神と芸術の間に
日本近代文学研究の千葉大学・吉田熙生教授は、中原中也を「愛」の詩人と呼ぶ。また、その「愛」は「単一女性への愛ではなく、中原の人間関係についての根本的観念であり、また創造の源流でもあった」と述べておられる。
中也が「愛の詩人」であったことは、例えば昭和2年の日記に「詩が生まれるのは情愛から」、「やがて再び愛/歌となる……」、「私の観念の中には、/常に人称がない、/絶対にない!/愛が純粋であるのだ」、「そしてすべては愛から生れる」などの表現があり、そこから「愛の詩人」と定義づけられたのかもしれない。
その「愛」が「単一女性への愛ではない」とすれば、これこそ『神』の認識に基盤を置くものとしか言いようがない。なぜなら、『神』の本質は「愛」だからだ。しかもそれは男女間の「
だから中也を「愛の詩人」と言うなら、それはそのまま「神の詩人」ということになる。
中也にとって芸術とは昭和5年、彼が23歳の時に『白痴群』に載せた「詩に関する話」という評論によれば、「芸術とは、自然と人情とを、対抗的にではなく、魂の裡に感じ、対抗的にではなく感じられることは感興或は、感謝となるもので、而してそれが旺勢なれば遂に表現を作すという順序のものである」ということになる。
自然と人情――「すべては愛から生まれる」のなら、究極的には『神』へと帰一される。それを「魂の裡」で認識し得た時に感謝を感じ、それが已むに已まれぬ情――「必至のこと」として芸術は表現される……中也にとっての芸術はこういう図式である。
この「感謝」こそ『神』の認識の、つまり信仰の極意なのだ。いいにつけ悪いにつけ、ことごと一切徹底感謝である。なぜなら中也は「我が詩観」で言う。「神の悪意の仕業とも見えることも起るであろう。けれどもそれは途中のことだ。何故なら、帰する所は、あの路この路を
それは突き詰めていけば「芸術とは自然の模倣ではない、神の模倣である」という、「詩に関する話」の前年に書かれた「河上に呈する詩論」における中也の言葉となろう。
ここで「自然の模倣ではない」と言っているのは、あくまでこの文章が河上徹太郎に向けて書かれたものだからだ。中也は河上について、「自然」を「生理作用で書き付け」るいわゆる「自然詩人」ととらえ、そのことに関する批判をこめて中也はこう言ったので、決して彼が『神』と「自然」を対抗的に考えていたことにはならない。
ここでいう「芸術は神の模倣である」という言葉が、前に述べた「自然と人情」を『神』と置き換え、その認識の表出が芸術であるというプロセスをごく端的に表している。
もう一歩突き詰めて考えれば、『神』が芸術そのものである、ということになろう。なぜなら、先程の「河上に呈する詩論」の引用した部分のすぐ後で、「神は理論を
中也は「地上組織」の次に書いた評論の「詩論」では、次のように語る。
――芸術とは、自分自身に忠実であることだ。(中略)芸術とは、自分自身の魂に浸ることいかに誠実にして深いかにあるのだ。(中略)芸術とは、自我を愛することの誠実であることの、褒賞である!――
この最後の部分は、そのあとに「(生きるとは、自我を愛することである!)」というポール・バーレンの言葉が記されており、その翻案であることが示されている。
この「自我」だが、ここでは「エゴ」とは違う。「自我を愛す」とはエゴをむき出しにするような「自利愛」的な意味ではない。つまり「自分自身の魂に浸る」のであり、「それが誠実にして深い」のだ。自利愛なら誠実ではなく、そして浅い。
そして、「魂に浸る」というその「魂」は、『神』につながるものだ。それに浸ることが「誠実で深い」のだから「自我を愛する」というのは神の子である己の魂を愛することで、それによって『神』を愛し、また等しく神の子である隣人を愛することになる。
その愛の褒賞が芸術で、さらに芸術が『神』の模倣なら、より『神』に近づいて神性化するはずである。
このような芸術論に立脚した中也の芸術はそれ自体が神のみ
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