球技大会

球技大会(1)

 梨緒子の高校で、ずっと続いているジンクスがある。

 いつから始まったのかは不明だ。ただ、梨緒子の兄の薫もそのジンクスを知っているため、ここ数年ではなく、もっともっと前から存在するものだろう。


 それはいったい何か。

 夏休み前の一大イベント・校内球技大会が舞台となる。


 女子生徒は好きな男子生徒に、手作りのはちまきを作って渡してやる。もらったほうはクラスで作ったはちまきとあわせ、二本一緒につけて球技大会に出る。

 そして、終わったあとにそのはちまきを相手に返すと――夏休みを一緒に過ごそう、という返事となるのだ。


 夏休み前の『告白イベント』である。



 あさってから二日間、梨緒子の高校では球技大会が催される。


「あー、めんどくせー。進学校の帰宅部に、いきなりこんなスポーツさせて、無謀だってーの」


 類はネクタイを緩め、うちわで扇ぎながらだるそうに言った。

 そのすぐ横の席で、梨緒子と美月は、回ってきた大会要綱を一緒に覗き込む。二人とも、いや、類少年を入れて三人、まるで乗り気がせず、浮かない顔をみせている。

 その理由は、単純なこと――。

 球技大会には、一人最低一種目に出場しなければならない。

 運動部に所属する生徒なら、それ以外の種目を選ぶという制限はあるものの、文化部や帰宅部に比べれば、体力的にまったく苦にならないはずだ。

 しかし、梨緒子と美月は完全な帰宅部だった。授業が終わったら街へ出て、寄り道して帰るのが常である。

 類少年は演劇部と科学部のかけ持ち幽霊部員だ。帰宅部と大差はない。



 昼休みを利用して、実行委員の生徒が、一人一人に出場種目の第一希望を聞きに回っていた。


「リオ、バドミントンにしろって。な?」


「ルイくんはどうするの?」


「俺もバドミントンにするからさ、フォローしてやるよ」


 バドミントンは男女混合のダブルス戦だ。

 爽やかな笑顔を見せて梨緒子を誘う類に、美月は鋭く言い放つ。


「あんたさ、フォローしてくれるほど上手かったっけ?」


 類は幼馴染に睨みをきかせた。せっかくのカッコつけも台無しだ。


「うるせー、美月はすこーし黙っててちょうだい。どうする、リオ?」


「え、ちょっと待って。もう少しだけ考えさせて」


「考える余地なんてないだろ? バレーやバスケったってあれだしよー」


 類の熱心な勧誘が続く中、梨緒子の興味はまったく別のところにあった。

 回覧されている球技大会の日程表を、梨緒子はじっと見る。

 チェック項目は『三年男子バスケットボール』だ。毎年秀平が出場し、驚異的な活躍を見せている種目である。

 彼の雄姿を見るためには、自分が出る種目と日程がかぶっていない、ということが絶対条件なのである。


「……ダメだ」


「え? 何でダメなんだよ」


 完全にかぶらないためには、『三年女子バスケットボール』に出場するしかない。

 しかし。


「バスケ、かあ…………うーん」


 体育の授業では、ボールを持ったまま平気で三歩以上歩いてしまうほどの腕前だというのに、球技大会の試合に出るのは無謀というしかないだろう。たとえ出場したいと言っても、他の出場選手に煙たがられるのは必須だ。

