祭りの夜。(NL)

「人多かったね」

「ここらへんで花火見れるタイミングってこれくらいしかないから当然っていえば当然な感じもするけど」


この町唯一の花火大会の日。

ゆっくりと遠のいていく喧騒を背に、カランと下駄の音を立てながら石段を上る。手に持ったビニールから濃いソースが香り、腹の虫が小さくぐるるとなった。もう片方…彼女と繋いだ手が汗ばんでいく。


「やっぱりみんな考えることは一緒かぁ!」


動揺を隠したくて僕は明らかに不自然な大声を出した。きょとんとした視線が頬のあたりに突き刺さる。痛い…心が痛い。


「あはは…は…」

「まぁ、神社が穴場っていうの知らない人多いからいいんじゃない?一枚上手ってことで!」

「そ…そうかな?」

「早くいこ!花火はじまっちゃうよ!」


僕を励ますようにふわりと笑って彼女は石段を駆けあがる。Tシャツに半ズボンといたってラフな服装の僕とは違って、浴衣に下駄という絶対に動きづらい恰好だというのに彼女はもの凄くアクティブだ。


「うわっ!ちょっと待ってって!」


ずんずんと進んでいく彼女に急かされて、つんのめりながらもなんとか石段を駆けあがる。息も心臓も遥かに跳ね上がっていく感覚に、日頃の運動不足を痛いくらいに感じた。



ーーーーー



「うわぁTHE穴場!って感じ!」


彼女の明るい声が響く。乱れに乱れる息を何とか整えて顔を上げると、深々しい緑色をした木々に囲まれた空間に、薄暗く僅かに行灯が照らすだけのいかにも古い神社が視界に映った。


「変わらないなぁここは」


深呼吸をひとつすると思わず懐かしさに言葉が零れる。恋人はおろか、友達すらいなかった頃はよく自分だけの秘密基地代わりにしたものだ。今考えればなんて罰当たりだとは思うけど、子供の頃の話。きっと神様も大目に見てくれるに違いない。


「もしかして行きつけの神社?」

「いきつけって…ほどじゃないけど、まぁ…お世話にはなってたかな」


ところどころひび割れている石畳を進むと文字が消えかけたお賽銭箱。そしてその後ろにはよく昼寝をしていた空間もうっすら土埃は被ってるものの綺麗に残っていた。


「ここでまだ純朴な少年だった頃の君は昼寝をしていたわけだ」

「え、昼寝してたって言ったっけ?」

「何となく分かるよ、昼間居心地よさそうだしね」


そう笑って彼女はくるりと回りながら森を眺める。高く結ばれた艶やかな黒髪と淡い青色の浴衣の袖がふわりと風を切る。柔らかな月明かりに照らされたその姿は、さながら古い神社に表れた神様のようで少しの間見惚れてしまった。


「何ぼーっとしてんの?」

「ふぇ!?」


唐突に声をかけられて現実の世界に引き戻される。あまりにも驚きすぎてしまったせいか、目の前の彼女は僕を見てけたけた笑う。夜風はひんやりと少し涼しいくらいのはずなのに、顔は火炎放射を喰らっているんじゃないかって思うくらい熱い。


「あぁ…えっと、こ…こっちの方に空が開けてみえる場所があるんだ!」


慌てて空いている手で奥の方を指さす。これ以上笑われてしまったら恥ずかしすぎて熱中症にでもなってしまいそうだ。


「うわぁ明らかに森って感じだけど…花火見えるの?」

「見えるよ!ほらこっち!」


訝しげに僕の方を見てくる彼女に半ば訴えるような声で僕は続けると、彼女は渋々といった様子でこっちに歩みを進めてくれた。手を繋いで彼女をエスコートする余裕?そんなの今の僕にあるわけがない。


