合成屍獣編

第121話 僕のSAN値がピンチになるじゃないですか!

 3月になり、ライトとイルミは蜥蜴車リザードカーでダーインクラブに帰って来た。


 御者を務めるのは、ダーイン公爵家に仕えている老執事のセバスだ。


 アンジェラが来れば、ライトがストレスフルな状態を強いられるからパーシーやエリザベスが気を使ったのだろう。


 だが、セバスが自分を見ると同情的な表情になったので、ライトはそれだけが気になった。


「イルミ様、ライト様、到着いたしました」


「ありがとう、セバス」


「ご武運を」


「ご武運ってどういうこと?」


「詳しくは奥様からお聞き下さい」


「何それ怖い」


 蜥蜴車リザードカーを降りる際、セバスが重々しく言うものだから、ライトの心中は穏やかではなかった。


「ライト~、何やってんの~? 早く行こうよ~」


「はぁ。イルミ姉ちゃんは気楽で良いなぁ」


 ライトの心をイルミは知る由もなく、イルミはライトを急かした。


 ライトがイルミに追いつき、セバスがダーイン公爵家の屋敷の玄関の扉を開けると、その両脇には執事とメイドが列を作って2人を出迎えた。


「「「・・・「「おかえりなさいませ、イルミ様、ライト様」」・・・」」」


「うん! ただいま!」


「ただいま戻りました」


 元気いっぱいに返事をするイルミに対し、ライトは冷静に挨拶を返した。


 それでも、ライトは自宅に帰って来てホッとしているところもあり、僅かにではあるが頬が緩んでいた。


 やはり、帰って来たという事実は精神年齢なら30オーバーのライトにとっても嬉しいことなのだ。


 執事とメイドの行列の奥には、エリザベスが待っていた。


 パーシーがいないということは、仕事で外出しているのだろう。


「イルミ、ライト、おかえりなさい」


「母様ただいま!」


「母様、ただいま戻りました」


「よく帰って来たわね。無事で良かったわ。イルミ、部屋に荷物が届いてるわよ」


「えっ、本当? 見に行ってくるね」


「屋敷を走るんじゃありませんよ」


「は~い」


 そう言いながら、イルミは走っているのと変わらない早歩きで自室へと行ってしまった。


 イルミの姿が見えなくなると、エリザベスはライトに近寄ってその両肩をがっしりと掴んだ。


「母様、なんで掴むのでしょうか? セバスから武運を祈られたり、詳しくは母様から聞くようにって言われましたが」


「去年の11月の月食を覚えてるかしら?」


「例年に比べて大変だったようですが、どうにかなったと手紙にはありましたよね?」


「実は、その月食でアンジェラと取引をしたの」


 アンジェラという言葉を聞いた途端、ライトはその場から全力で逃げ出そうとした。


 しかし、エリザベスのどこにそんな力があるのかは不明だが、ライトはエリザベスの両腕を引き剥がすことができなかった。


「母様、嫌な予感がします。もう何も聞きたくないので、離れてもらえませんか?」


「そうはいかないわ。ライトには、ダーインクラブの全住民の命がかかってるの」


「母様!? 本当に碌なことが起きる気がしないので止めて下さいませんか!?」


 ダーインクラブの全住民の命と聞けば穏やかではないので、もう何も言わないでくれと懇願した。


 だが、現実は非情だった。


「いいえ、これだけは聞いてくれないと困るの。領主の妻として、時には非情と思えてもやらなきゃいけないこともあるのよ」


「アンジェラと取引だなんて、絶対僕に関する何かじゃないですか!?」


「ええ、その通りよ。月食でダーインクラブの死傷者を100人以下に留めたら、ライトが帰省した時に3時間だけ仕事をせずにライトと過ごせる権利を与えたの」


「何してくれちゃってんですか母様!? そんなことをすれば、僕がどんな目に遭うかわかってますよね!?」


「大丈夫。取って食われたりはしないから」


「僕のSAN値がピンチになるじゃないですか!」


「サンチ? 何を言ってるのかわからないのだけれど」


 SAN値なんて言葉を知らないエリザベスには、ライトが何を言っているのかわからないのは仕方のないことだろう。


 そこに、バタンと何かが落ちる音がした。


 ギギギと壊れたロボットのような擬音が、聞こえてきそうな動きでライトが首を動かして振り向くと、そこにはライトが今最も会いたくないアンジェラがいた。