 練習しようにも、あさってからという差し迫った日程では、何もできる気がしない。


「えーと、とりあえず……バドミントンの決勝と、男子バスケの予選が重なってるから……要するに予選で負けちゃえばいいんだ! 頭いい、私って!」


 梨緒子はこれ以上ないぐらいの名案を思いついたかのように、嬉々としてはしゃいでみせた。

 当然、すぐさま類のツッコミが入る。


「コラ、そんな不純な動機で八百長なんて、高校生の爽やかなスポーツマンシップに反するじゃねーか!」


 類はふざけるようにして、梨緒子の頭を軽く小突いた。


「やっぱり、ダメ? ……だよね」



 梨緒子は結局、類の強い勧めでバドミントンに出場することになった。

 美月はバレーボールだ。団体競技のほうが気楽でいいらしい。


「なあ、リオ。俺にはちまき作ってちょーだい」


「ええ? 私、裁縫苦手なんだけど」


「いいだろ、どうせペア組むんだから。おそろいとか、カッコよくね?」


 明るく頼まれると、嫌とは言いにくい。


「そんな、ルイくんだったら、部活の後輩とか作ってくれそうじゃない? 意外と下級生に人気あるみたいだし」


「意外と、は余計だっつーの」


 そう言いながら類はバシバシと、梨緒子の背中を叩いてくる。

 類はこうやって、クラスの女子に必要以上のスキンシップを取りたがる。しかし、不思議とそれが嫌がられない、稀有な男子だ。


「なに、リオ、ひょっとして永瀬に渡すのか?」


 はちまき作りを渋っている梨緒子の思惑を読み取ったかのように、類はさらりと言った。


「止めとけ止めとけ。知ってたか? 去年なんか、十本以上かな、受け取りもしなかったんだぜ、永瀬のヤツ」


 ショックだった。


 類に『止めとけ』と言われてしまったこと。

 秀平がはちまきを受け取らなかったということ。

 それよりなにより。


「…………そんなにもらってたんだ、秀平くん」


 予想以上だ。

 下級生、なのだろうか。ひょっとしたら、同級生もいるかもしれない。


 十人以上。十人以上――ああ。


「なあ、美月からもリオを説得してくれよー。はちまきー」


「そんなに欲しいなら、私が作ってあげようか?」


 一人悩む梨緒子の横で、幼馴染同士の二人は話を進めていく。


「リオに、永瀬のじゃなく俺のを作らせたら、美月のももらってやってもいい」


「……最低な男だよね、ホント。女の子の気持ち踏みにじってるのに気づかないの?」


「なに言ってんだよ、俺がリオに繊細な男心を踏みにじられてるんだってーの」


「あっそ。……類のばーか」




 梨緒子は帰る途中、手芸用品屋に寄って、光沢のある布を購入した。


 ――秀平くんはきっと、寒色系の色のほうが似合うよね。


 梨緒子は迷った挙句、藍色と水色と青緑色とを選び、1mずつ計ってもらった。

 10センチ単位で買えるのだが、切るのに失敗したら、縫い目が曲がってしまったら――そう考え始めると、何mあっても足りない気がした。


「はちまき作りもこれが最後かあ……」


 採寸して、裁断して、印をつけて、真っ直ぐ縫って、端をまつって。

 延々、その繰り返しだ。

 朝までかかって、そのはちまきの数、10本以上。

 一番出来のいいものを、慎重に選ぶ。ほつれていないか。よれていないか。曲がっていないか。汚れていないか。


 ――水色、かなあ。


 窓から差し込む朝日に透かし、秀平のイメージと重ね合わせる。

 クラスのはちまきは薄いピンク色だ。水色はパステル系で上手くコーディネートできる――そんなことまで細かく考える。

 あとは。最も重要なこと。


「どうやって渡そう……?」


 以前に比べて、ずっと秀平との距離が縮まったとはいえ、まだまだ友達にすら程遠い。彼の兄・優作を介して、かろうじて共通点がある――その程度である。

 このはちまきを渡すということは、はっきり彼に告白をするようなものだと梨緒子はいまさらながらに気づいてしまい、途端に怖気づいた。


 好きだから。夏休みを一緒に過ごしたいから。


 しかし。

 大学受験を控えた三年の夏に、誰かと一緒に楽しく過ごしたいと、はたして思うだろうか。

 せめて二年生なら――いや、きっとそうではないのだ。


 これが最後だから。今年が、最後の夏だから。


 そう自分に言い聞かせ、梨緒子はなんとか気持ちを持ち直した。

 その、最後のジンクスの舞台となる球技大会は明日からだ。

 はちまきを渡すチャンスは、今日しかない。




 登校してからも、梨緒子はずっとはちまきを渡すことばかり考えていた。

 モノはカバンの奥底にちゃんとしまってある。

 しかし、彼と二人きりになれるチャンスは、なかなか見つけられなかった。あっという間に放課後を迎えてしまう。

 今日は各クラス、それぞれの競技で練習をしている。


 梨緒子はこれから家庭教師との個人授業だ。そのため、練習には参加できないことを、同じ種目のクラスメートにはすでに伝えてあった。それを理由に、類のちょっかいも上手くかわした。もともと頭数合わせのようなもので、戦力として重要視されていないのだ。気楽なものである。


 バスケに出るクラスの男子の何人かが、作戦会議のために教室の隅に集まっていた。しかし、そこには秀平の姿はなかった。

 梨緒子はあわてて昇降口へ向かい、秀平の靴箱を確認した。そこには彼の外履きが入ったままだ。


 ――どこに行ったんだろう? ……ひょっとして。


 梨緒子は、秀平を探しに図書館へと向かった。

 図書館はいつになく閑散としていて、生徒はまばらだった。普段図書館で放課後を過ごす生徒も、球技大会の練習に借り出されているためだろう。進学校とはいえ、イベントの前は皆、浮き足立つ。


 そんな中、やはり。

 書架の奥の目立たない端の席に、目的の人物はいた。

 この間の、雨の日の朝と同じだ。

 足音を発てないように、ゆっくりと近づいていく。

 すると突然、顔も上げずに、英語の長文とにらめっこしていた秀平が言葉を発した。


「早く――帰らなくていいの?」


 息を飲む。どうして分かったのだろう。

 思わず周囲を確認してしまう。しかし、会話が成立する距離にいるのは、梨緒子だけだった。


「今日は……優作先生の都合で五時からなの。だから、まだ大丈夫」

「そうなんだ」


 問題集から目を離そうとしない。それでも会話が成立している。

 梨緒子は素直に疑問をぶつけた。


「どうして私だって?」

「さあ……どうしてだろうな。なんとなく、かな」


 理由になっていない答えが、二人の距離をわずかに縮めた。もどかしい。


「隣に座っても、いい?」


「ご自由にどうぞ」


「話しかけたら…………邪魔かな?」


「もう、充分話しかけてるだろ。面白いこと言うよな、江波は」


 秀平の横顔は、穏やかに微笑んでいる。その柔らかな表情に、梨緒子は一気に緊張が高まってしまった。

 心臓がいまにも張り裂けてしまいそうだ。


「周りの迷惑にならない程度なら。俺は別に、話聞きながら問題解けるから」


 秀平は淡々と事務的な対応をしながらも、とりあえず梨緒子の話を聞いてくれる気になっているらしい。


 ――もう、いましか、ない。


 梨緒子は勇気を振り絞って、カバンから徹夜で作った水色のはちまきを取り出した。

 綺麗にアイロン掛けし、きっちり八つ折りにしてあるそれを、机の上を滑らせるようにして、秀平の問題集の傍に押しやった。


「明日のバスケ、…………頑張って……ね」


 同時にこなせると言っていたばかりであるはずの、彼の問題を解く手が、ピタリと止まった。

 そして、途端に見せる訝しげな表情。

 秀平はようやく顔を上げ、その透き通った焦げ茶の両瞳で、梨緒子の顔を真っ直ぐに見つめた。


「……これをどうしろと?」


 梨緒子は突き刺すような秀平の眼差しをそらせずに、蛇に睨まれた蛙のごとく、固まってしまった。

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