第87話 あいや待たれい!

 ジェシカとメイリンが落ち着きを取り戻してから、ライトはジェシカに話しかけた。


「会長、言い忘れてましたが、聖水を飲んだ者が神聖な力を得られるという理論ですが、1つ心配なことがあります」


「心配なことですか? なんでしょう?」


「スキルが強化された人が飲んだのは、僕が作った聖水なんです。市場に出回ってる聖水では、試したことがありません」


「・・・大問題じゃないですか。言われてみれば確かにその通りですね。そもそも、市場に出回ってる聖水で神聖な力を得られたという話は聞いたことがありません。市販の聖水で再現できないとなると、この論文に穴ができてしまいます。どうしましょう」


 今更というタイミングでライトが気づいたことを述べると、ジェシカの顔が真っ青になった。


 ジェシカも大発見をしたことで随分と浮かれていたらしい。


 普段通りのジェシカであれば、気づいてもおかしくないミスだったのだから本当に浮かれていたとしか言いようがない。


 (これはもう腹を括るしかないかな? いや、でもな・・・)


 聖水の利権問題のせいでジェシカが論文の執筆に遅れが出てしまったから、ライトとヒルダが助手になった。


 しかし、そもそもライトの作った聖水ありきで論文を書いているのならば、ライトが腹さえ括ってしまえば解決することがある。


 まず、ジェシカにとっては聖水の確保の問題が解決する。


 次に、人類はより上質な聖水によって神聖な力を得られるという理論が成立する。


 それに加えて、ライトが今後も聖水を安定供給すれば、市場に出回る聖水の値段が下がって聖水が多くの人に行き届くようになる。


 教会で作成している分も賄えるならば、現在聖水を作成するのにかかる人、物、金、時間といったコストを大幅にカットできる。


 本格的に既得権益を潰す覚悟を持ち、利権を持っていた者から恨まれても構わないと思えるなら、ライトは【聖付与ホーリーエンチャント】だけで聖水を作れると開示した方が人類にとっては都合が良い。


 だが、それと同時に人類がライトに依存することになるので、ライトが死んでからの時代のために聖水の質を向上させる取り組みも継続して行う必要がある。


 こうして悩んだ結果、ライトは腹を括ることにした。


 (自重してもしなくても、どっちでも僕に負担が来るんだったら自重しない方を選ぶよ)


 つまり、そういうことだ。


 自分の作った聖水を秘匿すれば、人類に損害が今後も出るだろうからライトが治療しなければいけない人が減ることはない。


 それとは逆で自分の作った聖水を供給すれば、人類は聖水の恩恵を受けてライトの治療する機会が減る代わりに、ライトは聖水作成マシーンになる時間を設けなくてはいけなくなる。


 だったら後者の方がライトにとっては比較的マシなのだ。


「会長、僕が作る聖水については、今後も依頼があれば提供可能って形で同時に発表しましょう。実際、叔父様は僕が聖水を秒で作れることを知ってますから」


「良いんですか? 本当に発表して良いんですか?」


 ライトが言い出してくれたおかげで、ジェシカはライトに多くを背負わせる選択ができるようになった。


 だから、本当に良いのかとわざわざ2回繰り返して訊ねた。


 ジェシカだって自分にとってライトの申し出を受ける方が楽になれるとわかっている。


 それでも、ライトにおんぶに抱っことなってしまうので、ライトの意思を今一度確認する必要があった。


「どちらにせよ、僕に負担が来ることに変わりはありません。それならば、人類の役に立つ負担の方が良いです。あ、でも、発表する前に味方になってもらえる人を増やす根回しはして下さいね」


 最後は茶目っ気がある笑みを浮かべてライトが言うと、ジェシカは真剣な顔で頷いた。


「わかりました。既得権益にしがみつく者からの反発を最小限にできるように、私も働きかけましょう」


「ライト、私も動くよ。私の大事なライトを害そうとする奴は駆逐してやるんだから」


「ヒ、ヒルダ、程々にね」


「うん。、当主のプライドをへし折って再起不能にする程度で我慢するよ」


 (ヒルダが暴走列車になっちゃったよ!)


