声友。

ぼくには声しか知らない友人がいる。


それはつい一ヶ月前のこと。

どうも眠れなくて真っ暗なベランダで煙草をふかしていた時。

ーこんな遅い時間に…?

時折、響くサイレンや暴走族のバイク音に紛れて耳に突如滑り込んだのはアコースティックギターの音だった。

きょろきょろと下辺りを見回すが特に人影は見当たらない。気になって上の階や下の階も見てみたが流石に日付が変わったばかりの時間帯ではどこからも光が漏れているわけではなかった。

指にまで届きそうなほどになった煙草を携帯灰皿でもみ消して、まだ続く音に耳を傾ける。

何の曲なのかは分からないが、お洒落できれいな曲だ。さっきまで沖縄辺りに旅行していた眠気がつい隣町まで帰ってきた気がする。


集中して音の流れを感じていると、その音が隣の部屋から聞こえてきてるのではないかと推測出来た。

しかし隣の部屋から光が漏れていることはない。まさか電気をつけずにギターを弾いているのだろうか。光漏れは気にするのに音漏れは気にしないその感じに少し不思議だなぁと考えた時、不意にギターの音色が途切れ、カラカラと窓が開く音が聞こえた。


「ふぅー…」


ぎしりと手すりが軋む音と共にため息のような声がやはり隣から聞こえてくる。


「あー上手くならないなぁ…」


ため息の後に続くのは憂いの声。少し高めなその声は明らかに落胆しているようで。


「あっあの!素敵でしたよ!」


ぼくは思わず声をかけてしまっていた。


「ふぁっ!?」


やかんが沸騰した時並みの音が聞こえてまた手すりが軋んだ。どしゃっと鈍い音がする。どうやらこけたらしい。


「聞いてたんです…か?」


少しして震えた声が聞こえた。


「あぁ…まぁ…すみません盗み聞きみたいになっちゃって」

「いえ…むしろ起こしてしまったみたいでごめんなさい…」

「いえ、元々起きてたので」


謝罪の応酬が続いてぜーぜーと息を切らす。最近あまり人と喋っていなかったことに加え、こんなに謝り倒すことも少なかったから…いや、喫煙による肺の劣化が原因だろう。


「その…十分上手でしたよ?」


何とか呼吸を整えてそう告げた。ただただ素敵だと思った音色の心に「気持ち悪くて人のギターを盗み聞くやばい人」という認識で残りたくないから。内心心臓はバクバクである。あぁせっかく家の前くらいまで歩み寄ってくれていた眠気がまた旅行に出かけてしまう。


「いえ…私なんてまだまだですよ」


すると少し寂しそうな声が聞こえた。


「私なんて…」


その声は謙遜とかじゃなくて、本気でそう思っている感じの声だった。そんな声に少しだけ心が痛む。

ぼくも人に言えるほど自分に自信を持てるような人間ではない。何にも出来ないと分かっているし、きっと自分なんて周りから気にもかけられないほど影が薄いんだろう。この人にだってぼくの「上手ですよ」という意見は届いていない。それでも。


「そんなこと言わないでくださいよ」


ぼくがこの人を元気づけようとしない理由にはならなかった。


「盗み聞きみたいな感じになっちゃいましたけど、確かにぼくはあなたの演奏を聴いて。「素敵だな」「もっと聴きたいな」って思ったんです。だから…少しだけでもいいので自信持ってください」


夜空を見上げながらぼくはそう伝えた。


「ぼくの感性への自信を保つためにも…お願いします!」


最後はなんだかお願いごとになってしまったが。

しんと静寂が身を包む。あぁ…眠気、沖縄便にまた乗らないで…。

少しだけ経って、息を吸う音が聞こえた。


「ありがとうございます」


それは隣の人の声だった。さっきとは違う、明るい感情が乗っている。ぼくの言葉が届いたのだ。

僕は嬉しくなってこんなことを口走っていた。


「なんならこれからも聴かせてくださいよ!」

「へ?」


ぼくには声しか知らない友人がいる…いや。

ぼくには声と素敵な演奏をするということしか知らない友人がいる。



(暗転)

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