでコミュニティーの総意を他に伝える歌手が決められた時間に歌う。それによって、数少ない人類は繋がりを保っていた。


 そして、私はそのコミュニティーの総意を伝える歌手の一人だった。



   ♪ ♪ ♪



 私の住むコミュニティーはかつて『ビル』と呼ばれた建造物が多数建てられた場所の近くに存在していた。それら『ビル』はかなり高く連なっていたようだが、今はその多くが地面に横たわり、その表面を様々な植物が覆っている。その中に物があった時代もあったそうだが、それは誰かの書いた日記の中の話で、とうの昔に物はなくなっている。

 たまに物のある建造物もあったが、その物の多くは既に調べられたもので、新たな発見はまずなかった。


 その場所から少し歩くと、横たわった建造物の隙間から、いくつかの山が生えているように見える山岳地帯が広がっている。そこにはかつて山がなかったそうだが、長い年月の中で山が生成されていき、今では山岳地帯となったらしい。


 それら山と山の間を伸びる谷。そこが私達のコミュニティーの歌唱ポイントだった。いつものようにその場所に到着すると、私は整えた喉を震わせ、コミュニティーの総意となる音を鳴らし始める。谷を囲う山にもコミュニティーはあるのだが、この谷を抜けた先にもコミュニティーはある。できれば、そこにまで歌を伝えたいので、私はできるだけの音を精一杯響かせながら、その音に感情を乗せることを意識する。


 そのまま約一時間、私は熱唱し続けた。何か大きな変化があったわけではないので、歌唱時間はいつもより短い。伝えなければいけない気持ちを一通り伝え終わったら、私は歌うことをやめて、そのまますぐに谷を後にする。


 人類と一緒に多くの動物も数を減らしたが、全ての動物が滅びたわけではない。未だに生息している動物は多く、その中には私達が食料にしている動物もいるのだが、それとは反対に食料とされる可能性の動物もいる。それらの動物は私達の歌に反応して集まってくることがあるので、これだけの規模で歌ったら、すぐにその場所を離れないと襲われる可能性があるのだ。


 私は自分達のコミュニティーのある場所まで戻りながら、羊の膀胱に入った水を飲んで喉を潤す。貴重な水だが、歌った後は飲まないと喉を壊してしまう。

 羊の膀胱から水を口に含みながら、私は建造物が横たわった場所まで歩いてきていた。ここまで歩いてくると、私の住むコミュニティーまで近くなってくる。この辺りはコミュニティーの外だが、私達のコミュニティーが調べ上げているので、危険なことも特にない。


 その油断が原因なのかもしれない。建造物の上を歩きながら、羊の膀胱から水を飲もうとした私はその天を仰ぐような体勢のまま、建造物の中に落下していた。急なことに私は横になったまま倒れ込み、全身を建造物の床で強打する。その痛みに悶えながら、私は落ちてきた場所を見上げてみる。


 どうやら、建造物に開いた穴を植物が塞いでいたようだ。あれは危険だと小さい頃に教わったが、気の緩みから警戒することを忘れていた。『窓』という穴が何のための穴なのか分かっていないが、昔の人はあの穴に落ちなかったのかと小さい頃は良く思ったものだ。

 そのことを思い出しながら、私は痛む腰を押さえて立ち上がっていた。落ちてしまったことは仕方がない。大きな怪我がなかったことを喜ぶべきだ。


 問題はこの場所から、どうやって出るのかだ。『ビル』という建造物は調べつくされているはずだが、その情報を私は持っていない。この場所から自由に抜け出せるのか、私は知らない。


 取り敢えず、外に出られそうな場所を探すしかない。そう思って私は建造物の中を歩き始めた。小さな頃は知らなかったが、この建造物は本来の状態から横になっているので、中は歩きやすくなっていない。瓦礫もそうだが、床の形も歩くには歪すぎて非常に歩きづらいのだが、そのことに文句を言っている場合ではない。

 私は黙って、外に出られる場所があることを祈りながら、壁に開いた穴を潜って建造物の中を横に、横に歩き続けていた。


 そのまま、数十分が経過しようとしていた頃、ようやく私は探していた場所を見つけることに成功していた。壁の穴を潜った先に、外に繋がる壁の崩れを発見する。そこから入ってくる光にホッとしながら、私はその崩れから外に出ようとした。


 その寸前、その壁の傍に転がる見たことのないものを見つけた。それを形容することは難しいが、私の身長と同じくらいの大きさをした容器のように見える。コミュニティーに水の保管容器はあるが、それよりは小さい容器に私は目を奪われた。この容器に何が入っているのだろうかと想像してみる。


 見るからに、その容器は古い物のようだ。どれくらい前かは分からないが、植物の育ち方から私が生まれる前からあることは間違いないはずだ。良く見てみると、その容器がその場所以外にもいくつか転がっている。他に転がっている容器は全て中身が見えるようになっているが、空っぽな上に何かが入っていた形跡もない。壁の崩れの傍にある容器も、中身こそ確認できないが、同じように中には何も入っていないのかもしれない。


