あつい。(BL)

「お前はどう思ってるか知らないけど、体は正直なんだってずっと言ってるだろ?」


しっとりと濡れた髪におおよそ規則的な正しいものとは言えないだろう吐息交じりの呼吸。頭から首元までほのかに赤く染まり、腫れぼったくなった目元にはジワリと涙が浮かんでいる。

俺は出来るだけ優しい手つきで汗を拭うが、過剰に体を震わせて息を詰まらせて目を閉じた。閉ざされた瞳からほんの少し汗と紛れて涙が伝う。


規則的な乾いた音。

汗でぐしょりと濡れたTシャツの中を探り当てて逃れられることのない真実を伝えた。


「…はい、39.8」

「うぇ…?」

「風邪だな」


若干温かくなった体温計に書かれた数字を読み上げて、ぺしんと目の前で上下運動という名の浅い呼吸を繰り返す友人の肩を叩いた。


「かぜ…?」

「どう考えたって風邪だろ、四捨五入したら40℃だからなもう」

「まだ39℃台…戦える」

「戦えねぇよ!」


ー助けて


消え入りそうな電話を受けて慌ててかけつけたのがつい数十分前。そしてカギを開けるや否や倒れこんだ友人をなんとか抱え込みベッドに転がして体温計を脇に無理やり差し込んだのがほんの数分前の話。

馬鹿が付くほどの元気さだけが取り柄の奴の聞いたこともない弱り声に驚いてほぼ手ぶらの状態で駆け付けたが、相も変わらず何もなさすぎる部屋に絶句せざるをえなかった。こいつに家具という概念はないのか。


「ご飯は?」

「今日は先輩と食べに行く予定だったから…朝から…食べてな…」

「あほか!!!」


もう一度今度は遠慮なしで肩を叩いてからポケットにあるスマホを取りだす。現在時刻は16:30になるところ。財布の中で樋口一葉さんが顔を覗かせているのは確認したばかりだ。


「とりあえず必要なもん買ってくるから、薬は?」

「ない」

「冷蔵庫とか勝手に漁るぞ?」


ほぼ事後報告みたいな感じで冷蔵庫を開く。中はこれまた部屋と同じように殺風景を貫いており、あるのは納豆についてくるちっちゃいからしが一袋だけ。


「なんでだよっ!!!!!」


ほぼ八つ当たりのように扉を閉める。なんでからしなんだよ。


「さてはお前お米とかもねぇな?」

「うん」

「お前の辞書に”非常食”って言葉存在してる?」


ため息をつきながら頭を掻きむしると「ふけが…」なんて文句が聞こえる。知るかボケ。こちとら鬼みたいな量の連勤の間に溜まってたアニメ消化してる最中だったんだ。


「逆になんで体温計はあったんだよ」

「この前母さんが置いてった…」

「お母様…それ以上に置いていってあげてほしいものが山ほどあります…」

天井を仰いでまたため息。これは樋口一葉さんで足りるか心配になってきた。


「あつい…」


ぽつりと消え入りそうな声が聞こえる。


「俺は寒くなりそうだ」

「お前も風邪に…?」

「財布がな」

「あぁ…ごめん」

「いいよ、後で取り立てるから」


テーブルの上に乱雑に置かれたカギを手に取っていまだベッドに横たわる友人の方を向き直った。散々文句は言ったが、いつも元気な奴の弱っている姿は心にずきりと刺さるようなものがある。


「じゃあ行ってくるわ」

「あのさ」


背を向けたところで再び声をかけられた。大人しく寝とけばいいものをと肩を落としたところで俺よりも先に奴が言葉を紡ぐ。


「…ありがとな、お前がいてくれて助かった」


そういえばなんでこいつは一番先に俺に電話をかけてきたんだろう。先輩と飯に行くつもりだったなら先輩に声をかければいい話だ。それにこいつは元気だけが取り柄な割にちゃんと仲のいい友達もいっぱいいる。それこそ俺が把握できないような人数。それなのに。こんな病人に悪態をつくような俺を頼ってきた。それほどまでに俺はあいつにとって…


「治ってから言え、馬鹿が」


そう吐き捨てて俺はそいつの部屋から出て行った。


3月末。少し冷たい風が頬を撫でているはずなのに。

それが涼しいと感じるくらいには、顔が熱い。

馬鹿が風邪を引くなら当然俺だって風邪を引くだろう。うつらないようにマスクも買ってこなきゃいけないななんてぼんやり考えながら、俺はアパートの階段を駆け下りた。



(暗転)

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