 目の据わっているヒルダを見て、ライトは今すぐにヒルダを落ち着かせなければならないと悟った。


 エクスキューショナーのデメリットにより、ライトを傷つけられると想像しただけで殺人衝動が湧き起こっているのだから当然である。


「ヒルダ、僕をハグして深呼吸してみようか」


「ハグして深呼吸する」


 ライトの言った言葉を繰り返すと、ヒルダはその通りに動いた。


 ライトを抱き締めて深呼吸することでヒルダの目に光が戻った。


「落ち着いた?」


「うん。ライト、大好き」


「私は今、何を見させられてるのでしょう・・・」


 ジェシカの言葉に応じるものは誰もいなかった。


 イルミはこれに近いものをしょっちゅう見ているし、メイリンはそもそも口数が少ないのだから仕方がない。


 それはさておき、ヒルダが落ち着いたのでライトは話を先に進めることにした。


「会長、今までの話をまとめますね。まず、聖水の提供は僕とヒルダで行います。次に、僕が関与する聖水については、論文発表会で開示します。会長、ヒルダ、僕はそのために事前に根回しをします。これで良いですね?」


「ええ。まとめてくれて助かりました」


「あいや待たれい!」


 話がまとまりかけたところでイルミが立ち上がり、芝居がかった口調で待ったをかけた。


「どうしたの、イルミ姉ちゃん? 今、話がまとまったところだったのに」


「ライト、お姉ちゃんは悲しいよ」


「何が?」


 そこまでライトが訊くと、イルミはライトの正面までやって来て両肩を握った。


「どうしてお姉ちゃんに頼ってくれないの!?」


「えっ、イルミ姉ちゃんって根回しとかできるの?」


 とてもではないが、イルミに根回しなんて頭を使うことができるはずないというのがライトの考えである。


 ライトにナチュラルに当てにされてないとわかると、イルミの表情に陰りが見られた。


「・・・ライト、お姉ちゃんってこれでも友達は多いんだよ?」


「そうなの?」


 ライトが質問した先はイルミではなくヒルダだった。


 イルミがぼっちだとは思っていないが、自分は友達が多いと過大申告してないか心配になったからである。


 しかし、ヒルダはそんなライトに対して首を縦に振った。


「確かにイルミは友達が多いよ。だって、表裏がないし隠し事が下手だから」


「なるほど。貴族らしくなくてとっつきやすいんだね。それはすごいわかる」


「あれ、おかしいな。お姉ちゃん、褒められてる気がしないぞ?」


「「褒めてないから」」


「なん・・・だと・・・?」


 ライトとヒルダが口を揃えて言うと、イルミは衝撃を受けていた。


「でも、イルミ姉ちゃんも助けてくれるなら、僕としては嬉しいけど」


「えっ、何か言った? 聞こえなかったよ」


 (イルミ姉ちゃん、もう1回言ってほしいからってわざと聞こえなかったふりしたな)


 内心やれやれと思ったライトだが、既得権益に縋る者達を相手取るならば今は少しでも味方が多い方が良い。


 それゆえ、イルミが望むままにもう1回言ってあげることにした。


「イルミ姉ちゃんが助けてくれると嬉しいな」


「もう一声。お姉ちゃんのことがす・・・?」


「き」


「OK! 大船に乗ったつもりで良いよ! お姉ちゃん、ライトのために頑張っちゃうんだからね!」


 ライトが浅はかなイルミの誘導に乗ってあげると、イルミはやる気十分という感じで自分に任せろと言った。


「イルミ、そろそろライトから離れて。今は私がライトをハグする時間なの」


「えぇ、良いじゃん! ライトはお姉ちゃんのライトでもあるんだから!」


 ヒルダとイルミがライトの所有権を争っていると、メイリンが静かに立ち上がってジェシカの前にやって来た。


「私も、手伝う」


「メイリン、ありがとうございます」


「ジェシカは、友達」


 口数は少なくとも、メイリンがジェシカを手伝いたいという気持ちはちゃんとジェシカに伝わった。


 メイリンだってロアノーク子爵家の長女なのだから、それなりに伝手はある。


 それがわかっているからこそジェシカは素直に感謝した。


 その後、ジェシカとメイリンがヒルダとイルミを落ち着かせると、ライト達は誰がどこに根回しするのかを話し合って本日はお開きとなった。


 ライト達は論文発表会に向けて確実に一歩前進したのだった。

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