 しかし、中身を確認してみるくらいはいいはずだと思い、私は容器を開けてみることに決めた。そのため、他の容器の開けられる場所を確認して、容器を開ける方法を確認する。


 それから、問題の容器を開けようとしてみたのだが、どれだけ引っ張ってみても、容器はなかなか開いてくれなかった。私の出せる限りの力を出しているのに、その場所は他の容器と違って動く気配がない。

 もしかしたら、他の容器と開け方が違うから、これだけ開けられていないのだろうかと思い、私が諦めようとした瞬間、私の手が容器の側面に偶然触れた。


 その直後、容器が不可解な音を立て始めた。その音に驚いている間に、他の容器と同じ場所が小さく開いている。そこに生まれた隙間に指を突っ込み、思いっ切り引っ張ってみると、ようやく容器が開き始める。そのことに高揚しながら、一気に容器を開き切ると、その中に入っていたものがついに姿を現した。


 それは人間だった。それも私と同じ女性で、年齢も私と同じくらいのように見える。その女性が容器の中身で眠っていて、そのことに私が驚いていると、ゆっくりと女性の目が開いた。


 そのあまりの驚きに私が動けなくなっている間に、女性が私の姿を見て、ゆっくりと口を開いている。


 それから、聞いたことのない奇妙な音を鳴らし始めた。感情の乗った歌とは違う音に、私は気持ち悪さを覚える。


 この建造物の中にあった謎の容器の中で眠っているだけでなく、奇妙な音を鳴らし始める。その情報だけ見ても、この女性が普通の人間ではないことはすぐに分かる。絶対に関わってはいけない人だと思い、急に怖くなってきた私は女性が起き上がる姿を見た瞬間、慌てて壁の崩れから外に飛び出していた。


 その姿に驚いたのか、女性が更に大きな音を背後で立てている。その音も奇妙なものにしか聞こえず、私は逃げるために建造物の隙間を走り出していた。

 あの女性とは関わってはいけない。他のみんなにもそう伝えないといけない。そう思った私はまだ完全に横たわっていない建造物に向かっていた。



   ♪ ♪ ♪



 女性はしつこく途中まで追いかけていたようだが、この辺りの地理に詳しくないのか、私が少し建造物の隙間を走っていくと、すぐに姿を消していた。うまく撒けたようだと思いながら、私は高い建造物の上に立って、私の住むコミュニティーの方に向く。さっきの女性のことを伝えないといけない。その思いから、私は外に向かって歌い出した。


 歌に私の不安な気持ちと、懐いた恐怖を乗せて、コミュニティーに警戒するように伝える。それを数分続け、コミュニティーからの返事を待つ前に、私はその場から移動することにした。今の歌を聞き、さっきの女性が現れては本末転倒だ。羊の膀胱から水を飲み、喉を潤しながら、私はコミュニティーに戻るために帰ろうとする。もちろん、さっきの女性に見つからないように気をつけることは当たり前だ。


 早く他の誰かに逢いたい。コミュニティーの中の誰かに逢いたい。

 そう思いながら、私が歩き出してすぐのことだった。どこからか、歌が聞こえ始めた。


 最初、それはコミュニティーからの返事かと思ったが、その音は聞いたことのない音だった。聞いたことのない美しさで、私は思わず立ち止まって、その聞こえてきた歌に耳を傾けてしまう。


 これほど美しい音は初めて聞いたはずなのに、不思議と初めて聞いた気がしないくらいに、その音は私の耳にすんなりと入ってきていた。そこに乗った感情も私に伝わってくる。


 寂しい。不安。さっきまでの私に近しいが、それ以上に孤独な感情がそこに乗っている。その歌を聞いていると、私はいつのまにか涙を流していた。まるで世界に私しかいなくなったような感覚がしてくる。


 この歌は何だろうか。一体誰がこんな歌を歌っているのだろうか。そう思ってから、私はその音を初めて聞いた気がしなかった理由に気づいた。


 その音はさっき聞いた女性の鳴らす奇妙な音に酷似していた。ただ乗っている感情があまりに違うため、同じ音とは思えない。


 不意に私はさっきの自分の行動を思い出す。もしかしたら、あの女性は混乱していたのかもしれない。戸惑っていたのかもしれない。あの容器に入りたくて入ったのではないのかもしれない。

 それなのに、ようやく出られたと思った場所で出逢った私に置いていかれて、あの女性はどう思ったのだろうか。あの建造物から出られるか不安だった私と同じくらいに、不安な気持ちになったのかもしれない。


 そう思ったら、私は自分のしたことの酷さに流し始めた涙が止まらなくなっていた。あの女性が不安になっているのなら、その不安をなくしてあげたい。


 その思いが強くなり、私はゆっくりと口を開いていた。


 そして、聞こえてくる女性の歌に合わせて、私も歌い始める。その音はゆっくりと、確かに重なっていた。

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