「若様! 私はこの日を一日千秋の思いでお待ちしておりました!」


「ア、アンジェラ・・・」


「奥様、私との約束は忘れてませんよね?」


「忘れてないわ。ライトをここで引き留めてたんだから、わかるでしょう?」


「それもそうですね。さて、若様ぁ、覚悟はよろしいですか~?」


 手をワキワキさせながらゆっくりと近づいて来るアンジェラを見て、我慢の限界が来たライトは是が非でも逃げてやると決意した。


「【【【・・・【【防御壁プロテクション】】・・・】】】」


 <多重詠唱マルチキャスト>により、この場に出せるだけの光の壁を出すことで、アンジェラの侵攻の阻止とエリザベスからの拘束から解放された。


「むっ、若様、腕を上げましたね」


「ライト、お願い。3時間だけで良いからアンジェラの部屋で一緒にいて」


「3時間あったら、僕の貞操の危機ですよ!」


 それだけ言うと、ライトは用意していた逃げ道を通ってその場から逃げ出した。


 パリン! パリン! パリン! パリン! パリン!


 その後ろから、光の壁が割れる音が近づいて来る。


 ライトがチラッと振り向くと、ペインロザリオを使ってアンジェラが次々に光の壁を割っていた。


 ずっと逃げるのも大変だと判断し、ライトはこの場にアンジェラを足止めしようと作戦を変更した。


「【聖戒ホーリープリセプト】」


「若様、腕を上げましたね。精密性が上がってるじゃないですか」


「かなりキツく縛り上げたはずなのに、なんで平気そうな顔をしてるんだよ」


 光の鎖でギッチギチに縛りつけて簀巻きになっているはずなのに、少し頬を赤く染めるぐらいで済んでいるアンジェラを見て、ライトは不思議に思った。


「フッフッフ。甘いですよ、若様。主からの緊縛プレイなんて、我々の業界ではご褒美です!」


「黙ってろ変態」


「その汚物を見るような目が堪りません! ありがとうございます!」


「【聖戒ホーリープリセプト】」


 光の鎖を創り出し、簀巻きの状態から更にグルグル巻きにすることで、アンジェラは光の鎖によって完全に見えなくなった。


 流石のアンジェラも、手足を塞がれて何も見えない状況になれば動けないようなので、光の鎖を壊すこともなくおとなしくなった。


 少しの間様子を窺ったが、アンジェラは光の鎖を引き千切って出て来るようなことはなかった。


 おとなしくなったと油断させて、近づいた途端に光の鎖を引き千切る恐れがあるから、ライトはアンジェラに近づかずに人目に付かない場所へ移動させることにした。


「【聖戒ホーリープリセプト】」


 天井から光の鎖を垂らし、アンジェラを拘束する光の鎖玉と連結させてつるし上げると、ライトは自室に戻った。


「【【【・・・【【防御壁プロテクション】】・・・】】】」


 自室に戻ってすぐにドアや窓を光の壁で塞ぐと、ライトはベッドにダイブした。


 (疲れたぁぁぁ。こんなことになるぐらいなら、セイントジョーカーにいた方が良かったんじゃないの?)


 思わず帰って来なければと思うぐらい、ライトの精神は摩耗していた。


 無理もないだろう。


 半日以上の時間をかけ、蜥蜴車リザードカーに揺られて帰って来たと思ったら、エリザベスが自分の貞操を危機に晒す取引をしていたと告げ、必死になって鬼ごっこをしたのだから。


 夕食に呼ばれるまでの間、遅い昼寝をしてもいいかもしれないと思ったが、今寝てしまえば夜に寝つきが悪くなる。


 そう考えたライトは、テーブルの引き出しから去年書き上げたやることリストを取り出した。


 そのリストには、パーシーからいずれダーインクラブを引き継ぐことを考慮して、今の内からセイントジョーカーに負けない都市作りに必要なことを列挙していた。


 ダーインクラブ以外にほとんど出たことがなかった1年前のライトには、治療院の仕事ぐらいしかできなかった。


 しかし、今はセイントジョーカーに行ってあらゆる情報を仕入れたことで、ダーインクラブでできることもかなり増えた。


 ライトはリストを読みつつ、明日からやれることをピックアップし、新学期が始まるまでの間に少しでもダーインクラブを改革することにした。


 その後、夕食に呼ばれて食堂に集まった時、アンジェラが何食わぬ顔をしてそこに姿を現したことにライトは顔が引き攣ったのだが、それはまた別の話である。

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