「足元気を付けてね」

「今にもすっころびそうな人に言われたくないな」

「はは…うわっ!」


笑ってごまかそうとすると彼女の言葉を待っていたかのように足がもつれる。視界がふわりと揺れて僕はあっけなく自分の重心を失った。


「危ない!」


彼女の鋭い声が森を駆け抜ける。なすすべもなく宙を舞う僕の手を彼女が掴んだ瞬間だった。



ドドーン



地面が揺れるほどの音が空に響き渡る。

木々の隙間から鮮やかな色彩が零れ落ちてバランスを崩した僕と彼女を僅かに照らした、と思ったらすぐさま視界の全てが暗闇に包まれる。


ドスンと重たい音が体の底に響く。それを追いかけてくるかのように尻の辺りから痛みが体を駆け抜けていった。視界は未だ暗闇のまま。なんだか息苦しい気もする…なんだこの妙に柔らかい感触。


「わわっ!?ごめん!」


僕の思考を遮るように慌てた彼女の声が耳に届いた。その途端柔らかな感触と共に息苦しさがなくなる。カチカチと幻想の星が光る視界がクリアになっていった頃、僕の視界に現れたのは顔を赤らめた彼女だった。


「えっ…と」


未だ重たいままの下半身にちらりと視線を移す。慎ましく閉じられていたはずの足元ががばりとはだけて、隠れていた白い柔肌が月明かりに晒されていて。視線をゆっくりと上げて行くと彼女の視線よりも先にこれまた少しはだけたえり元から覗く胸が目に入る。


「…えっち」


ぼーっとしているのがよくなかったのか、彼女は片手でえりを引っ張って胸元を隠した。淡い青色が土色に汚される。


「悪い?」

「彼女が身を挺して助けようとして巻き込まれたのを見て欲情するってどういうことなの?」

「性には逆らえないってことで…」

「ばか」


小突かれたところで2回目の花火が夜空に打ち上げられる。彼女の顔がさっきから赤らんで見えるのは花火のせいなのか…それとも。


「っん…」


どちらからともなく、唇を重ねる。怒ったように見せていた彼女も存外悪い気はしていなかったのか、唇を重ねた途端に舌をちろりと出して僕の唇をゆっくりと舐めた。これは僕たち二人だけの合図。閉じていた口を開いて彼女の舌を迎え入れると、生ぬるい感覚。さっき彼女が食べていたいちごあめの甘さが僅かに舌に乗る。吸い寄せられるように何度も唇をついばむ。息を吸うことも許されず、脳から酸素が奪われていく。正常な判断なんかとっくのとうに出来ない。それはきっと彼女も同じなんだろう。


不意に視線が交わった。


「ごめん、浴衣汚れるよね」

「今更?」


彼女の言葉に「確かに」なんて思いながらも僕の脳裏にはさらに邪な考えが浮かんでは大きくなっていく。


「今更ついで…なんだけどさ」


欲望を抑えきれなくなった僕は、こちらを見ながらこてんと首を傾げている彼女に恐る恐る伺いを立てた。


「なに?」

「今日はその…このままでもいい?」

「…浴衣着たままってこと?」


僕の言葉に彼女は少し戸惑った様子を見せた。

外に出る格好のまま、誰にも見せられない情事に耽る。僕としてはずっと憧れていたシチュエーション。しかし彼女からしたらただでさえこんな森の中、ましてや何も敷いていない土の上でおっぱじめたというのにという感じだろう。お前はさらにやばい要素を上乗せをするのかと思うのは想像にたやすい。

いっそのことここで平手打ちでもして叱ってもらえたら、今開こうとしているやばい性癖の扉をこじ開けなくて済むんだろう。むしろそうしてくれ。


静寂に花火の音が響く。鮮やかなオレンジ色に照らされた彼女の表情は戸惑いから恥じらいに変わっていた。


「へんたい」


小さな声で彼女は呟いて、僕の手を握る。

彼女の手のひらから、唇から、伝わる熱が僅かに残った理性までもを溶かしていく。


「ごめんね、変態で」

「開き直るな!」


弱々しい力で彼女に小突かれる。でもその程度で抑えきれるほどこの欲も優しいもんじゃない。

空に打ち上がる花火が早なる鼓動の音をかき消す。


僕は胸元に添えられた彼女の小さな手を引くともう一度彼女の唇を奪った。



(暗転)

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